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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年11月02日

「中行説の桑」【あらずじ】

  漢建国間後二十数年、文帝の治世。養蚕をしている中行説の親は蚕が伝染病で全滅し、末子の説を宮廷の宦官に売ってしまう。そこで苛められもするが、若い史官・司馬喜に救われ、学問を教えてもらうことになる。

 文帝は一族の娘姚娥を和蕃公主と称して騎馬民族匈奴の単于に嫁がせる。姚娥は「漢に仇なすつもりはない。ただ折角嫁ぐのだから面白い手土産を持参したい」と嫁入りに国禁の桑の種を持参する。中行説は姚娥に気に入られ、嫁入りに扈従するが誠実すぎる自分や姚娥が漢の禍になるかもしれないと思う。

 匈奴の本拠地漠北での生活が始まり、単于の太子軍臣が姚娥に懸想し、父単于に乞うて自分の妻にする。姚娥は軍臣の子於単を産むが、漢からの幣物の穀物の麦角汚染による落馬事故で死ぬ。軍臣は「機密を知るものを生きて漢に返すわけにはいかぬ」と引き続き自分に仕えてくれるよう頼む。中行説は、一旦は「裏切り者になったら漢の地にいる親兄弟に災いが及ぶ」と断る。

 軍臣は一度は中行説を殺そうとするが思い止まり、女間諜・娟に命じて燕の親兄弟一族が麦角中毒で全滅したこと、中行説をすでに「裏切り者」に仕立て上げて対漢諜報活動を行っていたことを告げさせる。中行説は娟の必死の求愛を受けて漢の裏切り者になる事を決意する。そして単于と軍臣の意を受け漢の使節を論破し、その直後匈奴は大挙して漢の領内に侵入し略奪拉致を重ねる。漢の宮廷には「中行説こそ漢の禍」という声が満ちる。
 
父単于の死によって軍臣が即位した頃、中行説は娟と結婚して娟の甥を養子とし、家庭を築き、その養子中行証を学友として軍臣の長子於単と末弟伊稚斜に学問を教えていた。

 桑の木陰での授業の帰り、草原に出来た市場で、娟に翡翠の耳飾りを買おうとした中行説はまだ幼い漢の刺客に襲われ、その刺客を庇って逃がした後に落命する。
  


Posted by 渋柿 at 09:18 | Comments(0)

2009年11月01日

「中行説の桑」【最終回】

 伝説はこう続く。
 無事公主と繭を迎えた王は、国中に桑の木の大捜索を命じるが、漢とはまったく気候が違う于闐では、なかなか見つからなかった。
繭が到着してから桑を探し始めるとは、漢に入朝して予め公主の愛を得てから改めて正式な求婚をしたという于闐王の用意周到さとはまるで平仄が合わぬように思われるが・・この場は伝説をそのまま再録する。
(桑がなければ、蚕は育たない)王と若い妃が絶望に打ちひしがれたとき、人里離れた草原の小さな泉の傍らで数本の野生の桑の木が見つかったという知らせが届いた。
 国王夫妻は馬を駆ってその泉に急いだ。
 確かに、見事な桑の木が青々と葉を茂せている。
 王は妃に向かい、詩の一節を吟じた。

 隰辺りの桑は美しく、その葉は柔らかにしげる。こうやってあなたに逢えました。どんなに嬉しいか知れません。

 妃は続けた。

 隰辺りの桑は美しく、その葉はつややかに沃(うるお)う。こうやってあなたに逢えました。どうして喜ばずに居れましょう。

 繭から出た蚕蛾は卵を産み、蚕は泉の桑の葉を食べて育ち、繭となり、又卵を産んだ。 
 伝説は、こう結ばれている。
 桑の木を探し出した村の古老は、いったそうである。
「この泉のほとりに、昔々、勢い盛んだったころの匈奴の部隊が宿営していたと聞いております」

 タクラマカン砂漠西縁、于闐、現在のホータンは今でも絹の一大生産地として繁栄を続けている。 
  


Posted by 渋柿 at 10:04 | Comments(0)