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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2015年06月28日

鯰酔虎伝 18

 左京の骨拾ってべろべろんなって・・その日、夜の高座引き摺り降ろされたっけ。

 そうか、左京の遺言で、俺んとこ来たのか。具合が悪いのに、すぐに左京聞きたくて歩き回ったなあ・・無理もない。

「もう一度、聞こうか」

 コップに残る安酒を呷り、PLAYを押した。瀬戸際の命を輝かして逝った噺家の声が、四畳半に明るく響き渡る。




「師匠、師匠、連休しょっぱな、九州で会です。京蔵師匠と二人会、佐賀市文化会館」

 朝顔が、ノックもせずに入って来た。

「あたしも前座代わり、何か演れって」

 長楽亭京蔵、左京の兄弟子で今テレビでも売れてる奴だ。朝顔も入門六年目で、二つ目としてかなり香盤も上がってきている。

「何だと?先週羽幌ってとこへ行ったばかりだぜ。年寄りぃ日本中飛び回らせやがって」

「時代が、やっと師匠に追いついたんです。売れてるうちに売っとかないと」

「全く、師匠遣いの荒い弟子だぜ。都の老人無料パスで行けるとこだけにしろ」

「交通費、ちゃんと出ますってば」

 近頃はそうでしょ、宿も取って貰えます、何たって協賛今度も新聞社ですから・・朝顔は大乗り気だ。

 きっと左京ファンだろう、追悼CDの噺を、ネット動画にUPした物好きがいた。その中の「ガンバレ」が何とアクセス数十万の大評判となり、【本家ガンバレ】の鯰にまで人気が飛び火した。なんせ今でも「ガンバレの動画で長楽亭左京を知ってファンになりました。随分前に亡くなっていたと判ってびっくりしました」なんてファンレターが、協会気付でどっさり届いている。

 あいつはテレビ仕事なんぞ滅多に受けず、生の高座を大事にした。だから知る人ぞ知る幻の名手で終わっちまったんだが、インターネットの世界で復活するたあ皮肉なもんだ。

 そのお零れ、寄席の出番が急に増えた。去年は定席で十回もトリを取らせてもらったし、テレビにも何回も出た。売っ子真打の独演会や落語会に、共演で呼ばれることも増えた。地方公演の口も、次々掛かった。

(あの世に持ってける訳でもないのに・・)

 勝手に金も、入って来た。

 四畳半一間のアパートを、引っ越してはいない。ただ学生が卒業して空いていた部屋を、自分の寝室として借りた。フリーターの兄ちゃんが出ていった後、そこへテレビやパソコンを置き、朝顔と二人の居間にした。今じゃ三つの部屋に、エアコンもついてる。

 師匠、と朝顔は携帯を仕舞って座りなおす。

「父と母に、逢って下さい」

「えっ」

「伊万里から佐賀市まで、車で一時間ちょっとです。四月二九日、きっと来てくれます」

 本来なら朝顔を弟子にした時、きちんと挨拶しなけりゃならなかった。

「・・判った」

 気が重いが、逃げる訳にゃいかない。この六年、米味噌のお世話にもなり続けてる。  


Posted by 渋柿 at 17:42 | Comments(0)

2015年06月25日

 鯰酔虎伝17

「病気の事、ご存知だったそうですね」

「そうらしい・・実はあいつ、ずっと弟子を取りたがってたんだ」

「えっ」

「あいつが真打になった時、協会の前座、たった十人しかいなくなってた。このままじゃ落語が先細りするって、すぐにでも弟子を取りたいっていってた」

「でも・・」

「いや、入門した奴はいたんだ。でも、二か月もったなあ一人もいない。・・厳し過ぎたんだよ。あいつは天才だった。その上、人の何倍も努力した。同じ事要求されたら、弟子はそらあ、辛いよな」

 弟子は育てられなかったけど、ありゃきっとネタの形見分けだったんだろう、目瞑るまでの半年、若手にかなり稽古は付けていた。

「夕顔亭鯰んとこ行きなって・・」

 ごほごほ、辛そうに咳き込む。

「あの瓢箪鯰ならお前さんの夢、叶えてくれるかもしれないぜって・・左京さん、笑って」

「本当かい」

 ごほごほごほ、咳と一緒の頷き。

「悪い冗談・・だと思った」

 そりゃそうだろう。

 夕顔は夕顔でも手前、下野名物干瓢夕顔なんて気の利いたもんじゃねえ、喰ったら当たるこの毒瓢箪の瓢箪鯰野郎!とか・・香盤も齢もずっと下の癖に、酔っ払うとそんな事ぁお構いなしの野郎だった。

