スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新の無いブログに表示されています。
新しい記事を書くことで広告が消せます。
  

Posted by さがファンブログ事務局 at 

2014年01月26日

二十歳

私が二十歳だった三十数年前

輝いていた春風亭正朝さん

そして古今亭志ん八こと右朝さん  


Posted by 渋柿 at 19:10 | Comments(0)

2014年01月17日

連載 無題

【以下を参照しましたが、内容は全く架空の創作です】
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5361726?via=thumb_watch  


Posted by 渋柿 at 18:44 | Comments(0)

2014年01月16日

初夏の落葉終章

「芸人は、顔と名前憶えて貰えるのが一番。おかみさん、啖呵ぁ切ってまで長楽亭左京の名をこの世に繫ぎ留めた。夫婦の絆は二世、情愛は深いてえことを申します。今日は、そんな噺にお付き合い願います」

 あの日、ここにいらした方もあるでしょう、左京が十年前に、ここで演った噺でもあります・・襟を摘まみ、上手の床に手を伸ばした。

「お前さん、起きとくれよぅ・・」

 マクラが長かった分、少し端折って入った。

「芝浜」。酔漢・財布・芝浜・・圓朝の即興三題噺から百余年、幾世代もかけて噺家が磨き上げた、屈指の古典落語。

(ええっ?普通、ここで拍手湧くかぁ?)

 本当にこういう所は、どう転ぶか判らない。

「お願いだよ、起きとくれってば、河岸行ってくれなきゃ、釜の蓋が開かないんだよ」
 女房が、飲んだくれの亭主に哀願している。

 ・・左京、起きてくれ、起きてくれよう、真打昇進試験、始まっちまうよぅ・・
 半泣きの声がした。十六年前の俺だ。兄弟子の家で夜が明け、悪ふざけがとんでもない結果になり、みんなで青くなっている。うるさい!左京は寝返りを打って背中を向けた。

 ・・誰だこんなに飲ませたの、俺じゃねえぞ、おい、起きてくれ、破門されちまうぞ、昇進試験だよ、起きてくれ左京、間に合わないよぅ・・仕方ない、殴るぞ・・
 
 左京、お前本当に、自分の事全部判ってたのか。今生きてたらどんな落語演るんだろう。見たかった。才能も欠点もみんな合わさって、お前は稀有の噺家だったんだ。

「起きとくれってんだよぅ、お前さん」

「うるせいな、もっと寝かせろい」

「だってもう、十日も河岸いってないんだよ」
 
 無意識に、左京の間、になっている。

 あちこち、頷いている客がいた。きっと十年前、ここで左京の高座を聞いていたんだ。ホールの室温が上昇していくのが、肌で判る。

(あの日・・)

 開演前、着替えを済ませた左京は、楽屋の窓から、ホールを囲む楠の樹々を見ていた。

(いってたな・・不思議な樹ですね、兄さん。冬を耐えたんでしょうに、若葉が萌えるそばで、ほら、落ち葉が散ってます・・って)

 残る桜も散る桜、違うか、こんな一番いい季節に、葉を散らす樹もあるんですねえ・・左京が見ていたのは、初夏の落葉だった。

「判ったよ。起きてやるから、まず飲みてえだけ飲ませろ」

 左京が真向いの席にいて、苦笑混じりに聞いている様な気がした。




  


Posted by 渋柿 at 09:06 | Comments(0)

2014年01月15日

初夏の落葉17

 死なない奴はいない。そろそろ、心構えだけは必要だろう。左京の享年を、去年越えた。 
 
 今思えばかなり前から、変調は自覚していたんだろう。打ち上げでも飲まなくなってた。

 それでいて、悲壮感や辛さを、最後まで微塵も見せなかった。誰にも真実を告げず、十数分のネタで、静かに高座を降りていった。  

(綺麗事が過ぎまっせ、左京さん、ええかっこしいや・・か)

 骨あげの時の柳小夢の呟きは、同い齢の同志を失った哀しみに溢れていた。

 その小夢も翌年の晩秋、癌で散る。左京とほぼ同じ、死の十一日前まで高座に上がり、一時間を越える「地獄八景亡者戯」をやり遂げた。それが最後のネタとなった。

 仲間に全て事情を明かし、途中で力尽きたら続きは頼むと、頭を下げていたそうである。楽屋に医者を待機させて、直前まで酸素吸入をしながらサゲまで語り切った。

 大きな動きはなくとも、死後の世界を茶化しまくる噺に客は爆笑したという。

 伝説の西口広場を彷彿とさせる芸人魂。左京を見届けた上での・・それが西の噺家、東とはまた違う、最後の高座の意地だったのだろう。

(左京の置き土産は、小夢さんだけじゃない)

 俺達には勿論、若手にも強烈だった。稽古の時左京に貰った扇子や手拭いを、今も御守り代わりにしている若手は多い。カゼとマンダラは侍でいえば両刀、噺家の魂なのだ。 

 最後に楽屋入りした時は、もう自分で足袋も履けなくなっていた。左京がおいそこの二つ目、頼むよ、なんて嘯いたのはそれが初めてだった。居合わせた桂家道介が、帯まで結んでやっていた。

 さっきはありがとよ・・「六尺棒」で使ったばかりの噺家の魂を、左京は道介に託した。

 その道介は、葬式の日、寄席の客席で左京の姿を確かに見たという。

 真打昇進を果たした道介が、披露興行の演目に混ぜた新作は、寄席の度肝を抜いた。

(代演で高座に出た中堅が癌で突然死、生涯最後の高座が前座噺入門級「寿限無」という、情けない事に・・か)

 持ちネタに定着したから何度も聞いた。よくできている。虚実入り混じって芸人の悲哀を描き、しかも泣かせない。大いに笑わせる。

 近頃は忙しい合間を縫い、癌検診に行く噺家も増えた。寄席内外にカミングアウトして、抗癌剤を使いながら高座を勤める者もいる。

(不謹慎ていう人もいるけど・・) 

 古典落語だって、死や葬式を洒落のめしている。建前の道学蹴飛ばすのが落語だ。化けたな道介・・左京ならきっとそういうだろう。根っからの芸人だったから。
  


Posted by 渋柿 at 16:06 | Comments(0)

2014年01月14日

初夏の落葉16

 豊島演芸場の客席は九十五。特に平日の昼席、客が十人前後という芝居も多かった。八百人入るホールでの落語会で、客五人という経験もした。つい最近まで、やっつ・ここのつを越えて二ケタのお客に、つばなれしてると喜んだ。

 百万・・途方もない「お客様数」だ。

(お前のガンバレは確かに芸術品だよ、左京)
 左京と過ごした日々は、もう遙か遠い。

(飲めってんだよ、この兄弟子野郎・・か) 

 散々、凄まれた。噺は飛びぬけてテンポよく明るいくせに、有り余る才とさがの狷介が酒を荒ませるのは、鯰と似ていた。 

(しらふの時は、兄さんって立ててたけど)

 京蔵は高校卒業後すぐに京治の門を叩いた。左京は大学出、それも卒業数年後の入門だ。

(・・やりにくかったなあ)

