2011年04月21日
劉禅拝跪(最終回)
「諸葛京のことでございますが・・」
司馬昭は池の睡蓮の方を見ながら、いった。
「母と共に、河東に流しました」
「それは・・致し方ありますまい」
諸葛京は、孔明の子諸葛瞻の次子である。父と兄の諸葛尚は、摩天嶺を越えて攻め込んだ鄧艾の軍と戦い、玉砕した。幼い諸葛京は父や兄と共に従軍せず成都に残っていた。諸葛尚と京の母は劉禅の娘、諸葛京は劉禅にも孫にあたる。
「一、二年お待ちくだされ。必ず洛陽に呼び寄せ、ゆくゆく、然るべき官に付けまする」
「それは・・有難き事・・」
「諸葛孔明の血筋、疎かにはいたしませぬ」
劉禅は、暫く風に揺れる柳を見ていた。晋王と前蜀帝の間に沈黙が流れる。
「晋王殿・・そのご配慮、同じく流罪にされた鄧艾の孫達にも賜れませぬか」
劉禅がいった。おそらく司馬昭は間諜から、鄧艾謀叛は無実、という報告を受けていよう。
「鄧艾の婦と鄧忠の子等、本来ならば誅しておりました」
司馬昭は、目を閉じていった。
「それは・・」
「劉禅殿、姜維の暴走に、手を焼かれたのではなかったかな」
瞑目のまま、司馬昭はいう。
「それでも、ぎりぎりのところで劉禅殿の詔には服したゆえ、蜀は平穏に似た焉りを迎えましたがの」
「姜維の、暴走・・」
「兵権を握り大軍を擁した将に京師の掣肘が効かねば、天下はまた乱れる。将の暴走は二度とあってはならぬのです」
「では、これからのために・・鄧艾を」
(見せしめの、生贄・・)
「劉禅殿は、鄧艾親子の最期、ご存知か」
「いえ、虜囚の悲しさ・・鐘会の乱の直後の混乱の中で、亡くなったとのみ」
腹心の将に裏切られ、斬殺されたなどという噂は、信じたくなかった。
青葉東風が、小亭を吹き抜ける。司馬昭が目を開いた。
「儂も、そう長くはないような」
司馬昭が呟いた。
「眩暈がな、頻りと致しまする。はは、鄧艾とも、もうすぐ逢えますな」
「晋王殿・・」
王太子司馬炎も三十路、後顧に憂いはなかろう。最終的に魏を簒奪して即位するのは、司馬昭でなくともよい。
「宴席に戻りましょうかの」
司馬昭は立ち上がる。劉禅もその後に続く。
「劉禅殿」
小亭の階(きざはし)に足をかけ、司馬昭は振り返った。
「鄧艾親子は、見事な自害だったそうな」
「えっ」
「幾万の配下を、命かけて守りました」
今や呉も、僅かに余喘を保つのみ。鄧艾、字は士載・・百年の乱世の幕を引いた、どえらい男でございましたな、というと、司馬昭は拱手して深く叩頭した。劉禅も、その背後で拝跪する。
(鄧艾殿、司馬昭殿が貴公に一礼を捧げられましたぞ)
汚名のまま、眠ってよい貴公ではない。
(今は・・晋王と我が一礼、どうか受けてくだされ)
泉水を隔てた宴席からこの亭を見る客の目には、階を下る司馬昭に拝跪しているように見える筈であった。それはそれで、失笑は誘おうが不審ももたれぬ。望むところ。敬し拝する心は、泉下の鄧艾だけに届けばよい。 .
司馬昭は池の睡蓮の方を見ながら、いった。
「母と共に、河東に流しました」
「それは・・致し方ありますまい」
諸葛京は、孔明の子諸葛瞻の次子である。父と兄の諸葛尚は、摩天嶺を越えて攻め込んだ鄧艾の軍と戦い、玉砕した。幼い諸葛京は父や兄と共に従軍せず成都に残っていた。諸葛尚と京の母は劉禅の娘、諸葛京は劉禅にも孫にあたる。
「一、二年お待ちくだされ。必ず洛陽に呼び寄せ、ゆくゆく、然るべき官に付けまする」
「それは・・有難き事・・」
「諸葛孔明の血筋、疎かにはいたしませぬ」
劉禅は、暫く風に揺れる柳を見ていた。晋王と前蜀帝の間に沈黙が流れる。
「晋王殿・・そのご配慮、同じく流罪にされた鄧艾の孫達にも賜れませぬか」
劉禅がいった。おそらく司馬昭は間諜から、鄧艾謀叛は無実、という報告を受けていよう。
「鄧艾の婦と鄧忠の子等、本来ならば誅しておりました」
司馬昭は、目を閉じていった。
「それは・・」
「劉禅殿、姜維の暴走に、手を焼かれたのではなかったかな」
瞑目のまま、司馬昭はいう。
「それでも、ぎりぎりのところで劉禅殿の詔には服したゆえ、蜀は平穏に似た焉りを迎えましたがの」
「姜維の、暴走・・」
「兵権を握り大軍を擁した将に京師の掣肘が効かねば、天下はまた乱れる。将の暴走は二度とあってはならぬのです」
「では、これからのために・・鄧艾を」
(見せしめの、生贄・・)
「劉禅殿は、鄧艾親子の最期、ご存知か」
「いえ、虜囚の悲しさ・・鐘会の乱の直後の混乱の中で、亡くなったとのみ」
腹心の将に裏切られ、斬殺されたなどという噂は、信じたくなかった。
青葉東風が、小亭を吹き抜ける。司馬昭が目を開いた。
「儂も、そう長くはないような」
司馬昭が呟いた。
「眩暈がな、頻りと致しまする。はは、鄧艾とも、もうすぐ逢えますな」
「晋王殿・・」
王太子司馬炎も三十路、後顧に憂いはなかろう。最終的に魏を簒奪して即位するのは、司馬昭でなくともよい。
「宴席に戻りましょうかの」
司馬昭は立ち上がる。劉禅もその後に続く。
「劉禅殿」
小亭の階(きざはし)に足をかけ、司馬昭は振り返った。
「鄧艾親子は、見事な自害だったそうな」
「えっ」
「幾万の配下を、命かけて守りました」
今や呉も、僅かに余喘を保つのみ。鄧艾、字は士載・・百年の乱世の幕を引いた、どえらい男でございましたな、というと、司馬昭は拱手して深く叩頭した。劉禅も、その背後で拝跪する。
(鄧艾殿、司馬昭殿が貴公に一礼を捧げられましたぞ)
汚名のまま、眠ってよい貴公ではない。
(今は・・晋王と我が一礼、どうか受けてくだされ)
泉水を隔てた宴席からこの亭を見る客の目には、階を下る司馬昭に拝跪しているように見える筈であった。それはそれで、失笑は誘おうが不審ももたれぬ。望むところ。敬し拝する心は、泉下の鄧艾だけに届けばよい。 .
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2011年04月21日
劉禅拝跪(15)
魏の景元五年(二六四)が、改元により咸熙元年となった五月。
「劉禅殿、ちと庭を散策しましょうかの」
初夏、そろそろ炎暑の兆しを見せ始めた洛陽の、晋王司馬昭の王宮である。大将軍司馬昭は去年臘月、それまで謙譲の態で固辞し続けていた晋公の位を受け、今年始めには晋王となった。魏公から魏王となり漢を簒奪した曹氏と全く同じ道を歩んでいる。長く続いた魏呉蜀の三国鼎立も、蜀は魏に降り、その魏は晋に簒奪されようとしている。
統一の途上、残るは呉のみである。
魏に降った劉禅は洛陽に連行された。父劉備が生れた地である所縁で幽州安楽県の安楽公に封じられたが、そこに赴任できるわけではない。身は、洛陽に幽閉されたままである。
今日の宴は、司馬昭の招きによる。
劉禅は主賓であった。蜀の音楽が奏されて、艶やかな妓女が舞う。蜀の旧臣が落涙していたときにも劉禅は笑っていた。
新たに王太子に冊立した長子の司馬炎を傍らに座させた司馬昭が、
「蜀を思い出されることでござろうな」
と尋ねたが
「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」
と答えた。
無論、酒は飲まない。鄧艾との誓いは破れぬ。皮袋に手巾を詰めて懐中した。爵を挙げてはそっと袋に酒を吸わせる。
鄧艾に禁酒を誓った日からが、劉禅の真の戦いであった。己を縛らせた。酒への乾きにのた打ち回った。・・そして勝った。
陪席していた旧臣に目配せした。心得て、臣は座の耳に届くか否か、微妙な声音でいう。
「公、あのような問いがあれば、先祖の墳墓も蜀にありますので西のくにを思って悲しまぬ日とてありませぬ、とお答えください」
ほう、と司馬昭がこちらを見た。
一曲が終わり、司馬昭はまた、
「蜀を思い出されることでござろうな」
と問う。
今度は臣に言われた通りを答えた。同席した魏臣が失笑する。
その直後、である。
「いかがでござろう、酔い覚ましに」
「はい、お供いたします」
廊から宮の階を降り、宴席の向こう、泉水の設えられた庭の小亭に招じられる。
「そなたら、外せ」
司馬昭は、扈従して来た二人の卒を下がらせた。どこぞ病か?とふと思った。皮膚に艶がなく、眼の下が黒ずんでいる。しかし、眼光と声音には、刃のような鋭さを隠している。
「良い庭でございますな」
劉禅は褒めた。柳や柏が青々と茂り、水面には睡蓮が咲いている。
「劉禅殿の賢には及びませぬ」
「我が、賢?」
きつい皮肉だ、と思った。
「先ほどより懐の皮袋が、大分聞こし召されたご様子」
「は、お見通しでございましたか」
「はは、劉禅殿、ここでは韜晦は無用でございますぞ」
司馬昭は笑う。
亭は柱と屋根のみ、壁はない。二人の姿は丸見えであるが、近付く者もまた見える。何びとも、二人の話を盗み聞くことはできぬ。
「ご存知でしたか」
予感は、あった。
「酒毒から立ち直られたと」
「鄧艾殿のお陰で・・」
「存じております」
(間諜の報告・・)
敵方ばかりではなく、味方の部下の許にまで細かく直属の間諜を放ち、すべてを掌握しているという噂は、本当らしい。
当然、自分が監禁されていた後殿にも、その眼は光っていたのであろう。
「もっと早く、降るべきでしたが」
「何の、お陰をもち犠牲少なく済みました」
俯く胸元の皮袋から、酒精が匂う。 .
「劉禅殿、ちと庭を散策しましょうかの」
初夏、そろそろ炎暑の兆しを見せ始めた洛陽の、晋王司馬昭の王宮である。大将軍司馬昭は去年臘月、それまで謙譲の態で固辞し続けていた晋公の位を受け、今年始めには晋王となった。魏公から魏王となり漢を簒奪した曹氏と全く同じ道を歩んでいる。長く続いた魏呉蜀の三国鼎立も、蜀は魏に降り、その魏は晋に簒奪されようとしている。
統一の途上、残るは呉のみである。
魏に降った劉禅は洛陽に連行された。父劉備が生れた地である所縁で幽州安楽県の安楽公に封じられたが、そこに赴任できるわけではない。身は、洛陽に幽閉されたままである。
今日の宴は、司馬昭の招きによる。
劉禅は主賓であった。蜀の音楽が奏されて、艶やかな妓女が舞う。蜀の旧臣が落涙していたときにも劉禅は笑っていた。
新たに王太子に冊立した長子の司馬炎を傍らに座させた司馬昭が、
「蜀を思い出されることでござろうな」
と尋ねたが
「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」
と答えた。
無論、酒は飲まない。鄧艾との誓いは破れぬ。皮袋に手巾を詰めて懐中した。爵を挙げてはそっと袋に酒を吸わせる。
鄧艾に禁酒を誓った日からが、劉禅の真の戦いであった。己を縛らせた。酒への乾きにのた打ち回った。・・そして勝った。
陪席していた旧臣に目配せした。心得て、臣は座の耳に届くか否か、微妙な声音でいう。
「公、あのような問いがあれば、先祖の墳墓も蜀にありますので西のくにを思って悲しまぬ日とてありませぬ、とお答えください」
ほう、と司馬昭がこちらを見た。
一曲が終わり、司馬昭はまた、
「蜀を思い出されることでござろうな」
と問う。
今度は臣に言われた通りを答えた。同席した魏臣が失笑する。
その直後、である。
「いかがでござろう、酔い覚ましに」
「はい、お供いたします」
廊から宮の階を降り、宴席の向こう、泉水の設えられた庭の小亭に招じられる。
「そなたら、外せ」
司馬昭は、扈従して来た二人の卒を下がらせた。どこぞ病か?とふと思った。皮膚に艶がなく、眼の下が黒ずんでいる。しかし、眼光と声音には、刃のような鋭さを隠している。
「良い庭でございますな」
劉禅は褒めた。柳や柏が青々と茂り、水面には睡蓮が咲いている。
「劉禅殿の賢には及びませぬ」
「我が、賢?」
きつい皮肉だ、と思った。
「先ほどより懐の皮袋が、大分聞こし召されたご様子」
「は、お見通しでございましたか」
「はは、劉禅殿、ここでは韜晦は無用でございますぞ」
司馬昭は笑う。
亭は柱と屋根のみ、壁はない。二人の姿は丸見えであるが、近付く者もまた見える。何びとも、二人の話を盗み聞くことはできぬ。
「ご存知でしたか」
予感は、あった。
「酒毒から立ち直られたと」
「鄧艾殿のお陰で・・」
「存じております」
(間諜の報告・・)
敵方ばかりではなく、味方の部下の許にまで細かく直属の間諜を放ち、すべてを掌握しているという噂は、本当らしい。
当然、自分が監禁されていた後殿にも、その眼は光っていたのであろう。
「もっと早く、降るべきでしたが」
「何の、お陰をもち犠牲少なく済みました」
俯く胸元の皮袋から、酒精が匂う。 .
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2011年04月20日
劉禅拝跪(14)
「私には槍もございますれば。あっ、これ、鄧忠殿にもそなたの剣を」
傍らの卒に命じる。だが・・
「いや。鄧忠に剣は、い、要らぬ」
「えっ!」
「父上!」
鄧忠は父の顔を見つめた。驚きは一瞬で消えた。微かに笑い、頷く。
鄧艾は一旦腰に帯びた剣を、また外した。呆然としている田続の手に、剣を渡す。
「で、田続、我が佩剣をもって、命ずる。我等親子の首を刎ねて持ち帰り、衛瓘殿に、ほ、奉じよ」
「ななな、何を仰います」
田続は驚愕の余り、まるで鄧艾のように言葉を閊えさせる。
「田続殿」
鄧忠が、また父の言葉を補った。
「恐らく、成都の諸将は、我等に味方はいたしますまい」
「だが、共に山中を突破した将卒はおりますぞ。一度将軍に命を預けた者達、最後まで将軍を裏切ることなど・・」
「そして玉と砕けますか」
他の魏将たちの味方は望めぬ以上、孤立して全滅することは目に見えている。
「それは・・」
「もうよい。我等と運命を共にすることはない。皆、妻子の許へ帰るのです」
鄧艾も、息子の言葉に無言で大きく頷いた。暫く、卒の持つ松明が爆ぜる音だけが続く。
「そ、外に出よう」
鄧艾が鄧忠にいった。
「お寒くはございませんか」
「こ、これから首がお、落ちるのじゃぞ」
「そうでしたな。部屋の窓を壊された上、部屋まで汚されたら、家主殿にも災難じゃ」
鄧艾と鄧忠は、窓から外へ出た。卒の松明の下に、胡座する。
「将軍、鄧忠殿、逃げましょう!成都には戻りませぬ。他の将卒も巻き込みませぬ。ともかく逃れましょう」
窓辺で、田続は叫んだ。
「む、無駄!」
「ご一緒に逃げてくださらぬのなら・・」
田続は、剣を自分の首筋に当てた。命を賭けて、鄧艾に逃亡を勧めるつもりだった。
「田続を、止(とど)めよ!」
鄧艾が一喝した。閊(つか)えぬ、滑(なめ)らかな声。弾かれたように左右の卒は田続の両手に取り付き、剣を奪った。
「あっ・・」
松明を持ってただ一人窓の外に立っていた卒が、悲痛な声を発した。
低い、鈍い音が続いた。一瞬の事だった。鄧艾と鄧忠は、この屋の石の階(きざはし)に・・頭を打ち付けていた。
田続は窓を乗り越えて駆け寄った。
「鄧艾将軍!鄧忠殿!」
答えはない。二人とも、既に死んでいた。
「・・鄧艾将軍・・鄧忠殿」
田続はふらふらと跪いて拝礼した。
(無念の思いを残して死んだ者の目は、見開かれたままだというが・・)
松明の光が照らす二人の死に顔は、安らかに瞑目していた。 .
