2011年04月19日
劉禅拝跪(13)
「魏の諸将は?」
「鍾会が示した太后の偽詔も、効果は薄く・・もはや魏の天下は司馬昭殿が握られて久しく、今更曹氏の、それも亡くなられた皇太后に忠義をといわれても動けるものでは。それに帝弑の後始末をしたのもこの太后」
「田続殿!」
「あっ、言葉が過ぎました。ともかく鐘会らは諸将を蜀王宮に軟禁いたしました。が、外の・・衛瓘らと呼応、王宮に攻め入って鍾会と姜維を・・」
「討ち取ったのですか」
「はい。二人とも猛将、数多を相手、見事な死に花を咲かせましたが、姜維は・・」
そこで田続は言葉を切った。
「姜維は、どうしたのです」
「宮殿の大柱(だいちゅう)に追い詰められ自刎(じふん)。屍は切り刻まれました。腹を抉ると、その胆一斗の枡ほどもありましたとか」
「一斗枡・・」
「一旦は許され魏に降ったとはいえ、姜維の北伐で親兄弟、知る辺を失った兵も多い。その憎しみが爆発したもの、と」
「姜維は成都に妻子があった筈」
「・・嬲(なぶ)り殺しに。幼い子も、共に・・」
「つ、妻まで、なな、嬲り殺しか・・」
鄧艾が呻いた。
「せ、戦場は蜀の王宮、だったのだな」
「はっ」
「りゅ、劉禅殿は、ご無事か?」
「ご自身は、ご無事でございますが・・」
田続は口ごもる。
「ご長子、先の蜀の太子、劉叡殿が亡くなりました。姜維に同心して共に戦われたとか」
「そ、そうか」
成都陥落の折、劉禅の五男、劉諶が妻子を道連れに自害している。前太子も姜維と共に「漢朝復興」に殉じた。劉禅が蜀の平穏な終焉を望んでも韜晦するしかなかった訳である。
「鄧艾将軍、お逃げください。衛瓘は謀反人鍾会に与(くみ)して将軍捕縛の手を下した事を隠さんと、将軍父子の口を塞(ふさ)ぐつもりですぞ」
田続は、一歩進み出た。軍監を呼び捨てにすることに躊躇いはなかった。
「大将軍は長安まで来ておられる。謀叛したのは、将軍を讒言した側。将軍の口から鍾会に与したことが露見しては、と」
「せ、成都の、我が将卒は?ぶ、無事か?」
「・・監視され、武器は取り上げられてはおりますが・・無事でございます」
「田続殿、どうやって脱出して来られた?」
田続も引き連れた卒たちも、剣を帯び槍を手にしている。鄧忠が訝るのも当然であった。
田続も卒たちも声を放って笑い出した。
「で、田続?」
「田続殿?」
「・・失礼いたしました。まったくお笑いぐさでございます。私、確かに将軍の山中突破の折、ご命令に逆らいましたが・・」
「おお」
「その折、私を叱責なさったことが衛瓘の耳に入りましてな。定めし鄧艾親子に含む処(ところ)があろう。檻車に追いつき、首を刎ねて参れ。さすれば将卒の監視を解いて、無事に洛陽に戻してやる、そなたを富貴の身にも、と」
「そ、そうか」
「さ、お逃げください。我等が将軍の首を持ち帰らねば、衛瓘は第二第三の刺客を送って参りましょう。今なら、護送の卒も我等に味方すると申しております。共に成都に戻りましょう。鍾会らを倒した諸将も、きっと我等の側に付きまする」
鄧艾は、暫く黙っていた。
「で、田続」
「はい」
「わ、儂に剣を与えてくれ」
「あっ、これは気付きませんで」
鄧艾父子は寸鉄も帯びていない。田続は腰から自分の剣を外して鄧艾に捧げた。
「鍾会が示した太后の偽詔も、効果は薄く・・もはや魏の天下は司馬昭殿が握られて久しく、今更曹氏の、それも亡くなられた皇太后に忠義をといわれても動けるものでは。それに帝弑の後始末をしたのもこの太后」
「田続殿!」
「あっ、言葉が過ぎました。ともかく鐘会らは諸将を蜀王宮に軟禁いたしました。が、外の・・衛瓘らと呼応、王宮に攻め入って鍾会と姜維を・・」
「討ち取ったのですか」
「はい。二人とも猛将、数多を相手、見事な死に花を咲かせましたが、姜維は・・」
そこで田続は言葉を切った。
「姜維は、どうしたのです」
「宮殿の大柱(だいちゅう)に追い詰められ自刎(じふん)。屍は切り刻まれました。腹を抉ると、その胆一斗の枡ほどもありましたとか」
「一斗枡・・」
「一旦は許され魏に降ったとはいえ、姜維の北伐で親兄弟、知る辺を失った兵も多い。その憎しみが爆発したもの、と」
「姜維は成都に妻子があった筈」
「・・嬲(なぶ)り殺しに。幼い子も、共に・・」
「つ、妻まで、なな、嬲り殺しか・・」
鄧艾が呻いた。
「せ、戦場は蜀の王宮、だったのだな」
「はっ」
「りゅ、劉禅殿は、ご無事か?」
「ご自身は、ご無事でございますが・・」
田続は口ごもる。
「ご長子、先の蜀の太子、劉叡殿が亡くなりました。姜維に同心して共に戦われたとか」
「そ、そうか」
成都陥落の折、劉禅の五男、劉諶が妻子を道連れに自害している。前太子も姜維と共に「漢朝復興」に殉じた。劉禅が蜀の平穏な終焉を望んでも韜晦するしかなかった訳である。
