スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新の無いブログに表示されています。
新しい記事を書くことで広告が消せます。
  

Posted by さがファンブログ事務局 at 

2015年10月29日

鯰酔虎伝

http://sibugaki.sagafan.jp/e742527.html  


Posted by 渋柿 at 19:48 | Comments(0)

2015年07月11日

鯰酔虎伝 最終回

「落研の仲間と、寄席には随分通ったそうです。・・入替えなしの豊島演芸場とか」

 兎に角高座にしがみついてやっと生きてきた・・俺のどん底の頃だ。

「豊島演芸場に、酔っぱらいの噺家がいたって。同じ噺ばかりだけど、客に合わせてくすぐり微妙に変えてる。これがたまさか古典を演ってるのに出くわしたら、他にない味があるんだ・・そういってました。落語の根っこは反骨、やる事ぁ無茶苦茶だけど、そりゃほんとに芸に真面目だからさ、って」 

 師匠の事ですね、朝顔は笑った。

「そりゃ、長楽亭左京に憧れてました。うちには、古典落語の全集まであったんですよ。東京に出てきて左京師匠の高座聞いて、笑って・・泣きました。活字でしか知らなかった世界、次から次へ演じてらして」

 あいつの持ちネタの多さは、凄かった。
 
「左京師匠みたいになりたかった。それが師匠に事欠き、酔払い爺さんの介護でしょ・・ずっと後悔してました」

 そうだろうともよ。

「落語は反骨の毒・・夕顔亭鯰の良さやっと判ってきたのは、ほんの最近ですかねえ」

 よせやい、照れるじゃねえか。

「・・黒紋付に袴、誂えるぜ」

 噺家の礼装だ。

「えっ」

「黒羽二重の極上を二つ、な。そろそろ真打昇進の事、真面目に考えてもいい時期だろ」

 おりんさんなら、間に合わせてくれる。お前の髪飾りと揃いの根付も、あの爺さん二人んとこで誂えようぜ。お前の古典は「芝浜」でも「井戸の茶碗」でも、あと一歩で真打ってとこまで来てる。その技量で、「鯰酔虎伝」も仕上げるんだ。この馬鹿野郎な噺家をさ、くたばった後も、ネタにし続けてくれよ。そんな事思っちゃ、罰当たるかい?

「その日の為にもな・・」

 ずっと支えて下すったお前の親御さんに、礼を尽くすのが筋ってもんだろ。こう見えたって死んだ女房の親に挨拶した時もなあ、俺ぁ黒紋付に袴だったんだ。  


Posted by 渋柿 at 17:34 | Comments(0)

2015年07月04日

鯰酔虎伝 21

 絡みも暴れもしない、いい三人酒の千鳥足で帰ってくると、ネタ浚いの声がした。

「・・うるせぇ、そいつの襟首掴む。もう泥酔状態でございます。いけない、こいつはいけないってんで、師匠出番ですと声を掛ける。そしたら夕顔亭鯰、立飲屋の土間の真ん中すっくと座り、演りだしたのは文七元結。これがまた、しらふよりよっぽど出来がいい」

 近頃の朝顔は本格の古典と共に、その名も「鯰酔虎伝」、鯰の酒癖をネタにし倒した一連の新作も手掛けている。

(ネタになる師匠って、一財産です・・か)
 
 左京の遺言で渋々厭々俺んとこ来た癖によ。師匠選びも芸のうちでしたねなんて、生意気な事いいやがって。

(古典の名手が演ったガンバレも、寄席の鬼っ子の文七元結も、どっちも好き。だから、古典と新作両方とも得手にするんです・・か)

 その為には、途方もない努力が要るのによ。
 
 政さん久さんにどやされ、ドアを開けた。

「師匠・・やっぱりぃ。ほんとだらしない」

「酔って・・ねえ、よ」

「呂律、回ってません」

 コップに水をくみ、はいと差し出す。

「京蔵師匠から、佐賀の会の確認が入ったんで、OKですっていっときました。・・十年前左京師匠と二人会をした同じ日、同じ場所なんですって、佐賀市文化会館」

「・・ちょっと待ちな、四月二九日って」

「ええ、左京さんの命日。今年が七回忌ですねえ。これも何かの因縁・・ひょっとすると、左京師匠が呼んでるのかもしれませんよ。高座で極楽往生したりして・・その時分の佐賀、楠若葉がきらきら、綺麗ですしねえ」

 よしやがれ。年寄りにゃあ洒落にならねえ。

 左京、勘弁してくれ。酔っちゃ連れてけ死神なんて騒いでたけど、今はまだ死にたくないんだ。朝顔が真打になるまで、どうしても。

(お前が俺に託した弟子だ。俺とお前併せた、凄ぇ噺家にしなきゃ・・嘘だろ)

 この齢んなって、全く汚え生き意地だよな。

 まあ足腰ぁもう大分弱ってるし、何の役にも立たねえくらい耄碌した時ぁ、すぐそっち行くからさ。そん時は又、とことん飲もうぜ。

「父と母、来てくれるそうです。楽屋に挨拶に伺うって」

 どんな顔して、逢やいいんだろう。

「・・親父さん、なあ」

「は?」

「どこ出たんだい」

「都の、西北・・」

「まさか、落研だった・・とか?」

「ええ、それもあたしと同じ」

 ほんとかよ、ほんとに左京の先輩だ。

「ひょっとして、水上左京て奴、ご存知だったんじゃないかい」

「いえ・・多分、左京師匠は父が卒業してからの入学です。父が五つ上ですから」

 そこはまるっきり違う。朝顔の親父さんと左京の因縁なんて、とんだ与太話しやがって。

「でも、無茶な噺家の事は聞いてました」

「無茶な、噺家ぁ?」

 まさか・・  


Posted by 渋柿 at 14:50 | Comments(0)