傍らの卒に命じる。だが・・
「いや。鄧忠に剣は、い、要らぬ」
「えっ!」
「父上!」
鄧忠は父の顔を見つめた。驚きは一瞬で消えた。微かに笑い、頷く。
鄧艾は一旦腰に帯びた剣を、また外した。呆然としている田続の手に、剣を渡す。
「で、田続、我が佩剣をもって、命ずる。我等親子の首を刎ねて持ち帰り、衛瓘殿に、ほ、奉じよ」
「ななな、何を仰います」
田続は驚愕の余り、まるで鄧艾のように言葉を閊えさせる。
「田続殿」
鄧忠が、また父の言葉を補った。
「恐らく、成都の諸将は、我等に味方はいたしますまい」
「だが、共に山中を突破した将卒はおりますぞ。一度将軍に命を預けた者達、最後まで将軍を裏切ることなど・・」
「そして玉と砕けますか」
他の魏将たちの味方は望めぬ以上、孤立して全滅することは目に見えている。
「それは・・」
「もうよい。我等と運命を共にすることはない。皆、妻子の許へ帰るのです」
鄧艾も、息子の言葉に無言で大きく頷いた。暫く、卒の持つ松明が爆ぜる音だけが続く。
「そ、外に出よう」
鄧艾が鄧忠にいった。
「お寒くはございませんか」
「こ、これから首がお、落ちるのじゃぞ」
「そうでしたな。部屋の窓を壊された上、部屋まで汚されたら、家主殿にも災難じゃ」
鄧艾と鄧忠は、窓から外へ出た。卒の松明の下に、胡座する。
「将軍、鄧忠殿、逃げましょう!成都には戻りませぬ。他の将卒も巻き込みませぬ。ともかく逃れましょう」
窓辺で、田続は叫んだ。
「む、無駄!」
「ご一緒に逃げてくださらぬのなら・・」
田続は、剣を自分の首筋に当てた。命を賭けて、鄧艾に逃亡を勧めるつもりだった。
「田続を、止(とど)めよ!」
鄧艾が一喝した。閊(つか)えぬ、滑(なめ)らかな声。弾かれたように左右の卒は田続の両手に取り付き、剣を奪った。
「あっ・・」
松明を持ってただ一人窓の外に立っていた卒が、悲痛な声を発した。
低い、鈍い音が続いた。一瞬の事だった。鄧艾と鄧忠は、この屋の石の階(きざはし)に・・頭を打ち付けていた。
田続は窓を乗り越えて駆け寄った。
「鄧艾将軍!鄧忠殿!」
答えはない。二人とも、既に死んでいた。
「・・鄧艾将軍・・鄧忠殿」
田続はふらふらと跪いて拝礼した。
(無念の思いを残して死んだ者の目は、見開かれたままだというが・・)
松明の光が照らす二人の死に顔は、安らかに瞑目していた。 .
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2011年04月19日
劉禅拝跪(13)
「魏の諸将は?」
「鍾会が示した太后の偽詔も、効果は薄く・・もはや魏の天下は司馬昭殿が握られて久しく、今更曹氏の、それも亡くなられた皇太后に忠義をといわれても動けるものでは。それに帝弑の後始末をしたのもこの太后」
「田続殿!」
「あっ、言葉が過ぎました。ともかく鐘会らは諸将を蜀王宮に軟禁いたしました。が、外の・・衛瓘らと呼応、王宮に攻め入って鍾会と姜維を・・」
「討ち取ったのですか」
「はい。二人とも猛将、数多を相手、見事な死に花を咲かせましたが、姜維は・・」
そこで田続は言葉を切った。
「姜維は、どうしたのです」
「宮殿の大柱(だいちゅう)に追い詰められ自刎(じふん)。屍は切り刻まれました。腹を抉ると、その胆一斗の枡ほどもありましたとか」
「一斗枡・・」
「一旦は許され魏に降ったとはいえ、姜維の北伐で親兄弟、知る辺を失った兵も多い。その憎しみが爆発したもの、と」
「姜維は成都に妻子があった筈」
「・・嬲(なぶ)り殺しに。幼い子も、共に・・」
「つ、妻まで、なな、嬲り殺しか・・」
鄧艾が呻いた。
「せ、戦場は蜀の王宮、だったのだな」
「はっ」
「りゅ、劉禅殿は、ご無事か?」
「ご自身は、ご無事でございますが・・」
田続は口ごもる。
「ご長子、先の蜀の太子、劉叡殿が亡くなりました。姜維に同心して共に戦われたとか」
「そ、そうか」
成都陥落の折、劉禅の五男、劉諶が妻子を道連れに自害している。前太子も姜維と共に「漢朝復興」に殉じた。劉禅が蜀の平穏な終焉を望んでも韜晦するしかなかった訳である。
「鄧艾将軍、お逃げください。衛瓘は謀反人鍾会に与(くみ)して将軍捕縛の手を下した事を隠さんと、将軍父子の口を塞(ふさ)ぐつもりですぞ」
田続は、一歩進み出た。軍監を呼び捨てにすることに躊躇いはなかった。
「大将軍は長安まで来ておられる。謀叛したのは、将軍を讒言した側。将軍の口から鍾会に与したことが露見しては、と」
「せ、成都の、我が将卒は?ぶ、無事か?」
「・・監視され、武器は取り上げられてはおりますが・・無事でございます」
「田続殿、どうやって脱出して来られた?」
田続も引き連れた卒たちも、剣を帯び槍を手にしている。鄧忠が訝るのも当然であった。
田続も卒たちも声を放って笑い出した。
「で、田続?」
「田続殿?」
「・・失礼いたしました。まったくお笑いぐさでございます。私、確かに将軍の山中突破の折、ご命令に逆らいましたが・・」
「おお」
「その折、私を叱責なさったことが衛瓘の耳に入りましてな。定めし鄧艾親子に含む処(ところ)があろう。檻車に追いつき、首を刎ねて参れ。さすれば将卒の監視を解いて、無事に洛陽に戻してやる、そなたを富貴の身にも、と」
「そ、そうか」
「さ、お逃げください。我等が将軍の首を持ち帰らねば、衛瓘は第二第三の刺客を送って参りましょう。今なら、護送の卒も我等に味方すると申しております。共に成都に戻りましょう。鍾会らを倒した諸将も、きっと我等の側に付きまする」
鄧艾は、暫く黙っていた。
「で、田続」
「はい」
「わ、儂に剣を与えてくれ」
「あっ、これは気付きませんで」
鄧艾父子は寸鉄も帯びていない。田続は腰から自分の剣を外して鄧艾に捧げた。
「鍾会が示した太后の偽詔も、効果は薄く・・もはや魏の天下は司馬昭殿が握られて久しく、今更曹氏の、それも亡くなられた皇太后に忠義をといわれても動けるものでは。それに帝弑の後始末をしたのもこの太后」
「田続殿!」
「あっ、言葉が過ぎました。ともかく鐘会らは諸将を蜀王宮に軟禁いたしました。が、外の・・衛瓘らと呼応、王宮に攻め入って鍾会と姜維を・・」
「討ち取ったのですか」
「はい。二人とも猛将、数多を相手、見事な死に花を咲かせましたが、姜維は・・」
そこで田続は言葉を切った。
「姜維は、どうしたのです」
「宮殿の大柱(だいちゅう)に追い詰められ自刎(じふん)。屍は切り刻まれました。腹を抉ると、その胆一斗の枡ほどもありましたとか」
「一斗枡・・」
「一旦は許され魏に降ったとはいえ、姜維の北伐で親兄弟、知る辺を失った兵も多い。その憎しみが爆発したもの、と」
「姜維は成都に妻子があった筈」
「・・嬲(なぶ)り殺しに。幼い子も、共に・・」
「つ、妻まで、なな、嬲り殺しか・・」
鄧艾が呻いた。
「せ、戦場は蜀の王宮、だったのだな」
「はっ」
「りゅ、劉禅殿は、ご無事か?」
「ご自身は、ご無事でございますが・・」
田続は口ごもる。
「ご長子、先の蜀の太子、劉叡殿が亡くなりました。姜維に同心して共に戦われたとか」
「そ、そうか」
成都陥落の折、劉禅の五男、劉諶が妻子を道連れに自害している。前太子も姜維と共に「漢朝復興」に殉じた。劉禅が蜀の平穏な終焉を望んでも韜晦するしかなかった訳である。
「鄧艾将軍、お逃げください。衛瓘は謀反人鍾会に与(くみ)して将軍捕縛の手を下した事を隠さんと、将軍父子の口を塞(ふさ)ぐつもりですぞ」
田続は、一歩進み出た。軍監を呼び捨てにすることに躊躇いはなかった。
「大将軍は長安まで来ておられる。謀叛したのは、将軍を讒言した側。将軍の口から鍾会に与したことが露見しては、と」
「せ、成都の、我が将卒は?ぶ、無事か?」
「・・監視され、武器は取り上げられてはおりますが・・無事でございます」
「田続殿、どうやって脱出して来られた?」
田続も引き連れた卒たちも、剣を帯び槍を手にしている。鄧忠が訝るのも当然であった。
田続も卒たちも声を放って笑い出した。
「で、田続?」
「田続殿?」
「・・失礼いたしました。まったくお笑いぐさでございます。私、確かに将軍の山中突破の折、ご命令に逆らいましたが・・」
「おお」
「その折、私を叱責なさったことが衛瓘の耳に入りましてな。定めし鄧艾親子に含む処(ところ)があろう。檻車に追いつき、首を刎ねて参れ。さすれば将卒の監視を解いて、無事に洛陽に戻してやる、そなたを富貴の身にも、と」
「そ、そうか」
「さ、お逃げください。我等が将軍の首を持ち帰らねば、衛瓘は第二第三の刺客を送って参りましょう。今なら、護送の卒も我等に味方すると申しております。共に成都に戻りましょう。鍾会らを倒した諸将も、きっと我等の側に付きまする」
鄧艾は、暫く黙っていた。
「で、田続」
「はい」
「わ、儂に剣を与えてくれ」
「あっ、これは気付きませんで」
鄧艾父子は寸鉄も帯びていない。田続は腰から自分の剣を外して鄧艾に捧げた。
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2011年04月19日
劉禅拝跪(12)
鄧忠が、まず手にした槍を放った。次は剣。田続が泣くような顔で続く。ばらばらと将卒すべてが武器を放った。炊事用の鍋釜、各自背負い携えてきた兵糧の袋も続いて断崖を落下していく。
「せ、氈に包まるのじゃ、このようにな」
躊躇することは出来ぬ。まず自分がこの断崖を落ちて見せねばならぬ。氈・・毛布にくるまり、鄧艾は崖に身を躍らせた。
額に、肩に、腰に、脚に、凄まじい衝撃を感じた。岩角にぶつけたらしい。鄧艾は必死に身を縮め、致命傷だけは避けようとした。やがて、毛布を草がこする気配がし、加速は止まった。ゆっくりと立ち上がる。
(生きている!)
打撲傷はずきずきと痛んだが、歩行には差支えぬようである。
「いい、生きておるぞぉ」
鄧艾は崖の上の将卒に向けて叫んだ。わぁーと喚声が上がる。
「父上、参ります」
鄧忠が身を躍らせた。
「将軍!」
「私達も!」
灰色の毛布の群れが、一団となって崖を転げ落ちる。まるで山津波のような場景であった。誰もが、したたかに体を打っている。加速が止まっても動き出すまでには時が要った。
だが・・
「松栄!」
「兄貴!」
「眼を開けてくれ」
悲痛な声も続いた。死者は、出た。岩角に頭を打ち、落ちたまま動かぬ将卒が十余名。
(許せ。しばし、待ってくれ)
鄧艾は屍を並べさせた。
その周りにも、点々草の薹が揺れる。葉も褐色に枯れ、縮れ捩れたまま揺れている。冬枯れの野。そこに十余人は、無言で横たわる。
鄧艾は枯れ草を手折り、ひとりひとりに手向けた。皆と共に跪き拝礼した。
(後日必ず、手厚く葬る。許してくれ)
今は成都へ急がねばならぬ。
ともかく、山中突破は成功した。田続が案じたように数多(あまた)の犠牲者を出しながらも、鄧艾軍は蜀盆地の奥深く、涪(ふ)に降り立ったのだ。成都の蜀朝には、驚天動地の事態であった。
そして諸葛瞻父子を屠り、蜀帝劉禅を跪かせ・・謀反人として拘束され、今、檻車の中にいる。
「鄧艾将軍、鄧忠殿、助けに参りましたぞ」
田続の声を聞いたのは、成都を出発して十日目、漢中の一村の村長(むらおさ)の屋敷。田続は声を張り上げていた。二人の寝室に当てられていた部屋の鎧戸を壊した。松明を掲げた卒を一人外に残し、田続は窓から飛び込んで、二人の縛を解いた。
「やはり鍾会と姜維は謀反を起しました」
「な、何!」
鄧艾もさすがに大声を発した。
「謀反は、破れました。鍾会も姜維も討ち取られましたが、事態は急を告げております」
「し、仔細は?」
「将軍、お逃げくだされ!」
「田続殿、まずは謀反の仔細を教えてくだされ。逃げるか否かはそれから決めまする」
常(つね)の如く、鄧忠が鄧艾の吃音を補った。
「はっ。・・鐘会は将軍が衛瓘殿を斬らずおとなしく捕われたを知り、成都を発たれた翌日、やって参りました。そこに、十万の兵をもって進軍されている長安の大将軍から、出頭の命令が届いたのです」
「それで・・」
鄧忠が田続を促す。
「鍾会と姜維は、追い詰められました。長安へ行けば恐らく斬られる。賊司馬昭を討てという、魏の太后の遺詔を偽造して、成都の全魏兵を糾合しようとしました。これは、姜維の策だったらしゅうございます」 .
「せ、氈に包まるのじゃ、このようにな」
躊躇することは出来ぬ。まず自分がこの断崖を落ちて見せねばならぬ。氈・・毛布にくるまり、鄧艾は崖に身を躍らせた。
額に、肩に、腰に、脚に、凄まじい衝撃を感じた。岩角にぶつけたらしい。鄧艾は必死に身を縮め、致命傷だけは避けようとした。やがて、毛布を草がこする気配がし、加速は止まった。ゆっくりと立ち上がる。
(生きている!)
