2009年09月08日

「中行説の桑」11

 春秋・詩経・論語・荘子・老子などの古典も、諸国諸官衙の記録類も、竹の札を糸で繋げた竹簡に記された。通常は後世の巻物のように巻いて保管し、読むときにだけ広げる。 当然、紙に比べて保管に数十倍の場所を必要とした。そのため、宮廷でも蔵書の保管のために高楼を複数建設したのである。
「天禄閣もそうじゃが・・石渠閣には士大夫や儒の碩学が出入りなさる。・・そそうのないように」
「はっ」哀しい気持ちで中行説は頭を下げた。
 孝を人倫の根本におくということで、ことに生殖能力を断った宦官を蔑視するのが、士大夫や儒学者であった。
儒教を創始した孔子にしてから、自分を招聘した王侯が宦官と馬車に同乗しているのを見て、憤然とその国を去ったと伝えられている。
「なあに、わけの判らぬ方はそうはいらっしゃらぬだろうがな。付いてまいれ」張沢が自分をも励ますようにいい、説たちを先導した。
 石渠閣も、文禄閣とほぼ同じつくりになっている。一層の床は揚床ではなく磚(硬質・扁平に焼成された黒い煉瓦)の土間であり、二層三層の床は板が張ってあった。まず床の上に麻布を広げ、巻いた竹簡を棚から降ろしてそこに置く。そのあと棚を隅から隅まで拭き清める。このあと竹簡を棚に戻し、最後に板床と一層の磚の表面を布で拭き清めるのだ。
 棚に戻そうとつと手に取った竹簡の紐が、解けた。結び目が緩かったらしい。
巻きなおそうとした手が、止まった。詩経の竹簡であった。
(あの詩だ!)

隰桑有阿、其葉有難、既見君子、其樂如何・・

巻かれていた竹簡を、更に広げた。

隰桑有阿、其葉有沃、既見君子、云何不樂
隰桑有阿、其葉有幽、既見君子、徳音孔膠
心乎愛矣、遐不謂矣、中心藏之、何日忘之
 
 詩経の何巻目かの巻頭近く、あの、「隰桑の詩」が記してあった。蚕が病毒にあう直前、桑畑の向こうの蚕小屋での、父母兄弟に酪の小父さんを交えたいこいのひと時が、説の胸に切なくよみがえった。半年と経たぬ間に、身の上の何と変わり果てたことか。

「何をしている!」叫び声とともに突然、右の頬に激痛を感じた。



Posted by 渋柿 at 08:29 | Comments(0)
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