2015年07月02日

鯰酔虎伝 20

「ねっ、ミュージシャンでもジャニーズでもねえんだ、男臭い場所の男臭い寄席に田舎娘が引き付けられたなあ、親から左京の事聞いたとでも考えなきゃ平仄が合わねえ」

「久さんのいう通りだ。あれだぜ、東京で大学まで出した娘が、いくら爺さんとはいえ男と同棲するってんだ、普通親が文句の一つも言うもんだぜ。それを立派な噺家にしてやって下さいってんで、米は送る味噌は送る・・」

「その上毎年、伊万里梨に伊万里みかんだろ」

「鯰さんを信用したのさ、生前の左京さんと飲み仲間だったって事でなあ」

 まさか・・でも落語に興味持ったそもそもの切っ掛けは、まだ当人からは聞いてない。

「まあ今だって碧ちゃんと師匠、所帯持ってる様なもんだ、俺達みたいにさ」  

 政さんと久さんが目くばせを交わした。俺達も五十年、ずっと一つ屋根の下で暮らしてるんだからなあ、そう苦笑いする。

(聞いてるよ)

 政さんも久さんも、ずっとおりんさんに惚れてたんだってなあ。でもおりんさん、どうしても友達の仲裂けなかったそうだよ。そしてずっと、三人で同じアパートの、三つの部屋で暮らしてきたんだ。

(とんだ・・真間の手児奈だね)
 
 万葉の乙女は男の争い苦にして自殺しちまったんだが・・八十過ぎたって俺同様、達者に手前で稼いでるんだ。こんな不思議な三角関係も、当人達がよきゃそれでいいんだろ。

(三人で入る永代供養の墓も、もう決めてるっていってたな)

 俺の墓も、まだ空きがありゃあそこにするか。女房と娘のお骨と一緒に。

「師匠の文七元結胸に堪えたぜ、なあ政さん」

「ああ、やせ我慢はああでなくちゃいけねえ」

・・娘は女郎になっても死ぬ訳じゃねえ、我慢するさ。あんたはこの金が無きゃあ身ぃ投げて死ぬってんだろ、ええい持ってけ・・

(やせ我慢・・か)

 朝顔が愛しい。そりゃ生涯唯一の弟子だからだけど、女房でもあり娘でもあり・・ひょっとすると惚れちまったのかもしれない。

 朝顔は女房娘の骨壺と位牌に、今もご膳と水を供えてくれている。さつき、これから風邪だろうが指一本触れないから・・勘弁してくれ。そしてあいつに似合いの男が現れたら、喜んで嫁に出す。あの根性だ、女房稼業と噺家稼業の両方、立派にやっていくだろうよ。

(・・卓袱台返さなくて、よかった)

 左京が死んで六年、やっとまたできた、多分最後の飲み仲間だ。大事にしなくちゃ。  


Posted by 渋柿 at 21:20 | Comments(0)

2015年07月01日

鯰酔虎伝 19

「湯へ・・行ってくる」

「師匠ぉ」

「今日、休肝日だってんだろ。大丈夫だ。どこにも寄りゃしないよ」

「約束ですよ」

「ああ」

 石鹸手拭いの入ったビニール巾着を掴んで、立ち上がった。朝顔が【あの】日で、多分明後日まで銭湯に行けない事は判ってる。

 中央線沿線といっても、この辺りは武蔵野の春の風情がまだ残っている。あちこちに聳える欅の大木が、煙る様に芽吹いていた。

「師匠、今日は一人かい」

 がらがらの銭湯。ひとっ風呂浴びた体を拭いて、猿股履い
ていた肩を、ぽんと叩かれた。

 向かいと斜向かいの爺さん達だった。向かいの爺さんは絹や縮緬で三角の部品を作るつまみ細工の職人で、斜向かいはそれを花簪に仕上げる飾職だ。二人は組んで仕事をしている。着物を着る女がめっきり少なくなった今も、年金の足しの稼ぎをしているのは、お針のおりん婆さんと一緒だった。

「どうしたい、浮かない顔して」

 つまみ職人の政さんが、顔を覗き込む。

「ちょっと、な」

「今日は仕事ないんだろ、帰りにどうだい」

 飾職の久さんが、そらのお猪口を傾ける。

(休肝日なんだけど・・)