打撲傷はずきずきと痛んだが、歩行には差支えぬようである。
「いい、生きておるぞぉ」
鄧艾は崖の上の将卒に向けて叫んだ。わぁーと喚声が上がる。
「父上、参ります」
鄧忠が身を躍らせた。
「将軍!」
「私達も!」
灰色の毛布の群れが、一団となって崖を転げ落ちる。まるで山津波のような場景であった。誰もが、したたかに体を打っている。加速が止まっても動き出すまでには時が要った。
だが・・
「松栄!」
「兄貴!」
「眼を開けてくれ」
悲痛な声も続いた。死者は、出た。岩角に頭を打ち、落ちたまま動かぬ将卒が十余名。
(許せ。しばし、待ってくれ)
鄧艾は屍を並べさせた。
その周りにも、点々草の薹が揺れる。葉も褐色に枯れ、縮れ捩れたまま揺れている。冬枯れの野。そこに十余人は、無言で横たわる。
鄧艾は枯れ草を手折り、ひとりひとりに手向けた。皆と共に跪き拝礼した。
(後日必ず、手厚く葬る。許してくれ)
今は成都へ急がねばならぬ。
ともかく、山中突破は成功した。田続が案じたように数多(あまた)の犠牲者を出しながらも、鄧艾軍は蜀盆地の奥深く、涪(ふ)に降り立ったのだ。成都の蜀朝には、驚天動地の事態であった。
そして諸葛瞻父子を屠り、蜀帝劉禅を跪かせ・・謀反人として拘束され、今、檻車の中にいる。
「鄧艾将軍、鄧忠殿、助けに参りましたぞ」
田続の声を聞いたのは、成都を出発して十日目、漢中の一村の村長(むらおさ)の屋敷。田続は声を張り上げていた。二人の寝室に当てられていた部屋の鎧戸を壊した。松明を掲げた卒を一人外に残し、田続は窓から飛び込んで、二人の縛を解いた。
「やはり鍾会と姜維は謀反を起しました」
「な、何!」
鄧艾もさすがに大声を発した。
「謀反は、破れました。鍾会も姜維も討ち取られましたが、事態は急を告げております」
「し、仔細は?」
「将軍、お逃げくだされ!」
「田続殿、まずは謀反の仔細を教えてくだされ。逃げるか否かはそれから決めまする」
常(つね)の如く、鄧忠が鄧艾の吃音を補った。
「はっ。・・鐘会は将軍が衛瓘殿を斬らずおとなしく捕われたを知り、成都を発たれた翌日、やって参りました。そこに、十万の兵をもって進軍されている長安の大将軍から、出頭の命令が届いたのです」
「それで・・」
鄧忠が田続を促す。
「鍾会と姜維は、追い詰められました。長安へ行けば恐らく斬られる。賊司馬昭を討てという、魏の太后の遺詔を偽造して、成都の全魏兵を糾合しようとしました。これは、姜維の策だったらしゅうございます」 .
Posted by 渋柿 at 07:25 | Comments(0)
2011年04月18日
劉禅拝跪(11)
一軍の将としての鄧艾に、配下も卒も心酔しきっている。また父の吃音を補佐する鄧忠への信頼も厚かった。それは田続も同様であろう。嘆息は、雄叫(おたけ)びに変わる。
「私は、鄧艾将軍に命を預けます!」
「将軍を信じます!」
「共に成都に攻め込みましょう!」
「将軍の許に死すとも悔いず!」
「おう、死すとも悔いず!」
田続の背後で、次々に声が上がった。将も卒も、死すとも悔いず!と繰り返す。
田続はがっくりと肩を落とした。
「鄧艾将軍、鄧忠殿、お立ちください」
「それでは・・」
「どうぞ、お立ちください」
田続は、跪いて鄧艾に剣を捧げた。
「ここ、この命、暫しそ、そなたに預ける」
莞(かん)爾(じ)と笑って、鄧艾は剣を腰に佩いた。
(凄まじい山中行だった)
檻車の中、鄧艾の追憶は続いている。
剣閣の姜維に、こちらの迂回(うかい)を察知されてはならぬ。将も卒も、兵糧(ひょうろう)、縄や氈(せん)(獣毛の不織布・フェルト)を負って黙々と山に分け入った。姜維の籠もる剣閣の城砦を、はるか高みの山路から遠望する。
(成都を、陥とす。お前は進退窮まるのだ)
これまで姜維に飲まされた数々の苦杯を思い、鄧艾は誓った。
朝は太陽を右に、昼からは左に見て進む。道なき道、山肌の行軍は困難を極めた。足を滑らせて谷底に転落する兵士が続出する。
最大の難所は摩天嶺(まてんれい)。よじ登った山の頂から見たものは、成都に続く筈の行く手を阻む断崖絶壁であった。鄧艾は無論、ここまで幾多の辛苦を耐えて付いて来た将卒たちもしばらく呆然として言葉もない。
絶望。やがて卒の中に、しゃがみ込み声を殺して泣くものが出てきた。
「折角、ここまで来たのに」
「天に見放された」
「退却だ・・」
「退路には姜維が・・」
「逃げられぬ」
「俺達は全滅か」
囁きは、次第に大きくなってゆく。
鄧艾は、断崖を覗いた。用意してきた縄で伝い降りるにも、間に合う高度ではなかった。遥かな下には疎らな草も見えるが、その殆どは尖った岩肌である。成都に続く前途を、この乾いた、堅い崖壁が頑として阻んでいる。
「父上・・」
「・・将軍」
鄧忠も田続も、あぐね切った声であった。
(これしか、ない)
鄧艾は、決意した。槍を置き、佩剣を外し,肩の荷を下ろして氈を地に広げた。
何をなされるのか、と将卒は息を呑む。
「で、田続!」
「はい」
「ぎ、銀は落としてはおらぬな」
「はい、身につけております」
田続は周囲の卒数人と頷きあった。軍資は分散して帯行してきたのであろう。
「し、しっかりか、懐中せよ」
「はぁ?」
「ここ、この崖を転がり落ちても、とと、飛び出さぬよう・・」
「将軍・・」
鄧艾は、力を込めて槍と佩剣を下に投げた。剣も槍も、二三度岩肌にぶつかったあと平地の草叢に落ちた。ほぉ~という声が将卒から漏れる。
「み、皆、まず武器を下に投げよ」
「父上!」
「な、鍋釜兵糧もじゃ、おおお、落とせ!」 .
「私は、鄧艾将軍に命を預けます!」
「将軍を信じます!」
「共に成都に攻め込みましょう!」
「将軍の許に死すとも悔いず!」
「おう、死すとも悔いず!」
田続の背後で、次々に声が上がった。将も卒も、死すとも悔いず!と繰り返す。
田続はがっくりと肩を落とした。
「鄧艾将軍、鄧忠殿、お立ちください」
「それでは・・」
「どうぞ、お立ちください」
田続は、跪いて鄧艾に剣を捧げた。
「ここ、この命、暫しそ、そなたに預ける」
莞(かん)爾(じ)と笑って、鄧艾は剣を腰に佩いた。
(凄まじい山中行だった)
檻車の中、鄧艾の追憶は続いている。
剣閣の姜維に、こちらの迂回(うかい)を察知されてはならぬ。将も卒も、兵糧(ひょうろう)、縄や氈(せん)(獣毛の不織布・フェルト)を負って黙々と山に分け入った。姜維の籠もる剣閣の城砦を、はるか高みの山路から遠望する。
(成都を、陥とす。お前は進退窮まるのだ)
これまで姜維に飲まされた数々の苦杯を思い、鄧艾は誓った。
朝は太陽を右に、昼からは左に見て進む。道なき道、山肌の行軍は困難を極めた。足を滑らせて谷底に転落する兵士が続出する。
最大の難所は摩天嶺(まてんれい)。よじ登った山の頂から見たものは、成都に続く筈の行く手を阻む断崖絶壁であった。鄧艾は無論、ここまで幾多の辛苦を耐えて付いて来た将卒たちもしばらく呆然として言葉もない。
絶望。やがて卒の中に、しゃがみ込み声を殺して泣くものが出てきた。
「折角、ここまで来たのに」
「天に見放された」
「退却だ・・」
「退路には姜維が・・」
「逃げられぬ」
「俺達は全滅か」
囁きは、次第に大きくなってゆく。
鄧艾は、断崖を覗いた。用意してきた縄で伝い降りるにも、間に合う高度ではなかった。遥かな下には疎らな草も見えるが、その殆どは尖った岩肌である。成都に続く前途を、この乾いた、堅い崖壁が頑として阻んでいる。
「父上・・」
「・・将軍」
鄧忠も田続も、あぐね切った声であった。
(これしか、ない)
鄧艾は、決意した。槍を置き、佩剣を外し,肩の荷を下ろして氈を地に広げた。
何をなされるのか、と将卒は息を呑む。
「で、田続!」
「はい」
「ぎ、銀は落としてはおらぬな」
「はい、身につけております」
田続は周囲の卒数人と頷きあった。軍資は分散して帯行してきたのであろう。
「し、しっかりか、懐中せよ」
「はぁ?」
「ここ、この崖を転がり落ちても、とと、飛び出さぬよう・・」
「将軍・・」
鄧艾は、力を込めて槍と佩剣を下に投げた。剣も槍も、二三度岩肌にぶつかったあと平地の草叢に落ちた。ほぉ~という声が将卒から漏れる。
「み、皆、まず武器を下に投げよ」
「父上!」
「な、鍋釜兵糧もじゃ、おおお、落とせ!」 .
Posted by 渋柿 at 13:49 | Comments(0)
2011年04月16日
劉禅拝跪(10)
「いえ、黙りませぬ。二か月の余も姜維の軍と戦って、将も卒も疲れ切っております。しばし休ませるが常道」
「せ、戦線が、膠着(こうちゃく)してからでも、一月になる。他にこの状況を切り拓く方法が、あるか」
二手に分かれて蜀に攻め込んだ征西将軍・鄧艾も鎮西将軍・鍾会も、蜀盆地の唯一の入口の剣閣を姜維にしっかりと守られ、身動きはとれない。
「もう十月でございます」
田続が哀切な声をあげた。旧暦である。
「夏でも、蜀の山路は厳しいもの。今まで共に辛酸を舐(な)めてきた兵達を、この上また酷寒、道も無き山中に追われますのか」
「は、春まで待てというか。折角漢中を陥とし、い、今一歩というところで敵に時を稼(かせ)がせる訳にはいかぬ」
「いえ、蜀の山中を突破しようなどとは無理。山中に難渋(なんじゅう)し、姜維に退路を断たれたら、我等は全滅ですぞ」
「ぜ、全滅じゃと」
「馬はどうなさいます」
鄧艾の声に負けず、田続は言葉を返す。
「険しい山路を馬を連れては行けぬ。じゃが、蜀に降り立って成都を攻めるに、馬がなくては戦えぬ。兵糧とて」
「や、山路を抜けてから、購えばよい」
司馬昭から、軍資としてかなりの銀は与えられていた。
漢朝が衰微してから、貨幣経済は麻痺したに等しい。適宜の大きさに作られた金銀、場合によっては布や穀物が、貨幣の代わりとして流通している。
田続のいう通り、崖をよじ登る山中迂回に、馬は伴えない。また人力のみで運べる兵糧には限りがある。しかし、盆地に降り立ち蜀兵と戦うには、大量の兵糧と馬が不可欠である。
「敵国の民ですぞ。売ってくれる筈は・・」
「だ、黙れ!」
鄧艾は先ほどより更に声を大きくした。
(国力を疲弊させる北伐を続け、苛斂誅求で民心は離れている筈だ)
鄧艾には確信がある。
「しゅ、出陣は、決まったことじゃ。その門出に不吉な言辞を弄するとは、ゆ、許せぬ、誰かある」
鄧艾は、怒りを演じた。
「はい」
侍立(じりつ)していた卒が、拱手(きょうしゅ)する。
「斬れ!」
田続は、憤然とその場に胡座(こざ)した。
すばやく、息子の鄧忠に目配せする。鄧忠も心得て、鄧艾の前に跪いた。
「父上、お許しください。田続殿はただ、兵の疲れを憐れんだのでございます」
鄧艾は、田続の顔をじっと見据えた。田続も胡座したまま鋭く見返す。
鄧艾が刀を抜いた。
(ご自身で首を刎(は)ねられる)
一同は凍りついた。
鄧艾はしかし剣を鞘に納め、改めて腰から外した。田続に近付き、その手に自分の剣を渡して同じように胡座する。
「ど、どうしても山中突破に反対なら、その剣で儂を、殺せ」
「将軍!」
将が自分の佩剣(はいけん)を部下に貸し与えるとは、その剣をもって成したこと全てに責任を持つことを意味する。ここで、「自分を殺せ」という命に従っても責められない訳である。だが無論それは建前、それにこの場合は「どうしても自分の命令に反対なら」という条件節が付いている。
そうするしか・・ないか、と、田続は、一旦は思った筈である。佩剣の乗せられた自分の掌(てのひら)を、見ている。山中突破を止めさせるためには、ここで鄧艾を殺すしかない。そして後日、罪を問われれば殺されるまでのこと、と。それで、五万の兵は死なずにすむ。
田続は、一旦掌の中の剣の柄を握った。冬というのに、額を汗が伝う。
「田続殿」
鄧忠も、父の傍らに胡座した。
「父上は鍾会将軍と軍監衛瓘殿の前で、山中を突破して成都を突くと明言なされた。陣中に戯言なし。事成るか、死ぬか、我等父子の道は二つに一つ。飽くまで山中突破に反対なら、ここで我等の首を刎ねて頂こう」
その場に、期せずして嘆息が起こった。 .
「せ、戦線が、膠着(こうちゃく)してからでも、一月になる。他にこの状況を切り拓く方法が、あるか」
二手に分かれて蜀に攻め込んだ征西将軍・鄧艾も鎮西将軍・鍾会も、蜀盆地の唯一の入口の剣閣を姜維にしっかりと守られ、身動きはとれない。
「もう十月でございます」
田続が哀切な声をあげた。旧暦である。
「夏でも、蜀の山路は厳しいもの。今まで共に辛酸を舐(な)めてきた兵達を、この上また酷寒、道も無き山中に追われますのか」
「は、春まで待てというか。折角漢中を陥とし、い、今一歩というところで敵に時を稼(かせ)がせる訳にはいかぬ」
「いえ、蜀の山中を突破しようなどとは無理。山中に難渋(なんじゅう)し、姜維に退路を断たれたら、我等は全滅ですぞ」
「ぜ、全滅じゃと」
「馬はどうなさいます」
鄧艾の声に負けず、田続は言葉を返す。
「険しい山路を馬を連れては行けぬ。じゃが、蜀に降り立って成都を攻めるに、馬がなくては戦えぬ。兵糧とて」
「や、山路を抜けてから、購えばよい」
司馬昭から、軍資としてかなりの銀は与えられていた。
漢朝が衰微してから、貨幣経済は麻痺したに等しい。適宜の大きさに作られた金銀、場合によっては布や穀物が、貨幣の代わりとして流通している。
田続のいう通り、崖をよじ登る山中迂回に、馬は伴えない。また人力のみで運べる兵糧には限りがある。しかし、盆地に降り立ち蜀兵と戦うには、大量の兵糧と馬が不可欠である。
「敵国の民ですぞ。売ってくれる筈は・・」
「だ、黙れ!」
鄧艾は先ほどより更に声を大きくした。
(国力を疲弊させる北伐を続け、苛斂誅求で民心は離れている筈だ)
鄧艾には確信がある。
「しゅ、出陣は、決まったことじゃ。その門出に不吉な言辞を弄するとは、ゆ、許せぬ、誰かある」
鄧艾は、怒りを演じた。
「はい」
侍立(じりつ)していた卒が、拱手(きょうしゅ)する。
「斬れ!」
田続は、憤然とその場に胡座(こざ)した。
すばやく、息子の鄧忠に目配せする。鄧忠も心得て、鄧艾の前に跪いた。
「父上、お許しください。田続殿はただ、兵の疲れを憐れんだのでございます」
鄧艾は、田続の顔をじっと見据えた。田続も胡座したまま鋭く見返す。
鄧艾が刀を抜いた。
(ご自身で首を刎(は)ねられる)
一同は凍りついた。
鄧艾はしかし剣を鞘に納め、改めて腰から外した。田続に近付き、その手に自分の剣を渡して同じように胡座する。
「ど、どうしても山中突破に反対なら、その剣で儂を、殺せ」
「将軍!」
将が自分の佩剣(はいけん)を部下に貸し与えるとは、その剣をもって成したこと全てに責任を持つことを意味する。ここで、「自分を殺せ」という命に従っても責められない訳である。だが無論それは建前、それにこの場合は「どうしても自分の命令に反対なら」という条件節が付いている。
そうするしか・・ないか、と、田続は、一旦は思った筈である。佩剣の乗せられた自分の掌(てのひら)を、見ている。山中突破を止めさせるためには、ここで鄧艾を殺すしかない。そして後日、罪を問われれば殺されるまでのこと、と。それで、五万の兵は死なずにすむ。
田続は、一旦掌の中の剣の柄を握った。冬というのに、額を汗が伝う。
「田続殿」
鄧忠も、父の傍らに胡座した。
「父上は鍾会将軍と軍監衛瓘殿の前で、山中を突破して成都を突くと明言なされた。陣中に戯言なし。事成るか、死ぬか、我等父子の道は二つに一つ。飽くまで山中突破に反対なら、ここで我等の首を刎ねて頂こう」
その場に、期せずして嘆息が起こった。 .
