スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新の無いブログに表示されています。
新しい記事を書くことで広告が消せます。
  

Posted by さがファンブログ事務局 at 

2010年01月09日

「続伏見桃片伊万里」17

 お光は圭吾を覚えていたし、隼人は酒毒の扱いに熟達している。
 この家を離れない、厭だ・・むずがるお光の説得に昼近くまで刻を費やし、ついに、
「あい、あい。お酒が頂けるなら何所でも行きまひょ」
 という 他愛ない返事を引き出した。
 お光を、隼人は絶妙にあやなしていく。
 播磨屋の女中が髪を結い、紺縞の外着も身につけさせた。
 
 高瀬舟に乗りこんだのは陽もかなり傾き、東山の新緑を斜めに照らす頃だった。
 隼人は、鳥野辺山を過ぎる辺りで圭吾に
「酒断ちは伏見に着いて、明日からだ」
 と囁いた。
 お光の気持ちに逆らわず、優しく相槌を打ちながら・・細心の注意で
「適量最小限」
 酒を与える。
 瓢を取り出し、酒をお光の猪口にたらす。
 花見の桃の侯はもう過ぎたがこの若葉の季節、行楽か商用か、すでに夜舟となりかけた高瀬舟はかなり混んでいる。
(とんだ舟遊びだ)
 瓢の中身は伏見の銘酒・三十六峰である。
 これは出発のとき、播磨屋が隼人の指示により調えている。
「大丈夫か?」
「血の中の酒精、急に薄くなっちまうと取合えずやっかいなことになるだろ」
「震えたり、冷汗、気の鬱屈」
「それぐらいで済みゃあな」
「ああ、幻が見えたり、聞こえたり、怯えて、暴れる」
 七年前の隼人が、まさにそうだった。
「どういうもんか酒精が切れた発作は、明るいときより暗いときん方が強く出る。夜舟ん中で、この人が暴れたりしてみろ、下手したら俺達は勿論、幾ら浅い高瀬川でも・・かかわりのない人まで巻き込んで御陀仏だ。無論俺の家に着くまでのこと、明日から絶対この人に酒は飲ません」
 最後の飲酒から二・三刻後に始まる地獄、体内血中の酒精分が完全に抜けるまで凡そ三日、酒毒の患者は阿鼻叫喚、のた打ち回る。
 本人も苦しかろうが看護するものの苦痛も筆舌に尽くしがたい。
「それに、酒精断って発作を起こす前に、この人の心ん中飛び込んで、絆つくっときたいしな」
「何をこそこそ話してますんや!」
 お光が酔声を上げた。
  


Posted by 渋柿 at 18:47 | Comments(0)

2010年01月09日

「続伏見桃片伊万里」16

 僅かな、救いを見たように思った。

 翌朝、早朝の三条大橋。
 すぐ脇に高瀬舟の船着場がある。
 ここから四里ほど川下が伏見である。
 伏見は、江戸初期角倉了以が開いた運河・高瀬川と、淀屋常庵が水運を整備した淀川が交わる地でもある。
 この川辺で診療所を開く旧友、村田隼人は、圭吾と同年の二十七。
 圭吾が中肉中背というより貧弱といっていい体つきなのに対し、背が高い。
 昔、酒毒に陥っていた頃はがりがりに痩せていたものだが、今はそれなりに貫禄が付いている。
 圭吾が播磨屋に語ったように、妻・登世と二人の子の所帯持ち、それらしい風貌になっている。
 書状を、高瀬舟の船頭に託した。
 船着場近辺なら心付けを添えれば、日常このような文使いも頼める。
 圭吾は突然の勝手な依頼を詫び、酒毒の患者を預かって欲しいと、事情を記した。
(お光を引取るため、早速にも今日の夜舟で伏見を立ち、明日早暁迎えにきて欲しい。未明の船着場待つ。駄目ならその旨、船頭に言付けてくれ)
 
 南禅寺草川町の師の家に戻ると、すでに播磨屋が訪れて首尾を待っていた。
 お光を伏見に移すことができそうだというと、すぐに支度を調えるという。
 流石に、安堵の色が見えた。

 翌、早暁。
 三条大橋の船着場で村田隼人を迎え、お光の家へ向った。
 東山の麓は滴るような新緑であった。
 南禅寺堂町まで歩きながら、圭吾はお光と自分の関りを隼人に語る。
 乳呑児の死とその真相・柞櫛職人だったという父・東山の黒髪を梳す柞櫛・肥前染付の柞灰釉・播磨屋が託した五十両隼人は、ただ、聞いていた。

 髪を結う気力も張りも、もうないのだろう。
 髷は根が解かれたまま、肩や腰に纏わっている。
 一年半ぶりにお光の、酒に荒んだ凄まじい窶れには衝撃を受けた。
 だが、高瀬夜舟に乗せて隼人の家に連れて来るのは覚悟したほどの難行苦行ではなかった。
  


Posted by 渋柿 at 11:23 | Comments(0)