2009年09月11日
「中行説の桑」16
二
「ええっ、蚕種と桑の種をお持ちになりたいですと」中行説は大声を上げそうになり、思わず口を手で押さえた。
「大丈夫ですよ。ここは未央宮ではありませんもの」和蕃公主は、笑った。
皇后以下の皇族の女性や妃嬪が住まう宮殿、長楽宮。たしかに皇帝の常の座所であり、多くの官人が執務する場でもある未央宮とは違う。ここに仕えるのは女官と宦官のみである。それに、公主は人払いを命じている。
今二人がいる公主の居室の石の露台は広く、それに続く庭も一面に見晴らしが効く。なんびとも、説や公主に気付かれず近付くことは不可能であった。
「だが、壁に耳ありと申しますれば・・」
「確かに、誰にも秘密にしなければなりませんね」公主も頷いた。
「蚕種も勿論でございますが桑の種も、塞の外に持ち出すのはきつい国禁でございます」
「それをいえば、そもそも匈奴と漢人の交易にしてからが国禁でしょう。でもほとんど大っぴらに、交易の匈奴が長城を出入りしているそうではないですか」
「絹と肉や毛皮を交換するのとは訳が違います。極刑の、正真正銘の国禁でございます」
秋は深い。宮殿のあちこちに植えてある桂(金木犀)の香りが、漂っている。
白登山の戦いで高祖を惨めに敗走させた匈奴の冒頓単于の死去、子の老上単于の即位の報は、今年の春長安にもたらされた。後に文帝と追号される皇帝は、劉氏宗族の中から匈奴に嫁ぐ娘を募った。そして選ばれたのは、呂氏が滅びた後に燕の王となった、劉氏一族、燕王劉沢の娘であった。いや、選ばれたというより、劉沢親娘の自薦が通ったというべきであろう。
劉沢。高祖劉邦の本家筋とも、曽祖父が兄弟であったともいう。遠縁ながら呂后時代にはその妹の娘を妻にして生き延び、呂氏打倒の後は有力であった高祖の嫡長孫を退けて文帝の即位に貢献した。そのそして功によって燕王に封じられたのである。
公主文帝はこの燕王劉沢庶腹の娘に「和蕃公主」という名を与えて養女とした。そしてこの養女を、老上単于に嫁がせると発表した。
和蕃とは蕃族つまり匈奴との和親、公主とは皇帝の娘、内親王という意味である。
高祖の敗戦以来、表面は匈奴を「兄」と敬ってきた漢であった。その上現皇帝は匈奴と境を接する地方王の経験があり「外交も内政も、無理をせず国を休ませる」という「黄老無為の道」は即位以来一貫してぶれていない。
内政では農耕と養蚕を手厚く保護奨励してきた。そして外交も、この公主入輿で更に親善に努めようというのだ。
今中行説と向き合っているのが、その選ばれた当の本人の和蕃公主である。
「ええっ、蚕種と桑の種をお持ちになりたいですと」中行説は大声を上げそうになり、思わず口を手で押さえた。
「大丈夫ですよ。ここは未央宮ではありませんもの」和蕃公主は、笑った。
皇后以下の皇族の女性や妃嬪が住まう宮殿、長楽宮。たしかに皇帝の常の座所であり、多くの官人が執務する場でもある未央宮とは違う。ここに仕えるのは女官と宦官のみである。それに、公主は人払いを命じている。
今二人がいる公主の居室の石の露台は広く、それに続く庭も一面に見晴らしが効く。なんびとも、説や公主に気付かれず近付くことは不可能であった。
「だが、壁に耳ありと申しますれば・・」
「確かに、誰にも秘密にしなければなりませんね」公主も頷いた。
「蚕種も勿論でございますが桑の種も、塞の外に持ち出すのはきつい国禁でございます」
「それをいえば、そもそも匈奴と漢人の交易にしてからが国禁でしょう。でもほとんど大っぴらに、交易の匈奴が長城を出入りしているそうではないですか」
「絹と肉や毛皮を交換するのとは訳が違います。極刑の、正真正銘の国禁でございます」
秋は深い。宮殿のあちこちに植えてある桂(金木犀)の香りが、漂っている。
白登山の戦いで高祖を惨めに敗走させた匈奴の冒頓単于の死去、子の老上単于の即位の報は、今年の春長安にもたらされた。後に文帝と追号される皇帝は、劉氏宗族の中から匈奴に嫁ぐ娘を募った。そして選ばれたのは、呂氏が滅びた後に燕の王となった、劉氏一族、燕王劉沢の娘であった。いや、選ばれたというより、劉沢親娘の自薦が通ったというべきであろう。
劉沢。高祖劉邦の本家筋とも、曽祖父が兄弟であったともいう。遠縁ながら呂后時代にはその妹の娘を妻にして生き延び、呂氏打倒の後は有力であった高祖の嫡長孫を退けて文帝の即位に貢献した。そのそして功によって燕王に封じられたのである。
公主文帝はこの燕王劉沢庶腹の娘に「和蕃公主」という名を与えて養女とした。そしてこの養女を、老上単于に嫁がせると発表した。
和蕃とは蕃族つまり匈奴との和親、公主とは皇帝の娘、内親王という意味である。
高祖の敗戦以来、表面は匈奴を「兄」と敬ってきた漢であった。その上現皇帝は匈奴と境を接する地方王の経験があり「外交も内政も、無理をせず国を休ませる」という「黄老無為の道」は即位以来一貫してぶれていない。
内政では農耕と養蚕を手厚く保護奨励してきた。そして外交も、この公主入輿で更に親善に努めようというのだ。
今中行説と向き合っているのが、その選ばれた当の本人の和蕃公主である。
Posted by 渋柿 at 07:00 | Comments(0)