2014年01月03日
初夏の落葉7
「あたしの前に二十五歳の左京が現れたのは、木枯らしの季節の豊島の楽屋でした。四月中席、あたしの豊島の芝居に出てくれて、若手の代バネ、それがあいつの、最後の・・」
ほんの十日前なんです、それなのに・・師匠の葬儀委員長挨拶は、涙で途切れた。
「あたしの弟子はみな優秀で、どこへ出しても恥ずかしくないと思っております。その中でも左京はぴか一だった。惜しい、これから幾らでも、とんでもなく化ける筈の男だった」
どんな事だって笑い飛ばすのが落語だろ。洒落にならない。肩が震えている。
「たった二十年。時間がなかった。残念です」
人目も憚らず泣き崩れた。嗚咽が広がる。師匠、らしくねえ、皆もどうしちまったんだ。噺家の弔いってのは、そうじゃないだろ。
喪主と葬儀委員長は位牌と遺影を捧げて車に乗った。クラクションが長く尾を引く。
「弔いも済んだし、これであの世に付いてきてもらわなきゃあなんないんだが・・」
死神が、妙に優しい目をした。
「もう少し、この世に居てもいいんだぜ」
「いいのかい?」
「ああ、善人にゃ多少オプションがつく」
「俺あ善人かねえ」
「善人だから早死にしたんだ」
人生五十年の古典落語の世界じゃ、そう早くもない。
「それじゃ・・行きたいとこが、ある」
死神は、ちらと遠ざかるリムジンを見た。
「かみさんの側に、いなくていいのか」
「・・別れは、済んでる」
感謝の気持ちだけは、伝えたつもりだ。
「どこ行きたいんだ?」
「俺が、最後に上がった場所・・」
「行ってどうする?辛いだけだと思うぜ」
仕方ない、判ったよ・・死神が手を引いた。
「もう始まってる。何でだ?」
死神が、目をぱちくりさせている。
四つの定席で一番格下。休日というのに、相変わらず豊島演芸場の入りは悪い。
ここの旧館で師匠と出逢った。前座で初めて楽屋入りして、客引きまでやらされた。真打披露興行もした。改修前のお別れ公演も出たし、先月だって余一会で、大ネタの「井戸の茶碗」サゲまで演りとげた。そしてここが最後の高座。思い出が、染みついている。
「俺の葬式に、噺家惣揚げする貫録があるかい。代バネ・・まあ代演ってのもあるし」
「遣り繰りは、つくんだな」
「寄席は年中無休、葬式なんぞで休めない」
その上、連休は噺家のかき入れ時だ。
「スケジュール調整、結構大変なんだぞ。全く、死神も噺家殺す、時期考えろ」
ちょうど桂家道丸の弟弟子、二つ目の道介が古典の「宮戸川」を演っていた。
「お前に足袋履かせた奴じゃないか、こいつ」
「ああ・・」
四月中席の代演の頃既に、いつ倒れてもおかしくなかった。そしてとうとう、こっちで高座を見てる。客席からは高座を見るなという決まりは、生きてる芸人だけの縛りだ。
「この宮戸川で、結局俺、噺家になったんだ」
二十年前、師匠の宮戸川を聞いた豊島演芸場は地下ではなく、駅からもうちょっと離れた路地裏にあった。
高座の道介が、サゲに入った。半七がお花の柔肌に触れる。雪を晒して木賊を掛けた真っ白い太腿に、半ちゃんの手がすっと伸びた。お馴染みお花半七の馴れ初め・・
「ここまでお稽古したらお弔いの知らせ、道丸兄さん出かけてしまいまし・・あっ!」
道介は、一瞬絶句して客席を凝視した。
「そのホトケ様、迷ってここに来てます」
俺は、幽霊か?・・もう、幽霊なんだ。
あの日降りてから、ほいよってこの道介にカゼとマンダラ渡した。汗滲みててびっくりしたかな。勉強熱心で、いつも袖からじっと高座を見てた。俺以上に遅い入門だから、真打になるのは四十近い。大変だろうけど道丸達と一緒に、ここで頑張るんだぜ。
