2009年06月19日
「伏見桃片伊万里」22
師らが塾に帰って、圭吾と二人きりになっても、隼人は目を据え、ひたすら内に自分を責めていた。
「腑分けに使ってくれ。この体。死んだらすぐに。いや、生身を、じかに切り刻んでくれ。心の臓が止まらぬうちに。俺は無力無能、せめてこの体を役に立ててくれ。医者なら腑分けの経験はきっと役に立つ。せめてそれ位おまえの役に立ててくれ。そうでもしなければ、俺は―」
圭吾に、強い感情が湧きあがった。
「書けよ」斬りつけるようにいった。
「書けよ。おれが今腑分けしてやる。刃身はおまえの薬籠だな」圭吾は、隼人に矢立と紙を突きつけた。
「生きてるうちに腑分けしろ?俺の役に立ちたい?耐えられないだけのことだろ。持て余した自分の命の残り飯、人に喰わすな!」
「命の、残り飯」隼人は、圭吾の言葉の衝撃をまともに受けた。
暫く、呆然としていた。
「仕方がない、俺も付き合うか、冥土にでもなあ」
「冥土?」
「御禁制だろうが。まあ、慎一郎と三人仲良くやるか、あっちでな」
近代医療史に残る山脇東洋や杉田玄白は例外中の例外である。死体の腑分けは厳禁されている。執刀した者は、死罪という厳とした決りがあった。
「俺は、俺は・・どうすればいいんだ。」
隼人は、身を揉んで泣き出した。
慎一郎の枕辺、経机がわりにその文机を置いている。
塾の仲間が持ち寄った香炉・燭台・鈴。供物の飯の碗と、煮しめの牛蒡・大根・豆腐・蒟蒻を盛っている碗は、あの日母子が残した下手の伊万里を使った。
圭吾は線香の火を継いだ。先の線香は尽きようとしていた。朝まで香は絶やせない。
「お前は、自分を無力無能だといったな」
圭吾は小火鉢の炭を移す。
「腑分けに使ってくれ。この体。死んだらすぐに。いや、生身を、じかに切り刻んでくれ。心の臓が止まらぬうちに。俺は無力無能、せめてこの体を役に立ててくれ。医者なら腑分けの経験はきっと役に立つ。せめてそれ位おまえの役に立ててくれ。そうでもしなければ、俺は―」
圭吾に、強い感情が湧きあがった。
「書けよ」斬りつけるようにいった。
「書けよ。おれが今腑分けしてやる。刃身はおまえの薬籠だな」圭吾は、隼人に矢立と紙を突きつけた。
「生きてるうちに腑分けしろ?俺の役に立ちたい?耐えられないだけのことだろ。持て余した自分の命の残り飯、人に喰わすな!」
「命の、残り飯」隼人は、圭吾の言葉の衝撃をまともに受けた。
暫く、呆然としていた。
「仕方がない、俺も付き合うか、冥土にでもなあ」
「冥土?」
「御禁制だろうが。まあ、慎一郎と三人仲良くやるか、あっちでな」
近代医療史に残る山脇東洋や杉田玄白は例外中の例外である。死体の腑分けは厳禁されている。執刀した者は、死罪という厳とした決りがあった。
「俺は、俺は・・どうすればいいんだ。」
隼人は、身を揉んで泣き出した。
慎一郎の枕辺、経机がわりにその文机を置いている。
塾の仲間が持ち寄った香炉・燭台・鈴。供物の飯の碗と、煮しめの牛蒡・大根・豆腐・蒟蒻を盛っている碗は、あの日母子が残した下手の伊万里を使った。
圭吾は線香の火を継いだ。先の線香は尽きようとしていた。朝まで香は絶やせない。
「お前は、自分を無力無能だといったな」
圭吾は小火鉢の炭を移す。
Posted by 渋柿 at 21:38 | Comments(0)
2009年06月19日
「伏見桃片伊万里」21
「遺書は、書く」隼人は、まだ支離滅裂なことを繰り返している。
師や相弟子たちが帰るまで、針の筵の思いではないかと案じたが、他者を慮る正常な感覚までには回復していないようである。
あの八重樫の主家、蔵屋敷には師も同道して抗議してくれた。だが、往来に突っ立ていたほうに非あり、と謝罪は薄かったという。
「しかもあの八重樫という男、すでに藩を放逐されておったわ。あ奴もう、薩摩藩と何のかかわりも無いと、のう」師は、吐き捨てるように行った。
「それは、斯様なことをしでかした故、でしょうか」
「今度の大相場で、薩摩さまは大損をなさったそうな。表向きはその責めを負ってということであったが、まあ、人一人が天下の往来で死んでおる。蔵屋敷の御重役は、これ幸いと八重樫を蜥蜴(とかげ)の尻尾(しっぽ)にしたのであろうよ」
「それにしても、今朝の今朝のことを、夕刻には放逐とは―」
「薩摩さまはこの十年、殿さま方と御世子方の、国許と江戸屋敷を根城にした暗闘があっった。そなたも噂くらいは聞いていよう。八重樫は襲封なされて日の浅い御世子派で、蔵屋敷の殿さま派からみれば邪魔でもあったらしいわ」
名医の誉れ高い師は、方々に顔が広い。
当然、かの屋敷にも知己はいたのだろう。
「とまれ八重樫は、もう罰されておる」
「はい」
「あとは、慎一郎の冥福だけを祈ろうよ」
そういって師は、最前までずっと慎一郎の通夜にともに侍っていたのだ。
師や相弟子たちが帰るまで、針の筵の思いではないかと案じたが、他者を慮る正常な感覚までには回復していないようである。
あの八重樫の主家、蔵屋敷には師も同道して抗議してくれた。だが、往来に突っ立ていたほうに非あり、と謝罪は薄かったという。
「しかもあの八重樫という男、すでに藩を放逐されておったわ。あ奴もう、薩摩藩と何のかかわりも無いと、のう」師は、吐き捨てるように行った。
「それは、斯様なことをしでかした故、でしょうか」
「今度の大相場で、薩摩さまは大損をなさったそうな。表向きはその責めを負ってということであったが、まあ、人一人が天下の往来で死んでおる。蔵屋敷の御重役は、これ幸いと八重樫を蜥蜴(とかげ)の尻尾(しっぽ)にしたのであろうよ」
「それにしても、今朝の今朝のことを、夕刻には放逐とは―」
「薩摩さまはこの十年、殿さま方と御世子方の、国許と江戸屋敷を根城にした暗闘があっった。そなたも噂くらいは聞いていよう。八重樫は襲封なされて日の浅い御世子派で、蔵屋敷の殿さま派からみれば邪魔でもあったらしいわ」
名医の誉れ高い師は、方々に顔が広い。
当然、かの屋敷にも知己はいたのだろう。
「とまれ八重樫は、もう罰されておる」
「はい」
「あとは、慎一郎の冥福だけを祈ろうよ」
そういって師は、最前までずっと慎一郎の通夜にともに侍っていたのだ。
Posted by 渋柿 at 08:01 | Comments(0)