 何しろこの「弟弟子」は、こっちがまだランドセル背負ってた頃には、高校落研の花形として活躍していたのだ。入門した時点で、もう七十以上の古典のネタを上げていた。

(二年・・いつも、一緒だった)

 兄の様な弟弟子、他の世界ではありえない、不思議な関係。師匠に叱られるのも一緒だし、こっそりの息抜きも一緒。酒も左京に鍛えられた。そして落語を熱く語った。そんな俺達を、師匠は厳しく、温かく見守っていた。

 あたしの弟子は、みんな優秀だと思っております、そう挨拶した京治師匠は、左京の葬儀の半年後、亡くなった。期待を寄せていた左京を失った衝撃が、命を縮めたという人もいる。いう人は、いえばいい。

(みんな、優秀なんだ・・俺も) 

 卑下したりしたら、師匠に失礼だ。芸人は自惚れの塊、それがなくなりゃあやめなきゃしょうがない・・左京もいっていた。

「左京に稽古を付けて貰ってた若手が、今あたし達を脅かしてて・・何億の遺産貰った様なもんです。いや、流石にそこまではないか」
 
 一部、笑いが取れた。
 
 真打昇進試験の時だって、お天道様西から登っても左京が落ちる訳はないと思っていた。だから、前祝いだとどんどん飲ませたのだ。

(最初は一杯だけなんていってて、とんでもない事になっちまった)

 それでも左京は実力で、不合格を覆した。

「今の時代新作なんかに目もくれず、八っつぁんかい、こっちいお入りなんて、古典一筋でしょ。まあ左京も相当の臍曲がりでしたよ」

 あの才能に、新作に逃げる必要など全くなかった。持ちネタの多さとその完成度を、良くできた食堂のサンプルと揶揄した奴がいる。あれが死んだ作り物か?冗談じゃない。

 そんな左京だったから、あの「ガンパレ」には度肝を抜かれた。狂気さえ覗く高座は、そこにいた者全ての脳天をぶちのめしていた。

(これが・・左京か)

 卓越した話術と歌唱力、楽屋で大酒喰らったというが、それはむしろ狂う為。二つの強烈な個性、一期一会の化学変化。

 「ガンバレ」を作ったのは鯰、古典にしたのは・・左京だ。

「ガンバレは世に残りましたけど、まさか一回こっきりの高座がアクセス百万なんて。あいつも目え回してるでしょう、あの世で」

 神様は、左京や京治師匠には、ぴか一の華を与えた。でも、俺や鯰師匠にも、それぞれちゃんと別の贈り物をくれたのだ。

(俺の最後の高座は、どうなるのかなぁ?)
  


Posted by 渋柿 at 16:46 | Comments(0)

2014年01月13日

初夏の落葉15

 六年後。四月二九日、佐賀市文化会館大ホール、夕顔亭鯰・長楽亭京蔵落語二人会。

「鯰師匠、八十過ぎとは思えません。時代がやっと鯰に追いつきました」
 トリの京蔵が、高座で話し出す。

「四十年前、高座で立ち上がっただけで破門でした。近頃じゃ命知らずの若手が逆立ちまでやってて・・先程の噺、ガンバレっていうんですけど、もう古典落語でいいです」
 どっと受ける。

「大酒飲んでなぜか長生き、お呼びがあれば全国どこでも飛び回る夕顔亭鯰八十一歳。現役最高齢更新も、視野に入ってまいりました」
 
 いかにも枯れた、古風な佇まいの老噺家が、立って踊って毒を吐き、高らかに歌い倒す。客は呆気に取られ、爆笑し、最後の「ガンバレ」のサゲには盛大な拍手が湧いていた。

「福岡まではよく来るんですけど、あたしが佐賀にお邪魔するのは十年振りです。そん時は弟弟子との二人会でございました」

 カチガラスてんですか、パトカーみたいなのも初めて見まして、とご当地を持ち上げる。

「ちょうど今時分で、楠の燃える様な若葉が綺麗でした。楠の栄える国だからさがっていうんだって、意外と物知りな弟弟子が教えてくれたのを・・覚えております」
 羽織の紐を解き、静かに脱いだ。

「この弟弟子、それから間もなく患い付いちまいまして。ええ、うちの師匠京治も今年七回忌ですが、同じ年、半年前に逝った長楽亭左京てのが、その物知りなんでございますよ」

 湿っぽいマクラに、客席は白けている。構うものか、寄席とは違い、立前座の時間制限はかからない。たとえマクラで終わったって、今日七回忌の左京を語りたかった。

「有志の方々がご尽力くださいまして、左京追悼のCDが世に出ました。実は左京、生前一度だけ、ガンバレ演らされてましてねえ。葬式ん時そのビデオ流して大騒ぎになって、追悼CDにも収録されたんです」 
 そりゃあもう、大変でした・・京蔵は客席の白けを無視した。

「おかみさん、左京がガンバレっていい残したって、絶対に譲らない。参りました」

 最期は手前にまで、サゲ付けやがった。「たがや」の「たがやあぁ」・・頑張らないと嘯いてた奴の最期、口を付いた言葉は「ガンバレ」。それが「ガンバレ」のサゲだった。

 笑い事ではない。香盤だけは結構高い鯰も是非にと口を添え、連休のくそ忙しい中、ビデオ映像探し回らなければならなかった。

「うちの師匠は、ガンバレなんてよせやい、古典の名手だった左京の葬式だ、古典で送ろう、いっその事、最後の高座で送ってやりたいって、ぶつぶついってましたけど」

 その録音はある。間と抑揚は確かに面目躍如。でも声は、往年の左京とは似ても似つかない。

 最後の高座にあのネタ「六尺棒」を選んだ訳は、判る気がする。小憎らしい馬鹿息子と大甘の頑固親父・・あれは多分親父さんへの、詫びと感謝だ。入門の時の騒動は、俺も似たようなもの。

 師匠は化けやがったぜと満足そうだったけど、これを化けたといやあ何だかお前が化けて出そうだ。

 左京、勘弁してくれ。俺はまだ、師匠程の落語の耳がないんだろう。天下の京治が兜脱いだんだ、お前の最後の高座「六尺棒」は、きっと空前絶後の落語だったんだろう。

「おかみさん、お言葉ですがうちの人は古典の名手なんかじゃあございません、憚りながら落語の、名手だったんでございますってねえ・・あの、長楽亭京治に向かって啖呵ぁ切った。これにゃあ師匠も二の句が継げなくって・・惚れた欲目てえのは、本当に怖ろしい」

 笑っていいのか、客は困惑している。

(相変わらず、だなぁ)

 地方では生の落語を聞く機会など、年にそう何度もないのだろう。豊島の常連客の様な、阿吽の呼吸は望めない。やっぱり違いますね、けど、どう転ぶか皆目見当つかないてのも面白かったですよ・・左京も苦笑していた。
 