Posted by 渋柿 at 06:57 | Comments(0)
2011年04月15日
劉禅拝跪(9)
「ひ、非業も、兵家の習いじゃが」
まだ而立(じりつ)を過ぎたばかりで、健気にいう息子が切なかった。
「それより、鍾会が功を独り占めするだけで満足するでしょうか?」
鄧忠はもはや鍾会を将軍とも呼ばず、呼び捨てていう。
「ま、満足?」
「我等を捕らえるのに自分の手を下さず、軍監の衛瓘殿にやらせております。衛瓘殿に我等の捕縛を命じたのは、姜維の策に違いありませぬ。・・万一我等が抵抗し、配下も我等に付いたとしても、斬られるのは衛瓘殿。軍監は鍾会にとって眼の上の瘤じゃ。我等をすんなり捕らえられればよし、衛瓘殿が斬られるのもまた望むところ・・だったのでは」
「お、お前の推測は、当たっていよう」
蜀の人士を掌握して、それに対抗しようとしたが叶わなかった。
「では」
「しょ、鍾会と姜維は謀反を起す」
「悔しゅうございます。もはや、我等にはどうすることも・・出来ませんな」
鄧忠の思いは鄧艾の思いでもあった。
(征討の将軍として来た道を、謀反人、囚人として還るのも・・)
自分だけの巡り会わせではない。余りに多くの者を死なせた自分達父子の罪の償いに、生き恥を曝し死後の恥辱に甘んじる・・劉禅はそう語っていた。また、酒毒と戦うともいった。今は、それを信じたい。
そのように命じられていたらしい。護送に当たった衛瓘配下の鄧艾父子に対する扱いは、決してむごいものではなかった。食事も、野陣に慣れた身では十分に馳走(ちそう)と思えるものが供された。だが、一歩一歩、轍(わだち)が進むごとに洛陽が、賜死の運命が近付いていることは確かである。
(成都で元旦を迎えたというのに)
それから十日あまり、何と惨めな新春であろうか。
檻車の中にも、槍を持って護送する卒の背にも、鵞毛(がもう)のような雪が降りかかっていた。
(や!)
鄧艾は檻車の柵に両手を掛けた。
(もう、萌えはじめたか)
桃色や黄色の華やかな上衣を羽織った少女達が、あちこちで若草を摘んでいる。何か祭りでもあるのだろうか、檻車の進む路傍の日溜りにその姿は続いた。弟らしい、よちよち歩きの男児を連れた者もいる。
まだ緑浅く、摘み集めても湯掻けば僅かな嵩でも、羹や粥に春の香は添えられる。
振り返った。鄧忠も、自分の車の柵に身を寄せて草を摘む少女達を見ていた。
(子を、思うか)
軍務で洛陽にいるは稀であるのに、よくもまあ・・と朋輩に冷やかされるほどであった。鄧忠の妻は夫の帰宅の度に身籠り、三人の子がある。
(謀叛には・・連座の法がある)
自分だけが罪に問われるのなら、連座は鄧忠と洛陽の妻、次男の鄧孝だけで済む。だがもし鄧忠も同罪の濡れ衣を着なければならぬなら、鄧忠の妻の白氏も、三人の幼い孫も助からぬ。
司馬昭は、どのような裁きを下すだろうか。
(許してくれ・・)
鄧艾は、そっと頭を下げた。
(田続は・・配下の将卒たちは・・)
鄧艾の胸に、山中突破を決めた日のことが蘇える。
「無理でございます。兵達を皆殺しになさるおつもりですか!」
去年十月のあの日、将の田続は色をなして食って掛かった。鄧艾の陣である。たしかに、大将が言い出した作戦は、無謀というも愚かであった。
「だ、黙れ」
鄧艾は一喝(いっかつ)した。しかし田続は怯(ひる)まない。
「いえ、黙りませぬ。二か月の余も姜維の軍と戦って、将も卒も疲れ切っております。しばし休ませるが常道」
「せ、戦線が、膠着(こうちゃく)してからでも、一月になる。他にこの状況を切り拓く方法が、あるか」
二手に分かれて蜀に攻め込んだ征西将軍・鄧艾も鎮西将軍・鍾会も、蜀盆地の唯一の入口の剣閣を姜維にしっかりと守られ、身動きはとれない。
「もう十月でございます」
田続が哀切な声をあげた。旧暦である。
「夏でも、蜀の山路は厳しいもの。今まで共に辛酸を舐(な)めてきた兵達を、この上また酷寒、道も無き山中に追われますのか」 .
まだ而立(じりつ)を過ぎたばかりで、健気にいう息子が切なかった。
「それより、鍾会が功を独り占めするだけで満足するでしょうか?」
鄧忠はもはや鍾会を将軍とも呼ばず、呼び捨てていう。
「ま、満足?」
「我等を捕らえるのに自分の手を下さず、軍監の衛瓘殿にやらせております。衛瓘殿に我等の捕縛を命じたのは、姜維の策に違いありませぬ。・・万一我等が抵抗し、配下も我等に付いたとしても、斬られるのは衛瓘殿。軍監は鍾会にとって眼の上の瘤じゃ。我等をすんなり捕らえられればよし、衛瓘殿が斬られるのもまた望むところ・・だったのでは」
「お、お前の推測は、当たっていよう」
蜀の人士を掌握して、それに対抗しようとしたが叶わなかった。
「では」
「しょ、鍾会と姜維は謀反を起す」
「悔しゅうございます。もはや、我等にはどうすることも・・出来ませんな」
鄧忠の思いは鄧艾の思いでもあった。
(征討の将軍として来た道を、謀反人、囚人として還るのも・・)
自分だけの巡り会わせではない。余りに多くの者を死なせた自分達父子の罪の償いに、生き恥を曝し死後の恥辱に甘んじる・・劉禅はそう語っていた。また、酒毒と戦うともいった。今は、それを信じたい。
そのように命じられていたらしい。護送に当たった衛瓘配下の鄧艾父子に対する扱いは、決してむごいものではなかった。食事も、野陣に慣れた身では十分に馳走(ちそう)と思えるものが供された。だが、一歩一歩、轍(わだち)が進むごとに洛陽が、賜死の運命が近付いていることは確かである。
(成都で元旦を迎えたというのに)
それから十日あまり、何と惨めな新春であろうか。
檻車の中にも、槍を持って護送する卒の背にも、鵞毛(がもう)のような雪が降りかかっていた。
(や!)
鄧艾は檻車の柵に両手を掛けた。
(もう、萌えはじめたか)
桃色や黄色の華やかな上衣を羽織った少女達が、あちこちで若草を摘んでいる。何か祭りでもあるのだろうか、檻車の進む路傍の日溜りにその姿は続いた。弟らしい、よちよち歩きの男児を連れた者もいる。
まだ緑浅く、摘み集めても湯掻けば僅かな嵩でも、羹や粥に春の香は添えられる。
振り返った。鄧忠も、自分の車の柵に身を寄せて草を摘む少女達を見ていた。
(子を、思うか)
軍務で洛陽にいるは稀であるのに、よくもまあ・・と朋輩に冷やかされるほどであった。鄧忠の妻は夫の帰宅の度に身籠り、三人の子がある。
(謀叛には・・連座の法がある)
自分だけが罪に問われるのなら、連座は鄧忠と洛陽の妻、次男の鄧孝だけで済む。だがもし鄧忠も同罪の濡れ衣を着なければならぬなら、鄧忠の妻の白氏も、三人の幼い孫も助からぬ。
司馬昭は、どのような裁きを下すだろうか。
(許してくれ・・)
鄧艾は、そっと頭を下げた。
(田続は・・配下の将卒たちは・・)
鄧艾の胸に、山中突破を決めた日のことが蘇える。
「無理でございます。兵達を皆殺しになさるおつもりですか!」
去年十月のあの日、将の田続は色をなして食って掛かった。鄧艾の陣である。たしかに、大将が言い出した作戦は、無謀というも愚かであった。
「だ、黙れ」
鄧艾は一喝(いっかつ)した。しかし田続は怯(ひる)まない。
「いえ、黙りませぬ。二か月の余も姜維の軍と戦って、将も卒も疲れ切っております。しばし休ませるが常道」
「せ、戦線が、膠着(こうちゃく)してからでも、一月になる。他にこの状況を切り拓く方法が、あるか」
二手に分かれて蜀に攻め込んだ征西将軍・鄧艾も鎮西将軍・鍾会も、蜀盆地の唯一の入口の剣閣を姜維にしっかりと守られ、身動きはとれない。
「もう十月でございます」
田続が哀切な声をあげた。旧暦である。
「夏でも、蜀の山路は厳しいもの。今まで共に辛酸を舐(な)めてきた兵達を、この上また酷寒、道も無き山中に追われますのか」 .
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2011年04月14日
劉禅拝跪(8)
それから二月近く、鄧艾は蜀漢の地籍の引継ぎに忙殺されていた。それが突然、身柄を拘束された。深更まで及んだ執務を終えて床について間もなく、息子の鄧忠と共に、寝室に踏み込んできた卒達に取り押さえられたのである。
指揮を執っていたのは、鍾会の命を受けた軍監、衛瓘であった。
鍾会の許に、
「征西将軍鄧艾は、独断専行を戒めた命令を守らず、劉禅を王に封じるなど謀反の意志は明らかである。息子の鄧忠共々、至急捕らえて洛陽に護送せよ」
という大将軍司馬昭の命令が届いたという。
(やはり・・)
と思った。
軍功で遥かに自分を凌いだ自分を陥れようとする、鍾会の讒言があったのであろう。
(蜀攻略の功を独り占めする気か・・)
それだけではあるまい。
(姜維も、一枚噛んでいる)
鄧艾の配下は、大挙して衛瓘に詰め寄った。
「衛瓘様、何をなさるのじゃ!」
「これは何かの間違いじゃ」
戟を掲げ、剣の柄に手を掛ける者もいる。
「剣かけて、将軍は渡しませぬぞ」
皆を代表して、鄧艾配下の将、田続が叫ぶ。十余年、鄧艾と苦楽を共にして来た腹心であった。
「かか、軽々しくう、動くでない!」
鄧艾は田続らを一喝した。
「だ、大将軍の、ご、ご意志じゃ」
「将軍」
「で、田続、皆を下がらせよ」
「・・将軍」
将卒は、涙を振るって、囲みを解く。
「これより、え、衛瓘殿の指揮にしたがうよう」
「将軍!」
兵達は悲痛に叫ぶ。
「え、衛瓘殿、は、配下の将卒には、何卒お、お咎(とが)めなきよう」
鄧艾は頭を下げた。
「それも大将軍のお心次第じゃが・・必ず、そのように口添えは致しましょう」
今の今、刃物で脅されたばかりである。衛瓘は青ざめた表情で答えた。鍾会の監視役として司馬昭の意を受けて従軍している衛瓘。忠誠より何よりまず己の保身が身に付いた男、この事態でも言質は与えない。
「で、田続、皆を妄動させぬよう、頼んだぞ」
「将軍!」
「皆、無事にら、洛陽へ帰るのじゃ」
「・・・」
将卒は、声を忍んで泣いている。
「鄧艾配下は皆、宮を出て城外に野営せよ。そこで沙汰を待て」
衛瓘の申し渡しに答える声はなかった。
「こ、これまで・・じゃな」
洛陽に向う檻車(かんしゃ)の準備がされる中、押し込められた部屋で鄧艾は鄧忠にいう。
「これまで・・ですか」
「す、済まん」
賭けに、負けた。
「大将軍も父君も、そのかみ帝の嫌疑を受けて、すんでのこと誅殺されんとしたことがあったとか」
魏三代、叡帝即位の直後であった。
「そ、そのときには蜀があった。孔明を擁しての。い、今は・・」
司馬父子を追放するや、孔明が大軍で攻めてきた。魏帝が対孔明の出師に差し向けるのは、熟練勇猛の司馬父子の他なかった。
「そうでしたな。もう蜀という巧兎はおらぬ。狗は、烹られますなあ」 .
指揮を執っていたのは、鍾会の命を受けた軍監、衛瓘であった。
鍾会の許に、
「征西将軍鄧艾は、独断専行を戒めた命令を守らず、劉禅を王に封じるなど謀反の意志は明らかである。息子の鄧忠共々、至急捕らえて洛陽に護送せよ」
という大将軍司馬昭の命令が届いたという。
(やはり・・)
と思った。
軍功で遥かに自分を凌いだ自分を陥れようとする、鍾会の讒言があったのであろう。
(蜀攻略の功を独り占めする気か・・)
それだけではあるまい。
(姜維も、一枚噛んでいる)
鄧艾の配下は、大挙して衛瓘に詰め寄った。
「衛瓘様、何をなさるのじゃ!」
「これは何かの間違いじゃ」
戟を掲げ、剣の柄に手を掛ける者もいる。
「剣かけて、将軍は渡しませぬぞ」
皆を代表して、鄧艾配下の将、田続が叫ぶ。十余年、鄧艾と苦楽を共にして来た腹心であった。
「かか、軽々しくう、動くでない!」
鄧艾は田続らを一喝した。
「だ、大将軍の、ご、ご意志じゃ」
「将軍」
「で、田続、皆を下がらせよ」
「・・将軍」
将卒は、涙を振るって、囲みを解く。
「これより、え、衛瓘殿の指揮にしたがうよう」
「将軍!」
兵達は悲痛に叫ぶ。
「え、衛瓘殿、は、配下の将卒には、何卒お、お咎(とが)めなきよう」
鄧艾は頭を下げた。
「それも大将軍のお心次第じゃが・・必ず、そのように口添えは致しましょう」
今の今、刃物で脅されたばかりである。衛瓘は青ざめた表情で答えた。鍾会の監視役として司馬昭の意を受けて従軍している衛瓘。忠誠より何よりまず己の保身が身に付いた男、この事態でも言質は与えない。
「で、田続、皆を妄動させぬよう、頼んだぞ」
「将軍!」
「皆、無事にら、洛陽へ帰るのじゃ」
「・・・」
将卒は、声を忍んで泣いている。
「鄧艾配下は皆、宮を出て城外に野営せよ。そこで沙汰を待て」
衛瓘の申し渡しに答える声はなかった。
「こ、これまで・・じゃな」
洛陽に向う檻車(かんしゃ)の準備がされる中、押し込められた部屋で鄧艾は鄧忠にいう。
「これまで・・ですか」
「す、済まん」
賭けに、負けた。
「大将軍も父君も、そのかみ帝の嫌疑を受けて、すんでのこと誅殺されんとしたことがあったとか」
魏三代、叡帝即位の直後であった。
「そ、そのときには蜀があった。孔明を擁しての。い、今は・・」
司馬父子を追放するや、孔明が大軍で攻めてきた。魏帝が対孔明の出師に差し向けるのは、熟練勇猛の司馬父子の他なかった。
「そうでしたな。もう蜀という巧兎はおらぬ。狗は、烹られますなあ」 .
