2014年01月10日
初夏の落葉13
「行けば、判る。・・神様に愛され過ぎたんだよ、お前は」
「そう、自惚れとくよ」
「弔辞でもいってたじゃないか」
「口と肚は、別だ。ざまァ見ろって思ってた奴だって、いたかもしれない」
「情けない事いってくれるな。忙しい時期に、あれだけの人が駆けつけてくれたんだ。あれがただの空涙なら、酔狂も大概じゃないか」
そうだ、二十年やった答えが、降りやまぬ雨に香華を手向けてくれた、あの長い列だ。
「道丸も小夢さんもみんな泣いてくれた・・」
ツン・ツン・ツン、遠くで音がする。祭囃子?それにしてはずっと拍も節も重い。三味より哀しい、心にしみる音。琴、だ。
ツン・テン・シャン、ツン・テン・シャン、はっきりと耳に馴染んだ旋律になっていく。
「これは・・」
「小鍛冶・・お前の囃子だな」
噺家の出囃子は、長唄のサビの部分を使う事が多い。「小鍛冶」も、元々は能の演目で、長唄に取り入れられた。筝曲用に編曲されたのは、そう古い事ではない。
(あかね・・)
出逢った日の、そうだ、ありゃあ確か赤い振袖だったか、スポットライトを浴びて、舞台の上に、あかねがいた。
「弾いてるよ、たった一人んなった家ん中で。・・おかみさん、ここまで音を届けるたあ、よっぽどあんたに思いが深いんだなあ」
「・・一目惚れ、だった」
邦楽の会の司会の仕事で、出逢った。
反対を押し切って一緒になった時から、真打になったら出囃子は、あの日あかねが弾いた「小鍛冶」だと、心に決めていた。
琴の音は、緩く速く続いている。
左京さんなんていうな、噺家の女房ならお前さんだろと関白ぶった新婚の頃。恥じらいながらそう呼んだ初々しい声が、耳に甦る。
(俺は、馬鹿だ・・)
死神が許してくれた最後の時間、ぎりぎりまであかねの側に居てやらなきゃならなかったんだ。俺は最後の最後まで、落語の世界しか見ていなかった。馬鹿だ、大馬鹿野郎だ。
「寂しいんだよ。猫しかいない、思い出がまだ生々しい家に居るのは」
「そう・・だろうな」
「葬式も四十九日、百か日も大変だけど、そりゃ哀しむ暇、なくす知恵かもしれないぜ」
余韻を残して、琴がやむ。
「かみさんの所に、戻りたいか?」
「今更何だよ」
「戻りたいんだろ。・・おまえんちに反魂香が・・ある訳ないよなあ」
「反魂香がありゃ、戻れるんだな」
「あるのか。それ、おかみさんに何とかして焚いて貰えりゃあ・・」
「稽古ん時のテープじゃ、駄目か?」
「反魂香」は、死んだ人と逢えるという噺。
テープじゃねえ・・死神は溜息をつき、暫く考えていた。
「判ったよ。かみさんと居られるのはほんのちょっとだけだけど、勘弁してくれ」
死神は、下に垂れた蝋の欠片を拾い始めた。
「まあ、あんまり当てにはしねえ事だな。なんせ時間を戻すなんて今までやった事あない」
「そんな事をして、お前・・」
「オプションが付くっていっただろうが。疫病神にでも、塵でも芥でもなってやらあ」
落語の神様は残酷だ、何でお前に道半ばの寿命しかないんだよう、死神は居直る。
「そりゃ俺だって・・見てたっていってたな、布団掻き毟って呻いて、さ・・」
俺のとことん情けない姿も、こいつだけは知っている。
「だけどもういい。・・ありがとう。お蔭でネタの形見分けだってできたし・・」
何より燃え尽きる直前、精一杯輝けたんだ。
十月余一会に割り込み復帰第一声、夢落ちネタの「鼠穴」を演じた。二月までは、定席にも通しで出る事ができた。ホール落語も新年の帝立劇場の「厩火事」と二月の台東座「浜野矩随」。定席はもう無理になってからも、三月にはラジオ真打競演「猫の皿」を収録し、豊島余一会で「井戸の茶碗」。そして最後の高座、代演の「六尺棒」は、あの師匠が化けたと、初めて褒めてくれたんだ。
(結局、騙した事になるんだけど・・)
贔屓客は、左京再起と本当に喜んでくれた。
「二十五の俺が決めた通りに、死ねたんだよ」
「やせ我慢はよせ。かみさんのとこ、戻りたいんだろう・・戻りな」
「やせ我慢・・か」
「今度こそ、お前に惚れてたっていうんだぞ」
「・・ああ」
死神は帯の毛羽を抜いて、握り固めた欠片の芯にした。手近な炎で炙り、蝋を芯に浸み込ませる。出来上がった蝋燭もどきに、何やらじっと念を込めてから火を灯した。
「目を閉じるんだ」
あじゃらかもくれん・あかね・まい・すぃいとはぁと・・死神が呪文を唱える。