「左京さんはバリバリの古典原理主義。で、師匠はもう何十年、あんななあ落語じゃねえっていうガンバレばっか、寄席の鬼っ子・・」

 師匠捕まえて・・そこまでいうか。

「左京さんと、どんな関係だったんですか?」

「人目を忍ぶ仲、になりたかったんだけどな」

「ええっ!」

「馬鹿野郎、冗談だ」
 
 あの左京が、俺のお稚児になる玉かい。
 
 向こうは大学出のインテリで、こっちゃ十四で酒屋に奉公さ。噺家としては水と油だった。古典落語の完成度は完璧なんだ、何で圓幽に仕込まれた全て捨てちまったんだよ、そう何度も詰られた。そっちこそ黴の生えた【東京を江戸といってた時分】いつまで演ってるんだ、と怒鳴り返した。

(でも・・確かに男が、男に惚れてた)

 破天荒の京の輔の孫弟子のくせして、往年の三道楽圓幽を思わせる端正な噺だった。圓幽師匠みたいにどっか斜に構えてた、あいつの落語が好きだった。たぶんあいつも、師匠は圓幽なのに無茶苦茶な俺の落語を・・じゃなかったら俺の「ガンバレ」、あれほど見事に演れる訳ぁねえ。落語が心底好きな臍曲りってえ一点で、あいつと俺は、同志だった。

「・・すぐその後、でした。左京さんの死亡記事出たの。お焼香の列に並んで・・」  


Posted by 渋柿 at 17:46 | Comments(0)

2015年06月23日

鯰酔虎伝 16

 あのなあ、こんな時は【芸に】惚れたっていうんだ、【左京師匠の芸に】惚れたって。  

左京には熱烈な女性ファンも多かった。かみさん一筋朴念仁のあいつ、寄席でネタになる様な艶聞なんて何も起こさなかったけどさ。

「最初にお願いした時は、女に噺家は無理だぜってにべもなくて・・でも諦め切れませんでした。左京師匠が駄目でもって、色んな師匠に弟子入り志願しました」

 だけど三年かけても全部駄目・・諦めて田舎に帰ろうかって思ってた頃聞いたのが、扇亭の余一会の左京さんの鼠穴でした、という。

「あの、復帰第一声っていってた夢落ちかい」
 
 その年の四月下席でトリを勤めている最中、突然倒れ、声が出なくなった左京。数か月の入院の末やっと回復しましたと寄席に戻って来た時、すでに癌は末期の状態だったらしい。

「二月までは、定席に通しで出てらっしゃいました。・・もう一日おき、通い詰めました」

 木戸銭二千五百円、捻り出すなあ苦労したろうが、それだけの値打ちはあった。ありゃあ、燃え尽きる前の・・煌めきだったんだ。

「新年の帝立劇場の厩火事と二月の台東座浜野矩随、行きたかったけど・・」

 高過ぎたんだろ。あそこで独演会演れるのは、ごく限られたエリートだけだからなあ。

「ホール落語でたっぷり演るなあ・・あいつの真骨頂だった」

 贔屓や俺達見事に騙し通して、左京再起と大喜びさせやがった。

「三月のラジオ真打競演、猫の皿。お声が暗くてびっくりしましたけど・・お見事でした、情景描写とか。豊島の余一会で聞いた井戸の茶碗なんて、涙が止まらなかった」

 そう、あいつはその早過ぎる晩年、人情噺に神懸った凄味を見せていた。

「四月中席七日目です、京治師匠のトリ聞きに行ったら、プログラムに載ってない左京さんが中トリで・・」

「若手の・・代バネだったそうだな」

 それが、左京の最後の高座になっちまった。

 寄席は修行の場、噺家はその割り(出演料)だけで喰えず、特に土日は落語会や営業で稼ぐ。寄席の芝居は十日で一公演だが、その途中急病や儲け仕事で空いた穴を、同格の噺家が埋める。それが代バネともいう代演制度だ。

