2014年01月16日

初夏の落葉終章

「芸人は、顔と名前憶えて貰えるのが一番。おかみさん、啖呵ぁ切ってまで長楽亭左京の名をこの世に繫ぎ留めた。夫婦の絆は二世、情愛は深いてえことを申します。今日は、そんな噺にお付き合い願います」

 あの日、ここにいらした方もあるでしょう、左京が十年前に、ここで演った噺でもあります・・襟を摘まみ、上手の床に手を伸ばした。

「お前さん、起きとくれよぅ・・」

 マクラが長かった分、少し端折って入った。

「芝浜」。酔漢・財布・芝浜・・圓朝の即興三題噺から百余年、幾世代もかけて噺家が磨き上げた、屈指の古典落語。

(ええっ?普通、ここで拍手湧くかぁ?)

 本当にこういう所は、どう転ぶか判らない。

「お願いだよ、起きとくれってば、河岸行ってくれなきゃ、釜の蓋が開かないんだよ」
 女房が、飲んだくれの亭主に哀願している。

 ・・左京、起きてくれ、起きてくれよう、真打昇進試験、始まっちまうよぅ・・
 半泣きの声がした。十六年前の俺だ。兄弟子の家で夜が明け、悪ふざけがとんでもない結果になり、みんなで青くなっている。うるさい!左京は寝返りを打って背中を向けた。

 ・・誰だこんなに飲ませたの、俺じゃねえぞ、おい、起きてくれ、破門されちまうぞ、昇進試験だよ、起きてくれ左京、間に合わないよぅ・・仕方ない、殴るぞ・・
 
 左京、お前本当に、自分の事全部判ってたのか。今生きてたらどんな落語演るんだろう。見たかった。才能も欠点もみんな合わさって、お前は稀有の噺家だったんだ。

「起きとくれってんだよぅ、お前さん」

「うるせいな、もっと寝かせろい」

「だってもう、十日も河岸いってないんだよ」
 
 無意識に、左京の間、になっている。

 あちこち、頷いている客がいた。きっと十年前、ここで左京の高座を聞いていたんだ。ホールの室温が上昇していくのが、肌で判る。

(あの日・・)

 開演前、着替えを済ませた左京は、楽屋の窓から、ホールを囲む楠の樹々を見ていた。

(いってたな・・不思議な樹ですね、兄さん。冬を耐えたんでしょうに、若葉が萌えるそばで、ほら、落ち葉が散ってます・・って)

 残る桜も散る桜、違うか、こんな一番いい季節に、葉を散らす樹もあるんですねえ・・左京が見ていたのは、初夏の落葉だった。

「判ったよ。起きてやるから、まず飲みてえだけ飲ませろ」

 左京が真向いの席にいて、苦笑混じりに聞いている様な気がした。







Posted by 渋柿 at 09:06 | Comments(0)
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