 知った事か。まっすぐ自分の部屋に入って、寝ちまえばいいんだ。俺の酒癖判ってて、懲りずに誘ってくれるてのが嬉しいじゃないか。

「女が親に逢ってくれって、そりゃ物騒だ」
 
 路地の縄暖簾。盃を手に久さんがいう。

「結婚してくれって事じゃねえか。まあ、碧ちゃんも二つ目だし、色恋解禁だからねえ」

「イジるんじゃねえ。あいつ惚れてたなあ俺じゃねえよ」
湯呑に酒を空け、ぐいと呷った。苦い。

「そいつに二度も弟子入り断られて、自棄のやん八、とち狂って俺んとこ来たんだとさ」

「そりゃ左京って、長楽亭京治の弟子だったってえ二枚目だろ」
 
 知ってるよ、碧ちゃん夢中だったから。若葉嵐ん中葬式にまで出かけてたねえ・・政さんが、お新香に箸を伸ばしながらいう。

「・・でも何で今頃、親に逢ってくれなんて、そんな話になったんだ?」
 
 もう六年も前だろ、あんたが碧ちゃんの部屋に転がり込んできたの、ちょっとお姐さん、冷奴三つに刺身、盛り合わせで、あとお銚子二本追加ね・・久さんが場を仕切る。

「来月落語会で、佐賀行くんでね、そのついで・・てだけさ」

「こりゃ師匠あれだぜ、碧ちゃんの父つぁんてのも落研だったんだな。で、噺家になりたかったんだけど、後輩に凄い奴がいて、とても敵わねえってんで諦めて田舎帰ったんだ」

 よしな、そんなつまんねえ作り話。

「その凄い奴ってのが左京さ。親もほんとは左京の弟子にしたかったんだよ、本人同様な」

 むかっと来た。

(師匠が俺じゃ、ダメだってのかよ!)

 左京の野郎、死んでまで俺振り回しやがって。俺だってなあ、一生懸命教えてきたんだよ!「大工調べ」の啖呵だって、「芝浜」の夫婦の演り方だって、俺が教えたんだ。

(それなのに手前達ぁ!)

 俺の身にもなってみろ、入れ込みの卓袱台に手が掛かった。いけね、もう悪い酒になっちまってる。何かと世話になってるご近所とまたぞろ喧嘩騒ぎなんか起こしたら、今度こそ朝顔から【逆破門】されちまう。

「ど田舎から来た小娘が入学式済むか済まねえうちに寄席通い、それも長楽亭左京一筋だろ・・そうでなきゃおかしいよ」

 堪えてるんだ、こっちの疵口抉ってる事、気付いてくれよな。  


Posted by 渋柿 at 16:20 | Comments(0)

2015年06月28日

鯰酔虎伝 18

 左京の骨拾ってべろべろんなって・・その日、夜の高座引き摺り降ろされたっけ。

 そうか、左京の遺言で、俺んとこ来たのか。具合が悪いのに、すぐに左京聞きたくて歩き回ったなあ・・無理もない。

「もう一度、聞こうか」

 コップに残る安酒を呷り、PLAYを押した。瀬戸際の命を輝かして逝った噺家の声が、四畳半に明るく響き渡る。




「師匠、師匠、連休しょっぱな、九州で会です。京蔵師匠と二人会、佐賀市文化会館」

 朝顔が、ノックもせずに入って来た。

「あたしも前座代わり、何か演れって」

 長楽亭京蔵、左京の兄弟子で今テレビでも売れてる奴だ。朝顔も入門六年目で、二つ目としてかなり香盤も上がってきている。

「何だと?先週羽幌ってとこへ行ったばかりだぜ。年寄りぃ日本中飛び回らせやがって」

「時代が、やっと師匠に追いついたんです。売れてるうちに売っとかないと」

「全く、師匠遣いの荒い弟子だぜ。都の老人無料パスで行けるとこだけにしろ」

「交通費、ちゃんと出ますってば」

 近頃はそうでしょ、宿も取って貰えます、何たって協賛今度も新聞社ですから・・朝顔は大乗り気だ。

 きっと左京ファンだろう、追悼CDの噺を、ネット動画にUPした物好きがいた。その中の「ガンバレ」が何とアクセス数十万の大評判となり、【本家ガンバレ】の鯰にまで人気が飛び火した。なんせ今でも「ガンバレの動画で長楽亭左京を知ってファンになりました。随分前に亡くなっていたと判ってびっくりしました」なんてファンレターが、協会気付でどっさり届いている。

 あいつはテレビ仕事なんぞ滅多に受けず、生の高座を大事にした。だから知る人ぞ知る幻の名手で終わっちまったんだが、インターネットの世界で復活するたあ皮肉なもんだ。

 そのお零れ、寄席の出番が急に増えた。去年は定席で十回もトリを取らせてもらったし、テレビにも何回も出た。売っ子真打の独演会や落語会に、共演で呼ばれることも増えた。地方公演の口も、次々掛かった。

(あの世に持ってける訳でもないのに・・)

 勝手に金も、入って来た。

 四畳半一間のアパートを、引っ越してはいない。ただ学生が卒業して空いていた部屋を、自分の寝室として借りた。フリーターの兄ちゃんが出ていった後、そこへテレビやパソコンを置き、朝顔と二人の居間にした。今じゃ三つの部屋に、エアコンもついてる。

 師匠、と朝顔は携帯を仕舞って座りなおす。

「父と母に、逢って下さい」

「えっ」

「伊万里から佐賀市まで、車で一時間ちょっとです。四月二九日、きっと来てくれます」

 本来なら朝顔を弟子にした時、きちんと挨拶しなけりゃならなかった。

「・・判った」

 気が重いが、逃げる訳にゃいかない。この六年、米味噌のお世話にもなり続けてる。  


Posted by 渋柿 at 17:42 | Comments(0)