 皆様木戸銭を払ってお入りになっております、と京蔵は六分程の入りの客席を見る。

「世の中著作権てえものがある事はご案内と思いますが、最近、CDを動画投稿する方がいらして、噺家はおまんまの食い上げです」
 ここでやっと、客が笑った。

「まあ左京を埋もれさせちゃあ勿体ないんで、堅い事もいえない。あれで元祖鯰師匠も復活したんだってもっぱらの噂で。師匠は絶対そんな事ぁないって、意地張ってますけどね」 
 鯰へ向けてだろう、拍手が起こる。

「兎に角今日現在、ガンバレ左京バージョンの再生数、何と百万を超えております。中にゃあ、ガンバレの動画で初めて長楽亭左京を知った、ずっと前に亡くなってたと判ってびっくりした、なんてえ方も結構たくさんいらっしゃいますしねえ」
  


Posted by 渋柿 at 16:40 | Comments(0)

2014年01月12日

初夏の落葉14

 ぽとり、顔に温かいものが落ちた。
 目を開くと、あかねの顔があった。

「お前さん」

(ここは・・)
 数日前、息を引き取った病室だった。

(違う・・夢見てたんだ)

 ぴっぴっぴ、ベッドの脇のモニターが、下がり続ける血圧と心拍数を示している。  

 死ぬのはこれから、夢というより臨死体験か。それが死神と人情噺たあ、職業病にも程があるよな。兎に角、色んなネタがごっちゃになってた。まあ弔いで「ガンバレ」流すなんて、夢じゃなきゃあり得ない事か・・。

「夜が明けたみたい。・・大丈夫、ミミの餌はちゃんと置いてきたから」
 窓辺の樹の影が、寄席の切り絵の様だ。ほんのり明るい空を背に、枝が揺れている。

(し、ししょ・・)

 もうあかねは、唇の動きだけを読んでいる。

「師匠は大阪。小夢さんとこの落語会」

 そうだった。リアル世界じゃ、今日のうちに駆けつけるのは無理だ。かき入れ時の連休、しかもアウエーでは代演は利かない。すぐ来てくれるのは、やっぱり鯰師匠くらいかな。

(俺も、小夢さんに誘われてたっけ。病み上がりでも前座噺なら何とかなるだろうって)

 事態を隠してたから、断れなかった。馬鹿だよ。結局豊島の代演で力尽きた。これでよかったんだ。この体で大阪まで辿り着けたとしても、出ない声で、それも寿限無の途中でぶっ倒れてりゃ、与太郎だろう。

(師匠が東京に戻るまで、葬式はやっぱり延ばさなきゃ。・・あんまり無理するなよ)
 前座二つ目は弔い慣れしてる。俺もやって来た。遠慮するなお互い様だ、任せればいい。

(な、なま・・)

「え?何?」

 鯰師匠だけにゃあ酒を出すな、特に火葬場じゃ絶対にだめだぞ、そういい残しておきたいが・・無理の様だ。

(す・・ま・・) 

 入門の時釘を刺されたし、こっちは承知の上でこの世界に飛び込んだけど、お前にまで馬鹿な苦労をさせちまった。入りの悪い豊島が一番好き、客に呼ばれても酌もしない、救いようのない臍曲りでさ。テレビ仕事なんか滅多に受けなくて。人から見りゃ時代錯誤の、滑稽な野郎だったろうな。

「済まないなんていわないで。お前さんと一緒になれて、本当によかった」
 そうかなあ・・他人と喧嘩ばかりしてきた。

(古典になったネタは初めから完成度が高いんだ、新作で一度は笑った客でもな、二度も三度もまた来て聞くか?・・か)

 新作なんて一過性のもんですぐに消えちまう、そう信じて古典一筋にやってきた。どの古典ネタだってできた時はみんな新作だなんていう奴には、ムキになって絡み倒した。
 風を入れるね、あかねは立ち上がって窓を開ける。楠の若葉の薫りがした。

(あ・・り・・)

 ありがとう。・・でも結局、死ぬのが怖くて高座にしがみ付いてただけかもしれない。疼痛緩和のお蔭でぎりぎりまで続けられたけど、医者代薬代諸々、随分かかったんだろ。今度の請求書は個室料まで込みときてる。

 ごめんよ。俺は残念ながら、古典になって残る程の噺家じゃなかった。忘れられる。

(いいじゃない、お噺上手のただのお爺さんと、噺好きのお婆さんになるのも・・か)

 それさえ叶わなかった。甲斐はなかったな、あんなに尽くしてくれたのに。

(こ・こ・・)
 ここにいてくれ。目が霞んでる。最後にお前の顔を、瞼に焼き付けておきたい。あかねは椅子に戻って、お前さん、と微笑んだ。

(ほ・れ、て・た・・)

 そうだ、その笑顔が見たかった。綺麗だ。声失くす前に、いってやりゃあよかった。
 
 本当に赤だったかな?いや、「小鍛冶」を弾く振袖は、絶対あかね色じゃなきゃいけない。俺はお前に、心底惚れていた。

「お前さん!」

 呼吸が切迫した。か?が?えっ何?何かいおうとしている。がん?がんば?

 あかねは、ナースコールを押した。

「五時二一分、ご臨終です」
 
 脈を取り瞳孔を見た医者がいう。
 
 サゲが、付いた。楠の葉鳴りは楽日のハネ太鼓。風が吹く。枝が揺れる。拍手が続く。

 窓から、初夏の落ち葉が一枚、舞い込んだ。
  


Posted by 渋柿 at 07:58 | Comments(0)

2014年01月10日

初夏の落葉13

「行けば、判る。・・神様に愛され過ぎたんだよ、お前は」
「そう、自惚れとくよ」

「弔辞でもいってたじゃないか」
「口と肚は、別だ。ざまァ見ろって思ってた奴だって、いたかもしれない」

「情けない事いってくれるな。忙しい時期に、あれだけの人が駆けつけてくれたんだ。あれがただの空涙なら、酔狂も大概じゃないか」

 そうだ、二十年やった答えが、降りやまぬ雨に香華を手向けてくれた、あの長い列だ。

「道丸も小夢さんもみんな泣いてくれた・・」

 ツン・ツン・ツン、遠くで音がする。祭囃子?それにしてはずっと拍も節も重い。三味より哀しい、心にしみる音。琴、だ。

 ツン・テン・シャン、ツン・テン・シャン、はっきりと耳に馴染んだ旋律になっていく。

「これは・・」
「小鍛冶・・お前の囃子だな」

 噺家の出囃子は、長唄のサビの部分を使う事が多い。「小鍛冶」も、元々は能の演目で、長唄に取り入れられた。筝曲用に編曲されたのは、そう古い事ではない。

(あかね・・)

 出逢った日の、そうだ、ありゃあ確か赤い振袖だったか、スポットライトを浴びて、舞台の上に、あかねがいた。

「弾いてるよ、たった一人んなった家ん中で。・・おかみさん、ここまで音を届けるたあ、よっぽどあんたに思いが深いんだなあ」

「・・一目惚れ、だった」

 邦楽の会の司会の仕事で、出逢った。

 反対を押し切って一緒になった時から、真打になったら出囃子は、あの日あかねが弾いた「小鍛冶」だと、心に決めていた。
 
 琴の音は、緩く速く続いている。
 
 左京さんなんていうな、噺家の女房ならお前さんだろと関白ぶった新婚の頃。恥じらいながらそう呼んだ初々しい声が、耳に甦る。

(俺は、馬鹿だ・・)

