2009年09月19日
「中行説の桑」21
「面白い?それだけの理由で?」
「折角嫁ぐのです、背の君に気に入られたいし、何か面白い手土産を持参したいではありませんか」
「手土産・・でございますか。それにしてはちと品が物騒でございますまいか」
「でもねえ、女は誰でも、一生に一度くらい絹を纏ってもよいのではありませんかねえ。漢の地でも、匈奴の民でも」
「匈奴の・・下々でも、でございますか」
「ええ、嫁ぐ晴れの日くらい誰も絹の花嫁衣裳が纏えるほどには、彼の地でも作れたらと。夢でしょうかねえ。大丈夫、そちに迷惑はかけませんよ。万一事が顕われても、けっしてそなたの名は出しません」
「公主様・・」
「もうすぐ燕から、老親を呼び寄せるそうですね。分っています。そなたが関わったことが顕われたら、都に家を賜うどころか、そなたの親に嘆きを見せることにもなりかねませんからね」
「匈奴の背の君への、手土産・・」
一瞬、やはり幼い娘か、と思った。老上単于は父冒頓単于のもと太子時代が長く、即位したばかりとはいえ三十路半ばの年齢である。すでに何人もの妻妾を持ち、公主と同年輩の息子もいるという。
(だが、そういう事情を知らぬはずはない) そういう相手との、政略そのものの今回の輿入れであった。
公主の勝気そうな瞳は「長城の外に嫁ぐのに、受身に流されるだけではいやだ。その中にあっても、なお我が手で幸せを招きたい」という意志を語っていた。
「なぜ、私に無理難題を仰るのですか」
「酪を作れたからですよ」
「酪?」
「ええ、酪です。この長楽宮でとにかく匈奴の酪を作れる人を探そうと思いました。酪を作れる人なら・・私の気持ちをきっと分ってくださると」
今は司膳部の料理人も「匈奴の酪」の作り方を覚えて、公主の注文に常時応じている。
「公主様!」
(私と同じく・・きっと燕の地で、匈奴の人間と知り合われたのだろう。それも酪の湯を振舞われるほど、親しく)中行説は、うら若い公主の、か細い肩を見た。(大丈夫であろうか、気性はしっかりしておられるが・・お体は余りお丈夫ではないような)
匈奴の住む地は、燕の地より更に寒いと聞いている。
「折角嫁ぐのです、背の君に気に入られたいし、何か面白い手土産を持参したいではありませんか」
「手土産・・でございますか。それにしてはちと品が物騒でございますまいか」
「でもねえ、女は誰でも、一生に一度くらい絹を纏ってもよいのではありませんかねえ。漢の地でも、匈奴の民でも」
「匈奴の・・下々でも、でございますか」
「ええ、嫁ぐ晴れの日くらい誰も絹の花嫁衣裳が纏えるほどには、彼の地でも作れたらと。夢でしょうかねえ。大丈夫、そちに迷惑はかけませんよ。万一事が顕われても、けっしてそなたの名は出しません」
「公主様・・」
「もうすぐ燕から、老親を呼び寄せるそうですね。分っています。そなたが関わったことが顕われたら、都に家を賜うどころか、そなたの親に嘆きを見せることにもなりかねませんからね」
「匈奴の背の君への、手土産・・」
一瞬、やはり幼い娘か、と思った。老上単于は父冒頓単于のもと太子時代が長く、即位したばかりとはいえ三十路半ばの年齢である。すでに何人もの妻妾を持ち、公主と同年輩の息子もいるという。
(だが、そういう事情を知らぬはずはない) そういう相手との、政略そのものの今回の輿入れであった。
公主の勝気そうな瞳は「長城の外に嫁ぐのに、受身に流されるだけではいやだ。その中にあっても、なお我が手で幸せを招きたい」という意志を語っていた。
「なぜ、私に無理難題を仰るのですか」
「酪を作れたからですよ」
「酪?」
「ええ、酪です。この長楽宮でとにかく匈奴の酪を作れる人を探そうと思いました。酪を作れる人なら・・私の気持ちをきっと分ってくださると」
今は司膳部の料理人も「匈奴の酪」の作り方を覚えて、公主の注文に常時応じている。
「公主様!」
(私と同じく・・きっと燕の地で、匈奴の人間と知り合われたのだろう。それも酪の湯を振舞われるほど、親しく)中行説は、うら若い公主の、か細い肩を見た。(大丈夫であろうか、気性はしっかりしておられるが・・お体は余りお丈夫ではないような)
匈奴の住む地は、燕の地より更に寒いと聞いている。
Posted by 渋柿 at 18:31 | Comments(4)
2009年09月18日
「中行説の桑」20
「無理です。そもそも桑の木は、匈奴の地では育ちません」聞かれる心配はなかったが、それでも説は声をひそめた。
「育ちませんか」
「匈奴の地は、まず水が少のうございます。まばらに草が生えておるのがせいぜいでございます。育つとしたら御柳(タマリスク)と申す背の低い木くらいがやっとで」
「桑がなければ、蚕は育たぬのですね」
「はい。蚕は桑しか食べません。それも毎日、驚くほどの桑の葉を食べまする」
「でも、くぬぎや樫の葉を食む蚕の眷属がおる、と聞いております。ひょっとしたらその御柳とやらの葉、蚕が口にするかもしれませんよ。生き延びるために」公主は、あでやかな微笑みでそういった。
「柳を食む蚕など、聞いたこともござりませぬ」説はため息をついた。
「お願いです、無茶をおっしゃいますな」
「ええ、私、無茶を申しておりますわね」
まだ十六歳と聞いている。にも関わらず賢い姫だ、と思った。人間が飼わぬ、桑も食わぬ、蚕の一種は確かに存在する。何千年前、伝説の黄帝の后が蚕を飼い、絹を織り始めたという。だがくぬぎや樫に付く蚕の眷属は、緑色の繭を作り糸布にも織られている。
「でも、長城の外でも絹が出来たところで、そう漢のお国は困らぬのではないですか」
「はあ・・」
生存の危機に見舞われれば、匈奴が、絹を穀物とともに略奪することは確かにある。自給できないからであり、それが西方との交易の「通貨」ともなるからである。
実際に絹の生産に携わっているものたちの身になれば、匈奴から得ている乳製品などは漢の国内でも購える。漢の国内にも、長城外に養蚕の技術が広まり略奪の危険がなくなる方がむしろ有難いという人間がずっと多いのかもしれない。
「私は嫁いだら絹ではなく、牛でも羊でも皮の衣を着るつもりですがね・・」公主は、自分の纏った鮮やかな緋の袿裳の裾を引きながらいった。
「まさか・・」
その言葉とは裏腹に、抜けるように白い公主の肌に、その袿裳はよく似合っている。
この少女が毛皮を纏った姿を、説は思い浮かべることはできない。
「もし匈奴の地でも絹が出来るようになったら、面白いではありませんか」
「育ちませんか」
「匈奴の地は、まず水が少のうございます。まばらに草が生えておるのがせいぜいでございます。育つとしたら御柳(タマリスク)と申す背の低い木くらいがやっとで」
「桑がなければ、蚕は育たぬのですね」
「はい。蚕は桑しか食べません。それも毎日、驚くほどの桑の葉を食べまする」
「でも、くぬぎや樫の葉を食む蚕の眷属がおる、と聞いております。ひょっとしたらその御柳とやらの葉、蚕が口にするかもしれませんよ。生き延びるために」公主は、あでやかな微笑みでそういった。
「柳を食む蚕など、聞いたこともござりませぬ」説はため息をついた。
「お願いです、無茶をおっしゃいますな」
「ええ、私、無茶を申しておりますわね」
まだ十六歳と聞いている。にも関わらず賢い姫だ、と思った。人間が飼わぬ、桑も食わぬ、蚕の一種は確かに存在する。何千年前、伝説の黄帝の后が蚕を飼い、絹を織り始めたという。だがくぬぎや樫に付く蚕の眷属は、緑色の繭を作り糸布にも織られている。
「でも、長城の外でも絹が出来たところで、そう漢のお国は困らぬのではないですか」
「はあ・・」
生存の危機に見舞われれば、匈奴が、絹を穀物とともに略奪することは確かにある。自給できないからであり、それが西方との交易の「通貨」ともなるからである。
実際に絹の生産に携わっているものたちの身になれば、匈奴から得ている乳製品などは漢の国内でも購える。漢の国内にも、長城外に養蚕の技術が広まり略奪の危険がなくなる方がむしろ有難いという人間がずっと多いのかもしれない。
「私は嫁いだら絹ではなく、牛でも羊でも皮の衣を着るつもりですがね・・」公主は、自分の纏った鮮やかな緋の袿裳の裾を引きながらいった。
「まさか・・」
その言葉とは裏腹に、抜けるように白い公主の肌に、その袿裳はよく似合っている。
この少女が毛皮を纏った姿を、説は思い浮かべることはできない。
「もし匈奴の地でも絹が出来るようになったら、面白いではありませんか」
Posted by 渋柿 at 18:59 | Comments(0)
2009年09月18日
「中行説の桑」19
「えっ」
宦官は宮中に宿営するのが原則である。しかし特に認められて、都の中に家を持つこともできた。時代が下れば、そこで内々にならば「妻」を持ち養子を迎えて家庭を持っている宦官さえもいたのである。
「それは宦官令様の、お骨折りでございましょう。誠にありがとうございます」
「あ、いや・・儂の力ばかりではないがの」張沢は、照れたように笑った。「そなたの父母は、燕に健在なのであろう」
「はい・・宦官になってから一度も会ってはおりませんが」
「呼び寄せるがよい」
思い掛けない言葉だった。
蚕が病気で死に絶えて、説は一家を救うために身を売り、人の賤しむ宦官となった。
(父母・・来てくれるだろうか)
二人の兄は嫁を迎えて養蚕の家業を続けているし、近くに嫁いだ姉の子達も、父母はむつきのうちから慈しんできたはずである。宦官となった中行説は、無論のこと華燭の典に招かれることもなく、暫くはあった母の燕王府を通じた音信も絶え絶えである。人の卑しむ身の上となってしまっているのだ。
宦官となった時に肉親との絆を失った朋輩も多い。
(多分、父さんも母さんも燕を離れたがらないだろう)説は、寂しく思った。(どうせ、肉親との縁はすでに切れている)
「では、酪のこと、よろしくな」張沢は、もう一度説の肩を叩き、去っていった。
半日の半分の半分、初めは激しくあとは静かに・・記憶にある「酪の小父さん」の言葉をなぞり三日、中行説は瓢箪に牛の乳を入れて試行錯誤を繰り返した。激しく振る時間の加減、静かに揺する時間の加減・・幾つもの瓢箪の牛乳を無駄にし、ついに「これが酪」という物を作った。
その酪を溶かした湯は、和蕃公主の御意に叶った。
それから数度、召されてお褒めの言葉を賜り、説はしばしば公主の前に伺候し、話し相手を勤めている。
その和蕃公主が、「国禁を犯し、匈奴の地で絹の生産ができおるよう、蚕種と桑の種を持ち出したい」という。
宦官は宮中に宿営するのが原則である。しかし特に認められて、都の中に家を持つこともできた。時代が下れば、そこで内々にならば「妻」を持ち養子を迎えて家庭を持っている宦官さえもいたのである。
「それは宦官令様の、お骨折りでございましょう。誠にありがとうございます」
「あ、いや・・儂の力ばかりではないがの」張沢は、照れたように笑った。「そなたの父母は、燕に健在なのであろう」
「はい・・宦官になってから一度も会ってはおりませんが」
「呼び寄せるがよい」
思い掛けない言葉だった。
蚕が病気で死に絶えて、説は一家を救うために身を売り、人の賤しむ宦官となった。
(父母・・来てくれるだろうか)
