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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2011年04月11日

劉禅拝跪(5)

 その、根も葉もない流話は、鄧艾も耳にしている。

 両軍対峙の場で王朗は一騎で進み出、大音声も矍鑠(かくしゃく)とこういったというのだ。

「もはや漢の時代は去った。天命は革(あらた)まったのだ。漢に変わり曹氏の魏が天から命を受け、魏帝が帝位に立った以上、それが天の意志である。劉備やその倅が漢の劉氏に末族だということを楯に皇帝を僭称するなどおこがましい。そも、劉備は賎しい筵(むしろ)売りの小倅、それが乱世に乗じて荊州を借りると称し、また同族たる劉璋が治める蜀を偽り奪い、漢中を強奪して皇帝と唱えるとは、天に背き悪逆無道の振る舞いじゃ。天の意、時代の流れを弁(わきま)えてとく魏に帰順せよ」

 それに対して、孔明もまた進み出てこう切り返した・・という。

「髪も髭も白いその姿、世に経りさだめし知恵もあろうかと聞いていたが、実に呆れ果てた妄言(もうげん)なり。やよ王朗。その方若くして漢の孝(こう)廉(れん)に挙げられ、会稽(かいけい)の太守に任ぜられるなど漢朝の恩を深く蒙った身ではないか。それを呉の孫策に攻められるや役目を投げ出し、あまつさえ逆臣(ぎゃくしん)曹操に仕え、その簒奪(さんだつ)に手を貸し、今も逆賊の粟(ぞく)を喰らって老いの身を永らえるとは、呆れ果てた裏切り者。天下の義を知る士は汝の肉を喰ろうても飽き足らぬと思っておる。泉下にて何の面目あって漢帝二四代の霊に見(まみ)ゆるぞ。恥を知れ」

 孔明にこう決め付けられた王朗は、馬上悶絶して落馬し、そのまま息絶えた・・

「荒唐無稽な話じゃが、この対決、本当にあったとしたら、悶死したのは・・はてどちらであろうか」
 
 劉禅は酒臭い息を吐いた。

「いや・・孔明は己が信念に堅く立っておった。やはり悶死することはなかったろうが」
「魏が、た、正しいと?」

「正しいというより、時代の流れに乗っておりましょう。それにもともと姜維は魏の人間だった。若き日孔明に捕われねば、別の生き様もあったであろうに。・・祈るしかない」
「い、祈る?」

「姜維が、孔明の・・我が父劉備の亡霊から解き放たれているように。良禽は樹を選ぶ筈じゃ。もう、漢朝再興のために人が死ぬことは見たくない。そのために何十万の人の血が流れましたことか。・・鄧艾殿も、長く姜維と戦い続けてこられた」
「は、はい」

「若い頃・・まだ孔明も生きておったそうじゃが、姜維と逢っておられますな」
「ご、五丈原で、孔明殿がな、亡くなる直前でした。せ、斥候に出て捉えられ・・」
 鄧艾にとっての初陣であった。

「孔明に逆らっても、あの折あなたを殺しておくべきだった・・そう申しておりました」

 それは・・そうだろう。

「その時洛陽で待っておられたというお子が・・」
「は、はい。此度も我が右腕となった将の鄧忠で」
「ご立派な子息じゃ。姜維はなかなか子に恵まれませんでの。まだ子は幼い」

(ひょっとすると、正妻の子ではないのかもしれぬ)
 
 そういえば孔明も、賢夫人の誉れ高い黄氏との間にはついに子に恵まれず、諸葛瞻は側妾の所生であったと聞く。

「鄧艾殿も、姜維を殺せなかったことは残念ではありましょう。姜維も、あなたを殺そうと死力を尽くしておった」
「さ、さようで」

 すべて、見抜いている。

「魏も何やら権力争いがあったような。姜維め、司馬一族に追われた亡命者が来るたび、あなたの話をせがんでおりましたぞ」
「わ、儂の?」

「父上を早く亡くされたそうな。牛を預かって飼い、母上を養われたそうですな」
「げげ、下賎の生まれで」

「何の、私も元を正せばしがない筵売りの小倅」

 劉禅は唇を歪めて笑った。蜀の先帝劉備が、二十代半ばまで老母と共に筵や藁沓を編み、市で鬻いで暮らしを立てていたことは、鄧艾も知っている。

「前漢景帝の子、中山靖王の末裔なりと称しておりましたが嘘かまことか。まこととしてもその程度漢の血を継いだものは天下に五万とおる。あろうことか筵売りの小倅を天下の主にと・・多くの血がどれだけ無駄に流れたことでござりましょう」

(姜維の北伐のことか)
 
 戦果てた死屍累々の場を、これまで何度目の当たりにして来たか、と思う。  


Posted by 渋柿 at 08:22 | Comments(0)