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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年09月16日

「中行説の桑」17

 三か月前公主が長楽宮に迎えられたとき、ひょんなことでこの新公主の話し相手をするようになった。
「中行説、そなたたしか燕の育ちじゃったなあ」 長楽宮の廊下で、宦官令(宦官の長官)となっている張沢から声をかけられた。
 若い頃から下の者の面倒見がよく、慕われていた。人徳の結果として宦官たちの上に立っているのである。
「はい」説は答えた。
「燕の酪を知っておるか?」
「燕の酪でございますか。牛の乳から脂を取り出したあの・・はい、燕というよりは匈奴の酪でございますが、存じております」
「やはり、都の酪とは違うのじゃなあ。儂も燕の生れじゃそうしゃが、赤子の内にこちらへ来たでなあ」
(この人も、宦官になるまでにはいろいろな事情があったらしいな)
 説は、四十路に近い上司の、丸く盛り上がった肩の辺りを見た。宦官は中年期には肥満する。そしてなぜか老年になれば恐ろしくやせ、皺だらけとなる。それは、説の未来も同様であるが。秦の始皇帝に仕えた宦官趙高が、その性向の一方の代表であろう。始皇帝の遺言を偽造してその長子を刑死させ、己が偽立した二世皇帝を篭絡し馬鹿呼ばわりした挙句に暗殺した。
宦官とは陰険で節操なく貪欲冷淡なものという通念はこの時代にも確かにある。だが、目の前の宦官令は、およそ他の時代なら「宦官とは思えぬ」底抜けの好人物であった。
(まったくこの人には子供の頃から、陰になり日向になりどれほど庇ってもらったか判らない)覚えず、小腰をかがめる。
一つには「仁孝寛厚」といわれたかつての代王、後におくり名された文帝の存在が、このような宦官をそのトップに生んだのかもしれなかった。
「私も、長安に来て少し驚きました。こちらでは牛の乳を煮詰めたものを酪と呼んでおりましたので」
 この「酪」は現在でいう練乳である。
「実はな、困っておるのだ。今度燕からみえられた公主様がな、湯にといた酪を飲みたいとおっしゃってなあ。長安の酪を差し上げたのじゃが『これは酪ではない』と大変なおむずがりでなあ」
「匈奴の酪をお好みですか」少しほっとした。
 皇帝の一族に生れた娘が、長城を越えて異郷に嫁ぐのだ。その娘が匈奴の食物を好むと聞けば、救われたような気になる。
  


Posted by 渋柿 at 23:22 | Comments(0)