スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新の無いブログに表示されています。
新しい記事を書くことで広告が消せます。
  

Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年09月03日

「中行説の桑」2

 今や秦が倒れ、漢の高祖も二代恵帝も没している。その時代の流れの中で・・創業の功臣は粛清され、高祖の庶子初め劉一族は迫害されているという。現在、高祖の皇后であった呂氏の手に天下が握られている。それでも、大切に持ってきた蚕の卵と桑の種を頼りに、ここ燕の造陽で生業を続けているのだ。
 蚕は、桑の葉以外の餌では生きられない。桑は半ば落葉樹であり、ここ燕の辺りでは晩秋に葉を落とす。蚕も卵のままで越冬する。
 桑が冬木の間は、採りためた繭の真綿を、もっぱら父母や祖母が生糸に紡ぎ機で織る。説たち子どもは薪割やら炊事やら、家事を手伝うだけでよい。だが、清明の節句の祝いの頃には、柳が芽吹き桑の葉も萌え始める。間もなく蚕の卵も眠りから覚めて、孵化を始めるのだ。桑は日照を好み、時々小枝打ちで葉の密生を防がねばならない。その上・・蚕の好物であるだけに・・毛虫が付きやすく、蚕の孵化が始ってもその駆除の手は抜けない。
 ただ初夏に生る実は甘酸っぱく、密かに桑畑で働く子ども達の口を楽しませた。炎天下、桑の葉を陰干しにして煎じた冷たい桑汁は、渇きを潤して活力を与えた。風邪を引いたり腹を下したりすると、桑の樹皮を煎じた汁を飲まされた。中行説の一家は蚕と共に、桑に密着して生きている。
 大人たちは今のところ、数日前から蚕小屋の準備に掛かりきりである。板張りの床の部屋を隅々まで拭き、埃を取り去っているのだ。明日は冬の間に醸した酒を一家総出で蒸留し、強い酎(ちゅう)を造る。そして蚕が病いにかからぬよう隅々まで清めるのだ。そのあと小屋の壁すべてに十段内外の蚕棚を組立てる作業が待っている。蚕卵の眠りが覚める前に、桑畑の手入れをし、準備を整えなければ、説一家は餓えるほかはない。
「説、そんなに高い所は無理よ。こっちの下の枝を払いなさい」小声でそういって、姉が枝打ちの場所をそっと替わってくれた。
  


Posted by 渋柿 at 15:55 | Comments(0)

2009年09月03日

「中行説の桑」1

  一
「おい、手を休めるな」頭上の、桑の大枝に跨った一番上の兄が、怒鳴った。
「疲れた」中行説は、思わず答える。
「みんな泣言いわずに頑張っている。今日中にこれを終らなければ、仕事が間に合わないんだぞ」
「はい・・」
 もう、日は傾きかけている。朝からずっと、畑の一隅に桑の苗を植えていた。
 根を傷めぬように抜き、土を深く広く掘って大切に土を被せる。こうして、去年の桑の種を播いて一寸ばかりに育った桑苗を、成長を見極めて選び、長兄の指示で等間隔に植えるのだ。桑は、桐と並んで成長が早い。祖父が植えた桑樹は三〇年近くを経て今が樹勢は最盛期であるが、あと十年もすれば次第に衰える。もっともそれは蚕の餌を取る為の樹勢に限ったことである。桑の木の寿命そのものは長く、樹齢数百年という桑も確かに存在はするのだが。
 ただ、養蚕を業とする以上次の世代の桑は、末の説まで含めた兄弟姉妹四人が、今のうちから苗を作り、植え育てなければならない。太陽が南を過ぎても、説たちは父母のいる蚕小屋に帰らず苗を植えた。そのあとこれも長兄の指揮で、各々刃の潰れた小鉈で大木といっていい古桑の、余分の枝を落としている。上の兄二人は、地面からは手も届かぬほど延びた桑の木に登り、樹上で枝を打っている。説と姉が、樹上から落とされた枝を片付け、更に地面から届く範囲の枝打ちを受け持っていた。
 口にしたものといえば昼頃、引き割り燕麦の焦がしを噛んで水を飲んだきりである。
 桑の陰もずいぶんと長くなっていた。水辺の柳が芽吹き、桃の花がほころびていた。これから桑の葉も萌え、開き、やがて柔らかく夭々と茂っていく。このようにして毎年季節は繰り返し、中行説の一家も忙しくなっていくのである。
 中行氏は春秋時代の晋の重臣である六卿の一人中行桓子の裔(すえ)だと、父は言っていた。そして氾氏や智氏と共に、戦国時代直前に同じ六卿の韓・魏・趙の三氏に滅ぼされている。三氏は主である晋を簒奪し分割して自分のものとした。この三氏の主家簒奪が、天子である周王室の権威が曲がりなりにも守られていた春秋時代の終わりとされる。そして韓・魏・趙の成立によって、下克上弱肉強食の戦国時代の幕は切って落とされた。
 中行氏は貴族・豪族として滅びた後、三氏が立てた国の中の一つ、趙国の代の庶人となったのだそうである。父の言うことが本当だとしても、今はもう二百年以上の時が過ぎている。韓魏趙を滅ぼして天下を統一した秦さえ滅び、沛公(はいこう)劉邦が楚の項羽に競り勝って樹立した漢王朝の時代である。いつから家の生業(なりわい)が養蚕・製糸・機織となったのかは定かでない。説の祖父の時代、秦の始皇帝が趙を滅ぼし、その亡命政権であった代をも陥落させた。その時、祖父は一族を連れて更に東の燕の国、造陽に逃れたらしい。そして、携えてきた僅かな蓄えで畑を買った。
  


Posted by 渋柿 at 08:12 | Comments(2)