Posted by 渋柿 at 06:35 | Comments(0)
2011年04月13日
劉禅拝跪(7)
「暫しは永らえても・・生き恥もまた、凄まじかろうが」
戦場で華々しく逝けば、また従容として処刑されたとしても、万民は亡国の主に一掬涙してくれるであろう。だが、酒乱の醜態の挙句ならば、手向けられるのは非難と罵言だけ。
「父のやったことといえば、あちらのこちらの群雄を渡り歩き、方々で敗れ、何度も妻子や将兵を捨てて逃げ回り・・私も戦場に捨てられた」
「ちょ、長坂(ちょうはん)で、趙(ちょう)雲(うん)将軍に救出された・・」
「父も私も、多くの将兵や民を死なせました。ここでか、それとも司馬昭殿の許でか、死を賜(たまわ)るのなら甘んじて受けるつもりでおりました。さなくば、この無様(ぶざま)な姿で暫(しばし)し生き恥を曝(さら)すが、私の償い」
「い、生き恥」
「そして死しても未来(みらい)永劫(えいごう)、暗愚の君主と謗られ続ける。それが受けるべき罰でしょう」
劉禅は自分の爵を持った。
「私は無様でなければならぬ。惨めでなければならぬ。それが・・数えても余りありますな・・死に花を咲かせた男たちの名を、永久に際立たせる」
こころざしに殉じて散った男達の群像は美しい。しかしその足元には、万骨を道連れにしている。
床に腰掛けた上体が、傾いだ。
「劉禅殿!」
「妄言、お忘れください。お恥ずかしい。私も多分、朝まで覚えてはおらぬ・・」
「はあ?」
「近頃目覚めて、しばしば・・昨夜の事を思い出せぬ」
(確かに、劉禅殿は酔っておる)
床に座した上体の揺れを、哀しく見た。
(素面(しらふ)ではとてもここまで、真情は吐露できぬ)
「酒を」
劉禅と鄧艾は、爵に手を伸ばした。
「鄧艾殿、叶えば・・洛陽で誼(よしみ)を通じさせてくだされ」
「に、烹られずに済めば、でございますが」
先ほど、劉禅が例えに出した白起を、思う。
「烹られる?」
「わ、わが宿の婦、く、狗肉の羹をよう作ります」
鄧艾は笑った。
「・・鄧艾殿」
「く、狗肉の臭み、よもぎで消しましてなあ」
「・・・」
「き、祁山で追い詰められて九死に一生を得ました折、皆で猪を狩って羹といたしましたが、嵩が足りぬ。山の艾(よもぎ)を摘んで加えました。に、烹られる走狗の名がよもぎとは、考えてみれば・・せ、世話はない」
「途方もないことを」
「りゅ、劉禅殿の顰に倣い・・あの世にある数多の将卒に我が狗肉の羹を捧げて詫びるとて・・に、烹らるるも詮なし」
「お戯れ・・」
「はい、で、できればこの走狗も、烹られたくはござりませぬ。したが劉禅殿・・御身の命、心と体、まだちと違う遣い様もあるかもしれませぬぞ」
「違う・・遣い道・・」
「あ、あなたも一度は即位なされた、天子。蜀の民の君であった筈」
「民の君・・」
劉禅は、自分の両手を見、その拳を握りしめた。
「な、為すことを為さねば、それこそ泉下で父君にな、何と申し開きなされる」
拳が震える。涙が、落ちた。
「あ、あなたほどのお方が、覚悟も易きに付かれますか」
劉禅の啼泣は、暫く続いた。それを鄧艾は黙って見ている。
「易きに付いては・・ならん」
劉禅がようやく上体を上げた。
「さささ、ふ、扶風王殿」
鄧艾が酒を汲む。
「頂きまする征西将軍」
互いに爵に満を引き、一気に呷って高くかざし、そのまま二人同時に床に投げ捨てた。
酒壺もまた、劉禅の手で砕かれる。
互いに笑う。
「りゅ、劉禅殿には・・毅然として降って頂きたい」
「はい」
「さ、酒を断たれますな」
「・・命懸けて」
これでよい、と思った。司馬昭も英傑、いかに韜晦しようとも劉禅のこころざしは見抜こう。いや、知られずとも良い。まず亡国の民となった蜀人の庇護の為に、劉禅は洛陽で健在でなければならぬ。 .
戦場で華々しく逝けば、また従容として処刑されたとしても、万民は亡国の主に一掬涙してくれるであろう。だが、酒乱の醜態の挙句ならば、手向けられるのは非難と罵言だけ。
「父のやったことといえば、あちらのこちらの群雄を渡り歩き、方々で敗れ、何度も妻子や将兵を捨てて逃げ回り・・私も戦場に捨てられた」
「ちょ、長坂(ちょうはん)で、趙(ちょう)雲(うん)将軍に救出された・・」
「父も私も、多くの将兵や民を死なせました。ここでか、それとも司馬昭殿の許でか、死を賜(たまわ)るのなら甘んじて受けるつもりでおりました。さなくば、この無様(ぶざま)な姿で暫(しばし)し生き恥を曝(さら)すが、私の償い」
「い、生き恥」
「そして死しても未来(みらい)永劫(えいごう)、暗愚の君主と謗られ続ける。それが受けるべき罰でしょう」
劉禅は自分の爵を持った。
「私は無様でなければならぬ。惨めでなければならぬ。それが・・数えても余りありますな・・死に花を咲かせた男たちの名を、永久に際立たせる」
こころざしに殉じて散った男達の群像は美しい。しかしその足元には、万骨を道連れにしている。
床に腰掛けた上体が、傾いだ。
「劉禅殿!」
「妄言、お忘れください。お恥ずかしい。私も多分、朝まで覚えてはおらぬ・・」
「はあ?」
「近頃目覚めて、しばしば・・昨夜の事を思い出せぬ」
(確かに、劉禅殿は酔っておる)
床に座した上体の揺れを、哀しく見た。
(素面(しらふ)ではとてもここまで、真情は吐露できぬ)
「酒を」
劉禅と鄧艾は、爵に手を伸ばした。
「鄧艾殿、叶えば・・洛陽で誼(よしみ)を通じさせてくだされ」
「に、烹られずに済めば、でございますが」
先ほど、劉禅が例えに出した白起を、思う。
「烹られる?」
「わ、わが宿の婦、く、狗肉の羹をよう作ります」
鄧艾は笑った。
「・・鄧艾殿」
「く、狗肉の臭み、よもぎで消しましてなあ」
「・・・」
「き、祁山で追い詰められて九死に一生を得ました折、皆で猪を狩って羹といたしましたが、嵩が足りぬ。山の艾(よもぎ)を摘んで加えました。に、烹られる走狗の名がよもぎとは、考えてみれば・・せ、世話はない」
「途方もないことを」
「りゅ、劉禅殿の顰に倣い・・あの世にある数多の将卒に我が狗肉の羹を捧げて詫びるとて・・に、烹らるるも詮なし」
「お戯れ・・」
「はい、で、できればこの走狗も、烹られたくはござりませぬ。したが劉禅殿・・御身の命、心と体、まだちと違う遣い様もあるかもしれませぬぞ」
「違う・・遣い道・・」
「あ、あなたも一度は即位なされた、天子。蜀の民の君であった筈」
「民の君・・」
劉禅は、自分の両手を見、その拳を握りしめた。
「な、為すことを為さねば、それこそ泉下で父君にな、何と申し開きなされる」
拳が震える。涙が、落ちた。
「あ、あなたほどのお方が、覚悟も易きに付かれますか」
劉禅の啼泣は、暫く続いた。それを鄧艾は黙って見ている。
「易きに付いては・・ならん」
劉禅がようやく上体を上げた。
「さささ、ふ、扶風王殿」
鄧艾が酒を汲む。
「頂きまする征西将軍」
互いに爵に満を引き、一気に呷って高くかざし、そのまま二人同時に床に投げ捨てた。
酒壺もまた、劉禅の手で砕かれる。
互いに笑う。
「りゅ、劉禅殿には・・毅然として降って頂きたい」
「はい」
「さ、酒を断たれますな」
「・・命懸けて」
これでよい、と思った。司馬昭も英傑、いかに韜晦しようとも劉禅のこころざしは見抜こう。いや、知られずとも良い。まず亡国の民となった蜀人の庇護の為に、劉禅は洛陽で健在でなければならぬ。 .
Posted by 渋柿 at 12:09 | Comments(0)
2011年04月12日
劉禅拝跪(6)
「・・これが乱世でなければ、姜維とは妻子ぐるみ、仲の良い付き合いが叶うた・・とは思われませんかな」
劉禅は、酒精の息を吐いた。鄧艾は酒壺の柄杓を取り、爵に酒を満たし一気に呷る。
「りゅ、劉禅殿、見事な韜晦(とうかい)でしたな」
劉禅はゆっくりと頷いた。
「父の志は継がぬ、魏を撃つ事は諦める、滅ぼされるならそれもよい、ただただ天許す間、蜀の要害の内で退嬰を貪ろう・・などと本音を口にしておったら、殺されておりましたでしょうな」
「姜維に?」
「というより父と孔明の亡霊に。漢朝復興、これはもう神懸りでございますよ。蜀の臣の口癖は、誰も彼も、先帝のご恩に報いるため、でございました」
そういうことか。不可解な軍事記録の謎も、これで解ける。
「臣下だけではない。劉諶は・・」
また、劉禅は酒精を吐いた。
「先帝の廟で妻子と共に・・自害して祖父のこころざしに殉じた」
「おお、おん五男ですな」
「笑うて下され、わが子すら漢朝復興の亡霊の虜にしてしもうた。太子としておりました劉叡も、姜維と肝胆会い照らしておりましてなあ」
「ご長子・・」
「姜維も、我が韜晦には気付いておった。それは気付こうよなあ。忠義であろうと、ずいぶん苦しんでおったようだが・・鄧艾将軍の進攻がいま少し遅ければ、姜維は劉叡を擁立しておったかも知れぬ。私を押し込めるか、殺すかして、の。そこへまさか、あの天険を越えて鄧艾殿が空から降って来るとは」
(危ういところだった)
戦場での危機を切り抜けたときに増さる戦慄が、鄧艾を襲う。
もし劉禅が廃位され、漢朝復興の「こころざし」に凝り固まった太子が即位していたとしたら、蜀だけでなく攻める魏兵側も、膨大な犠牲をだしたであろう。
「み、巫女を使われたことも、ああ・・」
劉禅は巫(ふ)道(どう)に親しみ、鍾会侵入で漢中が急を告げた時でさえ、巫女の託宣に、漢中が陥ちることはないと出た、と援軍を送らなかったという。
「はい。苦し紛れ、神懸りには神懸りで。もはや姜維に我が掣肘は効かぬかと思いましたれど」
「そ、その託宣で出された詔勅に、この何年、何度た、助けられたことか」
「それは重畳(ちょうじょう)。我が国の将卒だけでなく・・魏の兵も救っておりましたか」
「しゅ、酒色に耽(ふけ)っての浪費で、国庫を傾けたというも・・」
「はい、軍備に廻る費えを減らそうつもりも少しは。もっとも、姜維がその数十倍、北伐に遣うてくれましたが」
そういって劉禅は寂しく笑った。この時代、戦の鍵は兵糧である。かつて、魏の曹操は、兵糧の穀物確保のため酒の醸造を厳しく制限したという。まさか劉禅一人で数万人の兵糧を飲みつぶしもしまいが・・一時が万事、帝が率先して士気を挫いていた。
「りゅ、劉禅殿・・本当に酔っておられるのか。理路整然としたお言葉、柄杓の酒一滴も溢さぬお手許・・」
「はは、酒飲みは酒に卑しい、めったに溢さぬだけのこと。・・はい、父が黄巾の乱の折、乱れた世を何とかしたいと志を立てたことまで、間違っていたとは思いませぬ。が、漢こそ正義、漢朝の威光が蘇れば世は救えると思い込んだは時代の錯誤。・・ささ鄧艾殿」
劉禅は、卓に置かれた自分と鄧艾の爵に酒を満たした。やはり緩慢だが、溢さない。
「韜晦のための酒、の筈でした。それが酒の毒に取り付かれ・・お笑いください、酒の気が切れると五体が震え、話すも歩むもままなりませぬ」
「りゅ、劉禅殿・・」
「降る日はさすがに酒を断とうと致しましたが・・見えたのですよ」
「み、見えた?」
「床にも、卓の上にも・・それこそ無数の、蟻のように小さい兵が、殺し合って。・・私ももう、長くはないようじゃ」
劉禅の横顔に、凄絶(せいぜつ)な笑みが浮ぶ。 .
劉禅は、酒精の息を吐いた。鄧艾は酒壺の柄杓を取り、爵に酒を満たし一気に呷る。
「りゅ、劉禅殿、見事な韜晦(とうかい)でしたな」
劉禅はゆっくりと頷いた。
「父の志は継がぬ、魏を撃つ事は諦める、滅ぼされるならそれもよい、ただただ天許す間、蜀の要害の内で退嬰を貪ろう・・などと本音を口にしておったら、殺されておりましたでしょうな」
「姜維に?」
「というより父と孔明の亡霊に。漢朝復興、これはもう神懸りでございますよ。蜀の臣の口癖は、誰も彼も、先帝のご恩に報いるため、でございました」
そういうことか。不可解な軍事記録の謎も、これで解ける。
「臣下だけではない。劉諶は・・」
また、劉禅は酒精を吐いた。
「先帝の廟で妻子と共に・・自害して祖父のこころざしに殉じた」
「おお、おん五男ですな」
「笑うて下され、わが子すら漢朝復興の亡霊の虜にしてしもうた。太子としておりました劉叡も、姜維と肝胆会い照らしておりましてなあ」
「ご長子・・」
「姜維も、我が韜晦には気付いておった。それは気付こうよなあ。忠義であろうと、ずいぶん苦しんでおったようだが・・鄧艾将軍の進攻がいま少し遅ければ、姜維は劉叡を擁立しておったかも知れぬ。私を押し込めるか、殺すかして、の。そこへまさか、あの天険を越えて鄧艾殿が空から降って来るとは」
(危ういところだった)
戦場での危機を切り抜けたときに増さる戦慄が、鄧艾を襲う。
もし劉禅が廃位され、漢朝復興の「こころざし」に凝り固まった太子が即位していたとしたら、蜀だけでなく攻める魏兵側も、膨大な犠牲をだしたであろう。
「み、巫女を使われたことも、ああ・・」
劉禅は巫(ふ)道(どう)に親しみ、鍾会侵入で漢中が急を告げた時でさえ、巫女の託宣に、漢中が陥ちることはないと出た、と援軍を送らなかったという。
「はい。苦し紛れ、神懸りには神懸りで。もはや姜維に我が掣肘は効かぬかと思いましたれど」
「そ、その託宣で出された詔勅に、この何年、何度た、助けられたことか」
「それは重畳(ちょうじょう)。我が国の将卒だけでなく・・魏の兵も救っておりましたか」
「しゅ、酒色に耽(ふけ)っての浪費で、国庫を傾けたというも・・」
「はい、軍備に廻る費えを減らそうつもりも少しは。もっとも、姜維がその数十倍、北伐に遣うてくれましたが」
そういって劉禅は寂しく笑った。この時代、戦の鍵は兵糧である。かつて、魏の曹操は、兵糧の穀物確保のため酒の醸造を厳しく制限したという。まさか劉禅一人で数万人の兵糧を飲みつぶしもしまいが・・一時が万事、帝が率先して士気を挫いていた。
「りゅ、劉禅殿・・本当に酔っておられるのか。理路整然としたお言葉、柄杓の酒一滴も溢さぬお手許・・」
「はは、酒飲みは酒に卑しい、めったに溢さぬだけのこと。・・はい、父が黄巾の乱の折、乱れた世を何とかしたいと志を立てたことまで、間違っていたとは思いませぬ。が、漢こそ正義、漢朝の威光が蘇れば世は救えると思い込んだは時代の錯誤。・・ささ鄧艾殿」
劉禅は、卓に置かれた自分と鄧艾の爵に酒を満たした。やはり緩慢だが、溢さない。
「韜晦のための酒、の筈でした。それが酒の毒に取り付かれ・・お笑いください、酒の気が切れると五体が震え、話すも歩むもままなりませぬ」
「りゅ、劉禅殿・・」
「降る日はさすがに酒を断とうと致しましたが・・見えたのですよ」
「み、見えた?」
「床にも、卓の上にも・・それこそ無数の、蟻のように小さい兵が、殺し合って。・・私ももう、長くはないようじゃ」
劉禅の横顔に、凄絶(せいぜつ)な笑みが浮ぶ。 .
