2014年01月12日
初夏の落葉14
ぽとり、顔に温かいものが落ちた。
目を開くと、あかねの顔があった。
「お前さん」
(ここは・・)
数日前、息を引き取った病室だった。
(違う・・夢見てたんだ)
ぴっぴっぴ、ベッドの脇のモニターが、下がり続ける血圧と心拍数を示している。
死ぬのはこれから、夢というより臨死体験か。それが死神と人情噺たあ、職業病にも程があるよな。兎に角、色んなネタがごっちゃになってた。まあ弔いで「ガンバレ」流すなんて、夢じゃなきゃあり得ない事か・・。
「夜が明けたみたい。・・大丈夫、ミミの餌はちゃんと置いてきたから」
窓辺の樹の影が、寄席の切り絵の様だ。ほんのり明るい空を背に、枝が揺れている。
(し、ししょ・・)
もうあかねは、唇の動きだけを読んでいる。
「師匠は大阪。小夢さんとこの落語会」
そうだった。リアル世界じゃ、今日のうちに駆けつけるのは無理だ。かき入れ時の連休、しかもアウエーでは代演は利かない。すぐ来てくれるのは、やっぱり鯰師匠くらいかな。
(俺も、小夢さんに誘われてたっけ。病み上がりでも前座噺なら何とかなるだろうって)
事態を隠してたから、断れなかった。馬鹿だよ。結局豊島の代演で力尽きた。これでよかったんだ。この体で大阪まで辿り着けたとしても、出ない声で、それも寿限無の途中でぶっ倒れてりゃ、与太郎だろう。
(師匠が東京に戻るまで、葬式はやっぱり延ばさなきゃ。・・あんまり無理するなよ)
前座二つ目は弔い慣れしてる。俺もやって来た。遠慮するなお互い様だ、任せればいい。
(な、なま・・)
「え?何?」
鯰師匠だけにゃあ酒を出すな、特に火葬場じゃ絶対にだめだぞ、そういい残しておきたいが・・無理の様だ。
(す・・ま・・)
入門の時釘を刺されたし、こっちは承知の上でこの世界に飛び込んだけど、お前にまで馬鹿な苦労をさせちまった。入りの悪い豊島が一番好き、客に呼ばれても酌もしない、救いようのない臍曲りでさ。テレビ仕事なんか滅多に受けなくて。人から見りゃ時代錯誤の、滑稽な野郎だったろうな。
「済まないなんていわないで。お前さんと一緒になれて、本当によかった」
そうかなあ・・他人と喧嘩ばかりしてきた。
(古典になったネタは初めから完成度が高いんだ、新作で一度は笑った客でもな、二度も三度もまた来て聞くか?・・か)
新作なんて一過性のもんですぐに消えちまう、そう信じて古典一筋にやってきた。どの古典ネタだってできた時はみんな新作だなんていう奴には、ムキになって絡み倒した。
風を入れるね、あかねは立ち上がって窓を開ける。楠の若葉の薫りがした。
(あ・・り・・)
ありがとう。・・でも結局、死ぬのが怖くて高座にしがみ付いてただけかもしれない。疼痛緩和のお蔭でぎりぎりまで続けられたけど、医者代薬代諸々、随分かかったんだろ。今度の請求書は個室料まで込みときてる。
ごめんよ。俺は残念ながら、古典になって残る程の噺家じゃなかった。忘れられる。
(いいじゃない、お噺上手のただのお爺さんと、噺好きのお婆さんになるのも・・か)
それさえ叶わなかった。甲斐はなかったな、あんなに尽くしてくれたのに。
(こ・こ・・)
ここにいてくれ。目が霞んでる。最後にお前の顔を、瞼に焼き付けておきたい。あかねは椅子に戻って、お前さん、と微笑んだ。
(ほ・れ、て・た・・)
そうだ、その笑顔が見たかった。綺麗だ。声失くす前に、いってやりゃあよかった。
本当に赤だったかな?いや、「小鍛冶」を弾く振袖は、絶対あかね色じゃなきゃいけない。俺はお前に、心底惚れていた。
「お前さん!」
呼吸が切迫した。か?が?えっ何?何かいおうとしている。がん?がんば?
