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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2010年01月06日

「続伏見桃片伊万里」12

 圭吾は、まだ処世を定めていない身である。
 実のところ初心は揺らいでいる。
 文化の先進地の魅力は、強烈に彼を捕らえている。
 疱瘡を疑われたその息子を診、その娘の窒息死にも立ち合った薄幸の母の事も、次第に心から薄れていくのは致し方ない。
 また、新しい年はめぐり、安政七年。

 この二年の間、世情は激動していた。
 将軍継承問題や日米通商条約の締結をめぐり、後に安政の大獄と呼ばれる未曾有の大弾圧が行われたのだ。
 処断されたのは大名・公卿から諸藩の藩士まで百名余、中心となった大老の井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されたのは、この安政七年の弥生三日であった。
 圭吾は、まだその嵐の外、勉学と診療に明け暮れている。

 山の桜も散り、三十六峰は滴るような新緑に覆われた頃、圭吾に訪問客があった。
 午前の診療が終わり、台所で昼餉をとっていると師に呼ばれた。
 来客という。
「圭吾でございます」
 師の部屋、襖の外から声をかけて開き、両手をついた。
「入りなさい」
 その声に膝を進めると、師の側ら、絹物の花色小袖に紺の羽織、一目でわかる大店の主が控えていた。
 まだ四十前か、上背もあり、なかなかの貫禄である。
「その節は子供等が、お世話になりまして」
 仲立ちを待たず、その男は身なりに似合わぬ深々とした礼をした。
「子供等、とは?」
「五条の、播磨屋さんじゃ。昔から、ご懇意願っておってな」
 師が、言葉を補った。
「いえ、こちらこそ親父ん代から新宮先生にはお世話になっとります」
(お光どのの丹那か)
 圭吾は黙って播磨屋に頭を下げた。
 お筆の仮通夜で顔を合わせてはいるはずだが、ほとんど記憶がない。
 しばらく、座の言葉が途切れる。
「実は、南禅寺堂町の、お光を診ていただきたいんどす」
「お光どのが、お悪いのですか」
「はあ・・どうも、酒毒らしゅうて」
 長けかけた声で、鶯が啼いた。
  


Posted by 渋柿 at 08:20 | Comments(0)