2009年06月15日
「伏見桃片伊万里」16
お菰の母子は、手紙ひとつ置いていくでもなく、くらわんかの器二つだけを残していた。
釜に、母親が朝炊いてくれた飯がいくらか残っていた。それを味噌汁の雑炊にして、二人で食べる。母子が残していった器で・・
「あの二人、なけなしの飯碗・・置いていっちまった。まず、これからどうやって飯食うつもりだ」圭吾は案じた。
「こりゃ、くらわんかだろ。大阪と伏見の間の、淀川の三十石船の」慎一郎が言った。
「ああ、上りは一日、下りは半日という、あれな。伏見から高瀬川の高瀬舟が―」
「京と繋がってる―伏見は水運の街、か」
「城址に桃が植えられてて、春は桃の名所でもあるらしいぞ」
「三十石船の客を相手に喰らわんかって売ってる、あの器だろ、これ」
「ああ蕎麦に餅に牛蒡汁、な」
そういった圭吾も、無論慎一郎も、淀川の船旅などしたことはない。
「街道の枚方、だったか?」
「いや、枚方だけとも限らん、伏見にもいるらしい。講釈師の見てきたような何やらによるとな、大阪夏の陣で真田幸村に追い詰められた徳川秀忠公が、助けてくれた百姓に横柄な物言い天下御免のお墨付きをだされたそうな。その使い捨ての器さ」
「これも、伊万里なのか?」
「ああ―いや、それは・・難しいな」圭吾は、口ごもりつつ、ふるさとの「旅陶器」について慎一郎に説明した。
以下、要約するとこのようなことになる。
江戸初期、有田・伊万里焼の草創期に、大量に出た面もの(失敗作)を北前船に積み、上方に売った。幾許か、金にするためである。
それが買喰いの使い捨て容器として流通した。
確かに建前では、今の皿山代官支配、有田・伊万里両郷の産で面ものは流通しないことになってはいる。が、例外のない規則はない。その上、元禄頃から、隣接する大村藩領の波佐見や平戸藩飛地の三川内辺りで大量生産がなされた。それらの地は産する陶土が繊細な加工に向かぬゆえ、使い捨てに活路を見出したのである。
数でいえば、そちらの方が圧倒的に多い。
ややこしいのは、積出港として川棚の三越浦などと共に、佐賀藩領伊万里津が使われていることだ。
伊万里郷もしくは近辺の佐賀藩領内の窯で焼かれたもののみを指すか、伊万里津から北前船で積み出された陶磁器全体を謂うか、それが「伊万里焼」の定義の広義・狭義、混乱のもととなっている。
釜に、母親が朝炊いてくれた飯がいくらか残っていた。それを味噌汁の雑炊にして、二人で食べる。母子が残していった器で・・
「あの二人、なけなしの飯碗・・置いていっちまった。まず、これからどうやって飯食うつもりだ」圭吾は案じた。
「こりゃ、くらわんかだろ。大阪と伏見の間の、淀川の三十石船の」慎一郎が言った。
「ああ、上りは一日、下りは半日という、あれな。伏見から高瀬川の高瀬舟が―」
「京と繋がってる―伏見は水運の街、か」
「城址に桃が植えられてて、春は桃の名所でもあるらしいぞ」
「三十石船の客を相手に喰らわんかって売ってる、あの器だろ、これ」
「ああ蕎麦に餅に牛蒡汁、な」
そういった圭吾も、無論慎一郎も、淀川の船旅などしたことはない。
「街道の枚方、だったか?」
「いや、枚方だけとも限らん、伏見にもいるらしい。講釈師の見てきたような何やらによるとな、大阪夏の陣で真田幸村に追い詰められた徳川秀忠公が、助けてくれた百姓に横柄な物言い天下御免のお墨付きをだされたそうな。その使い捨ての器さ」
「これも、伊万里なのか?」
「ああ―いや、それは・・難しいな」圭吾は、口ごもりつつ、ふるさとの「旅陶器」について慎一郎に説明した。
以下、要約するとこのようなことになる。
江戸初期、有田・伊万里焼の草創期に、大量に出た面もの(失敗作)を北前船に積み、上方に売った。幾許か、金にするためである。
それが買喰いの使い捨て容器として流通した。
確かに建前では、今の皿山代官支配、有田・伊万里両郷の産で面ものは流通しないことになってはいる。が、例外のない規則はない。その上、元禄頃から、隣接する大村藩領の波佐見や平戸藩飛地の三川内辺りで大量生産がなされた。それらの地は産する陶土が繊細な加工に向かぬゆえ、使い捨てに活路を見出したのである。
数でいえば、そちらの方が圧倒的に多い。
ややこしいのは、積出港として川棚の三越浦などと共に、佐賀藩領伊万里津が使われていることだ。
伊万里郷もしくは近辺の佐賀藩領内の窯で焼かれたもののみを指すか、伊万里津から北前船で積み出された陶磁器全体を謂うか、それが「伊万里焼」の定義の広義・狭義、混乱のもととなっている。
Posted by 渋柿 at 13:42 | Comments(0)