2009年01月20日
「街の中の廃墟」
「街の中の廃墟―伊万里ダイエー跡」
伊万里市新天町。夕刻、JRと松浦鉄道、ツインタワーの駅ビルの間の街路樹に、青いイルミネーションが輝いています。しかし少し目を転じた先には、巨大なコンクリートの廃墟が黒くうずくまっているのです。
その前身、伊万里ユニードが開店したのは、私が中学生のときでした。
バスセンターとリンク、食料品、衣類、家電と各フロアー品揃えが充実し、高校生になるとテナントの書店に入り浸りました。夏休み冬休み、大学生になった先輩が、エスカレーターの前で食品の実演販売をしたりしていました。その後ダイエーとなりましたが、賑わいは続いていました。
二〇〇二年にダイエーが閉店し、街の中の廃墟となって、六年が過ぎました。伊万里市の美術館・博物舘としての転用も模索されたようですが、民間所有物であることや、耐震構造の問題などで実現は見ませんでした。
隣接のバスセンターの営業は続けられていますが、本数は減り、バスを待つ人影もまばらです。
冷たい北風の中、かつての活気は、夕闇の中の幻となってしまいました。
伊万里市新天町。夕刻、JRと松浦鉄道、ツインタワーの駅ビルの間の街路樹に、青いイルミネーションが輝いています。しかし少し目を転じた先には、巨大なコンクリートの廃墟が黒くうずくまっているのです。
その前身、伊万里ユニードが開店したのは、私が中学生のときでした。
バスセンターとリンク、食料品、衣類、家電と各フロアー品揃えが充実し、高校生になるとテナントの書店に入り浸りました。夏休み冬休み、大学生になった先輩が、エスカレーターの前で食品の実演販売をしたりしていました。その後ダイエーとなりましたが、賑わいは続いていました。
二〇〇二年にダイエーが閉店し、街の中の廃墟となって、六年が過ぎました。伊万里市の美術館・博物舘としての転用も模索されたようですが、民間所有物であることや、耐震構造の問題などで実現は見ませんでした。
隣接のバスセンターの営業は続けられていますが、本数は減り、バスを待つ人影もまばらです。
冷たい北風の中、かつての活気は、夕闇の中の幻となってしまいました。
Posted by 渋柿 at 19:50 | Comments(2)
2009年01月20日
「尾張享元絵巻」14
ここ数代将軍後嗣(こうし)の地位を争い、尾張藩士たちに紀州家=現将軍吉宗への反感は根強い。
(ばかめ、一万両では、合戦はできぬわ)
宗春は、苦笑した。織部は、大酔を発している。手酌で干した杯を宗春は握りしめた。
「伊吹屋、手土産、ありがたく頂戴した上で使いみちは、躬が今、思案した」
「はっ」
一陣の秋風にさっと紅葉が散った。
宗春は、手にしていた塗りの杯を池の汀(みぎわ)の大石に投げつけた。
杯は、割れて、落ちた。
「躬も、当たって砕けよう」
百舌(もず)の鋭い声。
「なんと」
織部と伊吹屋が同時に腰を浮かす。
「相手は幕府、勝ち目はない。だが、躬は屈せぬ。やれるところまで、喧嘩を売るぞ。果ては、砕け散るまでのことよ」
(身の今までの言動・・音曲、遊郭、華美の薦め、温治政要・・闘いの矢はすでに弦を放たれていた)
ふつふつと闘志が湧く。
また鯉が跳ねた。
風に音を立てて、紅葉が散り敷く。
百舌がまた鳴く。
「お殿様は、この道をあくまで進まれますか・・」
伊吹屋がため息と共にいった。
年明けて、享保十七年正月。宗春は「温治政要」の献上本を作って将軍吉宗に差し出した。その応えは京都町奉行所の沙汰により、普及本を出版しようとしていた京都堀川(ほりかわ)の本屋の出版差し止め、版木の没収、であった。
(来るものが来た・・)
