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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2015年05月30日

鯰酔虎伝 11

(それでも焼酎は一日二杯まで、週二日は休肝日・・ってのはなあ)

 手綱ぁ握って、何が何でも長生きさせる気だった。体が心配てのならてやんでえと居直れるが、好きに飲むにゃ師匠、稼ぎが足りませんといわれれたんじゃ、仕方がない。

 朝顔が鯰門下前座として定席の楽屋入りしたのは、入門二か月後。日給は千円。月に三万円は貴重な現金収入だが、仕事はきつい。楽屋入りしてからは、朝顔も早寝になった。  
 熟睡を見澄まして夜中、盗み酒。だが、透明ペットボトルじゃ減り具合で大概バレる。

(今度やったら破門だぁ?馬鹿野郎!)

 居候ってのは情けない。全くどこの世界に、師匠破門する弟子がいるってんだ。
 出番が、待ち遠しかった。寄席や落語会では打ちあげが付き物、ただ酒が死ぬほど飲める。同席の師匠連の手前、朝顔も四の五のいえない。弟子の分際で師匠に逆らうのかと、ここぞとばかり居直った。思う存分飲んでは、寄席関係者でも他の客でも見境なく絡み倒した。酔客に土下座で謝り、酔払いを担いで帰るのが、朝顔のお決まりの役目だった。

 酔って散財、挙句の螻蛄、おもやいにしてる一張羅まで質に曲げて、忘れちまったと二人楽屋で白ばくれた事もある。仲間お情けの借着は、丈が余ってお引き摺り。そんな格好で高座に上がりゃ、ご祝儀渡そうって奇特な客も出てくるのが有難い。

(最初にいったぜ、俺ぁ最低の男だって。それ捕まえて何だ、湯なんかも仕切りやがって)

 湯銭は四百五十円。コップ酒なら二本買っても釣りが来るってのに、芸人は身綺麗にと二日に一度は銭湯へ引っ張っていかれた。

(それが縁で、今まで喰えてきたんだけど)

 若い娘と爺さん、連れだっての銭湯通いが目を引いたのか、銭湯の主に店休日、ここで落語を演らないかと持ちかけられた。高座は番台、男女の脱衣所が客席。木戸五百円でそこそこ客が入った。

 それが蕎麦屋・居酒屋・寿司屋・おでん屋と広がり、商店街・商売仲間つながりで中央線沿線、ほぼ毎週ミニ落語会が持てた。

 朝顔の、お蔭・・認めたくないが、仕方がない。女弟子がブレーキかけてるとなりゃあ、あの酒癖も何とかなるという訳か・・今まで二の足を踏んでた後輩達も落語会の共演に呼んでくれる様になってきた。

 今日は夕顔寄席発祥の、西荻の天徳湯での落語会。

(今夜もガンバレ、演ってやろうじゃねえか)

 世間は新作落語を軽く見てるけどな、その気になりゃあ圓幽仕込みの古典落語で大トリだって取れる芸で、歌って踊ってるんだ。師匠から破門されたって捨てなかった。たとえ客が飽きたって、俺ぁまだこの噺に飽きちゃいねえ。まあ俺の代わりに、朝顔がまたネタ下しの古典でご機嫌を伺うんだろうけどさ。  


Posted by 渋柿 at 18:33 | Comments(0)

2015年05月21日

鯰酔虎伝 10

「ししょうてえ字、師の匠って書きますけど、うちのはどうも、支える障りの方のらしくて」
 
 朝顔のまくらが続いている。

「名前がいけませんねえ、鯰、鯰ですよ。この瓢箪鯰、二日酔いでのびて蠢いてるとこなんか、こりゃほんとに鯰です。名は体を現すとはよくいった」

(様になってきやがった)

 声が落ち着き、キーの高さも気にならない。

「まあ、名前ってのは大事なもんで、子が生まれるってえと、親ぁいい名前付ようと一生懸命になるのは、人情でございましょう」

 ここでやっと長生きする様親が子にとんでもなく長い名を付けた噺、「寿限無」に入る。
 
 今夜は天徳湯か・・鯰は手帳を開き、日銭稼ぎの予定を確認した。



 東京落語には、前座・二つ目・真打の階級がある。一人前に扱われて羽織が許されるのは二つ目から、前座の間は副業も禁止だ。朝顔も、バイトを辞めた。普通、師匠が前座の飯と小遣いくらいの面倒は見るのだが、鯰にそんな甲斐性はない。基本個人事業主、敬老会でも学校寄席でも余興でも、仕事が取れなきゃ一銭も稼げないのが噺家だ。

