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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年09月30日

「中行説の桑」41

 間諜・・スパイのことである。敵にはもちろん、味方のほとんどにも正体を知られてはならぬとあらば、他には考えられない。軍臣は否定しなかった。
(そうか)内心、説は頷いた。宿営を離れて蚕を埋めていた深夜に軍臣と出逢ったのは、軍臣が毎夜密かにその間諜と連絡を取っていたからに他ならない。 
「なぜ、その者を私に引き合わされます?」
「お逢いしたい、とその者のたっての願いでした。公主様に浅からぬゆかりあれば、と」 
 公主は空を見た。月光に負けず血のように赤く輝いていた星は、今にも山の端に消えようとしている。
「誰も知ってはならぬ」
という間諜が、まもなくここへ現われる。
(単于と太子しか知ってはならぬことを、知ってしまう)説は慄然とした。
 この場を逃げ出したかった。匈奴の機密など興味もない。知りたくもない。漢の公主付の宦官が知ってよいことでもない。(私は・・殺される)
 そっと、公主のほうを見た。こめかみに汗が浮いている。
(かなりご気分が悪いのを、耐えていらっしゃる)逃げるわけにも行かなかった。
 公主は、単于の妻・太子の義母ともなる身である。考えあって軍臣がその諜人を引き合わせるのだから、無論機密を知ってもその身は無事であろう。だが・・
(仕方がない。私は公主様の側を離れることはできない。宦官や侍女は、昔からよくこんな目にあうものさ・・)小心者なりに、覚悟を決めた。
「あの・・」軍臣に呼びかけた。
「何かな」
「私は桑畑の婢(はしため)、でしょうか?」
「桑畑の、婢?」軍臣はきょとんとして、がたがたと震える中行説を見た。
  


Posted by 渋柿 at 16:29 | Comments(0)

2009年09月30日

「中行説の桑」40

「はい。匈奴のため、素晴らしき手土産をご用意くださったと・・酒を強いて中行説の口を割らせました」
「中行説を飲み潰すなど、赤子の手をひねるようなものだったでしょうね。でも、その蚕はみな、死んでしまいました」公主は、悲しい目をした。
「しかし、わが父の妻となるお覚悟、はっきりわかりました」
 漢兵の天幕の辺りから、にぎやかな声が聞こえ始めた。
「お人払い、なさいましたのね」
「実は・・公主様に引き合わせたいものがおりまして」
「引き合わせたいもの?どなたであろう」
 軍臣はすぐには答えず、しばらく空を見ていた。十六夜の月の光にもかかわらず、大河のさざ波のように星が瞬いている。
「今しばらくお待ちください」
「太子は星を読まれるのか」思わず説は、裏返った声を挙げた。
 星や太陽月の運行で季節時刻を知る知識は、漢の宮廷でもごく一部のものしか知らぬ。
「いえ、待ち人は読星に習熟しておりますが、私はその者に初歩を習っただけで。火曜(火星)が沈む頃、ここに参ることになっております」
 宿星(恒星)は一日でほぼ元の位置に戻ってくる。だが火曜・太白星(金星)や箒星(彗星)の出没運行は甚だしく不規則である。その不規則さに「天」の意思が顕われると信じた古代中国では、惑星の習合や彗星の出現を観測し、それを予測する天文学の萌芽があった。だが、その知識は漢でも宮廷の大史と呼ばれる専門集団が独占している。
 軍臣は、その知識で「引き合せたい者」が、ここに現われる時間をあらかじめ定めていたのだ。驚くべきことであった。
「漠北の単于の許から来られるのですか?」
「いいえ、その者は獏縁からずっとわが隊と、付かず離れず動いております」
「なぜ一緒に動かれぬので?」
「事情がございまして、その者は日常身を窶して暮らしております。その真の姿を知るは父単于と我のみ。我の家来初め何人も、知ってはならぬことなのです」
「そのお方は間諜ですね」公主がいった。
  


Posted by 渋柿 at 07:49 | Comments(0)