2015年06月25日

 鯰酔虎伝17

「病気の事、ご存知だったそうですね」

「そうらしい・・実はあいつ、ずっと弟子を取りたがってたんだ」

「えっ」

「あいつが真打になった時、協会の前座、たった十人しかいなくなってた。このままじゃ落語が先細りするって、すぐにでも弟子を取りたいっていってた」

「でも・・」

「いや、入門した奴はいたんだ。でも、二か月もったなあ一人もいない。・・厳し過ぎたんだよ。あいつは天才だった。その上、人の何倍も努力した。同じ事要求されたら、弟子はそらあ、辛いよな」

 弟子は育てられなかったけど、ありゃきっとネタの形見分けだったんだろう、目瞑るまでの半年、若手にかなり稽古は付けていた。

「夕顔亭鯰んとこ行きなって・・」

 ごほごほ、辛そうに咳き込む。

「あの瓢箪鯰ならお前さんの夢、叶えてくれるかもしれないぜって・・左京さん、笑って」

「本当かい」

 ごほごほごほ、咳と一緒の頷き。

「悪い冗談・・だと思った」

 そりゃそうだろう。

 夕顔は夕顔でも手前、下野名物干瓢夕顔なんて気の利いたもんじゃねえ、喰ったら当たるこの毒瓢箪の瓢箪鯰野郎!とか・・香盤も齢もずっと下の癖に、酔っ払うとそんな事ぁお構いなしの野郎だった。

「左京さんはバリバリの古典原理主義。で、師匠はもう何十年、あんななあ落語じゃねえっていうガンバレばっか、寄席の鬼っ子・・」

 師匠捕まえて・・そこまでいうか。

「左京さんと、どんな関係だったんですか?」

「人目を忍ぶ仲、になりたかったんだけどな」

「ええっ!」

「馬鹿野郎、冗談だ」
 
 あの左京が、俺のお稚児になる玉かい。
 
 向こうは大学出のインテリで、こっちゃ十四で酒屋に奉公さ。噺家としては水と油だった。古典落語の完成度は完璧なんだ、何で圓幽に仕込まれた全て捨てちまったんだよ、そう何度も詰られた。そっちこそ黴の生えた【東京を江戸といってた時分】いつまで演ってるんだ、と怒鳴り返した。

(でも・・確かに男が、男に惚れてた)

 破天荒の京の輔の孫弟子のくせして、往年の三道楽圓幽を思わせる端正な噺だった。圓幽師匠みたいにどっか斜に構えてた、あいつの落語が好きだった。たぶんあいつも、師匠は圓幽なのに無茶苦茶な俺の落語を・・じゃなかったら俺の「ガンバレ」、あれほど見事に演れる訳ぁねえ。落語が心底好きな臍曲りってえ一点で、あいつと俺は、同志だった。

「・・すぐその後、でした。左京さんの死亡記事出たの。お焼香の列に並んで・・」  


Posted by 渋柿 at 17:46 | Comments(0)

2015年06月23日

鯰酔虎伝 16

 あのなあ、こんな時は【芸に】惚れたっていうんだ、【左京師匠の芸に】惚れたって。  

左京には熱烈な女性ファンも多かった。かみさん一筋朴念仁のあいつ、寄席でネタになる様な艶聞なんて何も起こさなかったけどさ。

「最初にお願いした時は、女に噺家は無理だぜってにべもなくて・・でも諦め切れませんでした。左京師匠が駄目でもって、色んな師匠に弟子入り志願しました」

 だけど三年かけても全部駄目・・諦めて田舎に帰ろうかって思ってた頃聞いたのが、扇亭の余一会の左京さんの鼠穴でした、という。

「あの、復帰第一声っていってた夢落ちかい」
 
 その年の四月下席でトリを勤めている最中、突然倒れ、声が出なくなった左京。数か月の入院の末やっと回復しましたと寄席に戻って来た時、すでに癌は末期の状態だったらしい。

「二月までは、定席に通しで出てらっしゃいました。・・もう一日おき、通い詰めました」

 木戸銭二千五百円、捻り出すなあ苦労したろうが、それだけの値打ちはあった。ありゃあ、燃え尽きる前の・・煌めきだったんだ。

「新年の帝立劇場の厩火事と二月の台東座浜野矩随、行きたかったけど・・」

 高過ぎたんだろ。あそこで独演会演れるのは、ごく限られたエリートだけだからなあ。

「ホール落語でたっぷり演るなあ・・あいつの真骨頂だった」

 贔屓や俺達見事に騙し通して、左京再起と大喜びさせやがった。

「三月のラジオ真打競演、猫の皿。お声が暗くてびっくりしましたけど・・お見事でした、情景描写とか。豊島の余一会で聞いた井戸の茶碗なんて、涙が止まらなかった」

 そう、あいつはその早過ぎる晩年、人情噺に神懸った凄味を見せていた。

「四月中席七日目です、京治師匠のトリ聞きに行ったら、プログラムに載ってない左京さんが中トリで・・」

「若手の・・代バネだったそうだな」

 それが、左京の最後の高座になっちまった。

 寄席は修行の場、噺家はその割り(出演料)だけで喰えず、特に土日は落語会や営業で稼ぐ。寄席の芝居は十日で一公演だが、その途中急病や儲け仕事で空いた穴を、同格の噺家が埋める。それが代バネともいう代演制度だ。

