2011年04月08日

劉禅拝跪(3)

「姜維あ、やはい鍾会将軍に叛乱を唆(そそのか)かうとお思いですか」
「えっ」

「我が父が騙(だま)し討ちでこの国を奪ったように、天険の蜀を掌握すれば・・自立は可能かも知れぬ。さらに反転して長安、洛陽を突き、天下を狙うも、なあ」
「りゅ、劉禅殿!」

 相変らず呼気に、酒の香は濃い。言葉も間延びするほどゆっくりだが、劉禅のろれつはしだいに確かなものになっていた。

「鐘会将軍は無傷の兵十万を擁しておる。それに地勢を知り抜いた姜維が加われば、あなたは確実に敗れる。もっとも姜維が鍾会将軍と手を携えるとしてもここまで。姜維は骨の髄(ずい)まで漢朝再興・・であろうが」
「そ、その通り」

「じゃがその前に、そもそも鍾会将軍の兵は皆魏兵じゃ。配下の将たちも皆魏の・・というよりは司馬昭殿の、というべきでしょうな・・臣。鍾会将軍と一蓮托生(いちれんたくしょう)の反乱に踏み切るかどうか。蜀の民心さえしっかり掴んでおれば、あなたにも勝機がある」
「あ、あなたは魏に降られた。魏へのむ、謀叛の芽は共に摘んでもらう」

「いいえ、それは違う!」
 びくっと鄧艾が身を震わせるほど、劉禅の声は大きかった。

「それは少し違いましょう。確かに洛陽に太祖武帝、曹操殿のおん孫が皇帝とておわしますが・・傀儡でしょう。かつて曹操殿が漢の帝を傀儡とした如く」
「それは・・」

「それに・・大将軍の司馬昭殿は廟堂ですでに北面はなさっておられぬとか」

 朝廷において、背後に侍立する女官等を除き、廟堂で南に向かい臣下に対することが出来るのは皇帝のみの筈である。曹操も、その嗣子曹丕も、簒奪直前まで傀儡の漢帝に対しては北面していた。それを、司馬昭は、天子と並んで南面している。

「蜀は滅びましたが、魏の命脈も・・」
「劉禅殿、こ、言葉を慎まれよ」

 鄧艾は、力なく窘めた。形としてはすでに簒奪の体勢、司馬昭はもはや魏の皇帝を主君として立ててはいない。これは事実である。

「失礼致しました」
 苦笑して詫びた劉禅は、傍らの卒の方を向いた。

「鄧艾殿にも、床と爵を」
「りゅ、鄧艾殿・・」
「今宵はこの亡国の暗君と、一献酌んではくださいませんかな」
「い、頂きまする」

 卒はすぐにいいつけられたものを持ってきた。劉禅が、柄杓を酒壺に入れる。

(溢(こぼ)さぬか?)

 案じたが、緩慢な動作ながら確実に、劉禅は柄杓の酒を鄧艾の爵に移した。

「りゅ、劉禅殿も、ささ」

 今度は鄧艾が柄杓を取った。劉禅は、すでに、かなりの量を飲んでいた。柄杓は壺の底に擦(す)った。酒は残り少ない。卓に、酒の満ちた爵が二つ並ぶ。

「じゃがなあ、今仰った一連の事、許可なきまま断行して大事無いであろうか」
 
 君主とはなべて猜疑(さいぎ)心(しん)の強いもの。特に大軍を預けて遠隔の地に将を派した場合にはなあ・・と酒を啜りながら劉禅がいう。 .



Posted by 渋柿 at 17:12 | Comments(0)
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