二人の兄は嫁を迎えて養蚕の家業を続けているし、近くに嫁いだ姉の子達も、父母はむつきのうちから慈しんできたはずである。宦官となった中行説は、無論のこと華燭の典に招かれることもなく、暫くはあった母の燕王府を通じた音信も絶え絶えである。人の卑しむ身の上となってしまっているのだ。
宦官となった時に肉親との絆を失った朋輩も多い。
(多分、父さんも母さんも燕を離れたがらないだろう)説は、寂しく思った。(どうせ、肉親との縁はすでに切れている)
「では、酪のこと、よろしくな」張沢は、もう一度説の肩を叩き、去っていった。
半日の半分の半分、初めは激しくあとは静かに・・記憶にある「酪の小父さん」の言葉をなぞり三日、中行説は瓢箪に牛の乳を入れて試行錯誤を繰り返した。激しく振る時間の加減、静かに揺する時間の加減・・幾つもの瓢箪の牛乳を無駄にし、ついに「これが酪」という物を作った。
その酪を溶かした湯は、和蕃公主の御意に叶った。
それから数度、召されてお褒めの言葉を賜り、説はしばしば公主の前に伺候し、話し相手を勤めている。
その和蕃公主が、「国禁を犯し、匈奴の地で絹の生産ができおるよう、蚕種と桑の種を持ち出したい」という。
Posted by 渋柿 at 07:06 | Comments(0)
2009年09月17日
「中行説の桑」18
もっとも匈奴の地では練乳・発酵乳・バターと様々な種類の「酪」が生産・消費されてはいたのであろう。ただ交易の品としてはある程度保存が効くものでなければならぬ。その関係上、ありよう交易相手の燕人には、この酪だけが「酪」と認知されていたに過ぎない。
「陛下のあのお優しいご気性じゃ。よんどころなく誰かを嫁がせるにしてもなあ、嫌がる娘を無理矢理とは、なさりたくなかったのでなあ。自ら名乗り出た王女があって、陛下もほっとしておられる。いや、この公主様、さすが国境の燕育ちだけに匈奴のことにもお詳しいし、自分から申し出られただけあって、さほどは・・悲しんでもおられぬようじゃ」
「そうですか」
「中行説、その匈奴の酪、作れるか?」
「はあ。子供の頃、家で蚕を飼っておりました。交易で来ていた匈奴の男に簡単な話は聞いたことがありますが・・」
「頼む、酪を作ってみてくれ。上林苑の令(長官)から牛の乳は取り寄せてある」
上林苑とは秦の始皇帝が長安の西に作った広大な庭園である。狩もでき、牛馬を飼う牧場、虎園という一種の動物園まであった。その宮中の司膳部に上林苑から届く牛乳を、自由に使ってよいというのである。
「何せ、陛下の思し召しじゃからなあ」
「陛下の?」
「若い身空で、はるばる塞の外へ嫁ぐ不憫な娘、せめてそれまではできる限り望みを叶えるように、との」
「できるかどうかわかりませんが、やってみましょう」
「頼むぞ。酪が出来るまで、他の仕事はせずによい」肩を叩き趙沢は立ち去りかけ、つと足を停めた。「そうじゃ、忘れておった」
「はあ」
「来年の春、そなたも宮の外に休息の館をもてることになったぞ」
「陛下のあのお優しいご気性じゃ。よんどころなく誰かを嫁がせるにしてもなあ、嫌がる娘を無理矢理とは、なさりたくなかったのでなあ。自ら名乗り出た王女があって、陛下もほっとしておられる。いや、この公主様、さすが国境の燕育ちだけに匈奴のことにもお詳しいし、自分から申し出られただけあって、さほどは・・悲しんでもおられぬようじゃ」
「そうですか」
「中行説、その匈奴の酪、作れるか?」
「はあ。子供の頃、家で蚕を飼っておりました。交易で来ていた匈奴の男に簡単な話は聞いたことがありますが・・」
「頼む、酪を作ってみてくれ。上林苑の令(長官)から牛の乳は取り寄せてある」
上林苑とは秦の始皇帝が長安の西に作った広大な庭園である。狩もでき、牛馬を飼う牧場、虎園という一種の動物園まであった。その宮中の司膳部に上林苑から届く牛乳を、自由に使ってよいというのである。
「何せ、陛下の思し召しじゃからなあ」
「陛下の?」
「若い身空で、はるばる塞の外へ嫁ぐ不憫な娘、せめてそれまではできる限り望みを叶えるように、との」
「できるかどうかわかりませんが、やってみましょう」
「頼むぞ。酪が出来るまで、他の仕事はせずによい」肩を叩き趙沢は立ち去りかけ、つと足を停めた。「そうじゃ、忘れておった」
「はあ」
「来年の春、そなたも宮の外に休息の館をもてることになったぞ」
Posted by 渋柿 at 20:19 | Comments(2)
2009年09月16日
「中行説の桑」17
三か月前公主が長楽宮に迎えられたとき、ひょんなことでこの新公主の話し相手をするようになった。
「中行説、そなたたしか燕の育ちじゃったなあ」 長楽宮の廊下で、宦官令(宦官の長官)となっている張沢から声をかけられた。
若い頃から下の者の面倒見がよく、慕われていた。人徳の結果として宦官たちの上に立っているのである。
「はい」説は答えた。
「燕の酪を知っておるか?」
「燕の酪でございますか。牛の乳から脂を取り出したあの・・はい、燕というよりは匈奴の酪でございますが、存じております」
「やはり、都の酪とは違うのじゃなあ。儂も燕の生れじゃそうしゃが、赤子の内にこちらへ来たでなあ」
(この人も、宦官になるまでにはいろいろな事情があったらしいな)
説は、四十路に近い上司の、丸く盛り上がった肩の辺りを見た。宦官は中年期には肥満する。そしてなぜか老年になれば恐ろしくやせ、皺だらけとなる。それは、説の未来も同様であるが。秦の始皇帝に仕えた宦官趙高が、その性向の一方の代表であろう。始皇帝の遺言を偽造してその長子を刑死させ、己が偽立した二世皇帝を篭絡し馬鹿呼ばわりした挙句に暗殺した。
宦官とは陰険で節操なく貪欲冷淡なものという通念はこの時代にも確かにある。だが、目の前の宦官令は、およそ他の時代なら「宦官とは思えぬ」底抜けの好人物であった。
(まったくこの人には子供の頃から、陰になり日向になりどれほど庇ってもらったか判らない)覚えず、小腰をかがめる。
一つには「仁孝寛厚」といわれたかつての代王、後におくり名された文帝の存在が、このような宦官をそのトップに生んだのかもしれなかった。
「私も、長安に来て少し驚きました。こちらでは牛の乳を煮詰めたものを酪と呼んでおりましたので」
この「酪」は現在でいう練乳である。
「実はな、困っておるのだ。今度燕からみえられた公主様がな、湯にといた酪を飲みたいとおっしゃってなあ。長安の酪を差し上げたのじゃが『これは酪ではない』と大変なおむずがりでなあ」
「匈奴の酪をお好みですか」少しほっとした。
皇帝の一族に生れた娘が、長城を越えて異郷に嫁ぐのだ。その娘が匈奴の食物を好むと聞けば、救われたような気になる。
「中行説、そなたたしか燕の育ちじゃったなあ」 長楽宮の廊下で、宦官令(宦官の長官)となっている張沢から声をかけられた。
若い頃から下の者の面倒見がよく、慕われていた。人徳の結果として宦官たちの上に立っているのである。
「はい」説は答えた。
「燕の酪を知っておるか?」
「燕の酪でございますか。牛の乳から脂を取り出したあの・・はい、燕というよりは匈奴の酪でございますが、存じております」
「やはり、都の酪とは違うのじゃなあ。儂も燕の生れじゃそうしゃが、赤子の内にこちらへ来たでなあ」
(この人も、宦官になるまでにはいろいろな事情があったらしいな)
説は、四十路に近い上司の、丸く盛り上がった肩の辺りを見た。宦官は中年期には肥満する。そしてなぜか老年になれば恐ろしくやせ、皺だらけとなる。それは、説の未来も同様であるが。秦の始皇帝に仕えた宦官趙高が、その性向の一方の代表であろう。始皇帝の遺言を偽造してその長子を刑死させ、己が偽立した二世皇帝を篭絡し馬鹿呼ばわりした挙句に暗殺した。
宦官とは陰険で節操なく貪欲冷淡なものという通念はこの時代にも確かにある。だが、目の前の宦官令は、およそ他の時代なら「宦官とは思えぬ」底抜けの好人物であった。
(まったくこの人には子供の頃から、陰になり日向になりどれほど庇ってもらったか判らない)覚えず、小腰をかがめる。
一つには「仁孝寛厚」といわれたかつての代王、後におくり名された文帝の存在が、このような宦官をそのトップに生んだのかもしれなかった。
「私も、長安に来て少し驚きました。こちらでは牛の乳を煮詰めたものを酪と呼んでおりましたので」
この「酪」は現在でいう練乳である。
「実はな、困っておるのだ。今度燕からみえられた公主様がな、湯にといた酪を飲みたいとおっしゃってなあ。長安の酪を差し上げたのじゃが『これは酪ではない』と大変なおむずがりでなあ」
「匈奴の酪をお好みですか」少しほっとした。
皇帝の一族に生れた娘が、長城を越えて異郷に嫁ぐのだ。その娘が匈奴の食物を好むと聞けば、救われたような気になる。
Posted by 渋柿 at 23:22 | Comments(0)
2009年09月11日
「中行説の桑」16
二
「ええっ、蚕種と桑の種をお持ちになりたいですと」中行説は大声を上げそうになり、思わず口を手で押さえた。
「大丈夫ですよ。ここは未央宮ではありませんもの」和蕃公主は、笑った。
皇后以下の皇族の女性や妃嬪が住まう宮殿、長楽宮。たしかに皇帝の常の座所であり、多くの官人が執務する場でもある未央宮とは違う。ここに仕えるのは女官と宦官のみである。それに、公主は人払いを命じている。
今二人がいる公主の居室の石の露台は広く、それに続く庭も一面に見晴らしが効く。なんびとも、説や公主に気付かれず近付くことは不可能であった。
「だが、壁に耳ありと申しますれば・・」
「確かに、誰にも秘密にしなければなりませんね」公主も頷いた。
「蚕種も勿論でございますが桑の種も、塞の外に持ち出すのはきつい国禁でございます」
「それをいえば、そもそも匈奴と漢人の交易にしてからが国禁でしょう。でもほとんど大っぴらに、交易の匈奴が長城を出入りしているそうではないですか」
「絹と肉や毛皮を交換するのとは訳が違います。極刑の、正真正銘の国禁でございます」
秋は深い。宮殿のあちこちに植えてある桂(金木犀)の香りが、漂っている。
白登山の戦いで高祖を惨めに敗走させた匈奴の冒頓単于の死去、子の老上単于の即位の報は、今年の春長安にもたらされた。後に文帝と追号される皇帝は、劉氏宗族の中から匈奴に嫁ぐ娘を募った。そして選ばれたのは、呂氏が滅びた後に燕の王となった、劉氏一族、燕王劉沢の娘であった。いや、選ばれたというより、劉沢親娘の自薦が通ったというべきであろう。
劉沢。高祖劉邦の本家筋とも、曽祖父が兄弟であったともいう。遠縁ながら呂后時代にはその妹の娘を妻にして生き延び、呂氏打倒の後は有力であった高祖の嫡長孫を退けて文帝の即位に貢献した。そのそして功によって燕王に封じられたのである。
公主文帝はこの燕王劉沢庶腹の娘に「和蕃公主」という名を与えて養女とした。そしてこの養女を、老上単于に嫁がせると発表した。
和蕃とは蕃族つまり匈奴との和親、公主とは皇帝の娘、内親王という意味である。
高祖の敗戦以来、表面は匈奴を「兄」と敬ってきた漢であった。その上現皇帝は匈奴と境を接する地方王の経験があり「外交も内政も、無理をせず国を休ませる」という「黄老無為の道」は即位以来一貫してぶれていない。
内政では農耕と養蚕を手厚く保護奨励してきた。そして外交も、この公主入輿で更に親善に努めようというのだ。
今中行説と向き合っているのが、その選ばれた当の本人の和蕃公主である。
