2011年04月21日
劉禅拝跪(最終回)
「諸葛京のことでございますが・・」
司馬昭は池の睡蓮の方を見ながら、いった。
「母と共に、河東に流しました」
「それは・・致し方ありますまい」
諸葛京は、孔明の子諸葛瞻の次子である。父と兄の諸葛尚は、摩天嶺を越えて攻め込んだ鄧艾の軍と戦い、玉砕した。幼い諸葛京は父や兄と共に従軍せず成都に残っていた。諸葛尚と京の母は劉禅の娘、諸葛京は劉禅にも孫にあたる。
「一、二年お待ちくだされ。必ず洛陽に呼び寄せ、ゆくゆく、然るべき官に付けまする」
「それは・・有難き事・・」
「諸葛孔明の血筋、疎かにはいたしませぬ」
劉禅は、暫く風に揺れる柳を見ていた。晋王と前蜀帝の間に沈黙が流れる。
「晋王殿・・そのご配慮、同じく流罪にされた鄧艾の孫達にも賜れませぬか」
劉禅がいった。おそらく司馬昭は間諜から、鄧艾謀叛は無実、という報告を受けていよう。
「鄧艾の婦と鄧忠の子等、本来ならば誅しておりました」
司馬昭は、目を閉じていった。
「それは・・」
「劉禅殿、姜維の暴走に、手を焼かれたのではなかったかな」
瞑目のまま、司馬昭はいう。
「それでも、ぎりぎりのところで劉禅殿の詔には服したゆえ、蜀は平穏に似た焉りを迎えましたがの」
「姜維の、暴走・・」
「兵権を握り大軍を擁した将に京師の掣肘が効かねば、天下はまた乱れる。将の暴走は二度とあってはならぬのです」
「では、これからのために・・鄧艾を」
(見せしめの、生贄・・)
「劉禅殿は、鄧艾親子の最期、ご存知か」
「いえ、虜囚の悲しさ・・鐘会の乱の直後の混乱の中で、亡くなったとのみ」
腹心の将に裏切られ、斬殺されたなどという噂は、信じたくなかった。
青葉東風が、小亭を吹き抜ける。司馬昭が目を開いた。
「儂も、そう長くはないような」
司馬昭が呟いた。
「眩暈がな、頻りと致しまする。はは、鄧艾とも、もうすぐ逢えますな」
「晋王殿・・」
王太子司馬炎も三十路、後顧に憂いはなかろう。最終的に魏を簒奪して即位するのは、司馬昭でなくともよい。
「宴席に戻りましょうかの」
司馬昭は立ち上がる。劉禅もその後に続く。
「劉禅殿」
小亭の階(きざはし)に足をかけ、司馬昭は振り返った。
「鄧艾親子は、見事な自害だったそうな」
「えっ」
「幾万の配下を、命かけて守りました」
今や呉も、僅かに余喘を保つのみ。鄧艾、字は士載・・百年の乱世の幕を引いた、どえらい男でございましたな、というと、司馬昭は拱手して深く叩頭した。劉禅も、その背後で拝跪する。
(鄧艾殿、司馬昭殿が貴公に一礼を捧げられましたぞ)
汚名のまま、眠ってよい貴公ではない。
(今は・・晋王と我が一礼、どうか受けてくだされ)
泉水を隔てた宴席からこの亭を見る客の目には、階を下る司馬昭に拝跪しているように見える筈であった。それはそれで、失笑は誘おうが不審ももたれぬ。望むところ。敬し拝する心は、泉下の鄧艾だけに届けばよい。 .
司馬昭は池の睡蓮の方を見ながら、いった。
「母と共に、河東に流しました」
「それは・・致し方ありますまい」
諸葛京は、孔明の子諸葛瞻の次子である。父と兄の諸葛尚は、摩天嶺を越えて攻め込んだ鄧艾の軍と戦い、玉砕した。幼い諸葛京は父や兄と共に従軍せず成都に残っていた。諸葛尚と京の母は劉禅の娘、諸葛京は劉禅にも孫にあたる。
「一、二年お待ちくだされ。必ず洛陽に呼び寄せ、ゆくゆく、然るべき官に付けまする」
「それは・・有難き事・・」
「諸葛孔明の血筋、疎かにはいたしませぬ」
劉禅は、暫く風に揺れる柳を見ていた。晋王と前蜀帝の間に沈黙が流れる。
「晋王殿・・そのご配慮、同じく流罪にされた鄧艾の孫達にも賜れませぬか」
劉禅がいった。おそらく司馬昭は間諜から、鄧艾謀叛は無実、という報告を受けていよう。
「鄧艾の婦と鄧忠の子等、本来ならば誅しておりました」
司馬昭は、目を閉じていった。
「それは・・」
「劉禅殿、姜維の暴走に、手を焼かれたのではなかったかな」
瞑目のまま、司馬昭はいう。
「それでも、ぎりぎりのところで劉禅殿の詔には服したゆえ、蜀は平穏に似た焉りを迎えましたがの」
「姜維の、暴走・・」
「兵権を握り大軍を擁した将に京師の掣肘が効かねば、天下はまた乱れる。将の暴走は二度とあってはならぬのです」
「では、これからのために・・鄧艾を」
(見せしめの、生贄・・)
「劉禅殿は、鄧艾親子の最期、ご存知か」
「いえ、虜囚の悲しさ・・鐘会の乱の直後の混乱の中で、亡くなったとのみ」
腹心の将に裏切られ、斬殺されたなどという噂は、信じたくなかった。
青葉東風が、小亭を吹き抜ける。司馬昭が目を開いた。
「儂も、そう長くはないような」
司馬昭が呟いた。
「眩暈がな、頻りと致しまする。はは、鄧艾とも、もうすぐ逢えますな」
「晋王殿・・」
王太子司馬炎も三十路、後顧に憂いはなかろう。最終的に魏を簒奪して即位するのは、司馬昭でなくともよい。
「宴席に戻りましょうかの」
司馬昭は立ち上がる。劉禅もその後に続く。
「劉禅殿」
小亭の階(きざはし)に足をかけ、司馬昭は振り返った。
「鄧艾親子は、見事な自害だったそうな」
「えっ」
「幾万の配下を、命かけて守りました」
今や呉も、僅かに余喘を保つのみ。鄧艾、字は士載・・百年の乱世の幕を引いた、どえらい男でございましたな、というと、司馬昭は拱手して深く叩頭した。劉禅も、その背後で拝跪する。
(鄧艾殿、司馬昭殿が貴公に一礼を捧げられましたぞ)
汚名のまま、眠ってよい貴公ではない。
(今は・・晋王と我が一礼、どうか受けてくだされ)
泉水を隔てた宴席からこの亭を見る客の目には、階を下る司馬昭に拝跪しているように見える筈であった。それはそれで、失笑は誘おうが不審ももたれぬ。望むところ。敬し拝する心は、泉下の鄧艾だけに届けばよい。 .
Posted by 渋柿 at 21:58 | Comments(0)