 死神が許してくれた最後の時間、ぎりぎりまであかねの側に居てやらなきゃならなかったんだ。俺は最後の最後まで、落語の世界しか見ていなかった。馬鹿だ、大馬鹿野郎だ。

「寂しいんだよ。猫しかいない、思い出がまだ生々しい家に居るのは」
「そう・・だろうな」

「葬式も四十九日、百か日も大変だけど、そりゃ哀しむ暇、なくす知恵かもしれないぜ」
 
 余韻を残して、琴がやむ。

「かみさんの所に、戻りたいか?」
「今更何だよ」

「戻りたいんだろ。・・おまえんちに反魂香が・・ある訳ないよなあ」
「反魂香がありゃ、戻れるんだな」

「あるのか。それ、おかみさんに何とかして焚いて貰えりゃあ・・」
「稽古ん時のテープじゃ、駄目か?」
 
 「反魂香」は、死んだ人と逢えるという噺。
 
 テープじゃねえ・・死神は溜息をつき、暫く考えていた。

「判ったよ。かみさんと居られるのはほんのちょっとだけだけど、勘弁してくれ」

 死神は、下に垂れた蝋の欠片を拾い始めた。

「まあ、あんまり当てにはしねえ事だな。なんせ時間を戻すなんて今までやった事あない」
「そんな事をして、お前・・」

「オプションが付くっていっただろうが。疫病神にでも、塵でも芥でもなってやらあ」

 落語の神様は残酷だ、何でお前に道半ばの寿命しかないんだよう、死神は居直る。

「そりゃ俺だって・・見てたっていってたな、布団掻き毟って呻いて、さ・・」

 俺のとことん情けない姿も、こいつだけは知っている。

「だけどもういい。・・ありがとう。お蔭でネタの形見分けだってできたし・・」

 何より燃え尽きる直前、精一杯輝けたんだ。

 十月余一会に割り込み復帰第一声、夢落ちネタの「鼠穴」を演じた。二月までは、定席にも通しで出る事ができた。ホール落語も新年の帝立劇場の「厩火事」と二月の台東座「浜野矩随」。定席はもう無理になってからも、三月にはラジオ真打競演「猫の皿」を収録し、豊島余一会で「井戸の茶碗」。そして最後の高座、代演の「六尺棒」は、あの師匠が化けたと、初めて褒めてくれたんだ。

(結局、騙した事になるんだけど・・)

 贔屓客は、左京再起と本当に喜んでくれた。

「二十五の俺が決めた通りに、死ねたんだよ」

「やせ我慢はよせ。かみさんのとこ、戻りたいんだろう・・戻りな」

「やせ我慢・・か」

「今度こそ、お前に惚れてたっていうんだぞ」
「・・ああ」

 死神は帯の毛羽を抜いて、握り固めた欠片の芯にした。手近な炎で炙り、蝋を芯に浸み込ませる。出来上がった蝋燭もどきに、何やらじっと念を込めてから火を灯した。

「目を閉じるんだ」
 あじゃらかもくれん・あかね・まい・すぃいとはぁと・・死神が呪文を唱える。
  


Posted by 渋柿 at 17:46 | Comments(0)

2014年01月09日

初夏の落葉12

 酔っ払い、いい加減にしろ、野次が飛んだ。席を蹴って出て行こうとする客もいる。

 京蔵が飛び出してきた。着替えず着物で待機していたらしい。どうぞそのまま、暫くそのままでお待ち下さいと鯰を引き摺っていく。

「大変失礼を致しました」 
 高座に戻り、京蔵は深々と頭を下げた。

「縛り上げて猿轡して参りました。んな訳はありませんが・・本当に申し訳ありません。左京はあたしの弟弟子で、つったって齢は五つも上ですけど。鯰師匠、息子みたいに思ってたんです。あいつ目をとじた日まで、予定入れてました。それも大阪です。もう無理だって判ってたのに。それ聞きましてね、堪らなかった。師匠だけじゃなくて、あたしも」

 師匠があんな風になってすみません、あやまります、許して下さい、とまた頭を下げる。 

「葬式で、左京のビデオ流しました。鯰師匠の新作落語です。今日ここにいらしたのも何かのご縁、追善とは大げさですが、どうかここで、ネタおろしさせて下さい。・・もう、今日の左京にゃ拍手も忘れてた。みんな固まって声も出ないんです。兎に角、素晴らしかった。改めて・・惜しい。惜し過ぎる。何でこいつが早死にしなきゃならないんだって、みんなもう、ぼろぼろ泣いてました」

 おい・・それじゃ「中村仲蔵」だろ。

「はい、稽古もしないネタおろすなんて自殺行為ですよねえ。事によると、あたしの骨も鯰師匠に拾って貰う事になりかねませんが」

 このネタ楽屋で、左京と一緒に何十遍もきいてました・・童顔に、凄味が潜んでいる。

「元は歌は世につれっていってて、ガンバレって変えたのは左京です」

 頑張るなんてやめようよぅ・・京蔵は羽織を脱ぎ、「ガンバレ」を語り始めた。

「春のうららの、隅田川ぁ・・」

 稽古もしてない歌は、もう一つ。噺の身上の毒は骨抜きとなり、手拍子を受けて・・これじゃ、懐メロの素人カラオケ大会だ。ただ、鯰が滅茶苦茶にした後、苦し紛れでもなんでも、客とここまで盛り上がれるのは凄い。

「西口フォークゲリラってんですか、駄目でしたねえ。歌が世を変えるどころか、お巡りさんが邪魔だから退きなさいていうと退いちゃった。世の中何も変わらない。世はまあ歌なんかにゃ連れませんよ」 

(一門と師匠、頼みますよ。兄さんはまだこれからだ。・・頑張って下さい)


 行こうか、と死神を振り返った。
「本当に、いいのか?」
 戻って来られないんだぞ、という。

「踏ん切りつけなきゃ、未練は辛いだけだ」
 
 判ったよ・・死神が手を握り、目を塞いだ。
 


 やっぱり。思い切り既視感がある場所だった。洞窟の中、無数の蝋燭の炎が揺れていた。この一つ一つが、人の寿命だ。

(あかねのは、どれだ?)
 聞いたら教えてくれるかもしれないが、もしそれが風前の灯だったら・・怖い。

(京治師匠は?鯰師匠は?)
 やはり、怖い。ついそこに一つ、あっちにも一つ、今にも尽きそうにちびた蝋燭がある。

「ここまっすぐ行くと三途の川に出る。渡し賃が死因で決まるてのは、知ってるよな」
「そりゃネタだろ」
 
 「地獄めぐり」または「地獄八景亡者戯」。

「で、あっちにゃあ死神作った圓朝はじめ、古今の名人ズラーと寄席に出るんだ」

 三遊亭圓朝は近代落語の祖。古典のかなりは、百年前の圓朝の新作が基になっている。

「そこでまた、前座からやり直しかい」 
「左京近日来演の告知は、一年前から出てる。披露しろよ真打十年の芸、居残り佐平次でも火焔太鼓でも・・頑固親父にさあ。好きだったんだろ、京の輔の大ネタ」 

