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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年01月31日

「尾張享元絵巻」25

「相わかった。そちはなれぬ宗勝殿にとって御側去らずの身であろう。早う上屋敷に戻るがよい」と背を向けて花に向き直る。
「では失礼いたしまする」
宗春は心中語りかけた。
(さらば。まことに、ご苦労であったなあ)

 翌日も空は明るく晴れていた。
桜は、ちらほらと散り始めている。宗春は、平服の下に純白の肌着を着て、加納久通を迎えた。いや、小姓に案内されて居間に現れたのは痩身の加納とは似ても似つかぬ大兵(だいひょう)肥満漢(ひまんかん)であった。
「うっ」
声を出しそうになって、宗春は慌てて声を呑み込んだ。
小姓に、
「下がっておれ、呼ぶまで、誰も近づいてはならん」
と、いいつける声も上ずる。
 小姓が下がって、平伏していた加納と称する人物は、やっと頭を上げた。
「上様!」
白昼夢にあらず、将軍吉宗自身が宗春を訪ねてきたのだ。
「一別以来よの」
「ははっ」
宗春は座を下がる。吉宗は上座を占めた。
 花(はな)東風(こち)が、静かに吹き抜けた。

「派手に、逆ろうてくれたものよ」
「畏れ入り奉(たてまつ)ります。大岩にかわらけを叩きつけるような愚行でございました」
「かわらけ?そちが岩に投げたは、塗りの杯のはずじゃが」
「は?」
 襲封した年の、御深井の丸の伊吹屋を加えた酒宴を思い出すまで、時が要った。
「では、やはり伊吹屋茂平は・・」
「余の手のものよ。余が将軍になって五、六年の後に、尾張にはなった・・」
「左様でございましたか」
 やはり、との想いがあった。
「あれの家は、代々紀州家の隠密であった。絵師を装うての、な。余が将軍となり、お庭番としたが・・あれの初仕事はの、伊達陸奥守の所を探らせようとの、仙台城下の大店に潜入することであった」
「その任が・・」
「おお、外様の仙台のことより身内に火種が出で来かねんと、尾張にあやしげな店を出させたわけよ」
「・・すべて、わかりましてございまする」
 なぜ、吉宗が自分の譴責を正月まで待ったのか。伊吹屋の描く享元絵巻。それは去って行く自分への、吉宗の餞(はなむけ)であった。

「そちには娘がおったのう」
「はっ」
「宗勝の養女といたせ。年頃となれば余が良縁を心がけようほどに」
「あっ、ありがたきしあわせ」
 宗春も、そして吉宗も人の子の親である。
「そちの命をかけての諫言(かんげん)、耳に痛かった」
「将軍家のお立場を考えもせず・・若気(わかげ)の至りでございました」
「はじめは、憎かった。勝手なことを致しおってとなあ」
「畏れ入って・・」
「妙なものじゃ。飢饉(ききん)に、米の値(あたい)にとのう、散々の中を喘ぎ喘ぎ切り抜けて参れたのは、そちがおったからのような」
「はっ?」
 吉宗は穏やかな眼差しをした。
「必死で、幕府を守っておった。無我夢中だった。そのような折、真っ向からの反抗、しかも捨て身のの。腹も立ち、羨ましゅうもあり、いつしか賞賛もしておった」
「私も、遅まきながら上様のお立場にたって考えておりました」
 万感の思いを込めて、宗春は述懐した。
「もっと早う、余人を交えず話しがしたかったのう」
「左様に存じます」
 縁先まで、桜の花びらが舞い降りている。
  


Posted by 渋柿 at 14:13 | Comments(1)