「鄧艾将軍、お逃げください。衛瓘は謀反人鍾会に与(くみ)して将軍捕縛の手を下した事を隠さんと、将軍父子の口を塞(ふさ)ぐつもりですぞ」
田続は、一歩進み出た。軍監を呼び捨てにすることに躊躇いはなかった。
「大将軍は長安まで来ておられる。謀叛したのは、将軍を讒言した側。将軍の口から鍾会に与したことが露見しては、と」
「せ、成都の、我が将卒は?ぶ、無事か?」
「・・監視され、武器は取り上げられてはおりますが・・無事でございます」
「田続殿、どうやって脱出して来られた?」
田続も引き連れた卒たちも、剣を帯び槍を手にしている。鄧忠が訝るのも当然であった。
田続も卒たちも声を放って笑い出した。
「で、田続?」
「田続殿?」
「・・失礼いたしました。まったくお笑いぐさでございます。私、確かに将軍の山中突破の折、ご命令に逆らいましたが・・」
「おお」
「その折、私を叱責なさったことが衛瓘の耳に入りましてな。定めし鄧艾親子に含む処(ところ)があろう。檻車に追いつき、首を刎ねて参れ。さすれば将卒の監視を解いて、無事に洛陽に戻してやる、そなたを富貴の身にも、と」
「そ、そうか」
「さ、お逃げください。我等が将軍の首を持ち帰らねば、衛瓘は第二第三の刺客を送って参りましょう。今なら、護送の卒も我等に味方すると申しております。共に成都に戻りましょう。鍾会らを倒した諸将も、きっと我等の側に付きまする」
鄧艾は、暫く黙っていた。
「で、田続」
「はい」
「わ、儂に剣を与えてくれ」
「あっ、これは気付きませんで」
鄧艾父子は寸鉄も帯びていない。田続は腰から自分の剣を外して鄧艾に捧げた。
Posted by 渋柿 at 21:03 | Comments(0)
2011年04月19日
劉禅拝跪(12)
鄧忠が、まず手にした槍を放った。次は剣。田続が泣くような顔で続く。ばらばらと将卒すべてが武器を放った。炊事用の鍋釜、各自背負い携えてきた兵糧の袋も続いて断崖を落下していく。
「せ、氈に包まるのじゃ、このようにな」
躊躇することは出来ぬ。まず自分がこの断崖を落ちて見せねばならぬ。氈・・毛布にくるまり、鄧艾は崖に身を躍らせた。
額に、肩に、腰に、脚に、凄まじい衝撃を感じた。岩角にぶつけたらしい。鄧艾は必死に身を縮め、致命傷だけは避けようとした。やがて、毛布を草がこする気配がし、加速は止まった。ゆっくりと立ち上がる。
(生きている!)
打撲傷はずきずきと痛んだが、歩行には差支えぬようである。
「いい、生きておるぞぉ」
鄧艾は崖の上の将卒に向けて叫んだ。わぁーと喚声が上がる。
「父上、参ります」
鄧忠が身を躍らせた。
「将軍!」
「私達も!」
灰色の毛布の群れが、一団となって崖を転げ落ちる。まるで山津波のような場景であった。誰もが、したたかに体を打っている。加速が止まっても動き出すまでには時が要った。
だが・・
「松栄!」
「兄貴!」
「眼を開けてくれ」
悲痛な声も続いた。死者は、出た。岩角に頭を打ち、落ちたまま動かぬ将卒が十余名。
(許せ。しばし、待ってくれ)
鄧艾は屍を並べさせた。
その周りにも、点々草の薹が揺れる。葉も褐色に枯れ、縮れ捩れたまま揺れている。冬枯れの野。そこに十余人は、無言で横たわる。
鄧艾は枯れ草を手折り、ひとりひとりに手向けた。皆と共に跪き拝礼した。
(後日必ず、手厚く葬る。許してくれ)
今は成都へ急がねばならぬ。
ともかく、山中突破は成功した。田続が案じたように数多(あまた)の犠牲者を出しながらも、鄧艾軍は蜀盆地の奥深く、涪(ふ)に降り立ったのだ。成都の蜀朝には、驚天動地の事態であった。
そして諸葛瞻父子を屠り、蜀帝劉禅を跪かせ・・謀反人として拘束され、今、檻車の中にいる。
「鄧艾将軍、鄧忠殿、助けに参りましたぞ」
田続の声を聞いたのは、成都を出発して十日目、漢中の一村の村長(むらおさ)の屋敷。田続は声を張り上げていた。二人の寝室に当てられていた部屋の鎧戸を壊した。松明を掲げた卒を一人外に残し、田続は窓から飛び込んで、二人の縛を解いた。
「やはり鍾会と姜維は謀反を起しました」
「な、何!」
鄧艾もさすがに大声を発した。
「謀反は、破れました。鍾会も姜維も討ち取られましたが、事態は急を告げております」
「し、仔細は?」
「将軍、お逃げくだされ!」
「田続殿、まずは謀反の仔細を教えてくだされ。逃げるか否かはそれから決めまする」
常(つね)の如く、鄧忠が鄧艾の吃音を補った。
「はっ。・・鐘会は将軍が衛瓘殿を斬らずおとなしく捕われたを知り、成都を発たれた翌日、やって参りました。そこに、十万の兵をもって進軍されている長安の大将軍から、出頭の命令が届いたのです」
「それで・・」
鄧忠が田続を促す。
「鍾会と姜維は、追い詰められました。長安へ行けば恐らく斬られる。賊司馬昭を討てという、魏の太后の遺詔を偽造して、成都の全魏兵を糾合しようとしました。これは、姜維の策だったらしゅうございます」 .