「・・優しい嘘、ありがとよ」

 それが本当なら、何で無理して息のある内声戻したんだよ。「職」を賭してまでさ。

「そっち行きゃあ、もう消えるだけなんだろ」
  


Posted by 渋柿 at 16:14 | Comments(0)

2014年01月07日

初夏の落葉11

「葬式で一緒だったとは、いわなかったな。さっきは、弔いの幽霊のいってたのに」

「あそこは、客が若かった。こんな客層じゃ、葬式だのは口にしちゃいけないんだ」

 じゃあ、俺がいるって知れば驚くな、死神が厭な笑い方をした。

「どうやら、鯰師匠も復活された様です。前座は、この辺で失礼いたします」
 京蔵は、自分で座布団を返して引っこんだ。

「すいません、あたし酔っ払ってます」
 何とも危い足取りで出て来た鯰は、回らぬ呂律でこういい放った。

「左京が、死んじゃった。で、骨あげ済ませてまっすぐこっちぃ来たよ」
 
 やっちまった。白髪が揺れてる。こりゃ俺が焼けてる間も、しこたま飲ったに違いない。

「長楽亭左京だよ。あれ、知らないの?」
 京治じゃあなくてその弟子の左京、といわれても、爺さん婆さんは困惑している。

「ほんとに知らないの?ほんと?ほら、真打昇進試験落としたら席亭が怒っちゃって、それで昇進試験の方がなくなっちゃった奴」

 やめろ恥ずかしい。

「黒羽二重の紋付着てやがってよ。どうせ燃えちまうんだから、ひっぺがしゃよかった」

 奪衣婆か。

「・・降ろさなきゃ」

 京蔵のいる控室の方を見た。鯰は泥酔状態、このままでは、残った数少ない仕事先まで失ってしまう。

「降ろしてどうする」
「兄さんなら、何とかできる。・・そうだなあ、毒喰らわば皿、らくだに持っていって、お騒がせいたしましたと締められりゃあ・・」
 
 「らくだ」には鯰が口走ったそのまま、弔いに死体と焼き場、酔っ払いまで出てくる。兎に角、開き直ってこの場を収めるしかない。
 
 古典落語でもかなり難かしい大ネタだが、京蔵兄さんなら演れる。

「それじゃあ、今度は鯰が京蔵を・・」
「大丈夫だ。そこは感心なんだがな、鯰師匠、高座引き摺り降ろされた事はあっても、噺演ってるもんを降ろした事は、まだ一度もない」

 最前列の老婦人が、左京さんはお幾つだったんです、と尋ねた。

「四十五・・」
「うちの子と、同じですか」

 末っ子の葬式、親父とお袋は見ずに済んだ。
「あいつ、いってたよ」
 鯰が、酒臭いだろう息を吐いた。

「噺家には種類がある。コツコツ一生懸命努力する奴、噺なんざ五つか十しかできなくても、テレビで売れる奴。売れりゃあそれもいい。一番なりたくないのは・・」
 
 言葉が、切れた。泣いている。

(コツコツ努力して、お骨になっちまう奴。それだけにはなりたくない。名人コースっていうか、きっと花を開かせてみせる・・か)

 なりたくないも何も、もうお骨だ。 

「馬鹿野郎!何で本名のまま死んじまったんだ。名人になり損ねやがって」
 
 若き日の鯰は、正統の古典落語で高い評価を得ていたという。「ガンバレ」がなかったら、今頃名人と呼ばれていたかもしれない。

(まあ、それも自分で選んだ道なんだが・・)

「左京、そこにいるな!」

 突然、鯰が吼えた。こっちを見ている。

「死神のネタおはこだったよな。日頃の付き合い、一緒に来てるんだろ」

 目が、据わっていた。

「おい、この爺さん俺達が見えるのか」

 死神が狼狽える。左京は高座の真ん前にいき、あかんべえをした。視線は、動かない。

「鯰師匠の悪い癖だ、酔っ払うてえと死神が来てるって騒ぐ」
「そうか、そうだろうなあ・・その筈だ」

 死神さん、聞いてくれ、と鯰が絶叫した。

「おらあ大丈夫、っていったんだ。でも京治師匠が心配してな、真打京蔵がお供よ。京治師匠はいい人だね。ほら、あの命の蝋燭ってあるでしょ。京治師匠はあんまり若いうち世に出て、やっと今歳が芸に追いつくとこ。あっさり消さないでくれよ、左京みたいにさあ」

(世に一人は、切り替えができない芸人・・)
いてもいいんだろう。
  


Posted by 渋柿 at 20:44 | Comments(0)

2014年01月06日

1初夏の落葉0

 今度は、道介よりずっと若い兄弟子が上がった。「青菜」。そこそこ受けている。

「ここが、一番好きだった」
「こんなとこが、かい?」

 客が少ないからこそ、自由だった。

 地下で、狭くて、客は疎ら。まるで噺家と客の密談、豊島秘密倶楽部だと陰口をきかれている。だが、ここの客はどこよりも通だ。

(この呼吸に磨かれてきたのに・・)

 出よう、死神を促した。

「どうして?誰にも遠慮しないで、まっ正面から見られるんだぞ」
「見たく・・ないんだ、もう」
「そうか、そうだろうなあ。じゃあ、あっちへ行くとするか」

 その前にちょっと調べてみよう、と死神は懐から札を取り出し、何やら指先で操作した。

「そりゃ、何だい?」
「キーワード検索さ」

「パソコンみたいなもんか?」
「この世で普及するな、もう少し先だけどな、持ち歩けるから便利だ。・・ほう、会葬の最終総計、まさかの千人越えだ」
「そんなに・・」

「一一八四人。結構縁結んでたな。・・おい、夕顔亭鯰、これから高座に上がるぜ」
 あの爺さんにまで話が来るたあ、やっぱゴールデンウイークだな、と更に検索する。

「代演は、入ってない」
 大丈夫か。葬式でも客室で飲んだくれてた。

「何か仕出かさなきゃ、いいけど・・」
 
 勝手に寄席を抜き、出たと思えば酒気帯び高座。出入り禁止も方々で喰らい、香盤を下げろの、噺家を辞めさせろのと声が出ている。

「心配か?」
「まあな」

 夕顔亭鯰にあの酒癖マークシートをやらせたら、間違いなく最高得点を叩き出す。

「さっきもいったけど、もうお前は、何にもしてやれないんだぜ」 
「・・判ってる」

「阿佐ヶ谷商店街の落語会。区民センター第三和室だ。六時半からだから、その前にちょっと、お前焼いてるとこ、顔出しするか?」
「・・やめとくよ」

「じゃ、電車で行こう。瞬間移動じゃあ、開演まで時間が余ってしょうがない」
 時間操作が苦手らしい。それもいいか。もう傘もいらないし。駅の階段登れなくなってからはタクシーばかり、電車は久し振りだ。