あかねは、ナースコールを押した。
「五時二一分、ご臨終です」
脈を取り瞳孔を見た医者がいう。
サゲが、付いた。楠の葉鳴りは楽日のハネ太鼓。風が吹く。枝が揺れる。拍手が続く。
窓から、初夏の落ち葉が一枚、舞い込んだ。
目を開くと、あかねの顔があった。
「お前さん」
(ここは・・)
数日前、息を引き取った病室だった。
(違う・・夢見てたんだ)
ぴっぴっぴ、ベッドの脇のモニターが、下がり続ける血圧と心拍数を示している。
死ぬのはこれから、夢というより臨死体験か。それが死神と人情噺たあ、職業病にも程があるよな。兎に角、色んなネタがごっちゃになってた。まあ弔いで「ガンバレ」流すなんて、夢じゃなきゃあり得ない事か・・。
「夜が明けたみたい。・・大丈夫、ミミの餌はちゃんと置いてきたから」
窓辺の樹の影が、寄席の切り絵の様だ。ほんのり明るい空を背に、枝が揺れている。
(し、ししょ・・)
もうあかねは、唇の動きだけを読んでいる。
「師匠は大阪。小夢さんとこの落語会」
そうだった。リアル世界じゃ、今日のうちに駆けつけるのは無理だ。かき入れ時の連休、しかもアウエーでは代演は利かない。すぐ来てくれるのは、やっぱり鯰師匠くらいかな。
(俺も、小夢さんに誘われてたっけ。病み上がりでも前座噺なら何とかなるだろうって)
事態を隠してたから、断れなかった。馬鹿だよ。結局豊島の代演で力尽きた。これでよかったんだ。この体で大阪まで辿り着けたとしても、出ない声で、それも寿限無の途中でぶっ倒れてりゃ、与太郎だろう。
(師匠が東京に戻るまで、葬式はやっぱり延ばさなきゃ。・・あんまり無理するなよ)
前座二つ目は弔い慣れしてる。俺もやって来た。遠慮するなお互い様だ、任せればいい。
(な、なま・・)
「え?何?」
鯰師匠だけにゃあ酒を出すな、特に火葬場じゃ絶対にだめだぞ、そういい残しておきたいが・・無理の様だ。
(す・・ま・・)
入門の時釘を刺されたし、こっちは承知の上でこの世界に飛び込んだけど、お前にまで馬鹿な苦労をさせちまった。入りの悪い豊島が一番好き、客に呼ばれても酌もしない、救いようのない臍曲りでさ。テレビ仕事なんか滅多に受けなくて。人から見りゃ時代錯誤の、滑稽な野郎だったろうな。
「済まないなんていわないで。お前さんと一緒になれて、本当によかった」
そうかなあ・・他人と喧嘩ばかりしてきた。
(古典になったネタは初めから完成度が高いんだ、新作で一度は笑った客でもな、二度も三度もまた来て聞くか?・・か)
新作なんて一過性のもんですぐに消えちまう、そう信じて古典一筋にやってきた。どの古典ネタだってできた時はみんな新作だなんていう奴には、ムキになって絡み倒した。
風を入れるね、あかねは立ち上がって窓を開ける。楠の若葉の薫りがした。
(あ・・り・・)
ありがとう。・・でも結局、死ぬのが怖くて高座にしがみ付いてただけかもしれない。疼痛緩和のお蔭でぎりぎりまで続けられたけど、医者代薬代諸々、随分かかったんだろ。今度の請求書は個室料まで込みときてる。
ごめんよ。俺は残念ながら、古典になって残る程の噺家じゃなかった。忘れられる。
(いいじゃない、お噺上手のただのお爺さんと、噺好きのお婆さんになるのも・・か)
それさえ叶わなかった。甲斐はなかったな、あんなに尽くしてくれたのに。
(こ・こ・・)
ここにいてくれ。目が霞んでる。最後にお前の顔を、瞼に焼き付けておきたい。あかねは椅子に戻って、お前さん、と微笑んだ。
(ほ・れ、て・た・・)
そうだ、その笑顔が見たかった。綺麗だ。声失くす前に、いってやりゃあよかった。
本当に赤だったかな?いや、「小鍛冶」を弾く振袖は、絶対あかね色じゃなきゃいけない。俺はお前に、心底惚れていた。
「お前さん!」
呼吸が切迫した。か?が?えっ何?何かいおうとしている。がん?がんば?
あかねは、ナースコールを押した。
「五時二一分、ご臨終です」
脈を取り瞳孔を見た医者がいう。
サゲが、付いた。楠の葉鳴りは楽日のハネ太鼓。風が吹く。枝が揺れる。拍手が続く。
窓から、初夏の落ち葉が一枚、舞い込んだ。
Posted by 渋柿 at 07:58 | Comments(0)