2011年04月07日

劉禅拝跪(2)

 それから数日、鄧艾は押収した蜀の軍事記録を読んで過ごした。孔明の死後蜀の政を執ったのは、まず蒋琬(しょうえん)、次に費禕(ひい)であった。姜維が対魏戦の指揮権を委ねられたのは、この二人の死後である。

(蜀の魏への進攻北伐が再開されたのは、姜維が大将軍になってからか)
 
 鄧艾は指を繰る。諸葛孔明が五丈原に没してから二十年間は、魏も蜀の天然の要害を思い、積極策には出ていない。退嬰(たいえい)的小康状態が続いていた。

(劉禅は、常に姜維の足を引っ張っておる)
 
 一度ならず、姜維には魏の西都長安を脅かす機会があった。その度、劉禅は勅令を発して兵を引かせている。何故だ・・お定まりの暗君の愚行か?それにしては、足の引っ張り方が、ことごとく時宜(じぎ)を外していない。

(劉禅は、父の悲願の北伐を、成功させたくなかったのか)
 
 それならばそれで、姜維を罷免するなり粛清するなりすればよい。それだけの権力を劉禅は持っていた筈である。判らない。
 
 剣閣の鎮西将軍・鍾会の許からは、姜維の軍を無事接収した旨の使者が来た。降伏の命に激昂した将卒は、己が剣を岩に打ち当てて折り捨てたが、姜維がそれを宥めたという。

「ど、どのようにして、姜維は?」
「勅命に従わぬ者は斬る、と。それに、鎮西将軍に降る折・・」

 使者は口ごもる。

「どうしたのじゃ?」
「鐘会将軍は、姜維に、来るのが遅かったではないですかな、と。実は将軍は成都が陥ちる前から、あなたの文武の才は世に轟いておる。天下大業のために共に手を携えませぬか、との使者を発しておられまして・・」

「そ、それは存じておる。で、姜維は何と答えた」
 
 鄧艾も、鍾会の動きには目を光らせてきた。

「私は、まだ早すぎたように思います、と。それから・・」
 そこまでいって、使者は言葉を切った。いい淀む。

「そ、それから、何じゃ?」
「いえ、大したことでは・・」

「そ、それから姜維は何と続けた?」
「鍾会将軍だから降伏したのです。蜀でも、あなたの名は鳴り響いておりましたので、と・・」

 ここでも使者は言葉を切った。

「そ、それから?」
「・・もし相手が鄧艾だったら、屍になろうとも抵抗したでしょう・・」
「な、何!」

「その日より将軍はずっと姜維と寝食を共にされて・・」
「そ、そうか。使者の役目、ご苦労であった。しょ、鐘会将軍によろしく伝えてくれ」
 使者を去らせてから、鄧艾はどすんと床に腰を下ろした。
(狐と狸が、化かしあっておる・・)



 鍾会の使者を帰した夜である。
 鄧艾は、軟禁した劉禅の許を訪れていた。

(また、酒か)
 
 さすがに妃嬪(ひひん)は遠ざけているが、劉禅は今夜も酒壺を傍らに、濃い酒気を漂わせている。

「鄧艾殿お、一献いああかな。これ、爵をいまひおつ」 
 
 あいかわらず回らぬろれつで、傍らの卒に命じる。気楽なものである。降を許された亡国の主の許へ、夜中勝者が現れたというのに、密かな賜死(しし)や暗殺への恐怖など微塵(みじん)も兆(きざ)さぬらしい。

「い、いえ結構で。明日、足下(そっか)を扶(ふ)風(ふう)王、ひょ、驃騎(ひょうき)将軍に封じます」

 鄧艾は単刀直入に用件を切り出した。扶風郡は長安に近い。名目だけにしろそこの王に封ずるとは、破格の厚遇である。

「朕(ちん)・・いえ私お、王に?」
「しょ、蜀の文武百官、皆ことごとく従前の役にも留める」
「・・・」

「しょ、蜀宮の倉に蓄えてある穀物も、半ばを民の撫恤(ぶじゅつ)のため放出・・」

 劉禅はしばらく黙って、鄧艾の握り締めた拳(こぶし)を見、細かく揺れる髭の先を眺めていた。それから自分の爵(酒器)を取り上げ、一息に酒を呷る。

「判りあした。謹んえ拝受・・」

 卓に爵を置いたその眼は、鄧艾を見据えていた。

「民お掴(つか)むたえですな」
「は、はい」

射抜くような視線であった。覚えず、背筋を寒気が走った。 .



Posted by 渋柿 at 12:50 | Comments(0)
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