 夕顔亭鯰落語会の三十人程の客は、殆どが老人だった。CDの出囃子は鯰のものだったが、現れたのは左京より更に若い噺家。

「雨模様の中、お運び下さって有難く御礼申し上げます。長楽亭京蔵でございます。本日あたし鯰師匠と昼間ご一緒だったんですが、ちょっと師匠、気分を悪くされまして」
 酒かあ?野次が飛ぶ。

「控室の方で休んでおります。師匠復活まで暫くの間、お付き合いをお願いいたします」

「おい、兄さんの今夜の予定調べてくれ」
 兄弟子の京蔵は、こんなとこに来る筈もない売れっ子だ。今夜は代演、死神が答える。

 京蔵は「湯屋番」を語り始めた。じっくり本寸法なのは、鯰の酔いを醒ます時間稼ぎだろう。若旦那が風呂屋の番台で耽る妄想の噺を、滑稽味たっぶりに演る。爆笑が起こる。

「出棺の時、あんなに泣きじゃくってたのに」
 切り替え早いな、死神が呆れた様にいった。

「それが・・芸人さ」
 
 押し潰されて狂いそうな時でも、高座に上がれば笑う。ただ笑わせる。

「・・俺も、そうだった」
  


Posted by 渋柿 at 18:45 | Comments(0)

2014年01月05日

初夏の落葉9

「化けたなっていったよ、京治師匠」

 化ける。芸が豹変し、客に大受けする事。

「親父思い出したよってさ、入門以来初めて、褒められたんだ」
「聞いてた。名人京の輔と並べられたなあ」

「お前、ずっと取り憑いてたのか」
「ああ。もう一度声さえ出りゃあってお前、呻いてた時も・・見てた」

「それじゃ、お前、ひょっとして・・」

 体の違和感は随分前から感じていたが、医者にはいかなかった。
(思えば・・)

 日本全国、随分回った。といってもそれがハコものとその周辺、文化センターとか市民会館限定なのだから笑える。薩長土肥は江戸っ子の仇だと定席では嘯きつつ、鹿児島・山口・高知には裏を返したし、佐賀でだって四年前、文化会館で兄弟子と二人会を演った。

 兎に角、寄席や落語会が忙し過ぎた。

 豊島の下席でトリを取っていた去年の四月、突然噎せ、倒れた。水もうまく飲み込めないし、囁き声しか出ない。

 予定されていた連休五月頭の地方公演、栃木の落語会は色んなしがらみでキャンセルできず、不本意なままマイク音量で誤魔化そうとしたが、誤魔化し切れなかった。

 入院後も声は一向に戻らない。

 付き合いよくやつれた顔だったから随分思い悩んだのだろう、癌の浸潤が声帯の神経まで冒している、あかねは本当の診断を告げた。

(声戻すには年単位のリハビリが要るけど、命の方が、多分もう持たない・・か)

 余命半年を冷静に受け入れると、そこまで亭主を買い被りやがった。

「話してくれて・・ありがとう」
 仕方ない。隙間風の声で、カッコ付けて笑ってみせる。

 といっても声が出ない噺家じゃあ、もう手も足も出ない。お手上げだ、どうすりゃいいんだ。あの、取り敢えず誤魔化そうとして駄目だった不本意な噺が、最後の高座になっちまうのか。このまま手前にサゲも付けず、尻切れ蜻蛉に死ぬだけなのか・・深夜のベッドで、一人呻いた。

「お前なのか?奇跡だっていわれた。・・声、それと時間を、くれたのか?」

 肺癌の末期、ごく稀にはある事らしい。

「ああ・・本当は、十年くらい延ばしてやりたかったんだ。すまん、俺にゃあ半年が精一杯だった。神の字なんて付いちゃあいるけど、所詮下っ端なんだよ」

 それで連休にずれ込んじまったと頭を搔く。

「勝手なまねしたら、お前・・」
「なあに、貧乏神に転職すりゃ済む事だ」

「転職って・・」
「俺にゃあどうもそっちの方が性に合ってるみたいだし、男やもめんとこでお三どんでもするさ」

「そりゃ別の噺だろ」

 上方落語の「貧乏神」。柳小夢のおはこだ。
  


Posted by 渋柿 at 18:50 | Comments(0)

2014年01月04日

初夏の落葉8

「こんなんで噺家になるって決めたのかい」
 死神が、呆れたように左京を見る。

「・・まあな。親父は勘当だって喚いたけど」
「すけたいらな野郎だね、全く」

「二十年前京治師匠は、通し・・この続き最後までやった。廃れちまった後半までさ」
「太腿に手を、の続きかい?そいつは危ない」
 何いってやがる続きは凄惨なもんだ、と左京は道介の去った袖を見た。

「所帯持ったお花は、寺参りから行方知れずになる。ならず者に乱暴されて殺されるんだな。半七も襲われ、匕首が迫って・・」
 無残な死骸が揚がったのが、宮戸川だった。

「そりゃあ、ほんとに落語か?」
「落語だ。ちゃんと落ちる。夢落ち、それも取って付けた様な夢落ちでな。それを絵空事にしないってのが、芸さ。・・痺れたね」

 楽屋に押しかけ、弟子にしてくださいと土下座した。京治師匠は今の自分くらいの齢、水上左京の名を知っていて、卒業公演で貸席満員にした、伝説の落研さんだね、といった。

「あんた、仕事は?」
「辞めます」
「何だって、今頃・・」
「親がずっと反対しておりました。でも噺家になれなきゃ、土壇場で後悔します。噺家で死にたいんです。だから・・」

「親御さん、今は承知してくれたのかい?」

「それはまだですが・・私の人生です」

 そうかい、師匠は笑った。

「落研出なら、小田原相撲、知ってるね」
 プロと素人が、相撲を取る噺だ。

「落研の天狗じゃあ、この世界、通用しないって事をさ」
「はい」

「あたしは教える、あんたは習う。それは守って貰う。・・それにね、噺家になりゃ多分一生、金に縁はないよ。肚が括れるかい?」
「判りました」

 それから前座二年二つ目八年、真打は十年だった。

「ほんとはあの日、宮戸川演りたかったんだ」

 売れていようがいまいが噺家にとって、最後の高座は落語人生の締め括り。まくらを振って噺をして、きちんと落とす大事なサゲだ。

 師匠が五十で封印して譲られた「宮戸川」通し。一応客には受けた。だが持ち味の明るい語りが、深刻な場を上滑りにしてしまう。

 四月に入り更に急激に体力が落ち、これが最後の高座になるのは、間違いなかった。

 皮肉な事だが声も低く、暗くなっている。

 今なら、この声なら、凄惨な場面が語れる。

 あの時の師匠と同じ齢になっても、追いついたのが齢だけじゃ、死んでも死にきれない。

(やっぱり、瀬戸際になっちまったからだろうな)

