2009年09月04日
「中行説の桑」4
この辺りは、もう百年の余も匈奴と漢民族の権力者が激しい攻防を繰り広げてきた土地であった。
燕を滅ぼした秦の始皇帝は蒙恬(もうてん)将軍に命じて、燕や趙に侵入していた匈奴を北方に追いやった。
その秦が滅び、漢が内乱を制して建国する頃、匈奴はその隙をついて、再び長城を南下した。その侵入を防ごうとした高祖を白登山で完膚なきまでに破っている。
この白登山の戦いの後、漢の朝廷は匈奴に対してひたすら低姿勢の外交を続た。それでこのように、国禁を犯し長城を越えて来た匈奴の民と交易することも、黙認しているのだ。
漢民族とは異なる、いわゆる「碧眼紫髭」の長城の外の民の外見が中華の文書に現れるのはずっと降った唐代になってからである。
秦と前後の漢の時代を通じて、諸記録は匈奴の外見的特徴について何等記述していない。ただその衣装風俗を記すのみである。漢人と匈奴の外観相貌に、特記すべき相違はなかったであろうことが推測される。
(酪が買えた!) ここまで聞いて、説だけではなく兄妹全部の顔が輝いた。
父母は知っているのかもしれないが、子ども達は、「酪の小父さん」と呼んでいるこの匈奴の男の本当の名は知らない。時に父母も、子ども達と一緒に「酪さん」などと呼んだ。
「父さん、今帰りました」長兄が勢いよく小屋の戸をあけた。
「おう、もう桑の枝打ちの季節かい。いつも感心な子ども達だねえ」なめした羊皮の上衣に下袴の男が、愛想のいい声をかけた。
父よりいくらか若いらしいこの男は、説がもの心つく前からいつもこの時期、長城の外から岩塩や乳製品、毛皮などを携えて絹を買いに来ているようだった。
「今年は、俺たちで新しい桑の苗も植えましたよ、なあ」長兄が、誇らしげに説たち弟妹を見ていった。
「そうか、そりゃよかった。人も桑も、跡継ぎの心配は無いってことだな」妙な訛りはあるが、なかなか達者な漢の言葉だった。「隰辺りの桑は美しく、その葉は柔らかにしげる。こうやってあなたに逢えました。どんなに嬉しいか知れません・・そんな詩があったよなあ、中行さん」匈奴の男が、いった。
燕を滅ぼした秦の始皇帝は蒙恬(もうてん)将軍に命じて、燕や趙に侵入していた匈奴を北方に追いやった。
その秦が滅び、漢が内乱を制して建国する頃、匈奴はその隙をついて、再び長城を南下した。その侵入を防ごうとした高祖を白登山で完膚なきまでに破っている。
この白登山の戦いの後、漢の朝廷は匈奴に対してひたすら低姿勢の外交を続た。それでこのように、国禁を犯し長城を越えて来た匈奴の民と交易することも、黙認しているのだ。
漢民族とは異なる、いわゆる「碧眼紫髭」の長城の外の民の外見が中華の文書に現れるのはずっと降った唐代になってからである。
秦と前後の漢の時代を通じて、諸記録は匈奴の外見的特徴について何等記述していない。ただその衣装風俗を記すのみである。漢人と匈奴の外観相貌に、特記すべき相違はなかったであろうことが推測される。
(酪が買えた!) ここまで聞いて、説だけではなく兄妹全部の顔が輝いた。
父母は知っているのかもしれないが、子ども達は、「酪の小父さん」と呼んでいるこの匈奴の男の本当の名は知らない。時に父母も、子ども達と一緒に「酪さん」などと呼んだ。
「父さん、今帰りました」長兄が勢いよく小屋の戸をあけた。
「おう、もう桑の枝打ちの季節かい。いつも感心な子ども達だねえ」なめした羊皮の上衣に下袴の男が、愛想のいい声をかけた。
父よりいくらか若いらしいこの男は、説がもの心つく前からいつもこの時期、長城の外から岩塩や乳製品、毛皮などを携えて絹を買いに来ているようだった。
「今年は、俺たちで新しい桑の苗も植えましたよ、なあ」長兄が、誇らしげに説たち弟妹を見ていった。
「そうか、そりゃよかった。人も桑も、跡継ぎの心配は無いってことだな」妙な訛りはあるが、なかなか達者な漢の言葉だった。「隰辺りの桑は美しく、その葉は柔らかにしげる。こうやってあなたに逢えました。どんなに嬉しいか知れません・・そんな詩があったよなあ、中行さん」匈奴の男が、いった。
Posted by 渋柿 at 18:51 | Comments(0)