2009年09月25日
「中行説の桑」31
匈奴の将の狙い通りというべきであろう。強烈な酒精は、説の中枢神経に「自白剤」めいた作用をあらわしている。
「ほう和蕃公主が」
「じゃが、みな死んでしまいました。卵から孵ったばかりで。当たり前じゃ。草も生えぬ漠縁で、食べる桑などあるものか」次ぎ次ぎに力尽きていった小蚕の姿が、瞼に甦った。
それはあの十一歳の夏の、病気で死滅した小屋の蚕に重なる。悲しみが、こみ上げた。
「それは気の毒な。袋の酒はまだあるぞ、どうじゃ」
「頂きます」
若い将は勧め上手、聞き上手だった。三杯目を干す頃には、説は公主が「折角嫁ぐなら背の君に面白い手土産を」と、蚕や桑を持ち出したいきさつを、洗いざらいしゃべっていた。
天空の月が、少しずつ傾いていく。
「惜しいことをした、絹の素であったに」と干肉を噛む将に、説は妙な絡み方をした。
「何の、絹のどこがよいものか」説は大声をあげた。中行説は酒をたしなまない。初めてといってもよい小心者の大酔は、見事な「からみ上戸」を作り上げている。
「この旅袴を見て下され」説は鉤裂きだらけの袴の右足を投げ出した。「絹を着て長城の外を行けば、茨の棘で馬に乗っておってもこの体たらくじゃ。わずか半月足らずでですぞ。絹など、ぺらぺらするばかりで身をまもってなどくれぬ。おう、皮がよい。匈奴の方々には皮の衣こそ相応しい。私も漠北に着きましたら皮衣を着させていただきます」
くだを巻きながら(これは昔、酪の小父さんがいっていたことだ・・)と思った。
「干肉、もっと下され」
説は将にねだった。将は苦笑して、塊ごと説の手に渡した。肉を左手に、右手の器をぐいと突き出す。
「酒も頂きますぞ。皮袋の中身は、まだまだ半分にもなっておらぬようじゃ」
酒を含み、肉を喰らう。幼い日、母が与えてくれた酪湯や干肉の味と匂いが、酔いの中に甦る。
「ほう和蕃公主が」
「じゃが、みな死んでしまいました。卵から孵ったばかりで。当たり前じゃ。草も生えぬ漠縁で、食べる桑などあるものか」次ぎ次ぎに力尽きていった小蚕の姿が、瞼に甦った。
それはあの十一歳の夏の、病気で死滅した小屋の蚕に重なる。悲しみが、こみ上げた。
「それは気の毒な。袋の酒はまだあるぞ、どうじゃ」
「頂きます」
若い将は勧め上手、聞き上手だった。三杯目を干す頃には、説は公主が「折角嫁ぐなら背の君に面白い手土産を」と、蚕や桑を持ち出したいきさつを、洗いざらいしゃべっていた。
天空の月が、少しずつ傾いていく。
「惜しいことをした、絹の素であったに」と干肉を噛む将に、説は妙な絡み方をした。
「何の、絹のどこがよいものか」説は大声をあげた。中行説は酒をたしなまない。初めてといってもよい小心者の大酔は、見事な「からみ上戸」を作り上げている。
「この旅袴を見て下され」説は鉤裂きだらけの袴の右足を投げ出した。「絹を着て長城の外を行けば、茨の棘で馬に乗っておってもこの体たらくじゃ。わずか半月足らずでですぞ。絹など、ぺらぺらするばかりで身をまもってなどくれぬ。おう、皮がよい。匈奴の方々には皮の衣こそ相応しい。私も漠北に着きましたら皮衣を着させていただきます」
くだを巻きながら(これは昔、酪の小父さんがいっていたことだ・・)と思った。
「干肉、もっと下され」
説は将にねだった。将は苦笑して、塊ごと説の手に渡した。肉を左手に、右手の器をぐいと突き出す。
「酒も頂きますぞ。皮袋の中身は、まだまだ半分にもなっておらぬようじゃ」
酒を含み、肉を喰らう。幼い日、母が与えてくれた酪湯や干肉の味と匂いが、酔いの中に甦る。
Posted by 渋柿 at 06:59 | Comments(2)