二月ももうすぐという頃、宗春は御深井の丸の茶屋に付家老の竹腰正武を呼んだ。余人を遠ざける。汀の山茶花(さざんか)が池に花びらを散らしている。早咲きの紅梅が二分咲きの枝に、鶯の初音もたどたどしい。
にじり口わきの水仙を、床に活けた。
水仙は禁(きん)花(か)の一つである。茶の湯では香りのあまり強い花・・沈丁花(じんちょうげ)、薔薇(そうび)、木犀(もくせい)などは主客の心を乱すとして茶席に活けることを禁じている。
その禁花を、あえて活けた。
炭が熾(おこ)り、炉の釜が松風(まつかぜ)の音をたてはじめる。
竹腰がにじり口から客の座に入ってきた。
「殿、わざわざ、こと改まって御深井の丸にお呼びとは・・」
竹腰も「温治政要」の一件は知っている。茶席の挨拶もせず、切り口上に尋ねた。
「まあ、茶を服せ」
宗春は紅梅の描かれた瀬戸(せと)の筒茶碗に、薄茶(うすちゃ)を点(た)てた。
膝行して碗を取り入れ、一揖して竹腰が碗に口をつけたとき、宗春はいった。
「有馬(ありま)兵庫(ひょうご)、加納(かのう)遠江(とうとうみ)と、これから密(ひそか)につなぎを取れ」
「うっ」
竹腰が、むせかけた。
「と、殿!」
飲みかけた碗を畳に置く。
(ばかめ、一万両では、合戦はできぬわ)
宗春は、苦笑した。織部は、大酔を発している。手酌で干した杯を宗春は握りしめた。
「伊吹屋、手土産、ありがたく頂戴した上で使いみちは、躬が今、思案した」
「はっ」
一陣の秋風にさっと紅葉が散った。
宗春は、手にしていた塗りの杯を池の汀(みぎわ)の大石に投げつけた。
杯は、割れて、落ちた。
「躬も、当たって砕けよう」
百舌(もず)の鋭い声。
「なんと」
織部と伊吹屋が同時に腰を浮かす。
「相手は幕府、勝ち目はない。だが、躬は屈せぬ。やれるところまで、喧嘩を売るぞ。果ては、砕け散るまでのことよ」
(身の今までの言動・・音曲、遊郭、華美の薦め、温治政要・・闘いの矢はすでに弦を放たれていた)
ふつふつと闘志が湧く。
また鯉が跳ねた。
風に音を立てて、紅葉が散り敷く。
百舌がまた鳴く。
「お殿様は、この道をあくまで進まれますか・・」
伊吹屋がため息と共にいった。
年明けて、享保十七年正月。宗春は「温治政要」の献上本を作って将軍吉宗に差し出した。その応えは京都町奉行所の沙汰により、普及本を出版しようとしていた京都堀川(ほりかわ)の本屋の出版差し止め、版木の没収、であった。
(来るものが来た・・)
二月ももうすぐという頃、宗春は御深井の丸の茶屋に付家老の竹腰正武を呼んだ。余人を遠ざける。汀の山茶花(さざんか)が池に花びらを散らしている。早咲きの紅梅が二分咲きの枝に、鶯の初音もたどたどしい。
にじり口わきの水仙を、床に活けた。
水仙は禁(きん)花(か)の一つである。茶の湯では香りのあまり強い花・・沈丁花(じんちょうげ)、薔薇(そうび)、木犀(もくせい)などは主客の心を乱すとして茶席に活けることを禁じている。
その禁花を、あえて活けた。
炭が熾(おこ)り、炉の釜が松風(まつかぜ)の音をたてはじめる。
竹腰がにじり口から客の座に入ってきた。
「殿、わざわざ、こと改まって御深井の丸にお呼びとは・・」
竹腰も「温治政要」の一件は知っている。茶席の挨拶もせず、切り口上に尋ねた。
「まあ、茶を服せ」
宗春は紅梅の描かれた瀬戸(せと)の筒茶碗に、薄茶(うすちゃ)を点(た)てた。
膝行して碗を取り入れ、一揖して竹腰が碗に口をつけたとき、宗春はいった。
「有馬(ありま)兵庫(ひょうご)、加納(かのう)遠江(とうとうみ)と、これから密(ひそか)につなぎを取れ」
「うっ」
竹腰が、むせかけた。
「と、殿!」
飲みかけた碗を畳に置く。
Posted by 渋柿 at 13:40 | Comments(0)