「ええっ、蚕種と桑の種をお持ちになりたいですと」中行説は大声を上げそうになり、思わず口を手で押さえた。
「大丈夫ですよ。ここは未央宮ではありませんもの」和蕃公主は、笑った。
皇后以下の皇族の女性や妃嬪が住まう宮殿、長楽宮。たしかに皇帝の常の座所であり、多くの官人が執務する場でもある未央宮とは違う。ここに仕えるのは女官と宦官のみである。それに、公主は人払いを命じている。
今二人がいる公主の居室の石の露台は広く、それに続く庭も一面に見晴らしが効く。なんびとも、説や公主に気付かれず近付くことは不可能であった。
「だが、壁に耳ありと申しますれば・・」
「確かに、誰にも秘密にしなければなりませんね」公主も頷いた。
「蚕種も勿論でございますが桑の種も、塞の外に持ち出すのはきつい国禁でございます」
「それをいえば、そもそも匈奴と漢人の交易にしてからが国禁でしょう。でもほとんど大っぴらに、交易の匈奴が長城を出入りしているそうではないですか」
「絹と肉や毛皮を交換するのとは訳が違います。極刑の、正真正銘の国禁でございます」
秋は深い。宮殿のあちこちに植えてある桂(金木犀)の香りが、漂っている。
白登山の戦いで高祖を惨めに敗走させた匈奴の冒頓単于の死去、子の老上単于の即位の報は、今年の春長安にもたらされた。後に文帝と追号される皇帝は、劉氏宗族の中から匈奴に嫁ぐ娘を募った。そして選ばれたのは、呂氏が滅びた後に燕の王となった、劉氏一族、燕王劉沢の娘であった。いや、選ばれたというより、劉沢親娘の自薦が通ったというべきであろう。
劉沢。高祖劉邦の本家筋とも、曽祖父が兄弟であったともいう。遠縁ながら呂后時代にはその妹の娘を妻にして生き延び、呂氏打倒の後は有力であった高祖の嫡長孫を退けて文帝の即位に貢献した。そのそして功によって燕王に封じられたのである。
公主文帝はこの燕王劉沢庶腹の娘に「和蕃公主」という名を与えて養女とした。そしてこの養女を、老上単于に嫁がせると発表した。
和蕃とは蕃族つまり匈奴との和親、公主とは皇帝の娘、内親王という意味である。
高祖の敗戦以来、表面は匈奴を「兄」と敬ってきた漢であった。その上現皇帝は匈奴と境を接する地方王の経験があり「外交も内政も、無理をせず国を休ませる」という「黄老無為の道」は即位以来一貫してぶれていない。
内政では農耕と養蚕を手厚く保護奨励してきた。そして外交も、この公主入輿で更に親善に努めようというのだ。
今中行説と向き合っているのが、その選ばれた当の本人の和蕃公主である。
Posted by 渋柿 at 07:00 | Comments(0)
2009年09月10日
「中行説の桑」15
「不倫の暴君とて最初は崔杼が斉の実権を握った。だが斉の歴史を記す史官だけは『崔杼、莊公を弑す』と書き記した。崔杼はこの史官の首を刎ねた。するとその弟が同じく『崔杼、莊公を弑す』と記した。この弟も首を刎ねられた。末弟も『歴史を正しく書き記すのは我が家の代々の勤め』と、同じことをした」
「その末弟、どうなりました?」
「崔杼も根負けして、そのままにした。斉の田舎にいた史官たちが『都の仲間が職に殉じた』と聞いてな、その志を継ごうと木簡や竹簡を持って大挙して都に上ったそうな。殺されることは覚悟の上、蟷螂の斧振り上げた如くになあ」
「史官とは・・凄まじいものですなあ」君主の権力も死の恐怖も超えさせる使命感。中行説はただ圧倒された。
(この人は、自分だけでなく子も孫も連れて、この道を進もうとしている)
「座れ」司馬喜は、自分の傍らを示した。
「はい」中行説は司馬喜の隣に腰を降ろした。喜が今手にしているのは詩経の一部である。
「この中で、知っている詩はあるかの?」
手渡された竹簡を、中行説は目を輝かせて広げた。傍らのかまきりは、相変わらず大鎌の威嚇を続けている。
これから双方の都合がつく限り、太常府の若い史官は熱心に中行説に学問を講じた。説は喜の厚意によく答え、三年足らずのうちに内に貴顕の子弟に負けぬほどの教養を身につけることができた。
祝いに、司馬喜は自邸の庭に桑の木を植えたという。司馬喜の手ほどきが終ったのは、喜の史官としての仕事が中堅として忙しくなってきたのと、彼の嫁が男子を挙げたからであった。
「済まぬなあ」最後に孫子を講じた後、司馬喜は気の毒そうにいった。
「何を仰います。春秋・詩経・論語・孟子・老子・・喜様の手ほどきどれほどありがたかったことか。はいお陰にて、これからは自分で学べまする」
「談がもの心つけば、教えてやらねばならぬしなあ」他意なく司馬喜は目を細めた。
(子に学問を教える、か)寂として、思った。
宦官の中行説には永久に叶わぬことである。
中行説が司馬喜から学問を学んでいた頃は漢帝国にとって激動の政変の連続であった。
呂太后を権力の核に高祖の家の劉氏を圧倒してきた呂氏の権力は、呂太后の死とともに蜂起した劉氏一族と高祖の功臣のために打倒された。燕・趙・梁の王位に就いていた呂通・呂台・呂産らも殺されたのである。そしてすったもんだの末、衆議一決して皇帝に押されたのは、匈奴と境を長く接する「辺境」の地の代の王、高祖四男の劉恒であった。漢三代(呂太后執政下在位した二人の幼帝は数に入れないのが通常)皇帝文帝である。
説は、引き続き文帝の後宮に奉仕を続けた。
故郷の燕を出て、十二年の歳月が流れていた。故郷からの音信は殆どない中、中行説は宦官の職務を、ただ忠実に務め続けた。そして「真面目でそこそこ有能だが、かなりの小心者」と上司や同僚に陰で評されながら、二十三歳の秋を迎えている。
「その末弟、どうなりました?」
「崔杼も根負けして、そのままにした。斉の田舎にいた史官たちが『都の仲間が職に殉じた』と聞いてな、その志を継ごうと木簡や竹簡を持って大挙して都に上ったそうな。殺されることは覚悟の上、蟷螂の斧振り上げた如くになあ」
「史官とは・・凄まじいものですなあ」君主の権力も死の恐怖も超えさせる使命感。中行説はただ圧倒された。
(この人は、自分だけでなく子も孫も連れて、この道を進もうとしている)
「座れ」司馬喜は、自分の傍らを示した。
「はい」中行説は司馬喜の隣に腰を降ろした。喜が今手にしているのは詩経の一部である。
「この中で、知っている詩はあるかの?」
手渡された竹簡を、中行説は目を輝かせて広げた。傍らのかまきりは、相変わらず大鎌の威嚇を続けている。
これから双方の都合がつく限り、太常府の若い史官は熱心に中行説に学問を講じた。説は喜の厚意によく答え、三年足らずのうちに内に貴顕の子弟に負けぬほどの教養を身につけることができた。
祝いに、司馬喜は自邸の庭に桑の木を植えたという。司馬喜の手ほどきが終ったのは、喜の史官としての仕事が中堅として忙しくなってきたのと、彼の嫁が男子を挙げたからであった。
「済まぬなあ」最後に孫子を講じた後、司馬喜は気の毒そうにいった。
「何を仰います。春秋・詩経・論語・孟子・老子・・喜様の手ほどきどれほどありがたかったことか。はいお陰にて、これからは自分で学べまする」
「談がもの心つけば、教えてやらねばならぬしなあ」他意なく司馬喜は目を細めた。
(子に学問を教える、か)寂として、思った。
宦官の中行説には永久に叶わぬことである。
中行説が司馬喜から学問を学んでいた頃は漢帝国にとって激動の政変の連続であった。
呂太后を権力の核に高祖の家の劉氏を圧倒してきた呂氏の権力は、呂太后の死とともに蜂起した劉氏一族と高祖の功臣のために打倒された。燕・趙・梁の王位に就いていた呂通・呂台・呂産らも殺されたのである。そしてすったもんだの末、衆議一決して皇帝に押されたのは、匈奴と境を長く接する「辺境」の地の代の王、高祖四男の劉恒であった。漢三代(呂太后執政下在位した二人の幼帝は数に入れないのが通常)皇帝文帝である。
説は、引き続き文帝の後宮に奉仕を続けた。
故郷の燕を出て、十二年の歳月が流れていた。故郷からの音信は殆どない中、中行説は宦官の職務を、ただ忠実に務め続けた。そして「真面目でそこそこ有能だが、かなりの小心者」と上司や同僚に陰で評されながら、二十三歳の秋を迎えている。
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2009年09月09日
「中行説の桑」14
「天下の勇士?」
司馬喜は、薄く笑った。
茅の草の葉にかまきりが一匹、鎌を振り上げて闖入者を威嚇している。茅を避けて手巾を敷き、竹簡を地面に置く。
「春秋を経て戦国の世、司馬一族も衛や趙や秦にと散ったがの、わが祖先は秦の恵文王に仕えておったらしい」
「やはり記録を司って?」
「いやあ、畑違いの鉄官でなあ」
国家が独占した製鉄の技術官また管轄官である。
「漢の御世になって、父は長安の市場の司の職を得たがの、孫子の代までかかっても司馬氏の家職、記録と歴史記述を成し遂げよとて、儂を史官にしたわけよ。全く蟷螂の斧の如き話でなあ」
「蟷螂の・・斧?」
茅の上のかまきりは、相変わらず頭上の人間を睨みつけ、鎌を振り上げている。
「春秋の君主で、人妻にちょっかいを出してその夫に殺されたというちと情けないお方を知っておるかの?」
「確か・・斉の莊公でしたか」
「そうじゃ、或る時、荘公が猟に出たが、一匹のかまきりが、あやうく踏みつぶされそうになりながら、前足の大鎌を振るって車を撃とうとしたそうな」司馬喜は手を伸ばしてかまきりの頭をちょんと突いた。
かまきりは前足を振り下ろしたが、その前に司馬喜はさっと手を引いた。
言葉を続ける。
「それを見た荘公は『元気な奴じゃ、これは何という虫かな?』と左右の者に聞くとな、御者がいうたそうな。『これはかまきりという虫でございます。この虫は進むことしか知らなくて、全く退くことを知りませんし、自分の力のほども弁えずに、一途に敵に当る奴めでございます』とな」また司馬喜はかまきりを軽く突いた。「荘公はこの言葉を聞いて『この虫がもし人間であったとすれば、それは必ず天下に並びなき勇士であったろう』といって車を戻させ、わざわざ蟷螂を避けて進んだという」
「さすが太常府の史官様、良くご存知で」
一気に弁じる司馬喜の記憶力と、その熱意。中行説は舌を巻くしかない。
「なりたてじゃがな。自分や子孫の力も弁えず、天地開闢から今に至る歴史を記そうなどと、戦車に斧振り上げるかまきりのような夢さ。もっとも史官というのは、いつもそんなもんだがな」
「いつも・・?」
「この莊公が臣下の崔杼に殺された時もそうでなあ。面と向かってその罪を鳴らしたのは史官だけだったそうじゃ」司馬喜は空を仰ぐ。
司馬喜は、薄く笑った。
茅の草の葉にかまきりが一匹、鎌を振り上げて闖入者を威嚇している。茅を避けて手巾を敷き、竹簡を地面に置く。
「春秋を経て戦国の世、司馬一族も衛や趙や秦にと散ったがの、わが祖先は秦の恵文王に仕えておったらしい」
「やはり記録を司って?」
「いやあ、畑違いの鉄官でなあ」
国家が独占した製鉄の技術官また管轄官である。
「漢の御世になって、父は長安の市場の司の職を得たがの、孫子の代までかかっても司馬氏の家職、記録と歴史記述を成し遂げよとて、儂を史官にしたわけよ。全く蟷螂の斧の如き話でなあ」
「蟷螂の・・斧?」
茅の上のかまきりは、相変わらず頭上の人間を睨みつけ、鎌を振り上げている。
「春秋の君主で、人妻にちょっかいを出してその夫に殺されたというちと情けないお方を知っておるかの?」