 尊敬というより崇拝、全身全霊で傾倒してきた師匠、大看板の長楽亭京治に今迄こんな思いを抱いた事はない。が、今はただ・・最後に、師匠に牙をむき勝負を挑みたかった。

「でも無理でさ。で結局・・」

 もう高座で二十分、持たない。あの夢落ちは通しで一時間、後半だけでも三十分かかる。

(演れるもんなら・・そいで事情明かしてれば、我儘許してくれたかもしれないけど)

 代演相応、寄席の流れを壊さない短いネタを選ぶしかなかった。今の体力でも出来る、自分のサゲ・・どれにしよう。
出囃子に押されてどうにか座布団まで体を運び、客席を見た。そして・・決めた。

 代演まで風邪ひきですみません、夜遊びしてた訳じゃないんですけど・・と放蕩息子のネタに入った。「六尺棒」、師匠の父、昭和の名人京の輔が寄席でよくかけた噺だった。

 酷い風邪声だね、客席がざわついた。

「あの棒持って追っかけるの・・脂汗流してたけど、倅と頑固親父、抑揚だけで演じ分けてた。客も、笑ってたなあ」

「大師匠のこれ、子供の頃親父と聞いたんだ。能天気な息子と頑固で甘い父親、ありゃな、入門の頃の俺と親父、そのままさ。そりゃかなり辛かった。拍手で終われてよかったよ」

 色々あったけど、親父が俺を落語の世界に導いてくれたのは間違いない。

「心配したぜ。死神にも色々決め式予定があるんだ。十日も前に逝かれちゃ、こっちも困るんでな」
「芸人は、高座で死んでいいんだ」

「客は笑いに来てるんだ。洒落になるかい」
 そりゃそうだが、死神にいわれたくはない。
  


Posted by 渋柿 at 16:04 | Comments(0)

2014年01月03日

初夏の落葉7

「あたしの前に二十五歳の左京が現れたのは、木枯らしの季節の豊島の楽屋でした。四月中席、あたしの豊島の芝居に出てくれて、若手の代バネ、それがあいつの、最後の・・」 

 ほんの十日前なんです、それなのに・・師匠の葬儀委員長挨拶は、涙で途切れた。

「あたしの弟子はみな優秀で、どこへ出しても恥ずかしくないと思っております。その中でも左京はぴか一だった。惜しい、これから幾らでも、とんでもなく化ける筈の男だった」

 どんな事だって笑い飛ばすのが落語だろ。洒落にならない。肩が震えている。

「たった二十年。時間がなかった。残念です」

 人目も憚らず泣き崩れた。嗚咽が広がる。師匠、らしくねえ、皆もどうしちまったんだ。噺家の弔いってのは、そうじゃないだろ。
 
 喪主と葬儀委員長は位牌と遺影を捧げて車に乗った。クラクションが長く尾を引く。

「弔いも済んだし、これであの世に付いてきてもらわなきゃあなんないんだが・・」
 死神が、妙に優しい目をした。
「もう少し、この世に居てもいいんだぜ」

「いいのかい?」

「ああ、善人にゃ多少オプションがつく」
「俺あ善人かねえ」
「善人だから早死にしたんだ」
 
 人生五十年の古典落語の世界じゃ、そう早くもない。

「それじゃ・・行きたいとこが、ある」

 死神は、ちらと遠ざかるリムジンを見た。

「かみさんの側に、いなくていいのか」
「・・別れは、済んでる」
 感謝の気持ちだけは、伝えたつもりだ。

「どこ行きたいんだ?」
「俺が、最後に上がった場所・・」

「行ってどうする?辛いだけだと思うぜ」
 仕方ない、判ったよ・・死神が手を引いた。



「もう始まってる。何でだ?」
 死神が、目をぱちくりさせている。

 四つの定席で一番格下。休日というのに、相変わらず豊島演芸場の入りは悪い。 

 ここの旧館で師匠と出逢った。前座で初めて楽屋入りして、客引きまでやらされた。真打披露興行もした。改修前のお別れ公演も出たし、先月だって余一会で、大ネタの「井戸の茶碗」サゲまで演りとげた。そしてここが最後の高座。思い出が、染みついている。

「俺の葬式に、噺家惣揚げする貫録があるかい。代バネ・・まあ代演ってのもあるし」
「遣り繰りは、つくんだな」

「寄席は年中無休、葬式なんぞで休めない」
 その上、連休は噺家のかき入れ時だ。
「スケジュール調整、結構大変なんだぞ。全く、死神も噺家殺す、時期考えろ」

 ちょうど桂家道丸の弟弟子、二つ目の道介が古典の「宮戸川」を演っていた。

「お前に足袋履かせた奴じゃないか、こいつ」
「ああ・・」

 四月中席の代演の頃既に、いつ倒れてもおかしくなかった。そしてとうとう、こっちで高座を見てる。客席からは高座を見るなという決まりは、生きてる芸人だけの縛りだ。

「この宮戸川で、結局俺、噺家になったんだ」 
 二十年前、師匠の宮戸川を聞いた豊島演芸場は地下ではなく、駅からもうちょっと離れた路地裏にあった。
 
 高座の道介が、サゲに入った。半七がお花の柔肌に触れる。雪を晒して木賊を掛けた真っ白い太腿に、半ちゃんの手がすっと伸びた。お馴染みお花半七の馴れ初め・・

「ここまでお稽古したらお弔いの知らせ、道丸兄さん出かけてしまいまし・・あっ!」
 道介は、一瞬絶句して客席を凝視した。
「そのホトケ様、迷ってここに来てます」

 俺は、幽霊か?・・もう、幽霊なんだ。

 あの日降りてから、ほいよってこの道介にカゼとマンダラ渡した。汗滲みててびっくりしたかな。勉強熱心で、いつも袖からじっと高座を見てた。俺以上に遅い入門だから、真打になるのは四十近い。大変だろうけど道丸達と一緒に、ここで頑張るんだぜ。
  


Posted by 渋柿 at 16:40 | Comments(0)

2014年01月02日

6初夏の落葉

(楽屋花かぁ?)

 何だこりゃと突っ込みたくなる華やかな供花は、白菊の疎らな祭壇とはどうにもちぐはぐだった。どこの葬式に大輪の薔薇なんか飾るってんだ。西洋蘭、まるで温室じゃねえか。何考えてんだか、向日葵まで咲いてやがる。
 長楽亭左京葬儀告別式は、雨の中。死亡記事も出たし、木戸無料で続けてきた地元の会もある。参列者は予想より多かった。斎場の庭に、急遽テントが張られる。

「去年の秋でしたか、やっと退院できましたって寄席に戻ったのに」
「その後もすぐ、倒れてたそうですよ」
「知りませんでした。会もあちこち出てたし」
「病気が深刻って事、ぎりぎりまで隠して」
「噺も様子も、綺麗な人でしたねえ・・もう出ませんよ、あんな本寸法な噺家は」