 家賃食費とその上俺の飲み代・・朝顔の貯えだけでは暮らせず、持ってきた箪笥着物から朝顔の冷蔵庫やパソコンまで叩き売った。

 朝顔は、確かに根性を据えていた。すいとんなんて戦中戦後の代用食。この齢になってまた喰うとは思わなかった。いりこのある間はいりこ出汁、なけりゃ味噌だけ、それもなくなりゃ塩汁に屑野菜を少し。煮えたぎった所に、水で捏ねた小麦粉を放り込む。

「小麦粉は安いし。水で増えますからねえ」

 田舎じゃだご汁とかいって、今でも普通に定番ですという。もっともそれは、ふんだんに肉や野菜が入ったものだそうだが。

 金はないが暇はある。前座仕事を叩き込んだ。畳んだ布団で、寄席の鳴物も教えた。夜は梅干し肴に、ペットボトルで買った安焼酎で芸を語る。三道楽圓幽に入門した昭和二十年代、テレビ創成期、円幽と京の輔が築いた落語黄金時代。いい機嫌で、圓幽仕込みの古典の稽古も付けてやった。  


Posted by 渋柿 at 18:47 | Comments(0)

2015年05月19日

鯰酔虎伝 9

 居候は、辛い。結局朝顔の部屋で、荷物の畳紙を開く羽目になった。

「前座の楽屋仕事はまず師匠方の着替えの手伝いと着物畳みだ、覚えとくんだぜ」

 足袋も前座に履かせる奴もいるからな、気を付けるんだ、立っちゃいけない、膝をついて、ほれ襦袢、細帯、そう前を合せて、帯だよ、その博多の献上の、羽織、そうだ、紐はそう緩くな・・妙に着付けに慣れてやがる。

「師匠、ガンバレですか?」

 「ガンバレ」は立って踊り歌い倒す、鯰看板の新作落語。今は殆どこれしか演らない。

「馬鹿野郎、文七元結だ」

「ええ、文七元結・・」

 驚いてやがる。まあ、本格で演ったら一時間を超す、古典落語の最高峰だからな。

「このアパート、長いんだろ」

「はい、大学入ってから、ずっと」

「随分可愛がられたんだろうな、大家さんに」

「お父さんが、伊万里の生まれなんです。東京に出てお巡りさんになってこのアパート建てて、それ息子さんが引き継いで・・」

「そりゃなおの事、お前が変な爺さん連れ込んだんだ、気が気じゃないだろうよ」
 
 心配するな、三道楽圓幽仕込みの人情噺、たっぷり本格本寸法で聞かせてやらあ。

「俺を誰だと思ってるんだ」

「は?」

「天下の夕顔亭鯰だぞ」

「知ってます、落研の頃から」

(・・そりゃ、メモにゃあなかったぜ)

 あの落研てえとこの二十何年、真打輩出してるとこじゃねえか。こちとら都の西北卒ってだけでびびってたのによ。道理で着物慣れしてて、流行らない怪談噺まで知ってる訳だ。圓幽京の輔も呼び捨て、俺の芸値踏みまでしやがって・・生意気な筈だぜ。

 爺さんが二人、婆さんが一人、あとはとても勤め人とは思えない髪の長い兄ちゃんと、眼鏡の学生、それに大家夫婦・・判じもんの様な客を前にして、「文七元結」を演った。
 
 なあに、大ネタの人情噺ったって煎じ詰めりゃあ江戸っ子のやせ我慢・・くすぐりにはちゃんと笑い、世話場にしんみりし、最後に七人の客は目いっぱい拍手をしてくれた。

 あれから、野垂れ死なず家賃も溜めず二年。  


Posted by 渋柿 at 18:15 | Comments(0)

2015年05月13日

鯰酔虎伝 8

「子供の頃テレビで見たよ。落語てえのに歌ってばかりだったねえ」

 てやんでえ、落語ってのは臍の曲がった野郎が、世の中斜に眺めて演るもんだ。古典落語にだって「片棒」に「野ざらし」、歌って踊る噺はあらあ。俺の一寸ばかし当世風の音曲噺も一頃は大受けして、テレビ局掛け持ちで大変だったんだぞ。師匠より売れてた時期だってあったんだ。面白い様に稼げて、所帯も持てた。ちいと酒でプロデューサーとかに絡んで、全部降ろされちまったけど。

