2015年05月21日

鯰酔虎伝 10

「ししょうてえ字、師の匠って書きますけど、うちのはどうも、支える障りの方のらしくて」
 
 朝顔のまくらが続いている。

「名前がいけませんねえ、鯰、鯰ですよ。この瓢箪鯰、二日酔いでのびて蠢いてるとこなんか、こりゃほんとに鯰です。名は体を現すとはよくいった」

(様になってきやがった)

 声が落ち着き、キーの高さも気にならない。

「まあ、名前ってのは大事なもんで、子が生まれるってえと、親ぁいい名前付ようと一生懸命になるのは、人情でございましょう」

 ここでやっと長生きする様親が子にとんでもなく長い名を付けた噺、「寿限無」に入る。
 
 今夜は天徳湯か・・鯰は手帳を開き、日銭稼ぎの予定を確認した。



 東京落語には、前座・二つ目・真打の階級がある。一人前に扱われて羽織が許されるのは二つ目から、前座の間は副業も禁止だ。朝顔も、バイトを辞めた。普通、師匠が前座の飯と小遣いくらいの面倒は見るのだが、鯰にそんな甲斐性はない。基本個人事業主、敬老会でも学校寄席でも余興でも、仕事が取れなきゃ一銭も稼げないのが噺家だ。

 家賃食費とその上俺の飲み代・・朝顔の貯えだけでは暮らせず、持ってきた箪笥着物から朝顔の冷蔵庫やパソコンまで叩き売った。

 朝顔は、確かに根性を据えていた。すいとんなんて戦中戦後の代用食。この齢になってまた喰うとは思わなかった。いりこのある間はいりこ出汁、なけりゃ味噌だけ、それもなくなりゃ塩汁に屑野菜を少し。煮えたぎった所に、水で捏ねた小麦粉を放り込む。

「小麦粉は安いし。水で増えますからねえ」

 田舎じゃだご汁とかいって、今でも普通に定番ですという。もっともそれは、ふんだんに肉や野菜が入ったものだそうだが。

 金はないが暇はある。前座仕事を叩き込んだ。畳んだ布団で、寄席の鳴物も教えた。夜は梅干し肴に、ペットボトルで買った安焼酎で芸を語る。三道楽圓幽に入門した昭和二十年代、テレビ創成期、円幽と京の輔が築いた落語黄金時代。いい機嫌で、圓幽仕込みの古典の稽古も付けてやった。



Posted by 渋柿 at 18:47 | Comments(0)
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