「六尺棒でした」

「知ってるよ」

 親父の京の輔にも負けない大看板の長楽亭京治が・・左京が心酔して師事した師匠が、兜脱いだ高座だったって事も、な。

「声は、今思えば暗くて低かった。でも能天気な馬鹿息子と大甘の頑固親父、抑揚だけで演じ分けてた」

「大甘の頑固親父、ねえ。あいつぁ親父さんの猛反対押し切って噺家んなったからなあ」

 最後のネタあれにしたのは、判る気がする。

「しまいに折れる父親の姿、泣けました。だから、また出待ちしました。お願いです、弟子にしてください、って」

 豊島演芸場は、都内四か所の落語定席の一つだが、一番の格下。客と芸人の出入り口は同じで、熱心なファンはそこで贔屓の芸人を待って祝儀を渡したりサインを貰ったりする。

「タクシーに乗るとこ、声かけました。左京師匠、私を覚えていて下さいました」

「そうかい」

「で、左京師匠みたいになりたい、この三年色んな師匠方に頭下げてたっていいました」
「それで?」

「左京師匠、暫く考えてらっしゃいました。で、溜息吐いて・・それだけ落語が好きなら弟子にしてやりたいのはやまやまだけど、無理なんだ、すまねえなって・・」

 四十五歳の若さで死ぬ、十日前だ。高座で力を使い果たし、立ってるのもやっとだったろう。車のドアに手をつき、肩で息をしながら苦笑している左京の姿が・・見える。


  


Posted by 渋柿 at 21:36 | Comments(0)

2015年06月16日

鯰酔虎伝 15

「左京さん、酔っ払ってますね」

「それもあいつの、計算さ」

 朗々たる声量。歌唱力も俺以上だ。

「結局この野郎がいい遺した言葉は・・笑っちゃいますけど、ガンバレ」 

 サゲに、万雷の拍手が続いている。

「これが、あいつの葬式でも・・流れたよ」

「聞いてました。外のテントで、でしたけど」

 そうか。葬式まで来たのか。あの若葉雨ん中、左京送ってたんだなぁ・・お前も。

「・・左京のかみさん、葬式でこれ流すって言った時は、大騒動だったんだぜ」

 今際に左京がそう言い残ったっていい張るんだ、勘違いってか聞き間違えだと思うんだがな・・鯰はまた、どぼどぼ焼酎を注いだ。

(どう考えったって・・あいつが、あれを手前の幕引きにする筈ねえんだ)

 死神枕元に、何考えてたんだろう。

「古典の名手だった左京の弔いだ、本格本寸法の古典の大ネタに決まってるだろって、師匠の長楽亭京治始め、周囲は猛反対よ」

 それも面白ぇじゃねえかっていったのは、俺くらいだ。

「でもかみさん、お言葉ですが師匠、うちの人は古典の名手なんかじゃあございません、憚りながら落語の、名手だったんですって啖呵ぁ切ったもんだから・・」

 師匠も兄弟弟子も、ぐうの音も出なかった。

「凄いおかみさんですね」

「ああ、凄ぇかみさんさ。左京の野郎、べた惚れしてやがった」

「・・そうですか」

「葬式じゃ拍手もなかった。シーンと静まり返って・・そりゃ皆固まって声も出なかったのさ。兎に角、素晴らしい・・惜しいってな」

 CD止めてください、と朝顔がいった。

「最初に入門志願したの、左京師匠でした」

「・・そうか」

 多分、そうじゃないかと思ってた。

「噺がテンポよく明るくって・・磨かれた江戸の粋でした。左京師匠に夢中になって・・左京師匠の様になりたいって思いました」

 でも結局俺の弟子ってのは、何なんだよ。俺はただの左京の身代わりか。・・仕方ないんだろうな。あいつは噺も様子も綺麗な、本寸法の噺家だったから。

 気付いてたよ朝顔、お前が決して俺みたいな噺家目指しちゃいないって事。圓幽仕込みの古典、必死で浚ってたよな。二つ目になっても稽古は古典ばかり、気儘がだいぶ許される立場になったって、新作落語演ろうともしなかった・・左京がそうだった様に、よ。

「惚れたんです、左京師匠に」 

 眼まで潤ませてやがる。  


Posted by 渋柿 at 21:24 | Comments(0)

2015年06月13日

鯰酔虎伝 14

「・・師匠、私のカバンに」

 昨日買ったCD入ってます、それ、掛けてくれませんかと朝顔がいった。これかい、色気のない黒いズダ袋から、紙包みを取り出す。

「おい、こりゃあ・・」

「ええ、左京師匠の追悼CDです」


「そうだ十二月二二日、昨日が発売日だった。

「豊島演芸場で買おうと思ったんです」
 
 四つの定席で一番格下の癖に客筋は通揃いで、噺家グッズの品揃えでも日本一。


「でも、稽古終わって行ったらもう売り切れで・・心当たり探し回りました」

「そうかい」
 
 長楽亭左京・・自分を客分にしてくれた京の輔の息子京治の弟子で、将来を嘱望されながら四年前に夭折した噺家だ。

「四軒回ってもなくて、五軒目でやっと見つけたんですけど、体おかしくなっちゃって」

 落語のCDの初版なんて三千、せいぜい五千くらいしか発売されない。左京は通には人気があった。入手困難なのは無理もない。

「掛けて・・下さい」

「判った」
 
 ラジオ付きのCDプレイヤーだけは、ある。

「頑張るなんてやめようよぅ、どうせ世の中変りゃしないんだから・・そう思いません?」

 明るい声が響きわたった。出囃子部分は初めからカットされた音源だったのだろうか。

「師匠が作ったネタですね」

「ああ、鯰まつりで・・演ってもらった」
 
「ガンバレ」・・師匠三道楽圓幽の逆鱗に触れて破門を喰らった、因縁のネタだ。
(七年前の十月・・だったよな)
 
