2009年06月12日
「伏見桃片伊万里」12
圭吾は母親に向き直った。
「まだ暫くは大人しくしている方がよいが。寝かせておく所、あてはあるかね」
母親はしばらく黙っていた。
「よう効くお薬どすなあ」
娘の寝髪の後れ毛を直しながら言う。
「これは―砒素というのは、薬というより毒なのだが」
「毒ぅ!」母親が仰天する。
「あ、いや。薬と言うものは、本来すべて毒なのだ」慎一郎が、圭吾の舌足らずを補った。
「はあ」
「その毒を薄めて、薬にするのが医者の仕事でな。もっとも砒素は正真正銘の猛毒で、鼠獲りにするぐらいじゃ。人に使うのは、今夜のように切羽詰ったときだけ・・ギリギリの、ごく僅かの量だけなあ―」
慎一郎の言葉に反応して、パッと圭吾が立ち上がった。慎一郎も気付いた。階段を駆け上り、障子を開けた。有明行灯のみ仄かな、うす闇の中。
やはり、であった。
砒素など、駆出しが通常薬籠で持ち歩くものではない。隼人は、布団の上に倒れていた。
手に、空の油紙が残っている。
(砒素を呑んだ―)
(やりあがった)
二人は階段を駆け下りて、土間の台所の水瓶から、鍋と釜いっぱいに水を汲んだ。漏斗を使えばなおいいが、探している時間は無い。
圭吾が隼人を抱えあげ、無理に口をこじ開けた。そこへ、慎一郎が鍋と釜の水を流し込む。それから、慎一郎が鳩尾を押し、水とともに胃の腑の砒素を吐かせた。吐瀉。酒精と胃液の、物凄い臭いがした。失禁も、しているようだ。慎一郎が吐寫させている間に、圭吾は蝋燭を点す。
一回では足らぬ。何回も階下から水を運ぶ。
「まだ暫くは大人しくしている方がよいが。寝かせておく所、あてはあるかね」
母親はしばらく黙っていた。
「よう効くお薬どすなあ」
娘の寝髪の後れ毛を直しながら言う。
「これは―砒素というのは、薬というより毒なのだが」
「毒ぅ!」母親が仰天する。
「あ、いや。薬と言うものは、本来すべて毒なのだ」慎一郎が、圭吾の舌足らずを補った。
「はあ」
「その毒を薄めて、薬にするのが医者の仕事でな。もっとも砒素は正真正銘の猛毒で、鼠獲りにするぐらいじゃ。人に使うのは、今夜のように切羽詰ったときだけ・・ギリギリの、ごく僅かの量だけなあ―」
慎一郎の言葉に反応して、パッと圭吾が立ち上がった。慎一郎も気付いた。階段を駆け上り、障子を開けた。有明行灯のみ仄かな、うす闇の中。
やはり、であった。
砒素など、駆出しが通常薬籠で持ち歩くものではない。隼人は、布団の上に倒れていた。
手に、空の油紙が残っている。
(砒素を呑んだ―)
(やりあがった)
二人は階段を駆け下りて、土間の台所の水瓶から、鍋と釜いっぱいに水を汲んだ。漏斗を使えばなおいいが、探している時間は無い。
圭吾が隼人を抱えあげ、無理に口をこじ開けた。そこへ、慎一郎が鍋と釜の水を流し込む。それから、慎一郎が鳩尾を押し、水とともに胃の腑の砒素を吐かせた。吐瀉。酒精と胃液の、物凄い臭いがした。失禁も、しているようだ。慎一郎が吐寫させている間に、圭吾は蝋燭を点す。
一回では足らぬ。何回も階下から水を運ぶ。
Posted by 渋柿 at 19:16 | Comments(0)
2009年06月12日
「伏見桃片伊万里」11
「船着場で、あの、伏見から来たいうお人に頂いて。元は九州の伊万里んもんやて」
母親は、小さい声で言った。
(これも伊万里と言えば伊万里といえんこともないが。お菰をからかうなど、どこの誰だ、罪作りな)
「いやあ、伏見は桃の名所・・芭蕉や蕪村も名句を詠んでおる。この紅斑は点々と桃の花びら、白磁はほんのりと紅を帯びて、淀川の、伏見の桃の盛りの風情じゃなあ」相手の目が見られず、殆どしどろもどろであった。
「はい、優しい色で。この器に、えらい慰めてもらいました」母親は嬉しそうに微笑む。
「けっ、知らぬが仏、か」隼人が毒付く。
「おい!」
「馬鹿はほっとけ、圭吾」
いつもの大酒の上をいく量だ。
「もう、二階へ行って寝ろ」叱り付ける。
「そう、する」
今夜は、一旦酔いつぶれた後の連続飲酒じみた大酒である。隼人の体内には、いつもの大酒の上をいく量の酒精が溜まっている。
「もう、用もないだろ」
自分の薬籠を下げて、階段を登ろうとした。 ガン。一段目で蹴躓いてつんのめった。
「大丈夫か」
「まあ、大丈夫じゃないだろうが・・大丈夫かなあ。うん、大丈夫だ。―俺はもう、駄目だな」隼人はそれでも何とか階段を登り、寝部屋にたどり着いたようだった。
母親は、小さい声で言った。
(これも伊万里と言えば伊万里といえんこともないが。お菰をからかうなど、どこの誰だ、罪作りな)
「いやあ、伏見は桃の名所・・芭蕉や蕪村も名句を詠んでおる。この紅斑は点々と桃の花びら、白磁はほんのりと紅を帯びて、淀川の、伏見の桃の盛りの風情じゃなあ」相手の目が見られず、殆どしどろもどろであった。
「はい、優しい色で。この器に、えらい慰めてもらいました」母親は嬉しそうに微笑む。
「けっ、知らぬが仏、か」隼人が毒付く。
「おい!」
「馬鹿はほっとけ、圭吾」
いつもの大酒の上をいく量だ。
「もう、二階へ行って寝ろ」叱り付ける。
「そう、する」
今夜は、一旦酔いつぶれた後の連続飲酒じみた大酒である。隼人の体内には、いつもの大酒の上をいく量の酒精が溜まっている。
「もう、用もないだろ」
自分の薬籠を下げて、階段を登ろうとした。 ガン。一段目で蹴躓いてつんのめった。
「大丈夫か」
「まあ、大丈夫じゃないだろうが・・大丈夫かなあ。うん、大丈夫だ。―俺はもう、駄目だな」隼人はそれでも何とか階段を登り、寝部屋にたどり着いたようだった。
Posted by 渋柿 at 06:55 | Comments(0)