「確か・・斉の莊公でしたか」
「そうじゃ、或る時、荘公が猟に出たが、一匹のかまきりが、あやうく踏みつぶされそうになりながら、前足の大鎌を振るって車を撃とうとしたそうな」司馬喜は手を伸ばしてかまきりの頭をちょんと突いた。
かまきりは前足を振り下ろしたが、その前に司馬喜はさっと手を引いた。
言葉を続ける。
「それを見た荘公は『元気な奴じゃ、これは何という虫かな?』と左右の者に聞くとな、御者がいうたそうな。『これはかまきりという虫でございます。この虫は進むことしか知らなくて、全く退くことを知りませんし、自分の力のほども弁えずに、一途に敵に当る奴めでございます』とな」また司馬喜はかまきりを軽く突いた。「荘公はこの言葉を聞いて『この虫がもし人間であったとすれば、それは必ず天下に並びなき勇士であったろう』といって車を戻させ、わざわざ蟷螂を避けて進んだという」
「さすが太常府の史官様、良くご存知で」
一気に弁じる司馬喜の記憶力と、その熱意。中行説は舌を巻くしかない。
「なりたてじゃがな。自分や子孫の力も弁えず、天地開闢から今に至る歴史を記そうなどと、戦車に斧振り上げるかまきりのような夢さ。もっとも史官というのは、いつもそんなもんだがな」
「いつも・・?」
「この莊公が臣下の崔杼に殺された時もそうでなあ。面と向かってその罪を鳴らしたのは史官だけだったそうじゃ」司馬喜は空を仰ぐ。
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2009年09月09日
「中行説の桑」13
「お前の名は?」
「中行説と申します」声を弾ませて答えた。
沐休、という。皇帝の在す宮中に仕えるものは、身を清浄に保たねば成らぬ・・ということだろう。官衙に勤める宰相初め官吏もから中行説たち見習い宦官まで、沐浴のためという名目で六日に一度休みがあった。
借りた絹の手巾を司馬喜に返したのは、あの三日後の説の沐休の日だった。
この前のことがことである。宦官の身で石渠閣に入るのも憚られ、入り口の物陰で待っていると、幸い程なく司馬喜は現れた。
「申し訳ございません。洗ったのですが・・染みになってしまいました」
「よいよい、気にするな」司馬喜は鷹揚に手巾を受け取った。「今日は沐休か?」
「はい」
「それはよい。儂も今日は沐休でな・・ちょっと待っておれ」司馬喜は一旦閣内に入り、すぐに竹簡を二束ほど抱えて出てきた。「詩経は全部読んだのかな?」
「とてもとても。うちに書物はございませんで、父が自分の覚えている分をぽつりぽつり教えてくれたくらいのものでございます」
「親の生業はなんじゃな?」
「蚕を飼って絹を織っておりました」
「学のある蚕飼殿じゃなあ。中行という姓というたが、もしやあの晋六卿中行恒子の?」
「末裔だと父は申しますが、さてまことか否か・・」
「・・ついて来い」司馬喜は楼閣の裏の、四、五本の楡の大木の木陰に説をいざなった。 秋、風が心地よい。
「石渠閣の中では大声は出せぬし、この前の超衛のような石頭もおるでなあ。ここが良い。わがお浚いも兼ねての、これからお前に学問を講じたいのじゃが、どうかな」
「え、私に学を授けて下さると・・」
「わが家はそちの家よりいま少し由来が古くての、周の御世、王室の記録を司っていたそうじゃ」
「え、あの堯舜の御世に発する黎の司馬氏で」
「少なくともわが親父殿はそう信じておるのよ。何処も同じじゃな」説は返事に困った。
「恵王の頃は晋にも仕えていたというからの、そちの先祖とわが先祖、意外と知り合いだったかも知れんぞ」そういいながら司馬喜は楡の太い根元に腰をかけた。竹間を足元に置こうとして手を止める。「見ろ、ここに天下の勇士がおる」
「中行説と申します」声を弾ませて答えた。
沐休、という。皇帝の在す宮中に仕えるものは、身を清浄に保たねば成らぬ・・ということだろう。官衙に勤める宰相初め官吏もから中行説たち見習い宦官まで、沐浴のためという名目で六日に一度休みがあった。
借りた絹の手巾を司馬喜に返したのは、あの三日後の説の沐休の日だった。
この前のことがことである。宦官の身で石渠閣に入るのも憚られ、入り口の物陰で待っていると、幸い程なく司馬喜は現れた。
「申し訳ございません。洗ったのですが・・染みになってしまいました」
「よいよい、気にするな」司馬喜は鷹揚に手巾を受け取った。「今日は沐休か?」
「はい」
「それはよい。儂も今日は沐休でな・・ちょっと待っておれ」司馬喜は一旦閣内に入り、すぐに竹簡を二束ほど抱えて出てきた。「詩経は全部読んだのかな?」
「とてもとても。うちに書物はございませんで、父が自分の覚えている分をぽつりぽつり教えてくれたくらいのものでございます」
「親の生業はなんじゃな?」
「蚕を飼って絹を織っておりました」
「学のある蚕飼殿じゃなあ。中行という姓というたが、もしやあの晋六卿中行恒子の?」
「末裔だと父は申しますが、さてまことか否か・・」
「・・ついて来い」司馬喜は楼閣の裏の、四、五本の楡の大木の木陰に説をいざなった。 秋、風が心地よい。
「石渠閣の中では大声は出せぬし、この前の超衛のような石頭もおるでなあ。ここが良い。わがお浚いも兼ねての、これからお前に学問を講じたいのじゃが、どうかな」
「え、私に学を授けて下さると・・」
「わが家はそちの家よりいま少し由来が古くての、周の御世、王室の記録を司っていたそうじゃ」
「え、あの堯舜の御世に発する黎の司馬氏で」
「少なくともわが親父殿はそう信じておるのよ。何処も同じじゃな」説は返事に困った。
「恵王の頃は晋にも仕えていたというからの、そちの先祖とわが先祖、意外と知り合いだったかも知れんぞ」そういいながら司馬喜は楡の太い根元に腰をかけた。竹間を足元に置こうとして手を止める。「見ろ、ここに天下の勇士がおる」
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2009年09月08日
「中行説の桑」12
進賢冠を被った男が、目を怒らせて立っていた。
(儒者か)まだ二十歳前の若さに見えた。
「棚や床の掃除はやむをえぬ。が、穢れた手でやたらと書物を扱うな」説の手から、竹簡がひったくられる。
「穢れた・・」
「宦官の分際で詩を読んでおったであろう。身の程をわきまえろ」
口の中が塩辛い。殴られたときに切れたらしい。
「超衛、そう酷いことを申すな」もう一人、進賢冠の男が横から声を掛け、その手から竹簡を受け取った。
「酷い、だと」
「まだ子供ではないか。それに、小間用を弁ずる宦官どもが目に一呈字もなければ、陛下も太后もお困りになる道理じゃ。宦官だとて書は読みたかろうし、なあ」男は、同意を求めるように中行説を見た。
説は深く頭を下げる。
「わかった、俺が悪かった。いらぬことをしてまったく手が穢れたわ」超衛と呼ばれた男は、憤然として立ち去った。
「困った奴だ」説を庇った男が、ため息をついた。「どうしてああ、頭が固いのかなあ」
「申し訳ござりませぬ」
「書が、好きか」
「はい・・」
「閹児・・じゃな」
「はい。呂通様・・燕王から奉られました」
「お前、親に売られたのか?」
その通りである。しかし、口に肯定は・・したくなかった。
「済まぬ。要らぬ詮索じゃな。だがそなたも、掃除中に書を読むのは良くないぞ。ほれ、朋輩たちは一心に棚を拭いておる」
そういいながら男は、手巾(ハンカチ)を取り出して説の口を拭った。純白の絹の手巾が自分の血で汚れたのを見て、説は恐縮した。
「しばらく押さえておった方がよいの。ああ、これは貸しておくよ。儂はたいがい毎日文禄閣かこちらに来ておる。あとで返してくれればよい」
「あの、お名を?」
「司馬喜。史官の卵でな」
「司馬喜様、でございますな」
(私と同じ二字姓だ)二字姓は、中華では珍しい。人の情けが身にしみる時は、そんなことでも嬉しかった。
(儒者か)まだ二十歳前の若さに見えた。
「棚や床の掃除はやむをえぬ。が、穢れた手でやたらと書物を扱うな」説の手から、竹簡がひったくられる。
「穢れた・・」
「宦官の分際で詩を読んでおったであろう。身の程をわきまえろ」
口の中が塩辛い。殴られたときに切れたらしい。
「超衛、そう酷いことを申すな」もう一人、進賢冠の男が横から声を掛け、その手から竹簡を受け取った。
「酷い、だと」
「まだ子供ではないか。それに、小間用を弁ずる宦官どもが目に一呈字もなければ、陛下も太后もお困りになる道理じゃ。宦官だとて書は読みたかろうし、なあ」男は、同意を求めるように中行説を見た。
説は深く頭を下げる。
「わかった、俺が悪かった。いらぬことをしてまったく手が穢れたわ」超衛と呼ばれた男は、憤然として立ち去った。
「困った奴だ」説を庇った男が、ため息をついた。「どうしてああ、頭が固いのかなあ」
「申し訳ござりませぬ」
「書が、好きか」
「はい・・」
「閹児・・じゃな」
「はい。呂通様・・燕王から奉られました」
「お前、親に売られたのか?」
その通りである。しかし、口に肯定は・・したくなかった。
「済まぬ。要らぬ詮索じゃな。だがそなたも、掃除中に書を読むのは良くないぞ。ほれ、朋輩たちは一心に棚を拭いておる」
そういいながら男は、手巾(ハンカチ)を取り出して説の口を拭った。純白の絹の手巾が自分の血で汚れたのを見て、説は恐縮した。
「しばらく押さえておった方がよいの。ああ、これは貸しておくよ。儂はたいがい毎日文禄閣かこちらに来ておる。あとで返してくれればよい」
「あの、お名を?」
「司馬喜。史官の卵でな」
「司馬喜様、でございますな」
(私と同じ二字姓だ)二字姓は、中華では珍しい。人の情けが身にしみる時は、そんなことでも嬉しかった。
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2009年09月08日
「中行説の桑」11
春秋・詩経・論語・荘子・老子などの古典も、諸国諸官衙の記録類も、竹の札を糸で繋げた竹簡に記された。通常は後世の巻物のように巻いて保管し、読むときにだけ広げる。 当然、紙に比べて保管に数十倍の場所を必要とした。そのため、宮廷でも蔵書の保管のために高楼を複数建設したのである。
「天禄閣もそうじゃが・・石渠閣には士大夫や儒の碩学が出入りなさる。・・そそうのないように」
「はっ」哀しい気持ちで中行説は頭を下げた。
孝を人倫の根本におくということで、ことに生殖能力を断った宦官を蔑視するのが、士大夫や儒学者であった。
儒教を創始した孔子にしてから、自分を招聘した王侯が宦官と馬車に同乗しているのを見て、憤然とその国を去ったと伝えられている。
「なあに、わけの判らぬ方はそうはいらっしゃらぬだろうがな。付いてまいれ」張沢が自分をも励ますようにいい、説たちを先導した。
石渠閣も、文禄閣とほぼ同じつくりになっている。一層の床は揚床ではなく磚(硬質・扁平に焼成された黒い煉瓦)の土間であり、二層三層の床は板が張ってあった。まず床の上に麻布を広げ、巻いた竹簡を棚から降ろしてそこに置く。そのあと棚を隅から隅まで拭き清める。このあと竹簡を棚に戻し、最後に板床と一層の磚の表面を布で拭き清めるのだ。
棚に戻そうとつと手に取った竹簡の紐が、解けた。結び目が緩かったらしい。
巻きなおそうとした手が、止まった。詩経の竹簡であった。
(あの詩だ!)