 定席四つの寄席は年中無休、一月を十日ずつ上中下の三席に分けて興行している。当然、三十一日まである月は一日余る。そこでその日は余一会と称し、普段の寄席では演らないお遊びをする事になっていた。

 普通は若手が抜擢される。余一会を任されたのは、後にも先にもあの時だけだ。

「俺の持ちネタを純正古典派に物まねさせるてえ素っ頓狂思いついてな。左京とは飲み仲間、あいつも酔った勢いだったんだろう、引き受けてくれた」


 ほんとは「歌は世につれ」ってえ題だったんだ。でも学生運動経験したあいつ、歌は所詮世を変えないってゴネてなあ、強引にネタぁ「ガンバレ」と変えさせられちまった。

「物まねなんてもんじゃない。俺よりうまかった。・・客は俺のマニアックなファンばっかだ、比べてた。鯰が演ればただの奇天烈だけど、左京がやりゃ立派な落語だねってねえ」 
「・・見えます」
 
 左京が指を鳴らす。立ってステップを踏む。

「見えるだろ」

 歌って踊る音曲話。俺が高座で立ち上がって、師匠の堪忍袋の緒が切れちまったっていうのに、左京も立ち上がってくれた。
純正古典派が、技を尽くして演ってくれた俺の代表作。筋はそのまま、全く別の世界が繰り広げられる。  


Posted by 渋柿 at 08:46 | Comments(0)

2015年06月06日

鯰酔虎伝 13

 伝染っちゃ大変です、大家さんの所へというのを馬鹿野郎と一喝して、部屋に湯気を立ててすっかり着替えさせる。

(師弟といえば、な・・¬)

 親子も同然だ。朝顔は一瞬身を硬くしたが、お願いしますと小さな声でいった。任せとけ。今更、肌の香りなんかにびびるかよ。

 冷え込む夜が明けるまで、まんじりともせず朝顔の枕元で濡れタオルを替えた。

 さつき・・お前もこんな風に熱は高かった。お前だけでも助けたかった・・

 積もらなくって良かったねぇ、鍵の掛かっていないドアが開いて、婆さんが顔を出した。

「鯰さん、おはよう。碧ちゃん、どう?」

 朝顔の本名は藤田碧。婆さんと向かいの爺さん達は、朝顔をまだ碧ちゃんと呼んでいた。

「うん、まあ・・」
 
 今は、静かな寝息を立てている。

 洗濯物出てるんだろ、序でだ、出しなというのを謝絶して、重ね着の重装備、コインランドリーに向かった。

 乾燥機の中で絡みつつ回る、自分の猿股と朝顔のブラジャーを、暫くぼんやり見ていた。七十過ぎの爺と若い女のこんな暮らし、誰が見たって訳が判らないだろうな。

「すいません」

 乾いた洗濯物を抱えて部屋に戻ると、朝顔が薄く目を開けた。

「インフルエンザ甘く見ちゃいけねえぜ」

 俺はこれで、女房子失くしたんだ・・ちゃちな食器棚の上の位牌を見る。

 保険料滞納してて、健康保険使えなかった。どうせ風邪に特効薬はないんです、女房は熱で喘ぐ幼い娘にひたすら冷ました茶を飲ませ、徹夜で幾晩も看病し、自分も倒れちまった。切羽詰って往診を頼んだ医者は、二人とももう手遅れだといった・・

「汗かいたろう、拭いてやるよ」

 一番大きな鍋に湯を沸かした。寒い部屋に湯気がもうもうと立つ。

「師匠、伝染ります」

「俺は、そんなヤワじゃねえよ」

 女房子が罹っても・・何ともなかったんだ。

体を拭いている最中、携帯が鳴った。三道楽ひるね、寄席で時間配分その他を仕切る、豊島演芸場の立前座からだ。

「はい、夕顔亭」

 片手で、新しい肌着と寝間着を着せかける。

「鯰師匠ですか、ひるねです。えっ・・師匠、何してるんですか!」

 喘ぎと気配に、びびってやがる。

「馬鹿野郎、朝顔が着替えてるだけだよ。四畳半に二人で暮らしてるなあ、知ってるだろ」

「すいません・・朝顔姐さん、今日昼席のさらなのに、楽屋入りまだだったんで」

「すまなかった。インフルエンザみたいなんだ。他の奴にたっぷり演ってくれって、頼んでくれねえか」

 途中掻い摘んだりぶった切ったり、また情景描写やキャラクター設定付け足したり、都合に合わせて伸縮自在なのが落語だ。

「判りました・・お大事に」

 朝顔が寄席抜くのは、これが初めてだ。


 若いし、安静にしてれば治りますよ・・おりん婆さんのご注進で大家経由、往診に来た町医者は、薬の処方もしなかった。きっとこっちの懐事情を見たんだろう。夜になってから、朝顔は昨夜のすいとんを少し口にした。

 片付けをしながら、焼酎に手が伸びる。一杯二杯の三杯目、師匠、朝顔が睨んだが、昨日飲まなかったんだと振り切って呷った。

 ほっとしたんだ、飲ませてくれよ。  


Posted by 渋柿 at 18:13 | Comments(0)

2015年06月03日

鯰酔虎伝 12

 一緒の暮らしも四年を過ぎた、冬の夕暮れ。

(今夜くらいは、なあ)

