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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年06月27日

「伏見桃片伊万里」30

「あの、慎一郎を蹄に掛けた・・どこでだ」
「高瀬舟でさ。米相場の失敗の責めを取らされたとかで、あのあとすぐ浪人しちまったんだと。食い詰めて喧嘩沙汰のあげく、相手何人も半殺しにしちまったらしい」
「それで隠岐送り、か」
「牢の中で、ひどく腹を下しておっての。俺が診た。どうも見覚えはある顔だったし、役人から姓名を聞いたときは驚いたぜ」
「お前、あの頃の記憶はまだはっきりしてないだろうしなあ。で、どうした?」
「とりあえず、吐寫は止めた。下痢止めの処方、三日分持たせたが。大阪に着いたら揚屋で休ませてやれって、さもなければ隠岐まで持たんって、役人をおどかしておいいたから、多分本復したろうよ」
「おまえのこと、気づいたか?」
「いや。ただもう、腹を少々指圧してやっただけでも痛みが薄らいだとか、泣いて有難がって、な。よっぽど辛かったんだろうよ」
「俺は、多分お前と判ってて、黙ってたような気がするがな。―そうか、あの八重樫が流人になあ」圭吾は、乗り打ちで駆け去ったあの日の高飛車な姿を思った。その八重樫を、隼人が介抱するめぐり合わせになろうとは。
(もう一人前の医者だな、隼人)
「侍なんて、主家を離れれば容易く、己に負けてしまうものらしいな」流人姿の八重樫を思い出したように、隼人はつぶやいた
「お前は負けられんぞ、患者のためにも、お登世さんとお千代ちゃんのためにも、な」
「ああ。それに―」隼人は顔を赤らめた。「生れるんだ、この夏、お千代の次の子が」
「本当か!」
「もし男の子なら、名はもう決めている」
「慎一郎―か?」
 隼人はああと答え、二人とも暫く黙って、庭の冬木の桃を見ていた。

 久々にお登世の手料理を振舞われ待されて伏見を辞したのは、昨日の昼のことだった。 
「こんなんしか有らへんのどすけど・・」
 蕪・大根の葉、すなわち菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)はお登世が丹精した桃の樹の向こうの中庭で引いたのだろう。芹、薺(なずな)、御形、繁縷、仏の座は、お千代が淀の川辺で摘み集めてきた。
「うちが摘んだんえ」自慢そうにいうお千代の、頭を撫でる。
「えらいなあお千代ちゃん、もうすぐお姉ちゃんやもんなあ」
 こうして、伏見の土産に粥に入れる春の七草を持たされたのだった。
  


Posted by 渋柿 at 11:17 | Comments(0)