「せ、氈に包まるのじゃ、このようにな」
躊躇することは出来ぬ。まず自分がこの断崖を落ちて見せねばならぬ。氈・・毛布にくるまり、鄧艾は崖に身を躍らせた。
額に、肩に、腰に、脚に、凄まじい衝撃を感じた。岩角にぶつけたらしい。鄧艾は必死に身を縮め、致命傷だけは避けようとした。やがて、毛布を草がこする気配がし、加速は止まった。ゆっくりと立ち上がる。
(生きている!)
打撲傷はずきずきと痛んだが、歩行には差支えぬようである。
「いい、生きておるぞぉ」
鄧艾は崖の上の将卒に向けて叫んだ。わぁーと喚声が上がる。
「父上、参ります」
鄧忠が身を躍らせた。
「将軍!」
「私達も!」
灰色の毛布の群れが、一団となって崖を転げ落ちる。まるで山津波のような場景であった。誰もが、したたかに体を打っている。加速が止まっても動き出すまでには時が要った。
だが・・
「松栄!」
「兄貴!」
「眼を開けてくれ」
悲痛な声も続いた。死者は、出た。岩角に頭を打ち、落ちたまま動かぬ将卒が十余名。
(許せ。しばし、待ってくれ)
鄧艾は屍を並べさせた。
その周りにも、点々草の薹が揺れる。葉も褐色に枯れ、縮れ捩れたまま揺れている。冬枯れの野。そこに十余人は、無言で横たわる。
鄧艾は枯れ草を手折り、ひとりひとりに手向けた。皆と共に跪き拝礼した。
(後日必ず、手厚く葬る。許してくれ)
今は成都へ急がねばならぬ。
ともかく、山中突破は成功した。田続が案じたように数多(あまた)の犠牲者を出しながらも、鄧艾軍は蜀盆地の奥深く、涪(ふ)に降り立ったのだ。成都の蜀朝には、驚天動地の事態であった。
そして諸葛瞻父子を屠り、蜀帝劉禅を跪かせ・・謀反人として拘束され、今、檻車の中にいる。
「鄧艾将軍、鄧忠殿、助けに参りましたぞ」
田続の声を聞いたのは、成都を出発して十日目、漢中の一村の村長(むらおさ)の屋敷。田続は声を張り上げていた。二人の寝室に当てられていた部屋の鎧戸を壊した。松明を掲げた卒を一人外に残し、田続は窓から飛び込んで、二人の縛を解いた。
「やはり鍾会と姜維は謀反を起しました」
「な、何!」
鄧艾もさすがに大声を発した。
「謀反は、破れました。鍾会も姜維も討ち取られましたが、事態は急を告げております」
「し、仔細は?」
「将軍、お逃げくだされ!」
「田続殿、まずは謀反の仔細を教えてくだされ。逃げるか否かはそれから決めまする」
常(つね)の如く、鄧忠が鄧艾の吃音を補った。
「はっ。・・鐘会は将軍が衛瓘殿を斬らずおとなしく捕われたを知り、成都を発たれた翌日、やって参りました。そこに、十万の兵をもって進軍されている長安の大将軍から、出頭の命令が届いたのです」
「それで・・」
鄧忠が田続を促す。
「鍾会と姜維は、追い詰められました。長安へ行けば恐らく斬られる。賊司馬昭を討てという、魏の太后の遺詔を偽造して、成都の全魏兵を糾合しようとしました。これは、姜維の策だったらしゅうございます」 .
Posted by 渋柿 at 07:25 | Comments(0)