 朝顔は無事、二つ目昇進を果たした。本当なら内弟子卒業、師匠の雑用からも解放されている筈である。

 四畳半の上り口の飯事みたいな台所に立つ。出汁を取り、牛蒡はささがき、特売の鳥皮だって千切りにして入れた。グズグズのいりこも捨てるなんて勿体ない。酒の肴に取っておく。後は朝顔が帰ってきたら、捏ねて寝かせといた小麦粉放り込んで晩飯だ。

(・・鬼の居ぬ間のしめた、ってねえ)

 流しの下の焼酎を盗み飲みしようとしたが、何だよ、空っぽと来てる。

 朝顔が出かけたのは午前中だった。稽古ったって、もう時計は午後八時を回ってる。いい加減帰って来てもいい頃だ。

 ガタガタ、窓に北風が当たる。今夜は雪になるかもしれない。

 二つ目になれば、自分の師匠以外の真打にも直接噺の稽古を頼める。受ける受けないは教える側の自由、ただし無償である。稽古のあとその真打の前で演じて、よしといわれれば自分の持ちネタとして高座に掛けられる。噺は落語界共有の財産、真打達もこうやって先輩から噺を伝えられてきたのだ。

 この四年で、朝顔の持ちネタは百を越えた。

(煮詰まっちまうぜ)

 他に火の気はない。すぐに温かいのを食べさせたくて、何度もガスを付けては消した。

 雑司ケ谷に住む三道楽圓杖は圓幽門下の弟弟子だ。以前朝顔に入門志願されたこともあり、日頃から目をかけてくれている。こんな寒い季節、遅くまで引き留めるとも思えない。

 ごほんごほん、やけに咳込む音と共にドアが開き・・何だよ、焼酎って。五リットルのペットボトル抱えたまま、朝顔が倒れ込んだ。

「おい、大丈夫か」

「師匠、切れてたんで買ってきました」

 真っ青な顔して、何を太平楽いってやがる。

「どうしたんだ」

「大家さんのとこ、泊めて貰ってください」

 インフルエンザみたい、ごほっ・・また激しく咳き込む。

 手を当てると、火の様に熱い。

「兎に角、寝ろ」

 布団を敷いて朝顔を寝かせ、ちょっと待ってろと立ち上がった。

 隣のおりん婆さんは年金暮らしだがお針でも稼いでいて、朝顔も学生時代から和裁や洗い張りの手解きして貰っていた。お蔭で手入れに金をかけずに済んでいる。秋の夜長なんてお向かい斜向かいの爺さん誘ったりして部屋に上がり込み、二席も三席も聞いてく間柄だ。事情を話すと、葛根湯を分けてくれた。  


Posted by 渋柿 at 17:12 | Comments(0)

2015年05月30日

鯰酔虎伝 11

(それでも焼酎は一日二杯まで、週二日は休肝日・・ってのはなあ)

 手綱ぁ握って、何が何でも長生きさせる気だった。体が心配てのならてやんでえと居直れるが、好きに飲むにゃ師匠、稼ぎが足りませんといわれれたんじゃ、仕方がない。

 朝顔が鯰門下前座として定席の楽屋入りしたのは、入門二か月後。日給は千円。月に三万円は貴重な現金収入だが、仕事はきつい。楽屋入りしてからは、朝顔も早寝になった。  
 熟睡を見澄まして夜中、盗み酒。だが、透明ペットボトルじゃ減り具合で大概バレる。

(今度やったら破門だぁ?馬鹿野郎!)

 居候ってのは情けない。全くどこの世界に、師匠破門する弟子がいるってんだ。
 出番が、待ち遠しかった。寄席や落語会では打ちあげが付き物、ただ酒が死ぬほど飲める。同席の師匠連の手前、朝顔も四の五のいえない。弟子の分際で師匠に逆らうのかと、ここぞとばかり居直った。思う存分飲んでは、寄席関係者でも他の客でも見境なく絡み倒した。酔客に土下座で謝り、酔払いを担いで帰るのが、朝顔のお決まりの役目だった。

 酔って散財、挙句の螻蛄、おもやいにしてる一張羅まで質に曲げて、忘れちまったと二人楽屋で白ばくれた事もある。仲間お情けの借着は、丈が余ってお引き摺り。そんな格好で高座に上がりゃ、ご祝儀渡そうって奇特な客も出てくるのが有難い。

(最初にいったぜ、俺ぁ最低の男だって。それ捕まえて何だ、湯なんかも仕切りやがって)

 湯銭は四百五十円。コップ酒なら二本買っても釣りが来るってのに、芸人は身綺麗にと二日に一度は銭湯へ引っ張っていかれた。

(それが縁で、今まで喰えてきたんだけど)

 若い娘と爺さん、連れだっての銭湯通いが目を引いたのか、銭湯の主に店休日、ここで落語を演らないかと持ちかけられた。高座は番台、男女の脱衣所が客席。木戸五百円でそこそこ客が入った。

 それが蕎麦屋・居酒屋・寿司屋・おでん屋と広がり、商店街・商売仲間つながりで中央線沿線、ほぼ毎週ミニ落語会が持てた。

 朝顔の、お蔭・・認めたくないが、仕方がない。女弟子がブレーキかけてるとなりゃあ、あの酒癖も何とかなるという訳か・・今まで二の足を踏んでた後輩達も落語会の共演に呼んでくれる様になってきた。

