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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年06月22日

「伏見桃片伊万里」25

(どうする?)
(そう、しよう。慎一郎が居たら、きっとそうした筈だ)圭吾と隼人は目と目を交わした。
「お登世さん、もうしばらく、温かくなるまでここに居てくれぬか。この馬鹿の見張りが要るのでな。また酒に手を出したら今度こそ破滅だ。ついでに家の切盛やって貰えたら、有難い」
「寒さが去るまで、お千代ちゃんの喘息も、案じられる。あ、いやこれはついでだが」
 お登世は、やがて涙ぐんだ。
「ほんまに、ありがとうさんでございます。お言葉に甘えさせていただきます」
(なあ、お前がこの親子を呼び戻してくれたんだろう、慎一郎)

 冬が過ぎて、春も爛漫となった、伏見城址の桃林である。
 淀橋の船着場から枚方経由、一昼夜の船旅をして三十石を降りた男女四人がいた。
 圭吾と隼人、お登世とお千代である。
「ほんまに、喰らわんか、喰らわんかっていいはるんどすなあ」
「餅喰らわんか、牛ん蒡汁喰らわんか、まではよかったが、はよう金出せしっみたれめが、には肝を潰した」
 船中、くらわんか船に行き合い、餅と牛蒡汁を買った。容器は、一応「白磁」ではあった。だが、黄ばみ、呉須の藍色の線描も淡い。辛うじてそれと知れる、紛い物の阿蘭陀文字がその肌に漂っていた。
(波佐見か三川内か―もしかしたら有田か伊万里かどこの窯だろう?―まあ、どこでもいいか、そりゃ)
 お登世と隼人が笑み交わしている。
(お千代ちゃんに字など教えていたし、な)
 近頃三人は本当の親子のように見える。
 くらわんかの器は、重ねて船端に置いた。こうしておけば回収され、洗われてまた使い回しされるのだ。
 隼人は、お千代の手を引く。
 あれから、軽い発作は数回起こしたが、お千代に砒素を用いねばならぬことはなかった。
 お千代は自力で発作を乗り越えた。
 圭吾と、別して隼人が渾身の看護に当った。
(伏見か。何時か行って見たいな、できれば桃の咲く頃)そう、口にしていた。
 今日は『祟仁癒心居士』栗林慎一郎の四九日である。
  


Posted by 渋柿 at 16:40 | Comments(0)