「そう、自惚れとくよ」
「弔辞でもいってたじゃないか」
「口と肚は、別だ。ざまァ見ろって思ってた奴だって、いたかもしれない」
「情けない事いってくれるな。忙しい時期に、あれだけの人が駆けつけてくれたんだ。あれがただの空涙なら、酔狂も大概じゃないか」
そうだ、二十年やった答えが、降りやまぬ雨に香華を手向けてくれた、あの長い列だ。
「道丸も小夢さんもみんな泣いてくれた・・」
ツン・ツン・ツン、遠くで音がする。祭囃子?それにしてはずっと拍も節も重い。三味より哀しい、心にしみる音。琴、だ。
ツン・テン・シャン、ツン・テン・シャン、はっきりと耳に馴染んだ旋律になっていく。
「これは・・」
「小鍛冶・・お前の囃子だな」
噺家の出囃子は、長唄のサビの部分を使う事が多い。「小鍛冶」も、元々は能の演目で、長唄に取り入れられた。筝曲用に編曲されたのは、そう古い事ではない。
(あかね・・)
出逢った日の、そうだ、ありゃあ確か赤い振袖だったか、スポットライトを浴びて、舞台の上に、あかねがいた。
「弾いてるよ、たった一人んなった家ん中で。・・おかみさん、ここまで音を届けるたあ、よっぽどあんたに思いが深いんだなあ」
「・・一目惚れ、だった」
邦楽の会の司会の仕事で、出逢った。
反対を押し切って一緒になった時から、真打になったら出囃子は、あの日あかねが弾いた「小鍛冶」だと、心に決めていた。
琴の音は、緩く速く続いている。
左京さんなんていうな、噺家の女房ならお前さんだろと関白ぶった新婚の頃。恥じらいながらそう呼んだ初々しい声が、耳に甦る。
(俺は、馬鹿だ・・)
死神が許してくれた最後の時間、ぎりぎりまであかねの側に居てやらなきゃならなかったんだ。俺は最後の最後まで、落語の世界しか見ていなかった。馬鹿だ、大馬鹿野郎だ。
「寂しいんだよ。猫しかいない、思い出がまだ生々しい家に居るのは」
「そう・・だろうな」
「葬式も四十九日、百か日も大変だけど、そりゃ哀しむ暇、なくす知恵かもしれないぜ」
余韻を残して、琴がやむ。
「かみさんの所に、戻りたいか?」
「今更何だよ」
「戻りたいんだろ。・・おまえんちに反魂香が・・ある訳ないよなあ」
「反魂香がありゃ、戻れるんだな」
「あるのか。それ、おかみさんに何とかして焚いて貰えりゃあ・・」
「稽古ん時のテープじゃ、駄目か?」
「反魂香」は、死んだ人と逢えるという噺。
テープじゃねえ・・死神は溜息をつき、暫く考えていた。
「判ったよ。かみさんと居られるのはほんのちょっとだけだけど、勘弁してくれ」
死神は、下に垂れた蝋の欠片を拾い始めた。
「まあ、あんまり当てにはしねえ事だな。なんせ時間を戻すなんて今までやった事あない」
「そんな事をして、お前・・」
「オプションが付くっていっただろうが。疫病神にでも、塵でも芥でもなってやらあ」
落語の神様は残酷だ、何でお前に道半ばの寿命しかないんだよう、死神は居直る。
「そりゃ俺だって・・見てたっていってたな、布団掻き毟って呻いて、さ・・」
俺のとことん情けない姿も、こいつだけは知っている。
「だけどもういい。・・ありがとう。お蔭でネタの形見分けだってできたし・・」
何より燃え尽きる直前、精一杯輝けたんだ。
十月余一会に割り込み復帰第一声、夢落ちネタの「鼠穴」を演じた。二月までは、定席にも通しで出る事ができた。ホール落語も新年の帝立劇場の「厩火事」と二月の台東座「浜野矩随」。定席はもう無理になってからも、三月にはラジオ真打競演「猫の皿」を収録し、豊島余一会で「井戸の茶碗」。そして最後の高座、代演の「六尺棒」は、あの師匠が化けたと、初めて褒めてくれたんだ。
(結局、騙した事になるんだけど・・)
贔屓客は、左京再起と本当に喜んでくれた。
「二十五の俺が決めた通りに、死ねたんだよ」
「やせ我慢はよせ。かみさんのとこ、戻りたいんだろう・・戻りな」
「やせ我慢・・か」
「今度こそ、お前に惚れてたっていうんだぞ」
「・・ああ」
死神は帯の毛羽を抜いて、握り固めた欠片の芯にした。手近な炎で炙り、蝋を芯に浸み込ませる。出来上がった蝋燭もどきに、何やらじっと念を込めてから火を灯した。
「目を閉じるんだ」
あじゃらかもくれん・あかね・まい・すぃいとはぁと・・死神が呪文を唱える。
Posted by 渋柿 at 17:46 | Comments(0)