2013年01月29日

峰家の父子

 今春刊行される二里町誌の執筆委員から「大正九年流行性感冒治験」という文書の写しを頂きました。まず冒頭「博士学士連署してこの病理治方を知らずと発表」「我が県下諸方伊万里外村々等も死亡多し」とあり、世界的に猛威を振るった所謂スペイン風邪に、著者峰(峯)源次郎当時75歳と息子直次郎51歳が二里村で行った対症療法、感染予防が克明に記録されています。
峰家の父子

 峰源次郎は代々の医者の家に生まれて藩の医学校を経て東京の大学東校に学びました。大隈重信の知遇を得て屋敷に寄宿し、語学を生かして秘書的な仕事もしていたようです。その後大隈の勧めにより大蔵省で外交文書の翻訳に携わりました。現在その内の160点が早稲田大学に収蔵されています。47歳で二里村に帰郷して医業に戻り、診療の傍ら細菌学、無蛋白ツベルクリンを研究して大正13年日本医師会長表彰を受け88歳の天寿を全うしました。
 
 直次郎は、父の母校の後身帝国大学(現東京大学医学部)で学んだ後軍医となりました。勤務地台湾で執筆した寄生虫病トキソプラズマの研究は、現在でも論文に引用されることがあります。また、陸軍軍医総監でもあった森鴎外の日記に直次郎との交友が記されています。40代で辞職して故郷の村医者となったのは、父の影響だったのでしょうか。西松浦連合医師会長を務め、スペイン風邪流行直前の赤痢蔓延時にも父と共に活躍したそうです。昭和6年出版の「結核に悩む人々の為めに」も、版を重ねて長く読み継がれました。
 
 東京で学び力を発揮しながら壮年期に帰郷してふるさとに尽くした父子は、伊万里市二里町作井手の国見山と腰岳を望む墓所に、それぞれの妻と共に静かに眠っています。

峰家の父子


写真①「大正九年流行性感冒治験」冒頭(コピー)

写真②伊万里市二里町作井手の父子の墓所


【参考文献】
早稲田社会科学総合研究 第7巻第1号(2006年7月)
資料紹介
峯源次郎旧蔵・大隈重信関係欧文文書
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/10060/1/40139_7_1.pdf#search='峯静軒'




Posted by 渋柿 at 20:45 | Comments(1)
この記事へのコメント
久しぶりですね。g4
Posted by 永留 城一郎 at 2013年01月29日 23:46
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