「まだ生きてたのかい」

 まあ、売れるのも早かった分、落ちるのも早かった。挙句寄席で立ち上がって踊って、圓幽門下破門だとよ。

「あの京の輔と並ぶ、御前で落語まで演った圓幽の弟子が、ねえ・・落ちぶれたもんだ」

 師匠が上手過ぎたから、臍曲りの弟子は道逸れちまったんだよ。

 破天荒の京の輔、本格端正の圓幽。昭和三十・四十年代、名人の双璧、長楽亭京の輔と三道楽圓幽は落語の黄金時代を築き上げた。

 破門したのは圓幽で、客分に引き取ってくれたのが京の輔。成行き、昭和の二大名人両方師匠に持つ事になっちまった。当て付けかって随分騒がれた。引き取り手もなかったから、京の輔が太っ腹見せただけなのによ。

(無茶な奴にゃあ京の輔の方が向いてる、か)

 それはその通りだったけど・・古典至上、それが神様みてえに上手かった圓幽師匠の事、俺は破門されたって好きだったんだ。尖がって他人も手前も傷付けてたとこなんか、俺と似てたしよ。

 芸は確かに圓幽の方がずっと上だったけど、人気じゃ上野動物園のパンダにも負けちまった。同じ日に死んだのに、新聞の扱いパンダより小さかったのは、悔しかったなぁ。

「じゃ、まずは一席やって貰おうか」

「こちらで・・ですか」

「ああ、こんな家だけど六畳四畳半の続き座敷はあらあな。裏の連中呼んどくから、今夜八時、落語会やっとくれ」 

 師匠、引っ越し蕎麦代わりですよ、朝顔が脇から囁く。馬鹿にしやがって。噺家稼業、ちゃんとひと様のお足を頂ける俺の芸を、葉書か何かと間違えてやがる。  


Posted by 渋柿 at 12:27 | Comments(0)

2015年05月12日

鯰酔虎伝 7

「皆さん、ペット飼ってらっしゃいますか?」

 開口一番高座に上がった朝顔の声が、楽屋のスピーカーから流れてくる。

「ワンちゃんもニャンコちゃんも、可愛いですねえ。近頃犬猫OKのアパートも増えて、ペットと暮らしてる方も結構いらっしゃるんじゃないですか」

 さっき袖から覗いたが、平日の昼席、前座三人で客引きをしても、十人に満たない。豊島演芸場の入りは、相変わらず悪かった。

「あたしもペットていうか、師匠を一匹、うちで飼っておりまして」

 ずぶ、げほ。隣で一息入れていた二つ目が、茶に噎せた。

「この師匠、鯰ちゃんっていうんです。・・これが又、酒癖が悪くってねえ」

 師匠、朝顔またあんな事いってますよ・・二つ目が鯰に囁く。前座はきっちり教えられた通りに演るのが原則だが居候も二年、とっくに師弟の力関係は逆転している。

 いいんだよ、俺はほんとにあいつの居候だから・・鯰は苦笑した。

「店立て喰らって弟子んとこへ転がり込んだ事ぁ、こっちもまくらで喋ってる」

「ネタなんしょ?違うんですか」

「ネタでも洒落でもねえよ。正真正銘毎晩、枕並べて寝てらあ」

「ええっ」

 芸能界の他のジャンルなら、スキャンダルにも問題にもなっただろう。この世界だって、眉顰めてる奴は多い。でも協会は内弟子制度を認め、併せて女性にも門戸を開いている。どこでどんな風に内弟子取ろうと真打の勝手、文句をいわれる筋合いはねえ。

「馬鹿野郎、妙な気ぃ回すな」

 朝顔は酒莨色恋ご法度の前座の身だ。一応男帯の古いので、ちゃんと垣根は引いてる。

「押入れまでごちゃごちゃで・・仕方なかったんだよ!」

 風呂トイレもないっていうから予想はしていたが、高座の着物と女房子の位牌骨壺持って転がり込んだとこは、大分時代が付いていた。通りに面した大家の二階家の裏の木造平屋、部屋は六つで廊下も軋む・・そりゃもうアパートていうより、まんま裏長屋だ。

 私が入門した師匠です。一緒に暮らす事になりました、と朝顔は大家に引き合わせた。

「このお爺ちゃんと・・同棲?」

 そりゃ当然だろうが、大家は呆れ返った。

「同棲って・・私が師匠に入門して、内弟子になったんです。で、その師匠が今まで借りてた家、家主さんが取り壊してマンション建てる事になって、行くとこなくなっちゃって」