隰桑有阿、其葉有難、既見君子、其樂如何・・
巻かれていた竹簡を、更に広げた。
隰桑有阿、其葉有沃、既見君子、云何不樂
隰桑有阿、其葉有幽、既見君子、徳音孔膠
心乎愛矣、遐不謂矣、中心藏之、何日忘之
詩経の何巻目かの巻頭近く、あの、「隰桑の詩」が記してあった。蚕が病毒にあう直前、桑畑の向こうの蚕小屋での、父母兄弟に酪の小父さんを交えたいこいのひと時が、説の胸に切なくよみがえった。半年と経たぬ間に、身の上の何と変わり果てたことか。
「何をしている!」叫び声とともに突然、右の頬に激痛を感じた。
「天禄閣もそうじゃが・・石渠閣には士大夫や儒の碩学が出入りなさる。・・そそうのないように」
「はっ」哀しい気持ちで中行説は頭を下げた。
孝を人倫の根本におくということで、ことに生殖能力を断った宦官を蔑視するのが、士大夫や儒学者であった。
儒教を創始した孔子にしてから、自分を招聘した王侯が宦官と馬車に同乗しているのを見て、憤然とその国を去ったと伝えられている。
「なあに、わけの判らぬ方はそうはいらっしゃらぬだろうがな。付いてまいれ」張沢が自分をも励ますようにいい、説たちを先導した。
石渠閣も、文禄閣とほぼ同じつくりになっている。一層の床は揚床ではなく磚(硬質・扁平に焼成された黒い煉瓦)の土間であり、二層三層の床は板が張ってあった。まず床の上に麻布を広げ、巻いた竹簡を棚から降ろしてそこに置く。そのあと棚を隅から隅まで拭き清める。このあと竹簡を棚に戻し、最後に板床と一層の磚の表面を布で拭き清めるのだ。
棚に戻そうとつと手に取った竹簡の紐が、解けた。結び目が緩かったらしい。
巻きなおそうとした手が、止まった。詩経の竹簡であった。
(あの詩だ!)
隰桑有阿、其葉有難、既見君子、其樂如何・・
巻かれていた竹簡を、更に広げた。
隰桑有阿、其葉有沃、既見君子、云何不樂
隰桑有阿、其葉有幽、既見君子、徳音孔膠
心乎愛矣、遐不謂矣、中心藏之、何日忘之
詩経の何巻目かの巻頭近く、あの、「隰桑の詩」が記してあった。蚕が病毒にあう直前、桑畑の向こうの蚕小屋での、父母兄弟に酪の小父さんを交えたいこいのひと時が、説の胸に切なくよみがえった。半年と経たぬ間に、身の上の何と変わり果てたことか。
「何をしている!」叫び声とともに突然、右の頬に激痛を感じた。
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2009年09月07日
「中行説の桑」10
説は、今でも十一歳のこの日のことを繰り返し思い出す。あの年が、説が家族と過ごした最後であった。
真夏、小屋の蚕が黒ずみ、蕩け、煮繭のときの数倍の悪臭を放って・・次々に死んでいった。今でいうウイルス伝染性硬化病である。そのゆえに・・中行説は、宦官となった。去勢され、まず燕王呂通の宮に入ったのである。
高祖の頃から地方王は「閹児」と称して数年に一度、去勢した幼い少年を長安の皇帝に献じていた。
蚕を孵そうにも、代わりの種蚕は、すぐには手に入らなかった。
一家の暮らしを支えるには、春蚕の絹だけでは到底足りなかった。父は家族が飢えから免れるため、泣く泣く説を燕王の閹児募集に応じさせたのである。去勢・・男性器を断ち、生殖能力を失わせることである。後宮に奉仕させるためである。
多くの姫妾を蓄える王侯たちは、後宮を維持するため、この「男性でない男性」の手をを必要とした。
一方、「孝」を最高の徳目とし、子孫を絶やし先祖の祭祀が絶えることが、「最大の不孝」であるとする倫理も、確固としてあった。生殖能力のない宦官は卑しいものとされ、蔑まれもした。
とまれ、選ばれた数人の閹児の親には、それぞれ燕王から穀物が下げ渡された。説を売った中行家は、種蚕が手に入るまでその穀物で命を繋いだ。中行説は、故高祖劉邦の皇后、呂太后が執政していた当時の長安の宮廷で、宦官として仕えはじめた。
少々の学問の手ほどきは、父から受けていた。だが宮廷での行儀、歩き方から辞儀の仕方まで、作法は恐ろしく煩雑であった。間違えると先輩宦官から容赦のない叱責、時には鉄拳が飛ぶ。宦官の職務は宮中の雑用すべてである。年功で、また幸運に恵まれて皇帝の秘書的役割や後宮の監督を担う宦官もいるが、それは全宦官のごく一部にすぎなかった。中行説も朋輩達に交じり、広大な宮殿の室内や庭園の掃除、汚物の収集処理などに追われた。
「今日は石渠閣じゃ。充分気を配って、の」
「はい」
先輩宦官の張沢が、説たちに声を掛けた。
三十近い歳であろうか。先輩たちの中には厳しく強(きつ)い者が多いが、稀に後輩に優しい者もいる。この張沢はその稀有の一人であった。
「皆、石渠閣に入るのは初めてだったなあ」
「はい、天禄閣にはこの前参りましたが」
石渠閣、天禄閣、いずれも王室の図書や諸記録を蔵する、いわば図書室の機能をもつ高楼である。この時代まだ紙は発明されていない。
真夏、小屋の蚕が黒ずみ、蕩け、煮繭のときの数倍の悪臭を放って・・次々に死んでいった。今でいうウイルス伝染性硬化病である。そのゆえに・・中行説は、宦官となった。去勢され、まず燕王呂通の宮に入ったのである。
高祖の頃から地方王は「閹児」と称して数年に一度、去勢した幼い少年を長安の皇帝に献じていた。
蚕を孵そうにも、代わりの種蚕は、すぐには手に入らなかった。
一家の暮らしを支えるには、春蚕の絹だけでは到底足りなかった。父は家族が飢えから免れるため、泣く泣く説を燕王の閹児募集に応じさせたのである。去勢・・男性器を断ち、生殖能力を失わせることである。後宮に奉仕させるためである。
多くの姫妾を蓄える王侯たちは、後宮を維持するため、この「男性でない男性」の手をを必要とした。
一方、「孝」を最高の徳目とし、子孫を絶やし先祖の祭祀が絶えることが、「最大の不孝」であるとする倫理も、確固としてあった。生殖能力のない宦官は卑しいものとされ、蔑まれもした。
とまれ、選ばれた数人の閹児の親には、それぞれ燕王から穀物が下げ渡された。説を売った中行家は、種蚕が手に入るまでその穀物で命を繋いだ。中行説は、故高祖劉邦の皇后、呂太后が執政していた当時の長安の宮廷で、宦官として仕えはじめた。
少々の学問の手ほどきは、父から受けていた。だが宮廷での行儀、歩き方から辞儀の仕方まで、作法は恐ろしく煩雑であった。間違えると先輩宦官から容赦のない叱責、時には鉄拳が飛ぶ。宦官の職務は宮中の雑用すべてである。年功で、また幸運に恵まれて皇帝の秘書的役割や後宮の監督を担う宦官もいるが、それは全宦官のごく一部にすぎなかった。中行説も朋輩達に交じり、広大な宮殿の室内や庭園の掃除、汚物の収集処理などに追われた。
「今日は石渠閣じゃ。充分気を配って、の」
「はい」
先輩宦官の張沢が、説たちに声を掛けた。
三十近い歳であろうか。先輩たちの中には厳しく強(きつ)い者が多いが、稀に後輩に優しい者もいる。この張沢はその稀有の一人であった。
「皆、石渠閣に入るのは初めてだったなあ」
「はい、天禄閣にはこの前参りましたが」
石渠閣、天禄閣、いずれも王室の図書や諸記録を蔵する、いわば図書室の機能をもつ高楼である。この時代まだ紙は発明されていない。
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2009年09月07日
「中行説の桑」9
「前の前の王様は、幼馴染なのに高祖様に疑われて、そちらの国に逃げたしなあ。次の王様はご自分と跡継ぎと続けざまに急に亡くなって、今は皇太后様の一族ばかりが王様さ」
「漢ばかりじゃないぜ、内輪揉めは。今の匈奴の単于はなあ・・大きな声じゃ言えない話なんだが・・実の親父様と弟とその産みのお袋さんを殺して地位を奪ったんだ」
「へえ、そうなのかね」
「それくらい猛々しくなけりゃ、草原や砂漠で人を束ねられんってこともいえるがね。まあ、この冒頓単于が月氏を西に追い払って、漢の高祖様ぁ命からがら逃げる目にあわせて、長城のぎりぎりまで漢に迫るほどになあ、匈奴の力を強くしたんだがね」
「物騒な単于だなあ。漢と似たり寄ったりか。この国と・・まあ代を間に挟んじゃいるがねえ・・隣国の趙の前の前の王様は、高祖様の一番のお気に入りだったって言うんだが、そのお袋さんもろとも呂太后様にそれは惨く殺されたそうだよ。で、その次の王様は都に呼び出されて干し殺されたそうだし」
「高祖様のお子で、無事なのは代の王様くらいかねえ。国が一番匈奴に接してるな。俺も昔は代にも酪や毛皮持ってったし」
「そうさ、今の王様は高祖様の四番目のお子様さ。親子とも賢明に身を処してらっしゃって、今でも過ごしてらっしゃるよ」
「代王はおっとりしてらっしゃる。代の長城の警備は燕ほど厳しくないしねえ、行き来もずっと多いよ。漢の王の中で、評判の悪くないのはこの人ぐらいだ」
「そりゃ、光栄だねえ」
少量の酒精で舌も滑らかにまるで隣の人間との世間話のように、自称春秋晋の重臣中行桓子の末裔と、羊皮を纏った匈奴の男は語り合う。
「長城を挟んでにらみ合って、小競り合いするのは将軍様や王様達。どうか揉め事起して下さるな、とこちとら下々は・・祈るしかないのかねえ」
父は久しぶりの酒の酔いが快いらしい。自分達で醸す黍の酒は、うすきで蒸留して酎とし、蚕小屋を消毒する大事な物である上に、飲用にはあまり適していない。
「いっそ代の王様が漢の皇帝になったらいいのに。なあ中行さん」
一瞬頷きかけて、父は首を振った。
「おっと、それを漢人の俺がいえば下手すりゃ謀反人だ」
現在の漢の皇帝は、呂太后の子、恵帝の遺児とされている幼帝である。無論、実権は太后にある。現にこの地も、劉氏の血を引く王子が暗殺され、呂后一族の呂通が燕王となっている。
「お前さん方、すっかり出来上がっちまって。肴もいるみたいだねえ」
母が、これも絹と替えたばかりの兎の干肉を、少し裂いて男二人に差し出した。
「お前達もおあがり」母は、説達の酪湯の器にも干肉の小塊を配った。
「漢ばかりじゃないぜ、内輪揉めは。今の匈奴の単于はなあ・・大きな声じゃ言えない話なんだが・・実の親父様と弟とその産みのお袋さんを殺して地位を奪ったんだ」
「へえ、そうなのかね」
