2009年01月12日
連載「尾張享元絵巻」3
初夏である。名古屋城の背後にある広大な御深井(おふけ)の森から飛んできたのであろう、不如帰(ほととぎす)がしきりに鳴く。老鶯(おいうぐいす)も鳴き交わす。
青葉をわたってくる風も心地よい。
「その伊吹屋(いふきや)茂(も)平(へい)なるものが商売をはじめてより、もう・・」
「御先代(第六代藩主継(つぐ)友(とも))のころより、かれこれ十年にもあいなります」
「その商人(あきんど)、名古屋城下に参る前は、何をしておったのじゃ?」
「元は武士、親の代からの浪人らしゅうございます。何でも生来病弱で、伊吹山の神の霊験に縋(すが)らんと二十年、山に籠って薬草を採っておりましたそうな」
「それは・・眉唾(まゆつば)じゃの」
「はい。その上霊夢(れいむ)にて御神湯を伊吹の神より授けられたと申すのですから、全くもってその来歴、信は置けませぬ。・・というて、横目の調べでも二十年の山籠りが偽り事という確証もありませんで。とにかく、性質(たち)の悪い騙りに違いござりませぬ」
「とまれ、商いを始めてはや十年か。その間、お上に一件の騙られた、という訴えもないとはのう」
「はあ・・まことに無知蒙昧の下民には・・」
竹腰は、最前の嘆息を繰り返した。
「捨て置け」
宗春は、きっぱりと言った。
「はぁ?」
思わず竹腰は奇声をあげる。
「捨て、置くとは?」
「まずもって、騙られた、だまされたとの訴えは十年この方なかったのであろう」
「はあ」
「一応、五木八草を入れてもおる」
「しかし、その大部分はそのあたりの道端にいくらもある蓬や米糠などで・・」
「だが、誰もだまされたとは思っておらぬ。ねずみ算など寺子屋に一年も通ったものなどみな心得ておる今の世じゃ。講中の末の末、正価とやらでしか御神湯を買えぬものも、その値段で得心して買っておる。お上(かみ)が出るまでもない」
「では、みすみすの騙りを」
「では、寺社のお札のたぐいはどうじゃ」
青葉をわたってくる風も心地よい。
「その伊吹屋(いふきや)茂(も)平(へい)なるものが商売をはじめてより、もう・・」
「御先代(第六代藩主継(つぐ)友(とも))のころより、かれこれ十年にもあいなります」
「その商人(あきんど)、名古屋城下に参る前は、何をしておったのじゃ?」
「元は武士、親の代からの浪人らしゅうございます。何でも生来病弱で、伊吹山の神の霊験に縋(すが)らんと二十年、山に籠って薬草を採っておりましたそうな」
「それは・・眉唾(まゆつば)じゃの」
「はい。その上霊夢(れいむ)にて御神湯を伊吹の神より授けられたと申すのですから、全くもってその来歴、信は置けませぬ。・・というて、横目の調べでも二十年の山籠りが偽り事という確証もありませんで。とにかく、性質(たち)の悪い騙りに違いござりませぬ」
「とまれ、商いを始めてはや十年か。その間、お上に一件の騙られた、という訴えもないとはのう」
「はあ・・まことに無知蒙昧の下民には・・」
竹腰は、最前の嘆息を繰り返した。
「捨て置け」
宗春は、きっぱりと言った。
「はぁ?」
思わず竹腰は奇声をあげる。
「捨て、置くとは?」
「まずもって、騙られた、だまされたとの訴えは十年この方なかったのであろう」
「はあ」
「一応、五木八草を入れてもおる」
「しかし、その大部分はそのあたりの道端にいくらもある蓬や米糠などで・・」
「だが、誰もだまされたとは思っておらぬ。ねずみ算など寺子屋に一年も通ったものなどみな心得ておる今の世じゃ。講中の末の末、正価とやらでしか御神湯を買えぬものも、その値段で得心して買っておる。お上(かみ)が出るまでもない」
「では、みすみすの騙りを」
「では、寺社のお札のたぐいはどうじゃ」
Posted by 渋柿 at 18:09 | Comments(0)
2009年01月12日
連載「尾張享元絵巻」2
竹腰の配下の探索結果では、伊吹御神湯の原価は著しく安く、正価の七割近く値引きしても損をせぬどころか大儲(もう)けの値段を設定しているという。
また、客を講中に組織して客自身に新たな顧客獲得という営業活動をやらせるのであるから、支店も要らず、奉公人に払う給金もいらない。儲かるはずである。
これが名古屋城下だけではなく、尾張藩全土で、万病に効くとして売れ続けている。それだけでなく、
「どこそこの太物(ふともの)問屋(どんや)の隠居が、卒中でねたきりになって医者も見離したのに、御神湯のおかげで起きあがることが出来た」
「夫婦になって十三年、子宝に恵まれなかったどこそこの呉服屋夫婦に、御神湯のおかげで後継ぎが産まれた」
と、具体的な「効果」は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
病気で死んだ者の通夜には、
「故人は、御神湯を勧(すす)めても信じなかったから・・」
死なずに済んだものを死ぬはめになった、といわんばかりの話が、大まじめでささやき交(か)わされる。
