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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年06月30日

「伏見桃片伊万里」【最終回】

 圭吾の医師としての声望は確実に揚がっていった。いつしか遠く平戸や波佐見・佐世保あたりからも、圭吾を頼る患者が訪れるようになっていた。建て増しが、続いた。妻・道も、診療所の世帯の切盛から患者の看護、はては圭吾の手術の助手を勤め、圭吾を終生支えている。 
 隼人と交す便りは、途切れなかった。圭吾に二年先立つその最期まで、お登世を泣かすことはなかったようである。
圭吾の診療所の目印は、圭吾が植えた数本の桃の樹であった。
 隼人との書簡、時候の挨拶は多く相互の庭の桃の近況で始まっている。先述の郷土史の造詣も深い現当主のお話によると、堀圭吾は桃の花をこよなく愛した。圭吾没後は、昭和直前まで存命だった道も、庭の桃を丹精していたという。圭吾と道の孫である氏の祖父は、圭吾と桃のことを折にふれ語っていたそうである。氏やその同級生たち複数の遥かな記憶に、この桃の樹のことは確かに残っている。
 残念ながら・・その樹自体は氏等の幼少時枯死したそうであるが。
 
 ただ、『祟仁癒心居士』の位牌とともに、『伏見桃片』と『桃片伊万里』は、今も堀家の所蔵である。
  


Posted by 渋柿 at 07:44 | Comments(0)