2009年09月09日
「中行説の桑」13
「お前の名は?」
「中行説と申します」声を弾ませて答えた。
沐休、という。皇帝の在す宮中に仕えるものは、身を清浄に保たねば成らぬ・・ということだろう。官衙に勤める宰相初め官吏もから中行説たち見習い宦官まで、沐浴のためという名目で六日に一度休みがあった。
借りた絹の手巾を司馬喜に返したのは、あの三日後の説の沐休の日だった。
この前のことがことである。宦官の身で石渠閣に入るのも憚られ、入り口の物陰で待っていると、幸い程なく司馬喜は現れた。
「申し訳ございません。洗ったのですが・・染みになってしまいました」
「よいよい、気にするな」司馬喜は鷹揚に手巾を受け取った。「今日は沐休か?」
「はい」
「それはよい。儂も今日は沐休でな・・ちょっと待っておれ」司馬喜は一旦閣内に入り、すぐに竹簡を二束ほど抱えて出てきた。「詩経は全部読んだのかな?」
「とてもとても。うちに書物はございませんで、父が自分の覚えている分をぽつりぽつり教えてくれたくらいのものでございます」
「親の生業はなんじゃな?」
「蚕を飼って絹を織っておりました」
「学のある蚕飼殿じゃなあ。中行という姓というたが、もしやあの晋六卿中行恒子の?」
「末裔だと父は申しますが、さてまことか否か・・」
「・・ついて来い」司馬喜は楼閣の裏の、四、五本の楡の大木の木陰に説をいざなった。 秋、風が心地よい。
「石渠閣の中では大声は出せぬし、この前の超衛のような石頭もおるでなあ。ここが良い。わがお浚いも兼ねての、これからお前に学問を講じたいのじゃが、どうかな」
「え、私に学を授けて下さると・・」
「わが家はそちの家よりいま少し由来が古くての、周の御世、王室の記録を司っていたそうじゃ」
「え、あの堯舜の御世に発する黎の司馬氏で」
「少なくともわが親父殿はそう信じておるのよ。何処も同じじゃな」説は返事に困った。
「恵王の頃は晋にも仕えていたというからの、そちの先祖とわが先祖、意外と知り合いだったかも知れんぞ」そういいながら司馬喜は楡の太い根元に腰をかけた。竹間を足元に置こうとして手を止める。「見ろ、ここに天下の勇士がおる」
「中行説と申します」声を弾ませて答えた。
沐休、という。皇帝の在す宮中に仕えるものは、身を清浄に保たねば成らぬ・・ということだろう。官衙に勤める宰相初め官吏もから中行説たち見習い宦官まで、沐浴のためという名目で六日に一度休みがあった。
借りた絹の手巾を司馬喜に返したのは、あの三日後の説の沐休の日だった。
この前のことがことである。宦官の身で石渠閣に入るのも憚られ、入り口の物陰で待っていると、幸い程なく司馬喜は現れた。
「申し訳ございません。洗ったのですが・・染みになってしまいました」
「よいよい、気にするな」司馬喜は鷹揚に手巾を受け取った。「今日は沐休か?」
「はい」
「それはよい。儂も今日は沐休でな・・ちょっと待っておれ」司馬喜は一旦閣内に入り、すぐに竹簡を二束ほど抱えて出てきた。「詩経は全部読んだのかな?」
「とてもとても。うちに書物はございませんで、父が自分の覚えている分をぽつりぽつり教えてくれたくらいのものでございます」
「親の生業はなんじゃな?」
「蚕を飼って絹を織っておりました」
「学のある蚕飼殿じゃなあ。中行という姓というたが、もしやあの晋六卿中行恒子の?」
「末裔だと父は申しますが、さてまことか否か・・」
「・・ついて来い」司馬喜は楼閣の裏の、四、五本の楡の大木の木陰に説をいざなった。 秋、風が心地よい。
「石渠閣の中では大声は出せぬし、この前の超衛のような石頭もおるでなあ。ここが良い。わがお浚いも兼ねての、これからお前に学問を講じたいのじゃが、どうかな」
「え、私に学を授けて下さると・・」
「わが家はそちの家よりいま少し由来が古くての、周の御世、王室の記録を司っていたそうじゃ」
「え、あの堯舜の御世に発する黎の司馬氏で」
「少なくともわが親父殿はそう信じておるのよ。何処も同じじゃな」説は返事に困った。
「恵王の頃は晋にも仕えていたというからの、そちの先祖とわが先祖、意外と知り合いだったかも知れんぞ」そういいながら司馬喜は楡の太い根元に腰をかけた。竹間を足元に置こうとして手を止める。「見ろ、ここに天下の勇士がおる」
Posted by 渋柿 at 06:35 | Comments(0)