Posted by 渋柿 at 06:43 | Comments(0)
2011年04月11日
劉禅拝跪(5)
その、根も葉もない流話は、鄧艾も耳にしている。
両軍対峙の場で王朗は一騎で進み出、大音声も矍鑠(かくしゃく)とこういったというのだ。
「もはや漢の時代は去った。天命は革(あらた)まったのだ。漢に変わり曹氏の魏が天から命を受け、魏帝が帝位に立った以上、それが天の意志である。劉備やその倅が漢の劉氏に末族だということを楯に皇帝を僭称するなどおこがましい。そも、劉備は賎しい筵(むしろ)売りの小倅、それが乱世に乗じて荊州を借りると称し、また同族たる劉璋が治める蜀を偽り奪い、漢中を強奪して皇帝と唱えるとは、天に背き悪逆無道の振る舞いじゃ。天の意、時代の流れを弁(わきま)えてとく魏に帰順せよ」
それに対して、孔明もまた進み出てこう切り返した・・という。
「髪も髭も白いその姿、世に経りさだめし知恵もあろうかと聞いていたが、実に呆れ果てた妄言(もうげん)なり。やよ王朗。その方若くして漢の孝(こう)廉(れん)に挙げられ、会稽(かいけい)の太守に任ぜられるなど漢朝の恩を深く蒙った身ではないか。それを呉の孫策に攻められるや役目を投げ出し、あまつさえ逆臣(ぎゃくしん)曹操に仕え、その簒奪(さんだつ)に手を貸し、今も逆賊の粟(ぞく)を喰らって老いの身を永らえるとは、呆れ果てた裏切り者。天下の義を知る士は汝の肉を喰ろうても飽き足らぬと思っておる。泉下にて何の面目あって漢帝二四代の霊に見(まみ)ゆるぞ。恥を知れ」
孔明にこう決め付けられた王朗は、馬上悶絶して落馬し、そのまま息絶えた・・
「荒唐無稽な話じゃが、この対決、本当にあったとしたら、悶死したのは・・はてどちらであろうか」
劉禅は酒臭い息を吐いた。
「いや・・孔明は己が信念に堅く立っておった。やはり悶死することはなかったろうが」
「魏が、た、正しいと?」
「正しいというより、時代の流れに乗っておりましょう。それにもともと姜維は魏の人間だった。若き日孔明に捕われねば、別の生き様もあったであろうに。・・祈るしかない」
「い、祈る?」
「姜維が、孔明の・・我が父劉備の亡霊から解き放たれているように。良禽は樹を選ぶ筈じゃ。もう、漢朝再興のために人が死ぬことは見たくない。そのために何十万の人の血が流れましたことか。・・鄧艾殿も、長く姜維と戦い続けてこられた」
「は、はい」
「若い頃・・まだ孔明も生きておったそうじゃが、姜維と逢っておられますな」
「ご、五丈原で、孔明殿がな、亡くなる直前でした。せ、斥候に出て捉えられ・・」
鄧艾にとっての初陣であった。
「孔明に逆らっても、あの折あなたを殺しておくべきだった・・そう申しておりました」
それは・・そうだろう。
「その時洛陽で待っておられたというお子が・・」
「は、はい。此度も我が右腕となった将の鄧忠で」
「ご立派な子息じゃ。姜維はなかなか子に恵まれませんでの。まだ子は幼い」
(ひょっとすると、正妻の子ではないのかもしれぬ)
そういえば孔明も、賢夫人の誉れ高い黄氏との間にはついに子に恵まれず、諸葛瞻は側妾の所生であったと聞く。
「鄧艾殿も、姜維を殺せなかったことは残念ではありましょう。姜維も、あなたを殺そうと死力を尽くしておった」
「さ、さようで」
すべて、見抜いている。
「魏も何やら権力争いがあったような。姜維め、司馬一族に追われた亡命者が来るたび、あなたの話をせがんでおりましたぞ」
「わ、儂の?」
「父上を早く亡くされたそうな。牛を預かって飼い、母上を養われたそうですな」
「げげ、下賎の生まれで」
「何の、私も元を正せばしがない筵売りの小倅」
劉禅は唇を歪めて笑った。蜀の先帝劉備が、二十代半ばまで老母と共に筵や藁沓を編み、市で鬻いで暮らしを立てていたことは、鄧艾も知っている。
「前漢景帝の子、中山靖王の末裔なりと称しておりましたが嘘かまことか。まこととしてもその程度漢の血を継いだものは天下に五万とおる。あろうことか筵売りの小倅を天下の主にと・・多くの血がどれだけ無駄に流れたことでござりましょう」
(姜維の北伐のことか)
戦果てた死屍累々の場を、これまで何度目の当たりにして来たか、と思う。
両軍対峙の場で王朗は一騎で進み出、大音声も矍鑠(かくしゃく)とこういったというのだ。
「もはや漢の時代は去った。天命は革(あらた)まったのだ。漢に変わり曹氏の魏が天から命を受け、魏帝が帝位に立った以上、それが天の意志である。劉備やその倅が漢の劉氏に末族だということを楯に皇帝を僭称するなどおこがましい。そも、劉備は賎しい筵(むしろ)売りの小倅、それが乱世に乗じて荊州を借りると称し、また同族たる劉璋が治める蜀を偽り奪い、漢中を強奪して皇帝と唱えるとは、天に背き悪逆無道の振る舞いじゃ。天の意、時代の流れを弁(わきま)えてとく魏に帰順せよ」
それに対して、孔明もまた進み出てこう切り返した・・という。
「髪も髭も白いその姿、世に経りさだめし知恵もあろうかと聞いていたが、実に呆れ果てた妄言(もうげん)なり。やよ王朗。その方若くして漢の孝(こう)廉(れん)に挙げられ、会稽(かいけい)の太守に任ぜられるなど漢朝の恩を深く蒙った身ではないか。それを呉の孫策に攻められるや役目を投げ出し、あまつさえ逆臣(ぎゃくしん)曹操に仕え、その簒奪(さんだつ)に手を貸し、今も逆賊の粟(ぞく)を喰らって老いの身を永らえるとは、呆れ果てた裏切り者。天下の義を知る士は汝の肉を喰ろうても飽き足らぬと思っておる。泉下にて何の面目あって漢帝二四代の霊に見(まみ)ゆるぞ。恥を知れ」
孔明にこう決め付けられた王朗は、馬上悶絶して落馬し、そのまま息絶えた・・
「荒唐無稽な話じゃが、この対決、本当にあったとしたら、悶死したのは・・はてどちらであろうか」
劉禅は酒臭い息を吐いた。
「いや・・孔明は己が信念に堅く立っておった。やはり悶死することはなかったろうが」
「魏が、た、正しいと?」
「正しいというより、時代の流れに乗っておりましょう。それにもともと姜維は魏の人間だった。若き日孔明に捕われねば、別の生き様もあったであろうに。・・祈るしかない」
「い、祈る?」
「姜維が、孔明の・・我が父劉備の亡霊から解き放たれているように。良禽は樹を選ぶ筈じゃ。もう、漢朝再興のために人が死ぬことは見たくない。そのために何十万の人の血が流れましたことか。・・鄧艾殿も、長く姜維と戦い続けてこられた」
「は、はい」
「若い頃・・まだ孔明も生きておったそうじゃが、姜維と逢っておられますな」
「ご、五丈原で、孔明殿がな、亡くなる直前でした。せ、斥候に出て捉えられ・・」
鄧艾にとっての初陣であった。
「孔明に逆らっても、あの折あなたを殺しておくべきだった・・そう申しておりました」
それは・・そうだろう。
「その時洛陽で待っておられたというお子が・・」
「は、はい。此度も我が右腕となった将の鄧忠で」
「ご立派な子息じゃ。姜維はなかなか子に恵まれませんでの。まだ子は幼い」
(ひょっとすると、正妻の子ではないのかもしれぬ)
そういえば孔明も、賢夫人の誉れ高い黄氏との間にはついに子に恵まれず、諸葛瞻は側妾の所生であったと聞く。
「鄧艾殿も、姜維を殺せなかったことは残念ではありましょう。姜維も、あなたを殺そうと死力を尽くしておった」
「さ、さようで」
すべて、見抜いている。
「魏も何やら権力争いがあったような。姜維め、司馬一族に追われた亡命者が来るたび、あなたの話をせがんでおりましたぞ」
「わ、儂の?」
「父上を早く亡くされたそうな。牛を預かって飼い、母上を養われたそうですな」
「げげ、下賎の生まれで」
「何の、私も元を正せばしがない筵売りの小倅」
劉禅は唇を歪めて笑った。蜀の先帝劉備が、二十代半ばまで老母と共に筵や藁沓を編み、市で鬻いで暮らしを立てていたことは、鄧艾も知っている。
「前漢景帝の子、中山靖王の末裔なりと称しておりましたが嘘かまことか。まこととしてもその程度漢の血を継いだものは天下に五万とおる。あろうことか筵売りの小倅を天下の主にと・・多くの血がどれだけ無駄に流れたことでござりましょう」
(姜維の北伐のことか)
戦果てた死屍累々の場を、これまで何度目の当たりにして来たか、と思う。
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2011年04月09日
劉禅拝跪(4)
「と、時がございませぬ」
今から洛陽の司馬昭の許に使者を発してその許可を待っていたのでは、鐘会や姜維に先手を取られてしまう。
「将、境を出れば詔も及ばず、ですか。が、これは周の礼、今は春秋戦国でもない」
瞬時に、遠隔地の部下に指示を出せる訳はない。また、部下の報告が上司に届くまでにも日数がかかる。だが、現地の実情に甚だしくそぐわない場合に、命令を無視する権限が黙認されていたのは・・遥か昔の事である。
「あの姜維すら、我が詔勅には従いました」
「そそ、そうでしたな」
鄧艾自身、その詔で何度も助けられた。殊に、と姜維に何度も追い詰められた時のことを思う。姜維が詔に従わず、更に進撃していたら、鄧艾の命がなかったことは勿論、長安は危うかったし、一時的にしろ魏の都洛陽も危機に曝された。
「それに・・」
劉禅は酒精の香りの息を吐く。
「巧兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる、の喩(たと)えもございますぞ。白起(はっき)将軍の例も・・」
戦国末期の秦の武将、白起。長平の戦いで趙兵四十万を屠りその後の秦の天下統一を決定的なものにするが、秦王に疎まれ死を命じられている。
白起は、死の直前自分を狗肉・・狗に例えた。犬は中華の民にとって、狩猟に使う家畜であるとともに身近な食材であった。すばしこい兎を何とか捕らえた狩人は、無用となった犬を煮て食べてしまう・・敵が消滅すれば有能すぎる将は粛清されるという寓意、この言葉は漢の高祖と共に楚の項羽を倒した諸将も、粛清の過程で口にしている。
「鄧艾殿の蜀山中を突破された功、そのかみの白起に勝るとも劣らぬ。ゆえに・・ご用心なされよ」
「わ、儂も狗(いぬ)で?」
「蜀という巧兎が滅びた以上、鐘会将軍も鄧艾将軍も、役目の了(おわ)った狗に過ぎぬ。と、国を滅ぼした暗君が申せば、天に唾することになりますかな」
「りゅ、劉禅どの、あ、あなたは・・」
鄧艾に、衝撃が走った。暗愚などではない。それどころか、自分を超えた視野の広さを持っている。
「信じて頂けますかな。私は決して、鍾会将軍を利用して魏への反抗をさせようとて、姜維に投降を命じたのではない」
劉禅は今度は手酌で酒を満たし、呷った。
「死なせたくなかった。姜維も万余の諸卒も。出来れば魏に・・というより司馬昭殿に仕えさせ、あの者の才を正しく用いさせたかった」
「た、正しく用い?」
「すでに天下の民の心は漢を離れ去っている。いくら漢朝復興と唱えて足掻いたところで、時代の歯車も離れた民心も戻りはせぬ」
頭を殴られたような衝撃であった。
「諸葛瞻(しょかつせん)に、降伏を勧められましたな、瑯邪王にも封じると」
劉禅は、静かに鄧艾を見た。
「ろ、瑯邪は諸葛氏の本貫ゆえ、この条件なら或いは・・と。じゃが、て、手ひどく拒まれました」
成都を防衛するための最後の防衛線にあった、諸葛瞻。彼は、蜀の先帝劉備を支えた蜀建国の立役者、諸葛孔明の嫡子。その妻は劉禅の娘であった。父と共に死んだ長子諸葛尚(しょう)は、孔明の嫡孫にして劉禅にも孫に当たる。父子とも最期まで、鄧艾の進撃を悩ませて散った。
「感謝しております。したが、勝手に王を封じようとしたこと、鍾会殿も軍監殿も・・」
「無論、し、知っておりましょう」
その上、今度は劉禅を扶風王に、である。劉禅の危惧は、判る。
鐘会と姜維の策謀を、破れるか。また、司馬昭が、鄧艾の独断をやむなしと許容するか。鄧艾にとっても、これは賭けであった。
畏れ入ったお方じゃ、と、劉禅は爵を含んだ。
「・・孔明と魏の司徒王朗殿とのまことしやかな作り話、ご存知かな」
爵を置く。王朗は、孔明ほど華やかな存在ではない。
「はい。世にる、流布しておりますな。が、その作り話ではこ、孔明殿の漢こそ正義というに激して、王朗殿は悶死されたと」
「王朗殿は漢の世の末、若くして会稽の太守となり、で孫策(呉初代皇帝孫権の兄)に捕らえられるも降らず、曹操(そうそう)殿に仕えて重職を歴任されたそうな。ご面識はおありかな?」
「お、お逢いしたは一度だけですが。文帝陛下(曹操の嫡子曹丕(そうひ))に司空に任じられましたなあ。司徒となったのは晩年、め、明帝陛下(曹丕の嫡子曹叡)の御世の事。司馬昭殿のご嫡子はその孫娘の所生で」
「王朗司徒は、諸葛孔明が初めて魏に攻め込んだ戦いの折、曹真大将軍に従って従軍して孔明に面罵(めんば)され、衝撃のあまり悶死(もんし)した・・ですか。世人は中々に面白い話を作る」
「ね、根も葉もない。王朗殿は洛陽の自邸で、安らかに逝かれた」
壮年の頃は知らず、六十路を過ぎて王朗が戦場に赴いたことはない。ましてや魏蜀の最前線に出たなど、ありえない話である。
「いや、なかなかに面白い」
今から洛陽の司馬昭の許に使者を発してその許可を待っていたのでは、鐘会や姜維に先手を取られてしまう。
「将、境を出れば詔も及ばず、ですか。が、これは周の礼、今は春秋戦国でもない」
瞬時に、遠隔地の部下に指示を出せる訳はない。また、部下の報告が上司に届くまでにも日数がかかる。だが、現地の実情に甚だしくそぐわない場合に、命令を無視する権限が黙認されていたのは・・遥か昔の事である。
「あの姜維すら、我が詔勅には従いました」
「そそ、そうでしたな」
