2012年03月29日
しのぶ【最終回】
二か月後、四月十一日。東京、本郷キャンパス内、安田講堂前。
四月一日から新入生健康診断で、二日から講義が始まったのに、入学式は今日。
本当に保護者席、新入生の二倍以上だ、と信夫は目を丸くした。両親揃ってというのはほぼ全員、中には祖父母四人に両親に兄弟と、一人が十人以上の一族郎党を引き連れた新入生の姿もある。着物姿やコサージュも華やかなスーツの母親達が、多い。
信夫の両親は、入学式に上京しなかった。大人二人の東京―佐賀間の往復航空券と宿泊費、諸雑費は、「出したつもり」で信夫の寮の部屋の冷蔵庫と電子レンジになっている。
(多分、親来なかったの俺だけ・・かな)
無理すれば来られないでもなかったかもしれないのに、妙な美学というか照れというか。
(俺の子が、なあ。鳶が鷹産んだ。夢みたいだな。まあ、親も入学式来られん苦学生て、人生演出するのも悪くないだろ・・か)
鷹と鳶。数年前訪れた天竜川畔の山寺を連想した。父もそして信夫も、鷹ではなく鳶。
母は、主体的に主体性を放棄して、父に倣った。母だけでも来てくれればよかったのだが・・奇妙な夫唱婦随は、いつもの事である。
演出するも何も、正真正銘の苦学生。水道光熱費込み月二万の寮に入寮許可が出て、保護者低額所得ゆえの授業料免除・・でなければとりあえず休学して働いて、学費貯めなけりゃならなかった。
九段の日本武道館での式典のあと、シャトルバスが本郷と駒場のキャンパスを往復した。
そのまま三鷹の寮に帰っても良かったのだが、何となく本郷行きのバスに乗った。
今日の信夫のスーツとネクタイと靴は、父が二年前文学賞受賞記念パーティで身につけていたもの。父も最低限、冠婚葬祭の付き合いはある。すぐ、伊万里に送り返さねばならない。新品は、ワイシャツだけ。
「しのぶ、撮ってやろうか」
写真で見た感じほど高くはないんだなあ、と安田講堂を見上げる背後から、声がした。
知之だった。
スーツは、真新しい。伴う両親の黙礼に、あわてて礼を返す。もう一人の仲間祐馬は、初志貫徹と浪人を決めている。
「親御さんに、送るんだろ」
知之が、携帯ごと信夫に渡した。父は殆んど日中、パソコンの前で内職している筈。夜には、母も見る。コメントは、
「知之の携帯からです・・ありがとう」
知之にも、ありがとう、と携帯を返した。
この友に、今まで何回この言葉をいっただろう。三桁は、行くかもしれない。
キャンパスの桜は、姥桜を過ぎて葉桜。芝生の縁に、ちらほら躑躅が咲き始めている。
「撮りましょうか」
信夫は、知之の背後の父親に手を伸ばした。 そこここで記念撮影が続いている。父親は母親と視線を交わし、お願いしますとカメラを渡した。講堂を背景、知之の左右立つ両親。はいチーズ、とシャッターを押した。
場所を替え、何枚か親子三人の記念を撮る。
最後に母親が、安田講堂を背に知之と信夫のツーショットを撮ってくれた。
来年、きっと祐馬がここにいるよなと知之がいい、ああと信夫は頷いた。
親父達と駒場いくけどしのぶは?と聞かれ、
「増上寺にでも行って来る」
と答えた。
「増上寺?寛永寺じゃなくてか」
上野寛永寺は本郷キャンパスに殆んど隣接している。・・いつでも行ける。
「ちょっと・・鳶見に、な」
「トンビぃ?」
「親父も見た、鳶だ」
知之は一瞬絶句し、よく判らんが信夫らしいな、と笑った。
着信が鳴った。知之が携帯を開き微笑して信夫に示した。父の返信だった。
「山田知之君へ ありがとう。これからも信夫を宜しく。信夫へ あ・り・が・と・う」
本郷三丁目から地下鉄で東京駅、山の手線で浜松町。駅の北口から、屹立する東京タワー目指して歩いて十分ほど。二重のばかでかい門が父の言葉通りそびえている。
確かに遠州山中の清瀧寺とは、門からして違う。門内には夥しい地蔵尊が、赤い毛糸の帽子を被り、風車を持って並んでいた。水子供養の地蔵の列は境内の東側に延々と続き、葵の紋を打った鉄の門の背後にも続いていた。案内板に、この門は六代将軍の霊廟のもので、戦災による消失後この寺に眠る六人の徳川将軍を現在この中に納骨、とあった。
信夫は、空に目を凝らした。無論鳶の姿など、あるわけはない。
何日にもわたって盛大に営まれた将軍の葬儀。艶やかな打掛の代参。そして空襲で灰燼に帰す、壮麗な御霊屋。十八かそこらの父が、ここに立っていたのは三十年前。素面だったか否かは、判らない。真摯な叱責が今も強烈な記憶を残している親友と一緒だったのかどうかも。ただその時見えたもの、見えてしまったものを思う。
大都会。
東京タワーや高層ホテルに囲まれた、不思議な空間。もっとも、このタワーの日本一の座も、二年後には浅草に立つスカイツリー塔に奪われる運命なのだが。
時間は、止まらない。父は生き延びて家族を持った。今、自分が存在して、ここにこうして立っていることの、不思議。
「この山道を行きし人あり」
空を見上げる。淡青の色は、おりぐちのしのぶクンを吟じるのに、悔しいほど相応しい。
