2009年09月06日

「中行説の桑」7

「酪はそうやって作るんだってなあ。根気が要るんだろ?半日も振るのかね」
「いやあ、酪の塊作るにゃ、そんなに時間はかからんよ。半日の半分のまた半分くらいさ。でも腕は疲れる。だから交替で作る。で、酪も油だろ、瓢箪を湯で温めりゃ融けて流れて、それをまた固めて。そのままでも食えるし、こうやって絹にも化けるってことさ」男は、傍らの二匹の絹を大事そうに撫でた。
「小父さん、本当に蚕の卵が欲しいの?」説が、恐る恐る聞いた。
「坊や、どうしてそんなことを聞くんだい」
「だって、小父さんが自分で絹を作れるようになったら、おうちに酪がもらえないもの」説の答に、小屋の大人たちは一斉に笑った。
「そりゃ、俺たちゃ漢の絹が、喉から手が出るほど欲しいさ」
「まあ、そちらもお一つ。疲れが取れるよ」
 母は、絹と替えたばかりの馬乳酒を、少量湯にといて酪さんに差し出した。馬乳酒は、蚕小屋を消毒する酎と同じくらい強い。もっとも味は、「較べ物になどなるものか」と父が言うほど、格段に旨いらしいが。
「おお、こりゃ有難い」酪さんは目を細める。
「おい、俺にもくれよ」
「あいよ」母は父にも器を渡した。
 酪さんは酒を飲みながらいう。
「漢の王様・・皇帝っていうんだっけ、今は前の皇帝のお袋さんが威張って指図してなさるそうだね・・俺たちが欲しがる絹を駆け引きの切り札にしてなさるから、絹と酪なんかの交易には目こぼししてもなあ、蚕の卵や餌の桑の種の持ち出しは一切、固く禁じてなさるのさ」そういってぐびりと飲み干す。
「あの、漢の高祖様が大負けなさったあんときも、匈奴のお妃にこっそり絹の賂(まいない)をして、ようやく命だけは助かったんだったねえ」 今まで微笑みながらやり取りを聞いていた祖母が、話に加わった。
「ああ、匈奴でも、絹を実際身につけるのは王様・・単于って俺たちの言葉じゃいうんだがね・・の身内か位の高い家来の家族さ。だって草原にゃ茨もあれば棘のある樹も生えてるんだ。絹なんか着てたらぼろぼろになっちまう。やっぱり俺たちゃ皮が一番さ」
「そりゃそうだろうな。俺たちだって絹なんか自分で着はしないもの」父はいう。
 説たち家族全員の衣類は麻である。絹一匹でその五倍から十倍以上の麻と交換できるのだと、いつか母がいっていた。



Posted by 渋柿 at 06:19 | Comments(0)
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