「六尺棒でした」

「知ってるよ」

 親父の京の輔にも負けない大看板の長楽亭京治が・・左京が心酔して師事した師匠が、兜脱いだ高座だったって事も、な。

「声は、今思えば暗くて低かった。でも能天気な馬鹿息子と大甘の頑固親父、抑揚だけで演じ分けてた」

「大甘の頑固親父、ねえ。あいつぁ親父さんの猛反対押し切って噺家んなったからなあ」

 最後のネタあれにしたのは、判る気がする。

「しまいに折れる父親の姿、泣けました。だから、また出待ちしました。お願いです、弟子にしてください、って」

 豊島演芸場は、都内四か所の落語定席の一つだが、一番の格下。客と芸人の出入り口は同じで、熱心なファンはそこで贔屓の芸人を待って祝儀を渡したりサインを貰ったりする。

「タクシーに乗るとこ、声かけました。左京師匠、私を覚えていて下さいました」

「そうかい」

「で、左京師匠みたいになりたい、この三年色んな師匠方に頭下げてたっていいました」
「それで?」

「左京師匠、暫く考えてらっしゃいました。で、溜息吐いて・・それだけ落語が好きなら弟子にしてやりたいのはやまやまだけど、無理なんだ、すまねえなって・・」

 四十五歳の若さで死ぬ、十日前だ。高座で力を使い果たし、立ってるのもやっとだったろう。車のドアに手をつき、肩で息をしながら苦笑している左京の姿が・・見える。


  


Posted by 渋柿 at 21:36 | Comments(0)

2015年06月16日

鯰酔虎伝 15

「左京さん、酔っ払ってますね」

「それもあいつの、計算さ」

 朗々たる声量。歌唱力も俺以上だ。

「結局この野郎がいい遺した言葉は・・笑っちゃいますけど、ガンバレ」 

 サゲに、万雷の拍手が続いている。

「これが、あいつの葬式でも・・流れたよ」

「聞いてました。外のテントで、でしたけど」

 そうか。葬式まで来たのか。あの若葉雨ん中、左京送ってたんだなぁ・・お前も。

「・・左京のかみさん、葬式でこれ流すって言った時は、大騒動だったんだぜ」

 今際に左京がそう言い残ったっていい張るんだ、勘違いってか聞き間違えだと思うんだがな・・鯰はまた、どぼどぼ焼酎を注いだ。

(どう考えったって・・あいつが、あれを手前の幕引きにする筈ねえんだ)

 死神枕元に、何考えてたんだろう。

「古典の名手だった左京の弔いだ、本格本寸法の古典の大ネタに決まってるだろって、師匠の長楽亭京治始め、周囲は猛反対よ」

 それも面白ぇじゃねえかっていったのは、俺くらいだ。

「でもかみさん、お言葉ですが師匠、うちの人は古典の名手なんかじゃあございません、憚りながら落語の、名手だったんですって啖呵ぁ切ったもんだから・・」

 師匠も兄弟弟子も、ぐうの音も出なかった。

「凄いおかみさんですね」

「ああ、凄ぇかみさんさ。左京の野郎、べた惚れしてやがった」

「・・そうですか」

「葬式じゃ拍手もなかった。シーンと静まり返って・・そりゃ皆固まって声も出なかったのさ。兎に角、素晴らしい・・惜しいってな」

 CD止めてください、と朝顔がいった。

「最初に入門志願したの、左京師匠でした」

「・・そうか」

 多分、そうじゃないかと思ってた。

「噺がテンポよく明るくって・・磨かれた江戸の粋でした。左京師匠に夢中になって・・左京師匠の様になりたいって思いました」

 でも結局俺の弟子ってのは、何なんだよ。俺はただの左京の身代わりか。・・仕方ないんだろうな。あいつは噺も様子も綺麗な、本寸法の噺家だったから。

 気付いてたよ朝顔、お前が決して俺みたいな噺家目指しちゃいないって事。圓幽仕込みの古典、必死で浚ってたよな。二つ目になっても稽古は古典ばかり、気儘がだいぶ許される立場になったって、新作落語演ろうともしなかった・・左京がそうだった様に、よ。

「惚れたんです、左京師匠に」 

 眼まで潤ませてやがる。  


Posted by 渋柿 at 21:24 | Comments(0)

