2011年04月13日

劉禅拝跪(7)

「暫しは永らえても・・生き恥もまた、凄まじかろうが」

 戦場で華々しく逝けば、また従容として処刑されたとしても、万民は亡国の主に一掬涙してくれるであろう。だが、酒乱の醜態の挙句ならば、手向けられるのは非難と罵言だけ。 

「父のやったことといえば、あちらのこちらの群雄を渡り歩き、方々で敗れ、何度も妻子や将兵を捨てて逃げ回り・・私も戦場に捨てられた」

「ちょ、長坂(ちょうはん)で、趙(ちょう)雲(うん)将軍に救出された・・」

「父も私も、多くの将兵や民を死なせました。ここでか、それとも司馬昭殿の許でか、死を賜(たまわ)るのなら甘んじて受けるつもりでおりました。さなくば、この無様(ぶざま)な姿で暫(しばし)し生き恥を曝(さら)すが、私の償い」

「い、生き恥」

「そして死しても未来(みらい)永劫(えいごう)、暗愚の君主と謗られ続ける。それが受けるべき罰でしょう」

 劉禅は自分の爵を持った。

「私は無様でなければならぬ。惨めでなければならぬ。それが・・数えても余りありますな・・死に花を咲かせた男たちの名を、永久に際立たせる」

 こころざしに殉じて散った男達の群像は美しい。しかしその足元には、万骨を道連れにしている。
 
 床に腰掛けた上体が、傾いだ。
「劉禅殿!」

「妄言、お忘れください。お恥ずかしい。私も多分、朝まで覚えてはおらぬ・・」
「はあ?」
「近頃目覚めて、しばしば・・昨夜の事を思い出せぬ」

(確かに、劉禅殿は酔っておる)
 床に座した上体の揺れを、哀しく見た。

(素面(しらふ)ではとてもここまで、真情は吐露できぬ)

「酒を」
 劉禅と鄧艾は、爵に手を伸ばした。

「鄧艾殿、叶えば・・洛陽で誼(よしみ)を通じさせてくだされ」
「に、烹られずに済めば、でございますが」
 先ほど、劉禅が例えに出した白起を、思う。

「烹られる?」
「わ、わが宿の婦、く、狗肉の羹をよう作ります」
 鄧艾は笑った。

「・・鄧艾殿」
「く、狗肉の臭み、よもぎで消しましてなあ」
「・・・」

「き、祁山で追い詰められて九死に一生を得ました折、皆で猪を狩って羹といたしましたが、嵩が足りぬ。山の艾(よもぎ)を摘んで加えました。に、烹られる走狗の名がよもぎとは、考えてみれば・・せ、世話はない」
「途方もないことを」

「りゅ、劉禅殿の顰に倣い・・あの世にある数多の将卒に我が狗肉の羹を捧げて詫びるとて・・に、烹らるるも詮なし」
「お戯れ・・」

「はい、で、できればこの走狗も、烹られたくはござりませぬ。したが劉禅殿・・御身の命、心と体、まだちと違う遣い様もあるかもしれませぬぞ」
「違う・・遣い道・・」

「あ、あなたも一度は即位なされた、天子。蜀の民の君であった筈」
「民の君・・」
 劉禅は、自分の両手を見、その拳を握りしめた。

「な、為すことを為さねば、それこそ泉下で父君にな、何と申し開きなされる」
 拳が震える。涙が、落ちた。

「あ、あなたほどのお方が、覚悟も易きに付かれますか」

 劉禅の啼泣は、暫く続いた。それを鄧艾は黙って見ている。

「易きに付いては・・ならん」
 劉禅がようやく上体を上げた。

「さささ、ふ、扶風王殿」
 鄧艾が酒を汲む。

「頂きまする征西将軍」
 互いに爵に満を引き、一気に呷って高くかざし、そのまま二人同時に床に投げ捨てた。

 酒壺もまた、劉禅の手で砕かれる。
 互いに笑う。
「りゅ、劉禅殿には・・毅然として降って頂きたい」
「はい」

「さ、酒を断たれますな」
「・・命懸けて」
 
 これでよい、と思った。司馬昭も英傑、いかに韜晦しようとも劉禅のこころざしは見抜こう。いや、知られずとも良い。まず亡国の民となった蜀人の庇護の為に、劉禅は洛陽で健在でなければならぬ。 .



Posted by 渋柿 at 12:09 | Comments(0)
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