「それくらい猛々しくなけりゃ、草原や砂漠で人を束ねられんってこともいえるがね。まあ、この冒頓単于が月氏を西に追い払って、漢の高祖様ぁ命からがら逃げる目にあわせて、長城のぎりぎりまで漢に迫るほどになあ、匈奴の力を強くしたんだがね」
「物騒な単于だなあ。漢と似たり寄ったりか。この国と・・まあ代を間に挟んじゃいるがねえ・・隣国の趙の前の前の王様は、高祖様の一番のお気に入りだったって言うんだが、そのお袋さんもろとも呂太后様にそれは惨く殺されたそうだよ。で、その次の王様は都に呼び出されて干し殺されたそうだし」
「高祖様のお子で、無事なのは代の王様くらいかねえ。国が一番匈奴に接してるな。俺も昔は代にも酪や毛皮持ってったし」
「そうさ、今の王様は高祖様の四番目のお子様さ。親子とも賢明に身を処してらっしゃって、今でも過ごしてらっしゃるよ」
「代王はおっとりしてらっしゃる。代の長城の警備は燕ほど厳しくないしねえ、行き来もずっと多いよ。漢の王の中で、評判の悪くないのはこの人ぐらいだ」
「そりゃ、光栄だねえ」
少量の酒精で舌も滑らかにまるで隣の人間との世間話のように、自称春秋晋の重臣中行桓子の末裔と、羊皮を纏った匈奴の男は語り合う。
「長城を挟んでにらみ合って、小競り合いするのは将軍様や王様達。どうか揉め事起して下さるな、とこちとら下々は・・祈るしかないのかねえ」
父は久しぶりの酒の酔いが快いらしい。自分達で醸す黍の酒は、うすきで蒸留して酎とし、蚕小屋を消毒する大事な物である上に、飲用にはあまり適していない。
「いっそ代の王様が漢の皇帝になったらいいのに。なあ中行さん」
一瞬頷きかけて、父は首を振った。
「おっと、それを漢人の俺がいえば下手すりゃ謀反人だ」
現在の漢の皇帝は、呂太后の子、恵帝の遺児とされている幼帝である。無論、実権は太后にある。現にこの地も、劉氏の血を引く王子が暗殺され、呂后一族の呂通が燕王となっている。
「お前さん方、すっかり出来上がっちまって。肴もいるみたいだねえ」
母が、これも絹と替えたばかりの兎の干肉を、少し裂いて男二人に差し出した。
「お前達もおあがり」母は、説達の酪湯の器にも干肉の小塊を配った。
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2009年09月06日
「中行説の桑」8
「じゃ小父さんはこの絹、何かと取替えっこするの?」説は聞かずにはいられない。
「坊やは賢いなあ。そうさ、西から来る者の品物と交換するのさ」
「また交換するの」
「俺たちゃ、岩塩や肉や毛皮や酪なんかのほかはな、鍋も鎌も剣も小刀も縄も紐も、水を入れたり酪を作る瓢箪も・・みんなこうやって手に入れる。そりゃ家畜の世話の合間に少しは穀物も作るがね、それだけじゃ足りゃしない。だからこうして、交換した絹が、西から来た商人から金物や穀物になるのさ」
「じゃあ小父さん、蚕の卵、欲しいよね」
「説、酪さんの国はここよりずっと北にあるんだぞ」父が笑いながらいった。「それに乾いていて・・とても桑なんて育ちゃしない。命がけで持ち出したって、蚕はみんな繭になる前に死んじまうさ。まあ、王様の近くの人は、何とか匈奴で絹が作れないかって思わぬでもないようだから、漢の方でも俺たちが蚕や桑を持ち出さないよう、厳しく見張ってるんだろうがね」
「そうなの」
「坊や、そうなんだよ。小父さんの所では岩塩や酪が採れる。漢人の中行さんは、それが欲しい。で、匈奴の小父さんは、中行さんの作る絹が欲しい。それをまた鍋や釜や穀物に替える。なあ、中行さん」
「ああ。匈奴の大将もこの辺りに居る漢の将軍も、長城を挟んで時々揉めてるけどな、俺達下々は仲良く補いあって生きていくさ」
「漢の都の偉い人の中にゃ、匈奴が侵入したら、その辺りの蚕小屋を焼き払え・・となあ、とんでもないことを仰る人もあるとかないとか、噂は聞こえてくるぜ。度し難いのは雲の上人だなあ」
「全くだ。一度、実際に長城の辺りで暮らしてみればいい」
「そうすれば突っ張った欲の皮も一皮剥けて、もう少しは世の中が見えるだろうよ。いくら長城作ったって、人と物の流れ合いは止められるもんかね。そういえば、この燕の国の前の王様たちもお気の毒だなあ、中行さん」
「坊やは賢いなあ。そうさ、西から来る者の品物と交換するのさ」
「また交換するの」
「俺たちゃ、岩塩や肉や毛皮や酪なんかのほかはな、鍋も鎌も剣も小刀も縄も紐も、水を入れたり酪を作る瓢箪も・・みんなこうやって手に入れる。そりゃ家畜の世話の合間に少しは穀物も作るがね、それだけじゃ足りゃしない。だからこうして、交換した絹が、西から来た商人から金物や穀物になるのさ」
「じゃあ小父さん、蚕の卵、欲しいよね」
「説、酪さんの国はここよりずっと北にあるんだぞ」父が笑いながらいった。「それに乾いていて・・とても桑なんて育ちゃしない。命がけで持ち出したって、蚕はみんな繭になる前に死んじまうさ。まあ、王様の近くの人は、何とか匈奴で絹が作れないかって思わぬでもないようだから、漢の方でも俺たちが蚕や桑を持ち出さないよう、厳しく見張ってるんだろうがね」
「そうなの」
「坊や、そうなんだよ。小父さんの所では岩塩や酪が採れる。漢人の中行さんは、それが欲しい。で、匈奴の小父さんは、中行さんの作る絹が欲しい。それをまた鍋や釜や穀物に替える。なあ、中行さん」
「ああ。匈奴の大将もこの辺りに居る漢の将軍も、長城を挟んで時々揉めてるけどな、俺達下々は仲良く補いあって生きていくさ」
「漢の都の偉い人の中にゃ、匈奴が侵入したら、その辺りの蚕小屋を焼き払え・・となあ、とんでもないことを仰る人もあるとかないとか、噂は聞こえてくるぜ。度し難いのは雲の上人だなあ」
「全くだ。一度、実際に長城の辺りで暮らしてみればいい」
「そうすれば突っ張った欲の皮も一皮剥けて、もう少しは世の中が見えるだろうよ。いくら長城作ったって、人と物の流れ合いは止められるもんかね。そういえば、この燕の国の前の王様たちもお気の毒だなあ、中行さん」
Posted by 渋柿 at 18:58 | Comments(0)
2009年09月06日
「中行説の桑」7
「酪はそうやって作るんだってなあ。根気が要るんだろ?半日も振るのかね」
「いやあ、酪の塊作るにゃ、そんなに時間はかからんよ。半日の半分のまた半分くらいさ。でも腕は疲れる。だから交替で作る。で、酪も油だろ、瓢箪を湯で温めりゃ融けて流れて、それをまた固めて。そのままでも食えるし、こうやって絹にも化けるってことさ」男は、傍らの二匹の絹を大事そうに撫でた。
「小父さん、本当に蚕の卵が欲しいの?」説が、恐る恐る聞いた。
「坊や、どうしてそんなことを聞くんだい」
「だって、小父さんが自分で絹を作れるようになったら、おうちに酪がもらえないもの」説の答に、小屋の大人たちは一斉に笑った。
「そりゃ、俺たちゃ漢の絹が、喉から手が出るほど欲しいさ」
「まあ、そちらもお一つ。疲れが取れるよ」
母は、絹と替えたばかりの馬乳酒を、少量湯にといて酪さんに差し出した。馬乳酒は、蚕小屋を消毒する酎と同じくらい強い。もっとも味は、「較べ物になどなるものか」と父が言うほど、格段に旨いらしいが。
「おお、こりゃ有難い」酪さんは目を細める。
「おい、俺にもくれよ」
「あいよ」母は父にも器を渡した。
酪さんは酒を飲みながらいう。
「漢の王様・・皇帝っていうんだっけ、今は前の皇帝のお袋さんが威張って指図してなさるそうだね・・俺たちが欲しがる絹を駆け引きの切り札にしてなさるから、絹と酪なんかの交易には目こぼししてもなあ、蚕の卵や餌の桑の種の持ち出しは一切、固く禁じてなさるのさ」そういってぐびりと飲み干す。
「あの、漢の高祖様が大負けなさったあんときも、匈奴のお妃にこっそり絹の賂(まいない)をして、ようやく命だけは助かったんだったねえ」 今まで微笑みながらやり取りを聞いていた祖母が、話に加わった。
「ああ、匈奴でも、絹を実際身につけるのは王様・・単于って俺たちの言葉じゃいうんだがね・・の身内か位の高い家来の家族さ。だって草原にゃ茨もあれば棘のある樹も生えてるんだ。絹なんか着てたらぼろぼろになっちまう。やっぱり俺たちゃ皮が一番さ」
「そりゃそうだろうな。俺たちだって絹なんか自分で着はしないもの」父はいう。
説たち家族全員の衣類は麻である。絹一匹でその五倍から十倍以上の麻と交換できるのだと、いつか母がいっていた。
「いやあ、酪の塊作るにゃ、そんなに時間はかからんよ。半日の半分のまた半分くらいさ。でも腕は疲れる。だから交替で作る。で、酪も油だろ、瓢箪を湯で温めりゃ融けて流れて、それをまた固めて。そのままでも食えるし、こうやって絹にも化けるってことさ」男は、傍らの二匹の絹を大事そうに撫でた。
「小父さん、本当に蚕の卵が欲しいの?」説が、恐る恐る聞いた。
「坊や、どうしてそんなことを聞くんだい」
「だって、小父さんが自分で絹を作れるようになったら、おうちに酪がもらえないもの」説の答に、小屋の大人たちは一斉に笑った。
「そりゃ、俺たちゃ漢の絹が、喉から手が出るほど欲しいさ」
「まあ、そちらもお一つ。疲れが取れるよ」
母は、絹と替えたばかりの馬乳酒を、少量湯にといて酪さんに差し出した。馬乳酒は、蚕小屋を消毒する酎と同じくらい強い。もっとも味は、「較べ物になどなるものか」と父が言うほど、格段に旨いらしいが。
「おお、こりゃ有難い」酪さんは目を細める。
「おい、俺にもくれよ」
「あいよ」母は父にも器を渡した。
酪さんは酒を飲みながらいう。
「漢の王様・・皇帝っていうんだっけ、今は前の皇帝のお袋さんが威張って指図してなさるそうだね・・俺たちが欲しがる絹を駆け引きの切り札にしてなさるから、絹と酪なんかの交易には目こぼししてもなあ、蚕の卵や餌の桑の種の持ち出しは一切、固く禁じてなさるのさ」そういってぐびりと飲み干す。
「あの、漢の高祖様が大負けなさったあんときも、匈奴のお妃にこっそり絹の賂(まいない)をして、ようやく命だけは助かったんだったねえ」 今まで微笑みながらやり取りを聞いていた祖母が、話に加わった。
「ああ、匈奴でも、絹を実際身につけるのは王様・・単于って俺たちの言葉じゃいうんだがね・・の身内か位の高い家来の家族さ。だって草原にゃ茨もあれば棘のある樹も生えてるんだ。絹なんか着てたらぼろぼろになっちまう。やっぱり俺たちゃ皮が一番さ」