2015年06月13日

鯰酔虎伝 14

「・・師匠、私のカバンに」

 昨日買ったCD入ってます、それ、掛けてくれませんかと朝顔がいった。これかい、色気のない黒いズダ袋から、紙包みを取り出す。

「おい、こりゃあ・・」

「ええ、左京師匠の追悼CDです」


「そうだ十二月二二日、昨日が発売日だった。

「豊島演芸場で買おうと思ったんです」
 
 四つの定席で一番格下の癖に客筋は通揃いで、噺家グッズの品揃えでも日本一。


「でも、稽古終わって行ったらもう売り切れで・・心当たり探し回りました」

「そうかい」
 
 長楽亭左京・・自分を客分にしてくれた京の輔の息子京治の弟子で、将来を嘱望されながら四年前に夭折した噺家だ。

「四軒回ってもなくて、五軒目でやっと見つけたんですけど、体おかしくなっちゃって」

 落語のCDの初版なんて三千、せいぜい五千くらいしか発売されない。左京は通には人気があった。入手困難なのは無理もない。

「掛けて・・下さい」

「判った」
 
 ラジオ付きのCDプレイヤーだけは、ある。

「頑張るなんてやめようよぅ、どうせ世の中変りゃしないんだから・・そう思いません?」

 明るい声が響きわたった。出囃子部分は初めからカットされた音源だったのだろうか。

「師匠が作ったネタですね」

「ああ、鯰まつりで・・演ってもらった」
 
「ガンバレ」・・師匠三道楽圓幽の逆鱗に触れて破門を喰らった、因縁のネタだ。
(七年前の十月・・だったよな)
 
 定席四つの寄席は年中無休、一月を十日ずつ上中下の三席に分けて興行している。当然、三十一日まである月は一日余る。そこでその日は余一会と称し、普段の寄席では演らないお遊びをする事になっていた。

 普通は若手が抜擢される。余一会を任されたのは、後にも先にもあの時だけだ。

「俺の持ちネタを純正古典派に物まねさせるてえ素っ頓狂思いついてな。左京とは飲み仲間、あいつも酔った勢いだったんだろう、引き受けてくれた」


 ほんとは「歌は世につれ」ってえ題だったんだ。でも学生運動経験したあいつ、歌は所詮世を変えないってゴネてなあ、強引にネタぁ「ガンバレ」と変えさせられちまった。

「物まねなんてもんじゃない。俺よりうまかった。・・客は俺のマニアックなファンばっかだ、比べてた。鯰が演ればただの奇天烈だけど、左京がやりゃ立派な落語だねってねえ」 
「・・見えます」
 
 左京が指を鳴らす。立ってステップを踏む。

「見えるだろ」

 歌って踊る音曲話。俺が高座で立ち上がって、師匠の堪忍袋の緒が切れちまったっていうのに、左京も立ち上がってくれた。
純正古典派が、技を尽くして演ってくれた俺の代表作。筋はそのまま、全く別の世界が繰り広げられる。  


Posted by 渋柿 at 08:46 | Comments(0)

2015年06月06日

鯰酔虎伝 13

 伝染っちゃ大変です、大家さんの所へというのを馬鹿野郎と一喝して、部屋に湯気を立ててすっかり着替えさせる。

(師弟といえば、な・・¬)

 親子も同然だ。朝顔は一瞬身を硬くしたが、お願いしますと小さな声でいった。任せとけ。今更、肌の香りなんかにびびるかよ。

 冷え込む夜が明けるまで、まんじりともせず朝顔の枕元で濡れタオルを替えた。

 さつき・・お前もこんな風に熱は高かった。お前だけでも助けたかった・・

 積もらなくって良かったねぇ、鍵の掛かっていないドアが開いて、婆さんが顔を出した。

「鯰さん、おはよう。碧ちゃん、どう?」

 朝顔の本名は藤田碧。婆さんと向かいの爺さん達は、朝顔をまだ碧ちゃんと呼んでいた。

「うん、まあ・・」
 
 今は、静かな寝息を立てている。

 洗濯物出てるんだろ、序でだ、出しなというのを謝絶して、重ね着の重装備、コインランドリーに向かった。

 乾燥機の中で絡みつつ回る、自分の猿股と朝顔のブラジャーを、暫くぼんやり見ていた。七十過ぎの爺と若い女のこんな暮らし、誰が見たって訳が判らないだろうな。

「すいません」

 乾いた洗濯物を抱えて部屋に戻ると、朝顔が薄く目を開けた。

「インフルエンザ甘く見ちゃいけねえぜ」

 俺はこれで、女房子失くしたんだ・・ちゃちな食器棚の上の位牌を見る。

 保険料滞納してて、健康保険使えなかった。どうせ風邪に特効薬はないんです、女房は熱で喘ぐ幼い娘にひたすら冷ました茶を飲ませ、徹夜で幾晩も看病し、自分も倒れちまった。切羽詰って往診を頼んだ医者は、二人とももう手遅れだといった・・

