2009年09月08日

「中行説の桑」12

 進賢冠を被った男が、目を怒らせて立っていた。
(儒者か)まだ二十歳前の若さに見えた。
「棚や床の掃除はやむをえぬ。が、穢れた手でやたらと書物を扱うな」説の手から、竹簡がひったくられる。
「穢れた・・」
「宦官の分際で詩を読んでおったであろう。身の程をわきまえろ」
 口の中が塩辛い。殴られたときに切れたらしい。
「超衛、そう酷いことを申すな」もう一人、進賢冠の男が横から声を掛け、その手から竹簡を受け取った。
「酷い、だと」
「まだ子供ではないか。それに、小間用を弁ずる宦官どもが目に一呈字もなければ、陛下も太后もお困りになる道理じゃ。宦官だとて書は読みたかろうし、なあ」男は、同意を求めるように中行説を見た。
 説は深く頭を下げる。
「わかった、俺が悪かった。いらぬことをしてまったく手が穢れたわ」超衛と呼ばれた男は、憤然として立ち去った。
「困った奴だ」説を庇った男が、ため息をついた。「どうしてああ、頭が固いのかなあ」
「申し訳ござりませぬ」
「書が、好きか」
「はい・・」
「閹児・・じゃな」
「はい。呂通様・・燕王から奉られました」
「お前、親に売られたのか?」
 その通りである。しかし、口に肯定は・・したくなかった。
「済まぬ。要らぬ詮索じゃな。だがそなたも、掃除中に書を読むのは良くないぞ。ほれ、朋輩たちは一心に棚を拭いておる」
 そういいながら男は、手巾(ハンカチ)を取り出して説の口を拭った。純白の絹の手巾が自分の血で汚れたのを見て、説は恐縮した。
「しばらく押さえておった方がよいの。ああ、これは貸しておくよ。儂はたいがい毎日文禄閣かこちらに来ておる。あとで返してくれればよい」
「あの、お名を?」
「司馬喜。史官の卵でな」
「司馬喜様、でございますな」
(私と同じ二字姓だ)二字姓は、中華では珍しい。人の情けが身にしみる時は、そんなことでも嬉しかった。



Posted by 渋柿 at 17:32 | Comments(0)
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