「そりゃそうだろうな。俺たちだって絹なんか自分で着はしないもの」父はいう。
説たち家族全員の衣類は麻である。絹一匹でその五倍から十倍以上の麻と交換できるのだと、いつか母がいっていた。
Posted by 渋柿 at 06:19 | Comments(0)
2009年09月05日
「中行説の桑」6
「ありがとよ。でもまあいつもながら、あんたも匈奴のくせに学があるもんなあ。その様子じゃ鄭の子産の話も知っているんだろ?」
「さあて、どこぞの小国の宰相が大国の上卿に、あなた様の人徳は茂る桑のようですとかなんとか、おべんちゃらで引いたとか引かなかったとか・・所詮耳学問で詳しくは知らないよ。昔は、燕や代の偉い様のお宅にも出入りしててねえ」
「あんた、春秋も齧ってるんだねえ」
「耳学問だっていってるだろ、齧ったなんてもんじゃないよ」
「ふうん」
「お前達、父さんが壷一杯の酪を買ってくださったよ」母が、子供たちの手を濡れた布で拭いながらいった。
説たちは、歓声を上げる。
酪とは、ヨーグルトをさすとか練乳であるとか諸説あるが、この時期塞外民族が漢民族との交易の品としたのは、今でいうバターである。
小屋には、春先や晩秋蚕を暖めるための小さな土の炉がしつらえてある。今も火が入り、掛かった鍋には湯が滾っていた。
「さあ、酪の粥をあげよう」母は、四つの器に燕麦の焦がしを入れて酪を一掬いずつ落とし、湯を注いで子ども達に渡した。
石臼で挽き割りにした燕麦を鍋で炒り焦がしたものは、そのままでも食べられ、熱湯を注ぐと粥になる。忙しいときの説たちの常食だった。 無論、普段は酪など入れることはない。めったにない酪入りの粥は、ほのかな塩味の脂が、腸に染みるほど旨かった。目も回るほどだった空腹感が、消えていった。
酪は岩塩を加えてあるので、春蚕の繭を煮る頃までの保存が効く。
惜しみ惜しみ酪湯を飲み、野菜などを炒めたりもするが、もっぱら繭を煮た後の蚕の蛹を炒めるために入手するのだ。
春蚕の蛹の炒め物は、中行家にとって一番のごちそうだった。
「繭を煮る時は、みんな臭い臭いというくせに」と母は笑いながら、子ども達の何度ものお替りを許したものである。
「旨いかい?小父さんの娘たちがなあ、瓢箪の中に牛の乳入れてな、初めは激しくあとは静かに交替で瓢箪を振って作ったんだ。娘が三人いて助かってるよ」匈奴の男は両手で瓢箪を抱える仕草をし、言葉の通り、激しく次はゆっくり振って見せた。
「さあて、どこぞの小国の宰相が大国の上卿に、あなた様の人徳は茂る桑のようですとかなんとか、おべんちゃらで引いたとか引かなかったとか・・所詮耳学問で詳しくは知らないよ。昔は、燕や代の偉い様のお宅にも出入りしててねえ」
「あんた、春秋も齧ってるんだねえ」
「耳学問だっていってるだろ、齧ったなんてもんじゃないよ」
「ふうん」
「お前達、父さんが壷一杯の酪を買ってくださったよ」母が、子供たちの手を濡れた布で拭いながらいった。
説たちは、歓声を上げる。
酪とは、ヨーグルトをさすとか練乳であるとか諸説あるが、この時期塞外民族が漢民族との交易の品としたのは、今でいうバターである。
小屋には、春先や晩秋蚕を暖めるための小さな土の炉がしつらえてある。今も火が入り、掛かった鍋には湯が滾っていた。
「さあ、酪の粥をあげよう」母は、四つの器に燕麦の焦がしを入れて酪を一掬いずつ落とし、湯を注いで子ども達に渡した。
石臼で挽き割りにした燕麦を鍋で炒り焦がしたものは、そのままでも食べられ、熱湯を注ぐと粥になる。忙しいときの説たちの常食だった。 無論、普段は酪など入れることはない。めったにない酪入りの粥は、ほのかな塩味の脂が、腸に染みるほど旨かった。目も回るほどだった空腹感が、消えていった。
酪は岩塩を加えてあるので、春蚕の繭を煮る頃までの保存が効く。
惜しみ惜しみ酪湯を飲み、野菜などを炒めたりもするが、もっぱら繭を煮た後の蚕の蛹を炒めるために入手するのだ。
春蚕の蛹の炒め物は、中行家にとって一番のごちそうだった。
「繭を煮る時は、みんな臭い臭いというくせに」と母は笑いながら、子ども達の何度ものお替りを許したものである。
「旨いかい?小父さんの娘たちがなあ、瓢箪の中に牛の乳入れてな、初めは激しくあとは静かに交替で瓢箪を振って作ったんだ。娘が三人いて助かってるよ」匈奴の男は両手で瓢箪を抱える仕草をし、言葉の通り、激しく次はゆっくり振って見せた。
Posted by 渋柿 at 18:05 | Comments(0)
2009年09月05日
「中行説の桑」5
「ああ、そいつぁ子供たちに教えたばかりさ。おいお前、隰桑阿たり其の葉妖たり・・て最後まで書いてみろ」父は火箸を長兄に渡した。
「ええ!書けるかなあ」
「間違ったら直してやる」
「はい」長兄は火箸に竈ののススを付け、土間に習ったばかりの「その詩」を書いた。
隰桑有阿、其葉有難、既見君子、其樂如何
隰桑有阿、其葉有沃、既見君子、云何不樂
隰桑有阿、其葉有幽、既見君子、徳音孔膠
心乎愛矣、遐不謂矣、中心藏之、何日忘之
「おお、それそれ。孔子様がいにしえの詩を編まれた中にあるんだってなあ」
(隰桑阿たり其の葉妖たり既に君子を見る 云に何ぞ楽しまざらんや・・)
中行説も、「晋の六卿の末裔」のいわれを持つ家の子として詩経のこの詩は父から講ぜられている。
「隰辺りの桑は美しく、その葉は柔らかにしげる。こうやってあなたに逢えました。どんなに嬉しいか知れません、か・・。この詩みたいに桑も茂る、家も栄える。良かったな、中行さん」
こう続く、詩である。
隰辺りの桑は美しく、その葉はつややかに沃(うるお)う。こうやってあなたに逢えました。どうして喜ばずに居れましょう。
隰辺りの桑は美しく、その葉は小暗く繁っている。こうやって君子にお逢いでき、優しい言葉も聞けました。
心に愛しておりながら、どうしても言葉に言えず、想いを中心に秘したまま、忘れることもないでしょう。
若い娘の切ない恋を歌っている。
酪さんは目を細めて父の肩を叩いた。「完璧じゃないか。賢い息子じゃ」
「ええ!書けるかなあ」
「間違ったら直してやる」
「はい」長兄は火箸に竈ののススを付け、土間に習ったばかりの「その詩」を書いた。
隰桑有阿、其葉有難、既見君子、其樂如何
隰桑有阿、其葉有沃、既見君子、云何不樂
隰桑有阿、其葉有幽、既見君子、徳音孔膠
心乎愛矣、遐不謂矣、中心藏之、何日忘之
「おお、それそれ。孔子様がいにしえの詩を編まれた中にあるんだってなあ」
(隰桑阿たり其の葉妖たり既に君子を見る 云に何ぞ楽しまざらんや・・)
中行説も、「晋の六卿の末裔」のいわれを持つ家の子として詩経のこの詩は父から講ぜられている。
「隰辺りの桑は美しく、その葉は柔らかにしげる。こうやってあなたに逢えました。どんなに嬉しいか知れません、か・・。この詩みたいに桑も茂る、家も栄える。良かったな、中行さん」
こう続く、詩である。
隰辺りの桑は美しく、その葉はつややかに沃(うるお)う。こうやってあなたに逢えました。どうして喜ばずに居れましょう。
隰辺りの桑は美しく、その葉は小暗く繁っている。こうやって君子にお逢いでき、優しい言葉も聞けました。
心に愛しておりながら、どうしても言葉に言えず、想いを中心に秘したまま、忘れることもないでしょう。
若い娘の切ない恋を歌っている。
酪さんは目を細めて父の肩を叩いた。「完璧じゃないか。賢い息子じゃ」
Posted by 渋柿 at 07:39 | Comments(0)
2009年09月04日
「中行説の桑」4
この辺りは、もう百年の余も匈奴と漢民族の権力者が激しい攻防を繰り広げてきた土地であった。
燕を滅ぼした秦の始皇帝は蒙恬(もうてん)将軍に命じて、燕や趙に侵入していた匈奴を北方に追いやった。
その秦が滅び、漢が内乱を制して建国する頃、匈奴はその隙をついて、再び長城を南下した。その侵入を防ごうとした高祖を白登山で完膚なきまでに破っている。
この白登山の戦いの後、漢の朝廷は匈奴に対してひたすら低姿勢の外交を続た。それでこのように、国禁を犯し長城を越えて来た匈奴の民と交易することも、黙認しているのだ。
漢民族とは異なる、いわゆる「碧眼紫髭」の長城の外の民の外見が中華の文書に現れるのはずっと降った唐代になってからである。
秦と前後の漢の時代を通じて、諸記録は匈奴の外見的特徴について何等記述していない。ただその衣装風俗を記すのみである。漢人と匈奴の外観相貌に、特記すべき相違はなかったであろうことが推測される。
(酪が買えた!) ここまで聞いて、説だけではなく兄妹全部の顔が輝いた。
父母は知っているのかもしれないが、子ども達は、「酪の小父さん」と呼んでいるこの匈奴の男の本当の名は知らない。時に父母も、子ども達と一緒に「酪さん」などと呼んだ。
「父さん、今帰りました」長兄が勢いよく小屋の戸をあけた。
「おう、もう桑の枝打ちの季節かい。いつも感心な子ども達だねえ」なめした羊皮の上衣に下袴の男が、愛想のいい声をかけた。
父よりいくらか若いらしいこの男は、説がもの心つく前からいつもこの時期、長城の外から岩塩や乳製品、毛皮などを携えて絹を買いに来ているようだった。
「今年は、俺たちで新しい桑の苗も植えましたよ、なあ」長兄が、誇らしげに説たち弟妹を見ていった。
「そうか、そりゃよかった。人も桑も、跡継ぎの心配は無いってことだな」妙な訛りはあるが、なかなか達者な漢の言葉だった。「隰辺りの桑は美しく、その葉は柔らかにしげる。こうやってあなたに逢えました。どんなに嬉しいか知れません・・そんな詩があったよなあ、中行さん」匈奴の男が、いった。
燕を滅ぼした秦の始皇帝は蒙恬(もうてん)将軍に命じて、燕や趙に侵入していた匈奴を北方に追いやった。
その秦が滅び、漢が内乱を制して建国する頃、匈奴はその隙をついて、再び長城を南下した。その侵入を防ごうとした高祖を白登山で完膚なきまでに破っている。
この白登山の戦いの後、漢の朝廷は匈奴に対してひたすら低姿勢の外交を続た。それでこのように、国禁を犯し長城を越えて来た匈奴の民と交易することも、黙認しているのだ。