鄧艾自身、その詔で何度も助けられた。殊に、と姜維に何度も追い詰められた時のことを思う。姜維が詔に従わず、更に進撃していたら、鄧艾の命がなかったことは勿論、長安は危うかったし、一時的にしろ魏の都洛陽も危機に曝された。
「それに・・」
劉禅は酒精の香りの息を吐く。
「巧兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる、の喩(たと)えもございますぞ。白起(はっき)将軍の例も・・」
戦国末期の秦の武将、白起。長平の戦いで趙兵四十万を屠りその後の秦の天下統一を決定的なものにするが、秦王に疎まれ死を命じられている。
白起は、死の直前自分を狗肉・・狗に例えた。犬は中華の民にとって、狩猟に使う家畜であるとともに身近な食材であった。すばしこい兎を何とか捕らえた狩人は、無用となった犬を煮て食べてしまう・・敵が消滅すれば有能すぎる将は粛清されるという寓意、この言葉は漢の高祖と共に楚の項羽を倒した諸将も、粛清の過程で口にしている。
「鄧艾殿の蜀山中を突破された功、そのかみの白起に勝るとも劣らぬ。ゆえに・・ご用心なされよ」
「わ、儂も狗(いぬ)で?」
「蜀という巧兎が滅びた以上、鐘会将軍も鄧艾将軍も、役目の了(おわ)った狗に過ぎぬ。と、国を滅ぼした暗君が申せば、天に唾することになりますかな」
「りゅ、劉禅どの、あ、あなたは・・」
鄧艾に、衝撃が走った。暗愚などではない。それどころか、自分を超えた視野の広さを持っている。
「信じて頂けますかな。私は決して、鍾会将軍を利用して魏への反抗をさせようとて、姜維に投降を命じたのではない」
劉禅は今度は手酌で酒を満たし、呷った。
「死なせたくなかった。姜維も万余の諸卒も。出来れば魏に・・というより司馬昭殿に仕えさせ、あの者の才を正しく用いさせたかった」
「た、正しく用い?」
「すでに天下の民の心は漢を離れ去っている。いくら漢朝復興と唱えて足掻いたところで、時代の歯車も離れた民心も戻りはせぬ」
頭を殴られたような衝撃であった。
「諸葛瞻(しょかつせん)に、降伏を勧められましたな、瑯邪王にも封じると」
劉禅は、静かに鄧艾を見た。
「ろ、瑯邪は諸葛氏の本貫ゆえ、この条件なら或いは・・と。じゃが、て、手ひどく拒まれました」
成都を防衛するための最後の防衛線にあった、諸葛瞻。彼は、蜀の先帝劉備を支えた蜀建国の立役者、諸葛孔明の嫡子。その妻は劉禅の娘であった。父と共に死んだ長子諸葛尚(しょう)は、孔明の嫡孫にして劉禅にも孫に当たる。父子とも最期まで、鄧艾の進撃を悩ませて散った。
「感謝しております。したが、勝手に王を封じようとしたこと、鍾会殿も軍監殿も・・」
「無論、し、知っておりましょう」
その上、今度は劉禅を扶風王に、である。劉禅の危惧は、判る。
鐘会と姜維の策謀を、破れるか。また、司馬昭が、鄧艾の独断をやむなしと許容するか。鄧艾にとっても、これは賭けであった。
畏れ入ったお方じゃ、と、劉禅は爵を含んだ。
「・・孔明と魏の司徒王朗殿とのまことしやかな作り話、ご存知かな」
爵を置く。王朗は、孔明ほど華やかな存在ではない。
「はい。世にる、流布しておりますな。が、その作り話ではこ、孔明殿の漢こそ正義というに激して、王朗殿は悶死されたと」
「王朗殿は漢の世の末、若くして会稽の太守となり、で孫策(呉初代皇帝孫権の兄)に捕らえられるも降らず、曹操(そうそう)殿に仕えて重職を歴任されたそうな。ご面識はおありかな?」
「お、お逢いしたは一度だけですが。文帝陛下(曹操の嫡子曹丕(そうひ))に司空に任じられましたなあ。司徒となったのは晩年、め、明帝陛下(曹丕の嫡子曹叡)の御世の事。司馬昭殿のご嫡子はその孫娘の所生で」
「王朗司徒は、諸葛孔明が初めて魏に攻め込んだ戦いの折、曹真大将軍に従って従軍して孔明に面罵(めんば)され、衝撃のあまり悶死(もんし)した・・ですか。世人は中々に面白い話を作る」
「ね、根も葉もない。王朗殿は洛陽の自邸で、安らかに逝かれた」
壮年の頃は知らず、六十路を過ぎて王朗が戦場に赴いたことはない。ましてや魏蜀の最前線に出たなど、ありえない話である。
「いや、なかなかに面白い」
Posted by 渋柿 at 12:05 | Comments(0)
2011年04月08日
劉禅拝跪(3)
「姜維あ、やはい鍾会将軍に叛乱を唆(そそのか)かうとお思いですか」
「えっ」
「我が父が騙(だま)し討ちでこの国を奪ったように、天険の蜀を掌握すれば・・自立は可能かも知れぬ。さらに反転して長安、洛陽を突き、天下を狙うも、なあ」
「りゅ、劉禅殿!」
相変らず呼気に、酒の香は濃い。言葉も間延びするほどゆっくりだが、劉禅のろれつはしだいに確かなものになっていた。
「鐘会将軍は無傷の兵十万を擁しておる。それに地勢を知り抜いた姜維が加われば、あなたは確実に敗れる。もっとも姜維が鍾会将軍と手を携えるとしてもここまで。姜維は骨の髄(ずい)まで漢朝再興・・であろうが」
「そ、その通り」
「じゃがその前に、そもそも鍾会将軍の兵は皆魏兵じゃ。配下の将たちも皆魏の・・というよりは司馬昭殿の、というべきでしょうな・・臣。鍾会将軍と一蓮托生(いちれんたくしょう)の反乱に踏み切るかどうか。蜀の民心さえしっかり掴んでおれば、あなたにも勝機がある」
「あ、あなたは魏に降られた。魏へのむ、謀叛の芽は共に摘んでもらう」
「いいえ、それは違う!」
びくっと鄧艾が身を震わせるほど、劉禅の声は大きかった。
「それは少し違いましょう。確かに洛陽に太祖武帝、曹操殿のおん孫が皇帝とておわしますが・・傀儡でしょう。かつて曹操殿が漢の帝を傀儡とした如く」
「それは・・」
「それに・・大将軍の司馬昭殿は廟堂ですでに北面はなさっておられぬとか」
朝廷において、背後に侍立する女官等を除き、廟堂で南に向かい臣下に対することが出来るのは皇帝のみの筈である。曹操も、その嗣子曹丕も、簒奪直前まで傀儡の漢帝に対しては北面していた。それを、司馬昭は、天子と並んで南面している。
「蜀は滅びましたが、魏の命脈も・・」
「劉禅殿、こ、言葉を慎まれよ」
鄧艾は、力なく窘めた。形としてはすでに簒奪の体勢、司馬昭はもはや魏の皇帝を主君として立ててはいない。これは事実である。
「失礼致しました」
苦笑して詫びた劉禅は、傍らの卒の方を向いた。
「鄧艾殿にも、床と爵を」
「りゅ、鄧艾殿・・」
「今宵はこの亡国の暗君と、一献酌んではくださいませんかな」
「い、頂きまする」
卒はすぐにいいつけられたものを持ってきた。劉禅が、柄杓を酒壺に入れる。
(溢(こぼ)さぬか?)
案じたが、緩慢な動作ながら確実に、劉禅は柄杓の酒を鄧艾の爵に移した。
「りゅ、劉禅殿も、ささ」
今度は鄧艾が柄杓を取った。劉禅は、すでに、かなりの量を飲んでいた。柄杓は壺の底に擦(す)った。酒は残り少ない。卓に、酒の満ちた爵が二つ並ぶ。
「じゃがなあ、今仰った一連の事、許可なきまま断行して大事無いであろうか」
君主とはなべて猜疑(さいぎ)心(しん)の強いもの。特に大軍を預けて遠隔の地に将を派した場合にはなあ・・と酒を啜りながら劉禅がいう。 .
「えっ」
「我が父が騙(だま)し討ちでこの国を奪ったように、天険の蜀を掌握すれば・・自立は可能かも知れぬ。さらに反転して長安、洛陽を突き、天下を狙うも、なあ」
「りゅ、劉禅殿!」
相変らず呼気に、酒の香は濃い。言葉も間延びするほどゆっくりだが、劉禅のろれつはしだいに確かなものになっていた。
「鐘会将軍は無傷の兵十万を擁しておる。それに地勢を知り抜いた姜維が加われば、あなたは確実に敗れる。もっとも姜維が鍾会将軍と手を携えるとしてもここまで。姜維は骨の髄(ずい)まで漢朝再興・・であろうが」
「そ、その通り」
「じゃがその前に、そもそも鍾会将軍の兵は皆魏兵じゃ。配下の将たちも皆魏の・・というよりは司馬昭殿の、というべきでしょうな・・臣。鍾会将軍と一蓮托生(いちれんたくしょう)の反乱に踏み切るかどうか。蜀の民心さえしっかり掴んでおれば、あなたにも勝機がある」
「あ、あなたは魏に降られた。魏へのむ、謀叛の芽は共に摘んでもらう」
「いいえ、それは違う!」
びくっと鄧艾が身を震わせるほど、劉禅の声は大きかった。
「それは少し違いましょう。確かに洛陽に太祖武帝、曹操殿のおん孫が皇帝とておわしますが・・傀儡でしょう。かつて曹操殿が漢の帝を傀儡とした如く」
「それは・・」
「それに・・大将軍の司馬昭殿は廟堂ですでに北面はなさっておられぬとか」
朝廷において、背後に侍立する女官等を除き、廟堂で南に向かい臣下に対することが出来るのは皇帝のみの筈である。曹操も、その嗣子曹丕も、簒奪直前まで傀儡の漢帝に対しては北面していた。それを、司馬昭は、天子と並んで南面している。
「蜀は滅びましたが、魏の命脈も・・」
「劉禅殿、こ、言葉を慎まれよ」
鄧艾は、力なく窘めた。形としてはすでに簒奪の体勢、司馬昭はもはや魏の皇帝を主君として立ててはいない。これは事実である。
「失礼致しました」
苦笑して詫びた劉禅は、傍らの卒の方を向いた。
「鄧艾殿にも、床と爵を」
「りゅ、鄧艾殿・・」
「今宵はこの亡国の暗君と、一献酌んではくださいませんかな」
「い、頂きまする」
卒はすぐにいいつけられたものを持ってきた。劉禅が、柄杓を酒壺に入れる。
(溢(こぼ)さぬか?)
案じたが、緩慢な動作ながら確実に、劉禅は柄杓の酒を鄧艾の爵に移した。
「りゅ、劉禅殿も、ささ」
今度は鄧艾が柄杓を取った。劉禅は、すでに、かなりの量を飲んでいた。柄杓は壺の底に擦(す)った。酒は残り少ない。卓に、酒の満ちた爵が二つ並ぶ。
「じゃがなあ、今仰った一連の事、許可なきまま断行して大事無いであろうか」
君主とはなべて猜疑(さいぎ)心(しん)の強いもの。特に大軍を預けて遠隔の地に将を派した場合にはなあ・・と酒を啜りながら劉禅がいう。 .
Posted by 渋柿 at 17:12 | Comments(0)
2011年04月07日
劉禅拝跪(2)
それから数日、鄧艾は押収した蜀の軍事記録を読んで過ごした。孔明の死後蜀の政を執ったのは、まず蒋琬(しょうえん)、次に費禕(ひい)であった。姜維が対魏戦の指揮権を委ねられたのは、この二人の死後である。
(蜀の魏への進攻北伐が再開されたのは、姜維が大将軍になってからか)
鄧艾は指を繰る。諸葛孔明が五丈原に没してから二十年間は、魏も蜀の天然の要害を思い、積極策には出ていない。退嬰(たいえい)的小康状態が続いていた。
(劉禅は、常に姜維の足を引っ張っておる)
一度ならず、姜維には魏の西都長安を脅かす機会があった。その度、劉禅は勅令を発して兵を引かせている。何故だ・・お定まりの暗君の愚行か?それにしては、足の引っ張り方が、ことごとく時宜(じぎ)を外していない。
(劉禅は、父の悲願の北伐を、成功させたくなかったのか)
それならばそれで、姜維を罷免するなり粛清するなりすればよい。それだけの権力を劉禅は持っていた筈である。判らない。
剣閣の鎮西将軍・鍾会の許からは、姜維の軍を無事接収した旨の使者が来た。降伏の命に激昂した将卒は、己が剣を岩に打ち当てて折り捨てたが、姜維がそれを宥めたという。
「ど、どのようにして、姜維は?」
「勅命に従わぬ者は斬る、と。それに、鎮西将軍に降る折・・」
使者は口ごもる。
「どうしたのじゃ?」
「鐘会将軍は、姜維に、来るのが遅かったではないですかな、と。実は将軍は成都が陥ちる前から、あなたの文武の才は世に轟いておる。天下大業のために共に手を携えませぬか、との使者を発しておられまして・・」
「そ、それは存じておる。で、姜維は何と答えた」
鄧艾も、鍾会の動きには目を光らせてきた。
「私は、まだ早すぎたように思います、と。それから・・」
そこまでいって、使者は言葉を切った。いい淀む。
「そ、それから、何じゃ?」
「いえ、大したことでは・・」
「そ、それから姜維は何と続けた?」
「鍾会将軍だから降伏したのです。蜀でも、あなたの名は鳴り響いておりましたので、と・・」
ここでも使者は言葉を切った。
「そ、それから?」
「・・もし相手が鄧艾だったら、屍になろうとも抵抗したでしょう・・」
「な、何!」
「その日より将軍はずっと姜維と寝食を共にされて・・」
「そ、そうか。使者の役目、ご苦労であった。しょ、鐘会将軍によろしく伝えてくれ」
使者を去らせてから、鄧艾はどすんと床に腰を下ろした。
(狐と狸が、化かしあっておる・・)
鍾会の使者を帰した夜である。
鄧艾は、軟禁した劉禅の許を訪れていた。
(また、酒か)
さすがに妃嬪(ひひん)は遠ざけているが、劉禅は今夜も酒壺を傍らに、濃い酒気を漂わせている。
「鄧艾殿お、一献いああかな。これ、爵をいまひおつ」
あいかわらず回らぬろれつで、傍らの卒に命じる。気楽なものである。降を許された亡国の主の許へ、夜中勝者が現れたというのに、密かな賜死(しし)や暗殺への恐怖など微塵(みじん)も兆(きざ)さぬらしい。
「い、いえ結構で。明日、足下(そっか)を扶(ふ)風(ふう)王、ひょ、驃騎(ひょうき)将軍に封じます」
鄧艾は単刀直入に用件を切り出した。扶風郡は長安に近い。名目だけにしろそこの王に封ずるとは、破格の厚遇である。
「朕(ちん)・・いえ私お、王に?」
「しょ、蜀の文武百官、皆ことごとく従前の役にも留める」
「・・・」
「しょ、蜀宮の倉に蓄えてある穀物も、半ばを民の撫恤(ぶじゅつ)のため放出・・」
劉禅はしばらく黙って、鄧艾の握り締めた拳(こぶし)を見、細かく揺れる髭の先を眺めていた。それから自分の爵(酒器)を取り上げ、一息に酒を呷る。
「判りあした。謹んえ拝受・・」
卓に爵を置いたその眼は、鄧艾を見据えていた。
「民お掴(つか)むたえですな」
「は、はい」
射抜くような視線であった。覚えず、背筋を寒気が走った。 .