四月一日から新入生健康診断で、二日から講義が始まったのに、入学式は今日。
本当に保護者席、新入生の二倍以上だ、と信夫は目を丸くした。両親揃ってというのはほぼ全員、中には祖父母四人に両親に兄弟と、一人が十人以上の一族郎党を引き連れた新入生の姿もある。着物姿やコサージュも華やかなスーツの母親達が、多い。
信夫の両親は、入学式に上京しなかった。大人二人の東京―佐賀間の往復航空券と宿泊費、諸雑費は、「出したつもり」で信夫の寮の部屋の冷蔵庫と電子レンジになっている。
(多分、親来なかったの俺だけ・・かな)
無理すれば来られないでもなかったかもしれないのに、妙な美学というか照れというか。
(俺の子が、なあ。鳶が鷹産んだ。夢みたいだな。まあ、親も入学式来られん苦学生て、人生演出するのも悪くないだろ・・か)
鷹と鳶。数年前訪れた天竜川畔の山寺を連想した。父もそして信夫も、鷹ではなく鳶。
母は、主体的に主体性を放棄して、父に倣った。母だけでも来てくれればよかったのだが・・奇妙な夫唱婦随は、いつもの事である。
演出するも何も、正真正銘の苦学生。水道光熱費込み月二万の寮に入寮許可が出て、保護者低額所得ゆえの授業料免除・・でなければとりあえず休学して働いて、学費貯めなけりゃならなかった。
九段の日本武道館での式典のあと、シャトルバスが本郷と駒場のキャンパスを往復した。
そのまま三鷹の寮に帰っても良かったのだが、何となく本郷行きのバスに乗った。
今日の信夫のスーツとネクタイと靴は、父が二年前文学賞受賞記念パーティで身につけていたもの。父も最低限、冠婚葬祭の付き合いはある。すぐ、伊万里に送り返さねばならない。新品は、ワイシャツだけ。
「しのぶ、撮ってやろうか」
写真で見た感じほど高くはないんだなあ、と安田講堂を見上げる背後から、声がした。
知之だった。
スーツは、真新しい。伴う両親の黙礼に、あわてて礼を返す。もう一人の仲間祐馬は、初志貫徹と浪人を決めている。
「親御さんに、送るんだろ」
知之が、携帯ごと信夫に渡した。父は殆んど日中、パソコンの前で内職している筈。夜には、母も見る。コメントは、
「知之の携帯からです・・ありがとう」
知之にも、ありがとう、と携帯を返した。
この友に、今まで何回この言葉をいっただろう。三桁は、行くかもしれない。
キャンパスの桜は、姥桜を過ぎて葉桜。芝生の縁に、ちらほら躑躅が咲き始めている。
「撮りましょうか」
信夫は、知之の背後の父親に手を伸ばした。 そこここで記念撮影が続いている。父親は母親と視線を交わし、お願いしますとカメラを渡した。講堂を背景、知之の左右立つ両親。はいチーズ、とシャッターを押した。
場所を替え、何枚か親子三人の記念を撮る。
最後に母親が、安田講堂を背に知之と信夫のツーショットを撮ってくれた。
来年、きっと祐馬がここにいるよなと知之がいい、ああと信夫は頷いた。
親父達と駒場いくけどしのぶは?と聞かれ、
「増上寺にでも行って来る」
と答えた。
「増上寺?寛永寺じゃなくてか」
上野寛永寺は本郷キャンパスに殆んど隣接している。・・いつでも行ける。
「ちょっと・・鳶見に、な」
「トンビぃ?」
「親父も見た、鳶だ」
知之は一瞬絶句し、よく判らんが信夫らしいな、と笑った。
着信が鳴った。知之が携帯を開き微笑して信夫に示した。父の返信だった。
「山田知之君へ ありがとう。これからも信夫を宜しく。信夫へ あ・り・が・と・う」
本郷三丁目から地下鉄で東京駅、山の手線で浜松町。駅の北口から、屹立する東京タワー目指して歩いて十分ほど。二重のばかでかい門が父の言葉通りそびえている。
確かに遠州山中の清瀧寺とは、門からして違う。門内には夥しい地蔵尊が、赤い毛糸の帽子を被り、風車を持って並んでいた。水子供養の地蔵の列は境内の東側に延々と続き、葵の紋を打った鉄の門の背後にも続いていた。案内板に、この門は六代将軍の霊廟のもので、戦災による消失後この寺に眠る六人の徳川将軍を現在この中に納骨、とあった。
信夫は、空に目を凝らした。無論鳶の姿など、あるわけはない。
何日にもわたって盛大に営まれた将軍の葬儀。艶やかな打掛の代参。そして空襲で灰燼に帰す、壮麗な御霊屋。十八かそこらの父が、ここに立っていたのは三十年前。素面だったか否かは、判らない。真摯な叱責が今も強烈な記憶を残している親友と一緒だったのかどうかも。ただその時見えたもの、見えてしまったものを思う。
大都会。
東京タワーや高層ホテルに囲まれた、不思議な空間。もっとも、このタワーの日本一の座も、二年後には浅草に立つスカイツリー塔に奪われる運命なのだが。
時間は、止まらない。父は生き延びて家族を持った。今、自分が存在して、ここにこうして立っていることの、不思議。
「この山道を行きし人あり」
空を見上げる。淡青の色は、おりぐちのしのぶクンを吟じるのに、悔しいほど相応しい。
Posted by 渋柿 at 20:28 | Comments(0)