「ふうん・・お爺ちゃん、あんた名前は?」
「・・夕顔亭鯰」

「夕顔亭・・鯰・・ねえ」

 大家は暫く考えていた。

「あんた、ひょっとして、三道楽圓幽の弟子だった、三道楽幽鈴じゃねえかい」

「よくご存知で」
 
 四十年前の、名前だ。  


Posted by 渋柿 at 12:42 | Comments(0)

2015年05月11日

鯰酔虎伝 6

「えっ?」

「高座名を付けて下さい」

「あんた・・」

「内弟子だろうと内師匠だろうと・・上等です。大家さんとは話を付けますから、噺家として私に名前を付けて下さい師匠」

「朝顔!」

 もう、自棄のやん八だ。

「朝顔、ですか」

「夕顔亭鯰の弟子朝顔・・これでいいんだろ」

 くたばる前に二つ目まで育てりゃあ、奇特な奴が引き取ってくれるかもしれない。誰も弟子にしてくれないってんだから、こいつも内心、その辺が落とし所と踏んでるんだろう。

「ありがとうございます。これから大家さんと話します。師匠の準備ができたら、メモの連絡先へ・・ご一報、お願いします」

「判ったよ」

「協会の事務局にも連絡先の変更、届けといて下さい。私の携帯番号で・・いいですか」

「それっきゃないよ」

 四畳半は狭い。ええこうなりゃもう迷惑の最後っ屁だ、電話も何も一切合財、溜めた店賃代わりに家主に引き取ってもらおう。

「・・お参りさせて下さい」

「えっ」

「おかみさんですね」

 隅っこの、ちっちゃな置き仏壇を見ている。

(さつき・・)

 所帯持って、娘授かって・・お前達のお骨守ってきたこの家とも、これでお別れだな。  


Posted by 渋柿 at 17:04 | Comments(0)

2015年05月08日

鯰酔虎伝 5

「兎に角、他を当たってくれ」

「・・昨日の首屋・・よかったです」

「代バネだけどな。昨日の寄席、来てたのか」

「師匠の古典、初めて聞きました」

「気まぐれだよ」
 
 「首屋」は短い噺で、代演にちょうどいい。

「古典の人情噺も圓幽譲り、きちんとおできになるんですね。安心しました」

 さらっといってくれるぜ、失礼千万な事を。

「ほんとによかったです。自分の首売り歩くまで追い詰められた虚無っていうか男の自暴自棄も、それ引き摺り戻す女房の情も」

 師匠から習った「首屋」にゃあ、女房との世話場はなかった。俺が付け足したんだ。

「お願いです、弟子にして下さい。あっこれ、忘れてました。私の略歴です」

 履歴書めいたメモまで突きつける。おお、凄ぇ大学出てるじゃねえか。

「弱ったね・・どうも」

 俺ぁ七十五だぜ。それに弟子どころか、手前一人喰うのもままならないんだ。

「年寄りの一人暮らしだ、内弟子でもいいってなら・・そりゃちいと考えるけどな」

 こういやぁ、いくら何でも諦める。

「え・・勿論です。炊事も洗濯も掃除も、任せてください」

 そう、来たか。

「ところで俺、今、店立て喰っててね」

「店立て?」

「この家ぁ古い贔屓の持ち家だったんだけどね、先月亡くなって・・跡継いだ息子さんが出ていってくれって。この家潰してマンション建てるんだとさ。まあ一年家賃を溜めたのも悪いんだけど、宿無しになっちまうんだ」

 追い立て喰ってるってのは、嘘じゃない。

 オンボロ借家。終の棲家って思ってたけど、そういう訳にもいかなかった。まあ天涯孤独だし、いざとなりゃあ野垂れ死によ。今ぁあんまり聞かねえけど、昭和の二十年代までは、噺家の野垂れ死になんて珍しくもなかった。

「・・あんた、どこに住んでる?」

「西荻窪の・・アパートです。四畳半一間、お風呂はなくて、トイレは共用・・」

「そこに置いて貰えねえかな」
 
 どこの世界に、弟子に居候する師匠がいる。
 
 女は、暫く黙っていた。呆れたんだろうか、唇を噛んで拳を握りしめている。

 名前を、と女は挑むような目を向けた。  


Posted by 渋柿 at 17:40 | Comments(0)