2009年09月18日
「中行説の桑」19
「えっ」
宦官は宮中に宿営するのが原則である。しかし特に認められて、都の中に家を持つこともできた。時代が下れば、そこで内々にならば「妻」を持ち養子を迎えて家庭を持っている宦官さえもいたのである。
「それは宦官令様の、お骨折りでございましょう。誠にありがとうございます」
「あ、いや・・儂の力ばかりではないがの」張沢は、照れたように笑った。「そなたの父母は、燕に健在なのであろう」
「はい・・宦官になってから一度も会ってはおりませんが」
「呼び寄せるがよい」
思い掛けない言葉だった。
蚕が病気で死に絶えて、説は一家を救うために身を売り、人の賤しむ宦官となった。
(父母・・来てくれるだろうか)
二人の兄は嫁を迎えて養蚕の家業を続けているし、近くに嫁いだ姉の子達も、父母はむつきのうちから慈しんできたはずである。宦官となった中行説は、無論のこと華燭の典に招かれることもなく、暫くはあった母の燕王府を通じた音信も絶え絶えである。人の卑しむ身の上となってしまっているのだ。
宦官となった時に肉親との絆を失った朋輩も多い。
(多分、父さんも母さんも燕を離れたがらないだろう)説は、寂しく思った。(どうせ、肉親との縁はすでに切れている)
「では、酪のこと、よろしくな」張沢は、もう一度説の肩を叩き、去っていった。
半日の半分の半分、初めは激しくあとは静かに・・記憶にある「酪の小父さん」の言葉をなぞり三日、中行説は瓢箪に牛の乳を入れて試行錯誤を繰り返した。激しく振る時間の加減、静かに揺する時間の加減・・幾つもの瓢箪の牛乳を無駄にし、ついに「これが酪」という物を作った。
その酪を溶かした湯は、和蕃公主の御意に叶った。
それから数度、召されてお褒めの言葉を賜り、説はしばしば公主の前に伺候し、話し相手を勤めている。
その和蕃公主が、「国禁を犯し、匈奴の地で絹の生産ができおるよう、蚕種と桑の種を持ち出したい」という。
宦官は宮中に宿営するのが原則である。しかし特に認められて、都の中に家を持つこともできた。時代が下れば、そこで内々にならば「妻」を持ち養子を迎えて家庭を持っている宦官さえもいたのである。
「それは宦官令様の、お骨折りでございましょう。誠にありがとうございます」
「あ、いや・・儂の力ばかりではないがの」張沢は、照れたように笑った。「そなたの父母は、燕に健在なのであろう」
「はい・・宦官になってから一度も会ってはおりませんが」
「呼び寄せるがよい」
思い掛けない言葉だった。
蚕が病気で死に絶えて、説は一家を救うために身を売り、人の賤しむ宦官となった。
(父母・・来てくれるだろうか)
二人の兄は嫁を迎えて養蚕の家業を続けているし、近くに嫁いだ姉の子達も、父母はむつきのうちから慈しんできたはずである。宦官となった中行説は、無論のこと華燭の典に招かれることもなく、暫くはあった母の燕王府を通じた音信も絶え絶えである。人の卑しむ身の上となってしまっているのだ。
宦官となった時に肉親との絆を失った朋輩も多い。
(多分、父さんも母さんも燕を離れたがらないだろう)説は、寂しく思った。(どうせ、肉親との縁はすでに切れている)
「では、酪のこと、よろしくな」張沢は、もう一度説の肩を叩き、去っていった。
半日の半分の半分、初めは激しくあとは静かに・・記憶にある「酪の小父さん」の言葉をなぞり三日、中行説は瓢箪に牛の乳を入れて試行錯誤を繰り返した。激しく振る時間の加減、静かに揺する時間の加減・・幾つもの瓢箪の牛乳を無駄にし、ついに「これが酪」という物を作った。
その酪を溶かした湯は、和蕃公主の御意に叶った。
それから数度、召されてお褒めの言葉を賜り、説はしばしば公主の前に伺候し、話し相手を勤めている。
その和蕃公主が、「国禁を犯し、匈奴の地で絹の生産ができおるよう、蚕種と桑の種を持ち出したい」という。
Posted by 渋柿 at 07:06 | Comments(0)