2011年04月18日

劉禅拝跪(11)

 一軍の将としての鄧艾に、配下も卒も心酔しきっている。また父の吃音を補佐する鄧忠への信頼も厚かった。それは田続も同様であろう。嘆息は、雄叫(おたけ)びに変わる。

「私は、鄧艾将軍に命を預けます!」

「将軍を信じます!」

「共に成都に攻め込みましょう!」

「将軍の許に死すとも悔いず!」

「おう、死すとも悔いず!」
 
田続の背後で、次々に声が上がった。将も卒も、死すとも悔いず!と繰り返す。
 
 田続はがっくりと肩を落とした。

「鄧艾将軍、鄧忠殿、お立ちください」
「それでは・・」
「どうぞ、お立ちください」

 田続は、跪いて鄧艾に剣を捧げた。

「ここ、この命、暫しそ、そなたに預ける」
 莞(かん)爾(じ)と笑って、鄧艾は剣を腰に佩いた。




(凄まじい山中行だった)

 檻車の中、鄧艾の追憶は続いている。

 剣閣の姜維に、こちらの迂回(うかい)を察知されてはならぬ。将も卒も、兵糧(ひょうろう)、縄や氈(せん)(獣毛の不織布・フェルト)を負って黙々と山に分け入った。姜維の籠もる剣閣の城砦を、はるか高みの山路から遠望する。

(成都を、陥とす。お前は進退窮まるのだ)

 これまで姜維に飲まされた数々の苦杯を思い、鄧艾は誓った。

 朝は太陽を右に、昼からは左に見て進む。道なき道、山肌の行軍は困難を極めた。足を滑らせて谷底に転落する兵士が続出する。

 最大の難所は摩天嶺(まてんれい)。よじ登った山の頂から見たものは、成都に続く筈の行く手を阻む断崖絶壁であった。鄧艾は無論、ここまで幾多の辛苦を耐えて付いて来た将卒たちもしばらく呆然として言葉もない。

 絶望。やがて卒の中に、しゃがみ込み声を殺して泣くものが出てきた。

「折角、ここまで来たのに」

「天に見放された」

「退却だ・・」

「退路には姜維が・・」

「逃げられぬ」

「俺達は全滅か」

 囁きは、次第に大きくなってゆく。

 鄧艾は、断崖を覗いた。用意してきた縄で伝い降りるにも、間に合う高度ではなかった。遥かな下には疎らな草も見えるが、その殆どは尖った岩肌である。成都に続く前途を、この乾いた、堅い崖壁が頑として阻んでいる。

「父上・・」
「・・将軍」

 鄧忠も田続も、あぐね切った声であった。

(これしか、ない)

 鄧艾は、決意した。槍を置き、佩剣を外し,肩の荷を下ろして氈を地に広げた。

 何をなされるのか、と将卒は息を呑む。

「で、田続!」
「はい」

「ぎ、銀は落としてはおらぬな」
「はい、身につけております」
 
 田続は周囲の卒数人と頷きあった。軍資は分散して帯行してきたのであろう。

「し、しっかりか、懐中せよ」
「はぁ?」
「ここ、この崖を転がり落ちても、とと、飛び出さぬよう・・」
「将軍・・」
 鄧艾は、力を込めて槍と佩剣を下に投げた。剣も槍も、二三度岩肌にぶつかったあと平地の草叢に落ちた。ほぉ~という声が将卒から漏れる。

「み、皆、まず武器を下に投げよ」
「父上!」

「な、鍋釜兵糧もじゃ、おおお、落とせ!」 .



Posted by 渋柿 at 13:49 | Comments(0)
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