2011年04月14日
劉禅拝跪(8)
それから二月近く、鄧艾は蜀漢の地籍の引継ぎに忙殺されていた。それが突然、身柄を拘束された。深更まで及んだ執務を終えて床について間もなく、息子の鄧忠と共に、寝室に踏み込んできた卒達に取り押さえられたのである。
指揮を執っていたのは、鍾会の命を受けた軍監、衛瓘であった。
鍾会の許に、
「征西将軍鄧艾は、独断専行を戒めた命令を守らず、劉禅を王に封じるなど謀反の意志は明らかである。息子の鄧忠共々、至急捕らえて洛陽に護送せよ」
という大将軍司馬昭の命令が届いたという。
(やはり・・)
と思った。
軍功で遥かに自分を凌いだ自分を陥れようとする、鍾会の讒言があったのであろう。
(蜀攻略の功を独り占めする気か・・)
それだけではあるまい。
(姜維も、一枚噛んでいる)
鄧艾の配下は、大挙して衛瓘に詰め寄った。
「衛瓘様、何をなさるのじゃ!」
「これは何かの間違いじゃ」
戟を掲げ、剣の柄に手を掛ける者もいる。
「剣かけて、将軍は渡しませぬぞ」
皆を代表して、鄧艾配下の将、田続が叫ぶ。十余年、鄧艾と苦楽を共にして来た腹心であった。
「かか、軽々しくう、動くでない!」
鄧艾は田続らを一喝した。
「だ、大将軍の、ご、ご意志じゃ」
「将軍」
「で、田続、皆を下がらせよ」
「・・将軍」
将卒は、涙を振るって、囲みを解く。
「これより、え、衛瓘殿の指揮にしたがうよう」
「将軍!」
兵達は悲痛に叫ぶ。
「え、衛瓘殿、は、配下の将卒には、何卒お、お咎(とが)めなきよう」
鄧艾は頭を下げた。
「それも大将軍のお心次第じゃが・・必ず、そのように口添えは致しましょう」
今の今、刃物で脅されたばかりである。衛瓘は青ざめた表情で答えた。鍾会の監視役として司馬昭の意を受けて従軍している衛瓘。忠誠より何よりまず己の保身が身に付いた男、この事態でも言質は与えない。
「で、田続、皆を妄動させぬよう、頼んだぞ」
「将軍!」
「皆、無事にら、洛陽へ帰るのじゃ」
「・・・」
将卒は、声を忍んで泣いている。
「鄧艾配下は皆、宮を出て城外に野営せよ。そこで沙汰を待て」
衛瓘の申し渡しに答える声はなかった。
「こ、これまで・・じゃな」
洛陽に向う檻車(かんしゃ)の準備がされる中、押し込められた部屋で鄧艾は鄧忠にいう。
「これまで・・ですか」
「す、済まん」
賭けに、負けた。
「大将軍も父君も、そのかみ帝の嫌疑を受けて、すんでのこと誅殺されんとしたことがあったとか」
魏三代、叡帝即位の直後であった。
「そ、そのときには蜀があった。孔明を擁しての。い、今は・・」
司馬父子を追放するや、孔明が大軍で攻めてきた。魏帝が対孔明の出師に差し向けるのは、熟練勇猛の司馬父子の他なかった。
「そうでしたな。もう蜀という巧兎はおらぬ。狗は、烹られますなあ」 .
指揮を執っていたのは、鍾会の命を受けた軍監、衛瓘であった。
鍾会の許に、
「征西将軍鄧艾は、独断専行を戒めた命令を守らず、劉禅を王に封じるなど謀反の意志は明らかである。息子の鄧忠共々、至急捕らえて洛陽に護送せよ」
という大将軍司馬昭の命令が届いたという。
(やはり・・)
と思った。
軍功で遥かに自分を凌いだ自分を陥れようとする、鍾会の讒言があったのであろう。
(蜀攻略の功を独り占めする気か・・)
それだけではあるまい。
(姜維も、一枚噛んでいる)
鄧艾の配下は、大挙して衛瓘に詰め寄った。
「衛瓘様、何をなさるのじゃ!」
「これは何かの間違いじゃ」
戟を掲げ、剣の柄に手を掛ける者もいる。
「剣かけて、将軍は渡しませぬぞ」
皆を代表して、鄧艾配下の将、田続が叫ぶ。十余年、鄧艾と苦楽を共にして来た腹心であった。
「かか、軽々しくう、動くでない!」
鄧艾は田続らを一喝した。
「だ、大将軍の、ご、ご意志じゃ」
「将軍」
「で、田続、皆を下がらせよ」
「・・将軍」
将卒は、涙を振るって、囲みを解く。
「これより、え、衛瓘殿の指揮にしたがうよう」
「将軍!」
兵達は悲痛に叫ぶ。
「え、衛瓘殿、は、配下の将卒には、何卒お、お咎(とが)めなきよう」
鄧艾は頭を下げた。
「それも大将軍のお心次第じゃが・・必ず、そのように口添えは致しましょう」
今の今、刃物で脅されたばかりである。衛瓘は青ざめた表情で答えた。鍾会の監視役として司馬昭の意を受けて従軍している衛瓘。忠誠より何よりまず己の保身が身に付いた男、この事態でも言質は与えない。
「で、田続、皆を妄動させぬよう、頼んだぞ」
「将軍!」
「皆、無事にら、洛陽へ帰るのじゃ」
「・・・」
将卒は、声を忍んで泣いている。
「鄧艾配下は皆、宮を出て城外に野営せよ。そこで沙汰を待て」
衛瓘の申し渡しに答える声はなかった。
「こ、これまで・・じゃな」
洛陽に向う檻車(かんしゃ)の準備がされる中、押し込められた部屋で鄧艾は鄧忠にいう。
「これまで・・ですか」
「す、済まん」
賭けに、負けた。
「大将軍も父君も、そのかみ帝の嫌疑を受けて、すんでのこと誅殺されんとしたことがあったとか」
魏三代、叡帝即位の直後であった。
「そ、そのときには蜀があった。孔明を擁しての。い、今は・・」
司馬父子を追放するや、孔明が大軍で攻めてきた。魏帝が対孔明の出師に差し向けるのは、熟練勇猛の司馬父子の他なかった。
「そうでしたな。もう蜀という巧兎はおらぬ。狗は、烹られますなあ」 .
Posted by 渋柿 at 06:35 | Comments(0)