「汗かいたろう、拭いてやるよ」

 一番大きな鍋に湯を沸かした。寒い部屋に湯気がもうもうと立つ。

「師匠、伝染ります」

「俺は、そんなヤワじゃねえよ」

 女房子が罹っても・・何ともなかったんだ。

体を拭いている最中、携帯が鳴った。三道楽ひるね、寄席で時間配分その他を仕切る、豊島演芸場の立前座からだ。

「はい、夕顔亭」

 片手で、新しい肌着と寝間着を着せかける。

「鯰師匠ですか、ひるねです。えっ・・師匠、何してるんですか!」

 喘ぎと気配に、びびってやがる。

「馬鹿野郎、朝顔が着替えてるだけだよ。四畳半に二人で暮らしてるなあ、知ってるだろ」

「すいません・・朝顔姐さん、今日昼席のさらなのに、楽屋入りまだだったんで」

「すまなかった。インフルエンザみたいなんだ。他の奴にたっぷり演ってくれって、頼んでくれねえか」

 途中掻い摘んだりぶった切ったり、また情景描写やキャラクター設定付け足したり、都合に合わせて伸縮自在なのが落語だ。

「判りました・・お大事に」

 朝顔が寄席抜くのは、これが初めてだ。


 若いし、安静にしてれば治りますよ・・おりん婆さんのご注進で大家経由、往診に来た町医者は、薬の処方もしなかった。きっとこっちの懐事情を見たんだろう。夜になってから、朝顔は昨夜のすいとんを少し口にした。

 片付けをしながら、焼酎に手が伸びる。一杯二杯の三杯目、師匠、朝顔が睨んだが、昨日飲まなかったんだと振り切って呷った。

 ほっとしたんだ、飲ませてくれよ。  


Posted by 渋柿 at 18:13 | Comments(0)

2015年06月03日

鯰酔虎伝 12

 一緒の暮らしも四年を過ぎた、冬の夕暮れ。

(今夜くらいは、なあ)

 朝顔は無事、二つ目昇進を果たした。本当なら内弟子卒業、師匠の雑用からも解放されている筈である。

 四畳半の上り口の飯事みたいな台所に立つ。出汁を取り、牛蒡はささがき、特売の鳥皮だって千切りにして入れた。グズグズのいりこも捨てるなんて勿体ない。酒の肴に取っておく。後は朝顔が帰ってきたら、捏ねて寝かせといた小麦粉放り込んで晩飯だ。

(・・鬼の居ぬ間のしめた、ってねえ)

 流しの下の焼酎を盗み飲みしようとしたが、何だよ、空っぽと来てる。

 朝顔が出かけたのは午前中だった。稽古ったって、もう時計は午後八時を回ってる。いい加減帰って来てもいい頃だ。

 ガタガタ、窓に北風が当たる。今夜は雪になるかもしれない。

 二つ目になれば、自分の師匠以外の真打にも直接噺の稽古を頼める。受ける受けないは教える側の自由、ただし無償である。稽古のあとその真打の前で演じて、よしといわれれば自分の持ちネタとして高座に掛けられる。噺は落語界共有の財産、真打達もこうやって先輩から噺を伝えられてきたのだ。

 この四年で、朝顔の持ちネタは百を越えた。

(煮詰まっちまうぜ)

 他に火の気はない。すぐに温かいのを食べさせたくて、何度もガスを付けては消した。

 雑司ケ谷に住む三道楽圓杖は圓幽門下の弟弟子だ。以前朝顔に入門志願されたこともあり、日頃から目をかけてくれている。こんな寒い季節、遅くまで引き留めるとも思えない。

 ごほんごほん、やけに咳込む音と共にドアが開き・・何だよ、焼酎って。五リットルのペットボトル抱えたまま、朝顔が倒れ込んだ。

「おい、大丈夫か」

「師匠、切れてたんで買ってきました」

 真っ青な顔して、何を太平楽いってやがる。

「どうしたんだ」

「大家さんのとこ、泊めて貰ってください」

 インフルエンザみたい、ごほっ・・また激しく咳き込む。

 手を当てると、火の様に熱い。

「兎に角、寝ろ」

 布団を敷いて朝顔を寝かせ、ちょっと待ってろと立ち上がった。

 隣のおりん婆さんは年金暮らしだがお針でも稼いでいて、朝顔も学生時代から和裁や洗い張りの手解きして貰っていた。お蔭で手入れに金をかけずに済んでいる。秋の夜長なんてお向かい斜向かいの爺さん誘ったりして部屋に上がり込み、二席も三席も聞いてく間柄だ。事情を話すと、葛根湯を分けてくれた。  


Posted by 渋柿 at 17:12 | Comments(0)