そんなに効くものなら尾張領内に死人は出なくなるはず、と竹腰は憤激している。
「しかもその五木八草もまやかしでございました」
と竹腰はまくし立てる。
古来貴人が愛用した「五木八草」の御神湯には、五木としては梅(うめ)、桃(もも)、柳(やなぎ)、桑(くわ)、桂(かつら)の皮、八草としては菖蒲(あやめ)、蓬(よもぎ)、繁縷(はこべら)、主(おも)奈美(なみ)、熊笹(くまざさ)、蓮(はす)、忍冬(すいかずら)の葉をよく乾燥させた物を細かく砕き薬(や)研(げん)で粉末にする。それを布袋に入れ、浴槽の湯に浸(ひた)すのである。
竹腰が藩のお抱え医師複数に鑑定させたところ、中身は柚子(ゆず)の実の皮、柳と桑の木の皮、松の葉と杉の葉、大庭子(おおばこ)、大根の葉、繁縷、そば粉、米糠(ぬか)、芹に蕪(かぶ)の葉が少量入ってはいるが大部分は蓬であった。しかも、薬研にかけて粉末にするどころか乾かした種々の草やら木の葉やらを、ざくざくと粗(あら)く切り刻んだだけだったという。
「これが三十袋はいって銀一枚でございます。その蓬はじめ、まがいの五木八草も、まことに伊吹山で摘んで、はるばる運んだものやら、どこの道端で摘んだものやら分かったものではございませぬ。さる金持ちが飼っております金魚の弱りました折人の万病に効くなら金魚にも効くはずと、その家の隠居が金魚鉢に御神湯の袋を投げ入れましたとか」
「して、金魚はいかがあいなった?」
竹腰は苦笑する。
「しばらく、苦しそうに喘(あえ)いでおりましたが、じき白い腹を上にして浮かんでまいったそうで」
「ぷっ」
宗春も、失笑した。
「水が濁りすぎたのだろうて。そば粉糠まで入っておればのう」
だがすぐに真顔になる。
「むーん」
銀一枚は建て前とはいえほぼ一両、当時の下女の給金が高給の江戸でさえ年四両に満たなかったことを考えれば、伊吹屋は、まやかしものを、法外の値段で、しかも騙りすれすれの方法で売って利益を得てきたことになる。
宗春は、また、しばし目を閉じた。
また、客を講中に組織して客自身に新たな顧客獲得という営業活動をやらせるのであるから、支店も要らず、奉公人に払う給金もいらない。儲かるはずである。
これが名古屋城下だけではなく、尾張藩全土で、万病に効くとして売れ続けている。それだけでなく、
「どこそこの太物(ふともの)問屋(どんや)の隠居が、卒中でねたきりになって医者も見離したのに、御神湯のおかげで起きあがることが出来た」
「夫婦になって十三年、子宝に恵まれなかったどこそこの呉服屋夫婦に、御神湯のおかげで後継ぎが産まれた」
と、具体的な「効果」は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
病気で死んだ者の通夜には、
「故人は、御神湯を勧(すす)めても信じなかったから・・」
死なずに済んだものを死ぬはめになった、といわんばかりの話が、大まじめでささやき交(か)わされる。
そんなに効くものなら尾張領内に死人は出なくなるはず、と竹腰は憤激している。
「しかもその五木八草もまやかしでございました」
と竹腰はまくし立てる。
古来貴人が愛用した「五木八草」の御神湯には、五木としては梅(うめ)、桃(もも)、柳(やなぎ)、桑(くわ)、桂(かつら)の皮、八草としては菖蒲(あやめ)、蓬(よもぎ)、繁縷(はこべら)、主(おも)奈美(なみ)、熊笹(くまざさ)、蓮(はす)、忍冬(すいかずら)の葉をよく乾燥させた物を細かく砕き薬(や)研(げん)で粉末にする。それを布袋に入れ、浴槽の湯に浸(ひた)すのである。
竹腰が藩のお抱え医師複数に鑑定させたところ、中身は柚子(ゆず)の実の皮、柳と桑の木の皮、松の葉と杉の葉、大庭子(おおばこ)、大根の葉、繁縷、そば粉、米糠(ぬか)、芹に蕪(かぶ)の葉が少量入ってはいるが大部分は蓬であった。しかも、薬研にかけて粉末にするどころか乾かした種々の草やら木の葉やらを、ざくざくと粗(あら)く切り刻んだだけだったという。
「これが三十袋はいって銀一枚でございます。その蓬はじめ、まがいの五木八草も、まことに伊吹山で摘んで、はるばる運んだものやら、どこの道端で摘んだものやら分かったものではございませぬ。さる金持ちが飼っております金魚の弱りました折人の万病に効くなら金魚にも効くはずと、その家の隠居が金魚鉢に御神湯の袋を投げ入れましたとか」
「して、金魚はいかがあいなった?」
竹腰は苦笑する。
「しばらく、苦しそうに喘(あえ)いでおりましたが、じき白い腹を上にして浮かんでまいったそうで」
「ぷっ」
宗春も、失笑した。
「水が濁りすぎたのだろうて。そば粉糠まで入っておればのう」
だがすぐに真顔になる。
「むーん」
銀一枚は建て前とはいえほぼ一両、当時の下女の給金が高給の江戸でさえ年四両に満たなかったことを考えれば、伊吹屋は、まやかしものを、法外の値段で、しかも騙りすれすれの方法で売って利益を得てきたことになる。
宗春は、また、しばし目を閉じた。
Posted by 渋柿 at 09:58 | Comments(0)