漢民族とは異なる、いわゆる「碧眼紫髭」の長城の外の民の外見が中華の文書に現れるのはずっと降った唐代になってからである。
秦と前後の漢の時代を通じて、諸記録は匈奴の外見的特徴について何等記述していない。ただその衣装風俗を記すのみである。漢人と匈奴の外観相貌に、特記すべき相違はなかったであろうことが推測される。
(酪が買えた!) ここまで聞いて、説だけではなく兄妹全部の顔が輝いた。
父母は知っているのかもしれないが、子ども達は、「酪の小父さん」と呼んでいるこの匈奴の男の本当の名は知らない。時に父母も、子ども達と一緒に「酪さん」などと呼んだ。
「父さん、今帰りました」長兄が勢いよく小屋の戸をあけた。
「おう、もう桑の枝打ちの季節かい。いつも感心な子ども達だねえ」なめした羊皮の上衣に下袴の男が、愛想のいい声をかけた。
父よりいくらか若いらしいこの男は、説がもの心つく前からいつもこの時期、長城の外から岩塩や乳製品、毛皮などを携えて絹を買いに来ているようだった。
「今年は、俺たちで新しい桑の苗も植えましたよ、なあ」長兄が、誇らしげに説たち弟妹を見ていった。
「そうか、そりゃよかった。人も桑も、跡継ぎの心配は無いってことだな」妙な訛りはあるが、なかなか達者な漢の言葉だった。「隰辺りの桑は美しく、その葉は柔らかにしげる。こうやってあなたに逢えました。どんなに嬉しいか知れません・・そんな詩があったよなあ、中行さん」匈奴の男が、いった。
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2009年09月04日
「中行説の桑」3
とにかく桑がなければ、蚕は飼えないのである。蚕は大量の桑の葉を食べながら四回の脱皮を繰り返し熟(じゅく)蚕(さん)となる。熟蚕は一日に二回桑の葉を摘み、四回桑を与え、一回は食べ残しや糞の掃除をせねばならない。
その上、桑につく毛虫は夏が近付くと爆発的に増える。その駆除も欠かせない。また蚕が蕩けたり硬くなって死んでいく病気も怖い。七日に一度、小屋に酎を撒いて病の瘴気を防ぐ。
養蚕は一年に三世代、翌年春まで眠る卵を産ませるまで、春(はる)蚕(ご)・夏蚕・秋蚕と続くが、最も品質がよく高値で売れるのは春蚕の繭から織った絹である。中行説一家が生きていくためには、何としても、少しでも多くの繭を採らなければならなかった。
繭となった蚕は、交尾産卵させて卵を採るものを取り除けて、一度大鍋で煮てからほぐし生糸とする。その繭を煮る臭いは、慣れぬものには耐え難い悪臭である。
(こんなに苦労して一家総出で働いても、長城で騒ぎが起これば・・)それは無に帰すかもしれない、と説は上を向き続けて痛む首筋を撫でながら、ぼんやり思った。
「帰るぞ」 桑畑に夕闇がやや濃くなり始めた頃、やっと長兄が説たちに告げた。
今日落とした枝は、このまま畑で枯らしてから集め、炊事のための燃料とする。桑畑と道を隔てた蚕小屋に戻ると、その脇、ただ一本畑を離れて植えられている桑の樹に、見覚えのある葦毛の馬が一頭つながれて、足元の草を食んでいた。小屋の中から、これも聞き覚えのある訛りの強い声がする。
「では、どうしても卵はだめですかい」
(あっ、酪の小父さんだ)
「無茶をいうもんじゃないよ。元々表向き、あんたらと交易することからして禁じられている。絹と毛皮くらいは大目に見てもらえても・・塞(とりで)(長城)の外の人間に卵や繭を売ったら、私ら首が飛ぶ。売れるのは織りあがった絹だけさ」苦笑交じりの父の声もする。
「冗談だよ。こちとらも蚕の卵など物騒なものをもって長城を越えようもんなら、命がいくつあっても足りゃしない。漢兵にでも見つかったら首と胴の泣き別れじゃ」
「じゃ、秋蚕の巻絹二匹を持っていきなされ。そちらから頂くのは塩一瓶、酪一壷、馬乳酒一壷、干肉一斤、兎の皮は十枚は頂こう」
「殺生な。兎皮を十枚も付けるなら、巻絹は三匹は貰わねば」
「あんた匈奴のくせに、商売上手じゃなあ。わかった。そちらの言い値で交換しよう」
「さすが中行さん、物分りがいい」
二度、大きく手を打つ音がした。
ここ燕の造陽は、燕の時代に遊牧民族、匈奴の武力侵入を防ぐために作られた長城のすぐ近くにある。
その上、桑につく毛虫は夏が近付くと爆発的に増える。その駆除も欠かせない。また蚕が蕩けたり硬くなって死んでいく病気も怖い。七日に一度、小屋に酎を撒いて病の瘴気を防ぐ。
養蚕は一年に三世代、翌年春まで眠る卵を産ませるまで、春(はる)蚕(ご)・夏蚕・秋蚕と続くが、最も品質がよく高値で売れるのは春蚕の繭から織った絹である。中行説一家が生きていくためには、何としても、少しでも多くの繭を採らなければならなかった。
繭となった蚕は、交尾産卵させて卵を採るものを取り除けて、一度大鍋で煮てからほぐし生糸とする。その繭を煮る臭いは、慣れぬものには耐え難い悪臭である。
(こんなに苦労して一家総出で働いても、長城で騒ぎが起これば・・)それは無に帰すかもしれない、と説は上を向き続けて痛む首筋を撫でながら、ぼんやり思った。
「帰るぞ」 桑畑に夕闇がやや濃くなり始めた頃、やっと長兄が説たちに告げた。
今日落とした枝は、このまま畑で枯らしてから集め、炊事のための燃料とする。桑畑と道を隔てた蚕小屋に戻ると、その脇、ただ一本畑を離れて植えられている桑の樹に、見覚えのある葦毛の馬が一頭つながれて、足元の草を食んでいた。小屋の中から、これも聞き覚えのある訛りの強い声がする。
「では、どうしても卵はだめですかい」
(あっ、酪の小父さんだ)
「無茶をいうもんじゃないよ。元々表向き、あんたらと交易することからして禁じられている。絹と毛皮くらいは大目に見てもらえても・・塞(とりで)(長城)の外の人間に卵や繭を売ったら、私ら首が飛ぶ。売れるのは織りあがった絹だけさ」苦笑交じりの父の声もする。
「冗談だよ。こちとらも蚕の卵など物騒なものをもって長城を越えようもんなら、命がいくつあっても足りゃしない。漢兵にでも見つかったら首と胴の泣き別れじゃ」
「じゃ、秋蚕の巻絹二匹を持っていきなされ。そちらから頂くのは塩一瓶、酪一壷、馬乳酒一壷、干肉一斤、兎の皮は十枚は頂こう」
「殺生な。兎皮を十枚も付けるなら、巻絹は三匹は貰わねば」
「あんた匈奴のくせに、商売上手じゃなあ。わかった。そちらの言い値で交換しよう」
「さすが中行さん、物分りがいい」
二度、大きく手を打つ音がした。
ここ燕の造陽は、燕の時代に遊牧民族、匈奴の武力侵入を防ぐために作られた長城のすぐ近くにある。
Posted by 渋柿 at 06:53 | Comments(0)
2009年09月03日
「中行説の桑」2
今や秦が倒れ、漢の高祖も二代恵帝も没している。その時代の流れの中で・・創業の功臣は粛清され、高祖の庶子初め劉一族は迫害されているという。現在、高祖の皇后であった呂氏の手に天下が握られている。それでも、大切に持ってきた蚕の卵と桑の種を頼りに、ここ燕の造陽で生業を続けているのだ。
蚕は、桑の葉以外の餌では生きられない。桑は半ば落葉樹であり、ここ燕の辺りでは晩秋に葉を落とす。蚕も卵のままで越冬する。
桑が冬木の間は、採りためた繭の真綿を、もっぱら父母や祖母が生糸に紡ぎ機で織る。説たち子どもは薪割やら炊事やら、家事を手伝うだけでよい。だが、清明の節句の祝いの頃には、柳が芽吹き桑の葉も萌え始める。間もなく蚕の卵も眠りから覚めて、孵化を始めるのだ。桑は日照を好み、時々小枝打ちで葉の密生を防がねばならない。その上・・蚕の好物であるだけに・・毛虫が付きやすく、蚕の孵化が始ってもその駆除の手は抜けない。
ただ初夏に生る実は甘酸っぱく、密かに桑畑で働く子ども達の口を楽しませた。炎天下、桑の葉を陰干しにして煎じた冷たい桑汁は、渇きを潤して活力を与えた。風邪を引いたり腹を下したりすると、桑の樹皮を煎じた汁を飲まされた。中行説の一家は蚕と共に、桑に密着して生きている。
大人たちは今のところ、数日前から蚕小屋の準備に掛かりきりである。板張りの床の部屋を隅々まで拭き、埃を取り去っているのだ。明日は冬の間に醸した酒を一家総出で蒸留し、強い酎(ちゅう)を造る。そして蚕が病いにかからぬよう隅々まで清めるのだ。そのあと小屋の壁すべてに十段内外の蚕棚を組立てる作業が待っている。蚕卵の眠りが覚める前に、桑畑の手入れをし、準備を整えなければ、説一家は餓えるほかはない。
「説、そんなに高い所は無理よ。こっちの下の枝を払いなさい」小声でそういって、姉が枝打ちの場所をそっと替わってくれた。
蚕は、桑の葉以外の餌では生きられない。桑は半ば落葉樹であり、ここ燕の辺りでは晩秋に葉を落とす。蚕も卵のままで越冬する。
桑が冬木の間は、採りためた繭の真綿を、もっぱら父母や祖母が生糸に紡ぎ機で織る。説たち子どもは薪割やら炊事やら、家事を手伝うだけでよい。だが、清明の節句の祝いの頃には、柳が芽吹き桑の葉も萌え始める。間もなく蚕の卵も眠りから覚めて、孵化を始めるのだ。桑は日照を好み、時々小枝打ちで葉の密生を防がねばならない。その上・・蚕の好物であるだけに・・毛虫が付きやすく、蚕の孵化が始ってもその駆除の手は抜けない。
ただ初夏に生る実は甘酸っぱく、密かに桑畑で働く子ども達の口を楽しませた。炎天下、桑の葉を陰干しにして煎じた冷たい桑汁は、渇きを潤して活力を与えた。風邪を引いたり腹を下したりすると、桑の樹皮を煎じた汁を飲まされた。中行説の一家は蚕と共に、桑に密着して生きている。
大人たちは今のところ、数日前から蚕小屋の準備に掛かりきりである。板張りの床の部屋を隅々まで拭き、埃を取り去っているのだ。明日は冬の間に醸した酒を一家総出で蒸留し、強い酎(ちゅう)を造る。そして蚕が病いにかからぬよう隅々まで清めるのだ。そのあと小屋の壁すべてに十段内外の蚕棚を組立てる作業が待っている。蚕卵の眠りが覚める前に、桑畑の手入れをし、準備を整えなければ、説一家は餓えるほかはない。
「説、そんなに高い所は無理よ。こっちの下の枝を払いなさい」小声でそういって、姉が枝打ちの場所をそっと替わってくれた。
Posted by 渋柿 at 15:55 | Comments(0)