 囁いている会葬者は、贔屓の寄席通だろう。

 読経。ガラガラガチャン、鐃はちが鳴り余り長くもない読経が済むと、ご焼香と声がかかり、ホールの戸が開いた。

 最初は喪主の女房と葬儀委員長の京治師匠。遺族席の兄と姉、連合い、甥姪達、あかねの親族も香を手向ける。続く噺家は大むね香盤順。

 中程に、若い噺家が立った。尖った視線を細い体に浴びている。道丸・・苦い思いが甦った。

(針の蓆だろ・・俺の葬式なんて)

 昇進試験の意外な結果に道丸は、一転悪役となってしまった。そしてへべれけで試験に来た左京は、なりゆきまるで悲劇の主人公。
 
 焼香の列が長く続き、やっと終わった。

「頑張るなんてやめようよぅ、どうせ世の中変りゃしないんだから・・そう思いません?」

 場違いな明るい声が響きわたった。出囃子部分は初めからカットされていたのか、追悼ビデオは唐突に始まった。
何だぁ?「ガンバレ」だ、酷いなあ、あの鯰師匠の?演るに事欠いて何で、左京さん本当に酔っ払ってるよ・・ざわつきは、すぐに愛想のない静けさに戻る。引いてる。そりゃそうだろう。ここは鯰ファン生息地じゃない。

 仁王立ちに奇声なんて、どこが本寸法な噺家だ。自分なり工夫と計算は凝らしたんだが、やり過ぎた。鯰と同じくらい・・狂ってる。

「結局この野郎がいい遺した言葉は・・笑っちゃいますけど、ガンバレ」

 サゲまで辿り着いてもシーンとしたまま、追悼放映お約束の、拍手もなかった。
 大ネタの古典落語で送って貰う筈だったのに・・悪気はなかったろうが、鯰が恨めしい。

「左京さんは、本当に芯から落語が好きな人でした」
 そしてとうとう、落語と心中してしまいました・・余計なお世話だ!

 頑固な美学とか、絶妙の話術、落語の天才とか、歯の浮く様な弔辞が続く。

(それなら何で生きてるうちいってくれなかったんだよう・・本当にそう思ってたなら)  

 それでもって幾らネタがアレだからって、仮にも追悼ビデオだぞ。高座には精魂込めたんだ。そりゃ弔いだ、爆笑しろってのも無茶だけど、拍手もないなんて随分じゃねえか。上等だ。京治の複製とか、食堂のサンプルだとか、いってたなあ知ってるんだ。

 最後のお別れを、と声がかかると、黒紋付の一団がどどどと押し寄せた。何だ?訳が判らない。追悼放映じゃつれない素振りで、ツンデレかよ。女子高生じゃあるまいし。

 前座が慌てて、スタンドの供花を総浚いする。

 既に酔っ払った鯰、それを支える兄弟子の長楽亭京蔵。楽屋で口もきかなかった奴、一遍張り倒してやりたかった野郎まで皆な啜り泣いて花を置く。道丸も、頬を濡らしカーネーションを置いていた。寄席の常連、地元の客。スイトピー、薔薇、西洋蘭・・質素な棺は、涙と共に何とも華やかな色で満たされる。

 水臭いで左京さん、黙ったままって・・最後に大輪の鹿子百合を置き号泣したのは、大阪から駆けつけた柳小夢だった。
  


Posted by 渋柿 at 16:09 | Comments(0)

2014年01月01日

初夏の落葉5

 遺体はどてっ腹にしこたまドライアイス置いて、エアコン効かせた座敷に寝かされていた。河岸の魚じゃあるまいし、本通夜まで斎場の冷蔵庫に突っ込んどきゃいいのによ。

 気丈の糸は、ぷつん。女房のあかねは、布団の中でぼろぼろ泣いていた。
 二日間、働き抜いた。

 手伝いの飯を作り、弔問客に茶、相手によっては酒を出す。香典の胸算用をして、葬式の段取りをつける。夜は夜で左京に寄り添いドライアイスを取り換え、線香を絶やさない。見かねた左京の兄姉達が、納戸に寝かせてくれた。
寝息まで、今度はこっちが飼猫のミミと寄り添った。

 やっと落語だけで喰える様になってきてたのに・・この猫と、置いてきぼり。

 一緒になった頃はまだ二つ目、寄席の割りじゃお米も買えなかった。イベントの司会、趣味が身を助けるギターやピアノの弾き語り、蕎麦屋に寿司屋・居酒屋での座興、必死で稼いだ。公民館では、前座噺から音曲色物・トリの大ネタまで全部一人でこなしたりもした。でも追いつかない。音楽大学を出て師範の免状も持つ筝曲奏者のあかねが、遣り繰りを支えてくれた。去年の今頃から繰り返した入退院、先のない、辛い看病をさせた。

 手に職があるのがせめてもだ。平均寿命で考えりゃ、あと四十年。長いだろうな。ミミもいるけど、猫は猫。いつかもうひと花咲かせる日があるなら・・それもいい。大変だろうけどこの世間の荒波、何とか頑張ってくれ。

「後悔先に立たず、だな」
 後を絶たず、ってとこか・・突然声がした。

「誰だ!」

 みゃあぉ、ミミが中空に鳴いた。

 人影が浮かんでいる。髪は古箒。頬はこけ、青白い顔。薄汚れた単衣にぼろぼろの帯。

「なんだ、お前か」
 厭になるくらい、こいつの役は演っている。
「枕元に居なくていいのか」

「息が切れちまったから、もういいんだよ」

 そのものずばり、死神が現れる噺がある。こいつが枕元に居たら、もう絶対助からない。

「まさか、本当にお前さんが出るとはなあ」
「これが、俺達の仕事さ」

「あの世に・・連行か」
「ああ、葬式が済んだらな。でもその前に」
 ちょっとテストを受けて貰う、死神は懐から紙と鉛筆を取り出した。

「何だ?テストだあ?」
「こっちい来な」
 
 みゃあ、なぜかミミまで付いてくる。

 姉達が綺麗に片付け引き上げた座敷、祭壇の線香も絶えていた。ドライアイスの交換までまだ間があるのか、前座が舟を漕いでいる。

(まさか間違いがあっちゃいけない、ってか)

 こっ恥ずかしいけど鴛鴦夫婦で通って来た。一人残ってしまったあかねが心配だったんだろう、余りない事だが、前座達は交替の不寝番を買って出ていた。

 マークシートになってるけど、チェックだけでもいいぞと死神が紙を渡す。
「何だ?酒が原因で仕事に支障を来たした事がありますか?はい、いいえ・・」
「正直に回答するんだぜ」

「何でこんなのやんなきゃならないんだ?」
「意味はない。ただの洒落・・」

「勘弁してくれよ。・・適量でやめようと思っても、つい酔い潰れるまで飲んでしまう事がありますか?酒癖が悪いといわれた事がありますか・・?何だこりゃあ!嫌がらせか」

「全部、当てはまってるか」
「大概の噺家は、当てはまらあ」

 はまらない奴を探す方が難かしい。

 びく、前座が動いて、左京は口を押えた。

「大丈夫だ、俺達は生きてるもんにゃあ見えないし、声も聞こえない」

(ミミは、感じてる様だがな・・)
 
  


Posted by 渋柿 at 18:49 | Comments(0)