ほんの十日前なんです、それなのに・・師匠の葬儀委員長挨拶は、涙で途切れた。
「あたしの弟子はみな優秀で、どこへ出しても恥ずかしくないと思っております。その中でも左京はぴか一だった。惜しい、これから幾らでも、とんでもなく化ける筈の男だった」
どんな事だって笑い飛ばすのが落語だろ。洒落にならない。肩が震えている。
「たった二十年。時間がなかった。残念です」
人目も憚らず泣き崩れた。嗚咽が広がる。師匠、らしくねえ、皆もどうしちまったんだ。噺家の弔いってのは、そうじゃないだろ。
喪主と葬儀委員長は位牌と遺影を捧げて車に乗った。クラクションが長く尾を引く。
「弔いも済んだし、これであの世に付いてきてもらわなきゃあなんないんだが・・」
死神が、妙に優しい目をした。
「もう少し、この世に居てもいいんだぜ」
「いいのかい?」
「ああ、善人にゃ多少オプションがつく」
「俺あ善人かねえ」
「善人だから早死にしたんだ」
人生五十年の古典落語の世界じゃ、そう早くもない。
「それじゃ・・行きたいとこが、ある」
死神は、ちらと遠ざかるリムジンを見た。
「かみさんの側に、いなくていいのか」
「・・別れは、済んでる」
感謝の気持ちだけは、伝えたつもりだ。
「どこ行きたいんだ?」
「俺が、最後に上がった場所・・」
「行ってどうする?辛いだけだと思うぜ」
仕方ない、判ったよ・・死神が手を引いた。
「もう始まってる。何でだ?」
死神が、目をぱちくりさせている。
四つの定席で一番格下。休日というのに、相変わらず豊島演芸場の入りは悪い。
ここの旧館で師匠と出逢った。前座で初めて楽屋入りして、客引きまでやらされた。真打披露興行もした。改修前のお別れ公演も出たし、先月だって余一会で、大ネタの「井戸の茶碗」サゲまで演りとげた。そしてここが最後の高座。思い出が、染みついている。
「俺の葬式に、噺家惣揚げする貫録があるかい。代バネ・・まあ代演ってのもあるし」
「遣り繰りは、つくんだな」
「寄席は年中無休、葬式なんぞで休めない」
その上、連休は噺家のかき入れ時だ。
「スケジュール調整、結構大変なんだぞ。全く、死神も噺家殺す、時期考えろ」
ちょうど桂家道丸の弟弟子、二つ目の道介が古典の「宮戸川」を演っていた。
「お前に足袋履かせた奴じゃないか、こいつ」
「ああ・・」
四月中席の代演の頃既に、いつ倒れてもおかしくなかった。そしてとうとう、こっちで高座を見てる。客席からは高座を見るなという決まりは、生きてる芸人だけの縛りだ。
「この宮戸川で、結局俺、噺家になったんだ」
二十年前、師匠の宮戸川を聞いた豊島演芸場は地下ではなく、駅からもうちょっと離れた路地裏にあった。
高座の道介が、サゲに入った。半七がお花の柔肌に触れる。雪を晒して木賊を掛けた真っ白い太腿に、半ちゃんの手がすっと伸びた。お馴染みお花半七の馴れ初め・・
「ここまでお稽古したらお弔いの知らせ、道丸兄さん出かけてしまいまし・・あっ!」
道介は、一瞬絶句して客席を凝視した。
「そのホトケ様、迷ってここに来てます」
俺は、幽霊か?・・もう、幽霊なんだ。
あの日降りてから、ほいよってこの道介にカゼとマンダラ渡した。汗滲みててびっくりしたかな。勉強熱心で、いつも袖からじっと高座を見てた。俺以上に遅い入門だから、真打になるのは四十近い。大変だろうけど道丸達と一緒に、ここで頑張るんだぜ。
Posted by 渋柿 at 16:40 | Comments(0)