(蜀の魏への進攻北伐が再開されたのは、姜維が大将軍になってからか)
鄧艾は指を繰る。諸葛孔明が五丈原に没してから二十年間は、魏も蜀の天然の要害を思い、積極策には出ていない。退嬰(たいえい)的小康状態が続いていた。
(劉禅は、常に姜維の足を引っ張っておる)
一度ならず、姜維には魏の西都長安を脅かす機会があった。その度、劉禅は勅令を発して兵を引かせている。何故だ・・お定まりの暗君の愚行か?それにしては、足の引っ張り方が、ことごとく時宜(じぎ)を外していない。
(劉禅は、父の悲願の北伐を、成功させたくなかったのか)
それならばそれで、姜維を罷免するなり粛清するなりすればよい。それだけの権力を劉禅は持っていた筈である。判らない。
剣閣の鎮西将軍・鍾会の許からは、姜維の軍を無事接収した旨の使者が来た。降伏の命に激昂した将卒は、己が剣を岩に打ち当てて折り捨てたが、姜維がそれを宥めたという。
「ど、どのようにして、姜維は?」
「勅命に従わぬ者は斬る、と。それに、鎮西将軍に降る折・・」
使者は口ごもる。
「どうしたのじゃ?」
「鐘会将軍は、姜維に、来るのが遅かったではないですかな、と。実は将軍は成都が陥ちる前から、あなたの文武の才は世に轟いておる。天下大業のために共に手を携えませぬか、との使者を発しておられまして・・」
「そ、それは存じておる。で、姜維は何と答えた」
鄧艾も、鍾会の動きには目を光らせてきた。
「私は、まだ早すぎたように思います、と。それから・・」
そこまでいって、使者は言葉を切った。いい淀む。
「そ、それから、何じゃ?」
「いえ、大したことでは・・」
「そ、それから姜維は何と続けた?」
「鍾会将軍だから降伏したのです。蜀でも、あなたの名は鳴り響いておりましたので、と・・」
ここでも使者は言葉を切った。
「そ、それから?」
「・・もし相手が鄧艾だったら、屍になろうとも抵抗したでしょう・・」
「な、何!」
「その日より将軍はずっと姜維と寝食を共にされて・・」
「そ、そうか。使者の役目、ご苦労であった。しょ、鐘会将軍によろしく伝えてくれ」
使者を去らせてから、鄧艾はどすんと床に腰を下ろした。
(狐と狸が、化かしあっておる・・)
鍾会の使者を帰した夜である。
鄧艾は、軟禁した劉禅の許を訪れていた。
(また、酒か)
さすがに妃嬪(ひひん)は遠ざけているが、劉禅は今夜も酒壺を傍らに、濃い酒気を漂わせている。
「鄧艾殿お、一献いああかな。これ、爵をいまひおつ」
あいかわらず回らぬろれつで、傍らの卒に命じる。気楽なものである。降を許された亡国の主の許へ、夜中勝者が現れたというのに、密かな賜死(しし)や暗殺への恐怖など微塵(みじん)も兆(きざ)さぬらしい。
「い、いえ結構で。明日、足下(そっか)を扶(ふ)風(ふう)王、ひょ、驃騎(ひょうき)将軍に封じます」
鄧艾は単刀直入に用件を切り出した。扶風郡は長安に近い。名目だけにしろそこの王に封ずるとは、破格の厚遇である。
「朕(ちん)・・いえ私お、王に?」
「しょ、蜀の文武百官、皆ことごとく従前の役にも留める」
「・・・」
「しょ、蜀宮の倉に蓄えてある穀物も、半ばを民の撫恤(ぶじゅつ)のため放出・・」
劉禅はしばらく黙って、鄧艾の握り締めた拳(こぶし)を見、細かく揺れる髭の先を眺めていた。それから自分の爵(酒器)を取り上げ、一息に酒を呷る。
「判りあした。謹んえ拝受・・」
卓に爵を置いたその眼は、鄧艾を見据えていた。
「民お掴(つか)むたえですな」
「は、はい」
射抜くような視線であった。覚えず、背筋を寒気が走った。 .
Posted by 渋柿 at 12:50 | Comments(0)
2011年04月05日
劉禅拝跪(1)
(何だ、この男は)
跪(ひざまず)く蜀帝劉禅を見て、魏の征西将軍鄧艾は驚いた。
棺(ひつぎ)を載せた車の脇で、冠を去り裸足(はだし)、白絹で身を縛(しば)った姿は降伏の作法に則(のっと)っていた。だが、跪き叩頭(こうとう)する肩が、どう見てもふらふらと揺れている。
(酔っているのか)
ゆっくりと頭を上げたが、瞳はとろんと濁(にご)り、焦点が合っていない。
(これがあの、群雄逐鹿(ぐんゆうちくろく)の乱世を生き残り、蜀の国を建てた、英雄劉備(りゅうび)の息子か)
自分とそう変わらぬ五十路の筈である。だがその四肢(しし)は、長年の酒色に荒み切っていた。
「降伏いあします。この身あいかおうにも」
ろれつも危うい。
降伏の証拠(しるし)、背後に聳(そび)え立つ成都の城門の楼柱(ろうちゅう)には、結んだ白裂(しろきれ)が夥(おびただ)しく風に吹かれている。鄧艾も降を受ける作法通り、劉禅の縛(いまし)めを解き、引いてきた棺を破壊させた。
「りゅ、劉禅殿、御身の安全は保障いたす。い、いずれ洛陽(らくよう)に赴いて頂くが、それまではここ、後殿にて・・」
吃音(きつおん)は鄧艾生来の、宿瘂(しゅくあ)である。居並ぶ蜀臣達から失笑が出るかと思ったが、その場は水を打ったように静かであった。鄧艾が魏将として蜀軍と死闘を繰り広げて十数年になる。吃音将軍のことは皆承知しているようだった。
「ははっ」
劉禅は叩頭する。
漢末の群雄の潰し合いの後、天下はこの四十余年、生き残った曹氏の魏・孫氏の呉・劉氏の蜀による三分した状態のままだった。魏の景元四年(二六三)は呉の永安六年であり、蜀の炎興元年であった。十月は、すでに冬といってよい。ここに魏の征西将軍鄧艾は成都を陥落させ、蜀を滅ぼした。
蜀臣が進み出て膝まずき、魏に奉呈すべき蜀の地籍を読み上げた。領戸二十八万、男女人口九十四万人、帯中将士十万二千人、吏四万人、米四十四万石、金銀二千斤、錦綺二十万匹・・・
(誇張か?)
鄧艾は一瞬耳を疑う。これだけの力が残っておれば、兵糧といい、兵力といい、まだまだかなりの抵抗ができたかもしれなかった。
(いや、賢明な判断か)
武人として見れば、敵とはいえ蜀帝の降る姿は見苦しくさえある。だが、一時持ちこたえたとしても、魏の権力者、大将軍司馬昭の許には都洛陽に数十万の兵力がある。漢中には、今回、二手に別れて攻め込んだもう一方の軍、鎮西将軍鍾会が、十万の兵を擁している。反撃で一時は持ちこたえても、蜀の果てには絶望的な全滅しかない。
ともあれ、鄧艾は目録を受け、蜀の最後の国材を接収した。昭烈帝劉備の建国した蜀漢は享国四二年、ここに滅亡したのである。
ややあって頭を上げ、劉禅はいった。
「鄧艾将軍、既に剣閣(けんかく)お姜維には・・魏にくあるよう厳しう命じあした」
「な、何と」
「今頃あ武装を解き、鐘会(しょうかい)将軍い降っていう筈でございあす」
(しまった!)
鄧艾はこの十年、魏蜀国境において、蜀の大将軍姜維と死闘を演じて来た。
(骨の髄まで、漢王朝再興劉氏による天下再統一の信念が染みた男が、生き残った)
劉禅に降伏を厳命されなければ、姜維は成都が陥落しようと降伏はしなかっただろう。もっとも抵抗を続けようにも、王城も陥(お)ちたといえば、将卒の士気が奮うはずはない。
(結局、自害するか、全滅するかしかない筈だった)
現に劉禅の子の一人劉諶(りゅうしん)は、降伏に断固反対して、降伏の使者が発せられるや妻子と共に自害している。死に場所は、祖父劉備の墓所であった。
「い、いつ、使者を・・」
「貴殿い降伏お決まって、すう、早馬を」
地籍の簿(ぼ)も整理して差し出してもらわねばならぬ。それに降伏とあらば他にもいろいろと整理することもあろう・・といわば武人の情け、正式の降伏まで時間を猶予したことが、重大な結果をもたらした。蜀の旧主の命に服し降伏した姜維を、自分はもちろん剣閣で対峙している魏将鍾会も、公式に処断することはできない。
姜維は漢中を魏に奪われた後、天険の蜀盆地の喉許の剣閣の砦を固く守り、魏兵を一人たりとも入れぬ構えを取っていた。自分に可能な限りの兵力を投入していた筈である。
剣閣を通らねば成都へは行けぬ。誰が考えても、ここさえ守れば、であり、ここさえ陥とせば・・の筈だった。
睨み合いは膠着状態。その間隙を縫って剣閣を迂回、鄧艾は姜維の背後の冬の蜀の天険を突破して、成都を陥落させたのだ。
それは成功する可能性は極めて少ない作戦であり、あくまでも剣閣を死守しようとした姜維の判断は、決して間違ってはいない。
(それだけに、悔しかろう。暗殺、か。いや、剣閣の地にあるは鍾会。あの男が、折角(せっかく)手中にした持ち駒を捨てることはあるまい)
実のところ、魏軍は内訌、いや造反の兆しすら抱えている。
鄧艾より二回りも若い、もう一人の司令官、鍾会。先祖は楚の錘離昧将軍という。父は漢の司隷校尉、曹操の許で活躍した。名門である。だが、何を考えているのか、その目だけが笑わぬ笑顔や薄い唇が心許せぬ。はっきりいえば野心家で、鄧艾とは反りが合わない。
そもそも魏の廟堂でも鍾会を鎮西将軍として大軍を預け、派遣することに反対の声は多かった。確かに、危険な賭けであった。
(姜維とその軍事力を、温存してしまった。しかも、あの鍾会の許で)
鐘会は漢中に大軍を擁している。彼が今まで成都を攻略できなかったのは、要害の地に、姜維が堅い守りをしていたからであった。情勢が、一変した。悔いても帰らない。
それにしてもあの混乱の中で姜維に急使を派するとは、と、とろんとした眼の劉禅の顔を見直した。
(この男、ただの愚者か?) .
跪(ひざまず)く蜀帝劉禅を見て、魏の征西将軍鄧艾は驚いた。
棺(ひつぎ)を載せた車の脇で、冠を去り裸足(はだし)、白絹で身を縛(しば)った姿は降伏の作法に則(のっと)っていた。だが、跪き叩頭(こうとう)する肩が、どう見てもふらふらと揺れている。
(酔っているのか)
ゆっくりと頭を上げたが、瞳はとろんと濁(にご)り、焦点が合っていない。
(これがあの、群雄逐鹿(ぐんゆうちくろく)の乱世を生き残り、蜀の国を建てた、英雄劉備(りゅうび)の息子か)
自分とそう変わらぬ五十路の筈である。だがその四肢(しし)は、長年の酒色に荒み切っていた。
「降伏いあします。この身あいかおうにも」
ろれつも危うい。
降伏の証拠(しるし)、背後に聳(そび)え立つ成都の城門の楼柱(ろうちゅう)には、結んだ白裂(しろきれ)が夥(おびただ)しく風に吹かれている。鄧艾も降を受ける作法通り、劉禅の縛(いまし)めを解き、引いてきた棺を破壊させた。
「りゅ、劉禅殿、御身の安全は保障いたす。い、いずれ洛陽(らくよう)に赴いて頂くが、それまではここ、後殿にて・・」
吃音(きつおん)は鄧艾生来の、宿瘂(しゅくあ)である。居並ぶ蜀臣達から失笑が出るかと思ったが、その場は水を打ったように静かであった。鄧艾が魏将として蜀軍と死闘を繰り広げて十数年になる。吃音将軍のことは皆承知しているようだった。
「ははっ」
劉禅は叩頭する。
漢末の群雄の潰し合いの後、天下はこの四十余年、生き残った曹氏の魏・孫氏の呉・劉氏の蜀による三分した状態のままだった。魏の景元四年(二六三)は呉の永安六年であり、蜀の炎興元年であった。十月は、すでに冬といってよい。ここに魏の征西将軍鄧艾は成都を陥落させ、蜀を滅ぼした。
蜀臣が進み出て膝まずき、魏に奉呈すべき蜀の地籍を読み上げた。領戸二十八万、男女人口九十四万人、帯中将士十万二千人、吏四万人、米四十四万石、金銀二千斤、錦綺二十万匹・・・
(誇張か?)
鄧艾は一瞬耳を疑う。これだけの力が残っておれば、兵糧といい、兵力といい、まだまだかなりの抵抗ができたかもしれなかった。
(いや、賢明な判断か)
武人として見れば、敵とはいえ蜀帝の降る姿は見苦しくさえある。だが、一時持ちこたえたとしても、魏の権力者、大将軍司馬昭の許には都洛陽に数十万の兵力がある。漢中には、今回、二手に別れて攻め込んだもう一方の軍、鎮西将軍鍾会が、十万の兵を擁している。反撃で一時は持ちこたえても、蜀の果てには絶望的な全滅しかない。
ともあれ、鄧艾は目録を受け、蜀の最後の国材を接収した。昭烈帝劉備の建国した蜀漢は享国四二年、ここに滅亡したのである。
ややあって頭を上げ、劉禅はいった。
「鄧艾将軍、既に剣閣(けんかく)お姜維には・・魏にくあるよう厳しう命じあした」
「な、何と」
「今頃あ武装を解き、鐘会(しょうかい)将軍い降っていう筈でございあす」
(しまった!)
鄧艾はこの十年、魏蜀国境において、蜀の大将軍姜維と死闘を演じて来た。
(骨の髄まで、漢王朝再興劉氏による天下再統一の信念が染みた男が、生き残った)
劉禅に降伏を厳命されなければ、姜維は成都が陥落しようと降伏はしなかっただろう。もっとも抵抗を続けようにも、王城も陥(お)ちたといえば、将卒の士気が奮うはずはない。
(結局、自害するか、全滅するかしかない筈だった)
現に劉禅の子の一人劉諶(りゅうしん)は、降伏に断固反対して、降伏の使者が発せられるや妻子と共に自害している。死に場所は、祖父劉備の墓所であった。
「い、いつ、使者を・・」
「貴殿い降伏お決まって、すう、早馬を」
地籍の簿(ぼ)も整理して差し出してもらわねばならぬ。それに降伏とあらば他にもいろいろと整理することもあろう・・といわば武人の情け、正式の降伏まで時間を猶予したことが、重大な結果をもたらした。蜀の旧主の命に服し降伏した姜維を、自分はもちろん剣閣で対峙している魏将鍾会も、公式に処断することはできない。
姜維は漢中を魏に奪われた後、天険の蜀盆地の喉許の剣閣の砦を固く守り、魏兵を一人たりとも入れぬ構えを取っていた。自分に可能な限りの兵力を投入していた筈である。
剣閣を通らねば成都へは行けぬ。誰が考えても、ここさえ守れば、であり、ここさえ陥とせば・・の筈だった。
睨み合いは膠着状態。その間隙を縫って剣閣を迂回、鄧艾は姜維の背後の冬の蜀の天険を突破して、成都を陥落させたのだ。
それは成功する可能性は極めて少ない作戦であり、あくまでも剣閣を死守しようとした姜維の判断は、決して間違ってはいない。
(それだけに、悔しかろう。暗殺、か。いや、剣閣の地にあるは鍾会。あの男が、折角(せっかく)手中にした持ち駒を捨てることはあるまい)
実のところ、魏軍は内訌、いや造反の兆しすら抱えている。
鄧艾より二回りも若い、もう一人の司令官、鍾会。先祖は楚の錘離昧将軍という。父は漢の司隷校尉、曹操の許で活躍した。名門である。だが、何を考えているのか、その目だけが笑わぬ笑顔や薄い唇が心許せぬ。はっきりいえば野心家で、鄧艾とは反りが合わない。
そもそも魏の廟堂でも鍾会を鎮西将軍として大軍を預け、派遣することに反対の声は多かった。確かに、危険な賭けであった。
(姜維とその軍事力を、温存してしまった。しかも、あの鍾会の許で)
鐘会は漢中に大軍を擁している。彼が今まで成都を攻略できなかったのは、要害の地に、姜維が堅い守りをしていたからであった。情勢が、一変した。悔いても帰らない。
それにしてもあの混乱の中で姜維に急使を派するとは、と、とろんとした眼の劉禅の顔を見直した。
(この男、ただの愚者か?) .
Posted by 渋柿 at 20:15 | Comments(0)