 今日は夕顔寄席発祥の、西荻の天徳湯での落語会。

(今夜もガンバレ、演ってやろうじゃねえか)

 世間は新作落語を軽く見てるけどな、その気になりゃあ圓幽仕込みの古典落語で大トリだって取れる芸で、歌って踊ってるんだ。師匠から破門されたって捨てなかった。たとえ客が飽きたって、俺ぁまだこの噺に飽きちゃいねえ。まあ俺の代わりに、朝顔がまたネタ下しの古典でご機嫌を伺うんだろうけどさ。  


Posted by 渋柿 at 18:33 | Comments(0)

2015年05月21日

鯰酔虎伝 10

「ししょうてえ字、師の匠って書きますけど、うちのはどうも、支える障りの方のらしくて」
 
 朝顔のまくらが続いている。

「名前がいけませんねえ、鯰、鯰ですよ。この瓢箪鯰、二日酔いでのびて蠢いてるとこなんか、こりゃほんとに鯰です。名は体を現すとはよくいった」

(様になってきやがった)

 声が落ち着き、キーの高さも気にならない。

「まあ、名前ってのは大事なもんで、子が生まれるってえと、親ぁいい名前付ようと一生懸命になるのは、人情でございましょう」

 ここでやっと長生きする様親が子にとんでもなく長い名を付けた噺、「寿限無」に入る。
 
 今夜は天徳湯か・・鯰は手帳を開き、日銭稼ぎの予定を確認した。



 東京落語には、前座・二つ目・真打の階級がある。一人前に扱われて羽織が許されるのは二つ目から、前座の間は副業も禁止だ。朝顔も、バイトを辞めた。普通、師匠が前座の飯と小遣いくらいの面倒は見るのだが、鯰にそんな甲斐性はない。基本個人事業主、敬老会でも学校寄席でも余興でも、仕事が取れなきゃ一銭も稼げないのが噺家だ。

 家賃食費とその上俺の飲み代・・朝顔の貯えだけでは暮らせず、持ってきた箪笥着物から朝顔の冷蔵庫やパソコンまで叩き売った。

 朝顔は、確かに根性を据えていた。すいとんなんて戦中戦後の代用食。この齢になってまた喰うとは思わなかった。いりこのある間はいりこ出汁、なけりゃ味噌だけ、それもなくなりゃ塩汁に屑野菜を少し。煮えたぎった所に、水で捏ねた小麦粉を放り込む。

「小麦粉は安いし。水で増えますからねえ」

 田舎じゃだご汁とかいって、今でも普通に定番ですという。もっともそれは、ふんだんに肉や野菜が入ったものだそうだが。

 金はないが暇はある。前座仕事を叩き込んだ。畳んだ布団で、寄席の鳴物も教えた。夜は梅干し肴に、ペットボトルで買った安焼酎で芸を語る。三道楽圓幽に入門した昭和二十年代、テレビ創成期、円幽と京の輔が築いた落語黄金時代。いい機嫌で、圓幽仕込みの古典の稽古も付けてやった。  


Posted by 渋柿 at 18:47 | Comments(0)

2015年05月19日

鯰酔虎伝 9

 居候は、辛い。結局朝顔の部屋で、荷物の畳紙を開く羽目になった。

「前座の楽屋仕事はまず師匠方の着替えの手伝いと着物畳みだ、覚えとくんだぜ」

 足袋も前座に履かせる奴もいるからな、気を付けるんだ、立っちゃいけない、膝をついて、ほれ襦袢、細帯、そう前を合せて、帯だよ、その博多の献上の、羽織、そうだ、紐はそう緩くな・・妙に着付けに慣れてやがる。

「師匠、ガンバレですか?」

 「ガンバレ」は立って踊り歌い倒す、鯰看板の新作落語。今は殆どこれしか演らない。

「馬鹿野郎、文七元結だ」

「ええ、文七元結・・」

 驚いてやがる。まあ、本格で演ったら一時間を超す、古典落語の最高峰だからな。

「このアパート、長いんだろ」

「はい、大学入ってから、ずっと」

「随分可愛がられたんだろうな、大家さんに」

「お父さんが、伊万里の生まれなんです。東京に出てお巡りさんになってこのアパート建てて、それ息子さんが引き継いで・・」

「そりゃなおの事、お前が変な爺さん連れ込んだんだ、気が気じゃないだろうよ」
 
 心配するな、三道楽圓幽仕込みの人情噺、たっぷり本格本寸法で聞かせてやらあ。

「俺を誰だと思ってるんだ」

「は?」

「天下の夕顔亭鯰だぞ」

「知ってます、落研の頃から」

(・・そりゃ、メモにゃあなかったぜ)

 あの落研てえとこの二十何年、真打輩出してるとこじゃねえか。こちとら都の西北卒ってだけでびびってたのによ。道理で着物慣れしてて、流行らない怪談噺まで知ってる訳だ。圓幽京の輔も呼び捨て、俺の芸値踏みまでしやがって・・生意気な筈だぜ。

 爺さんが二人、婆さんが一人、あとはとても勤め人とは思えない髪の長い兄ちゃんと、眼鏡の学生、それに大家夫婦・・判じもんの様な客を前にして、「文七元結」を演った。
 
 なあに、大ネタの人情噺ったって煎じ詰めりゃあ江戸っ子のやせ我慢・・くすぐりにはちゃんと笑い、世話場にしんみりし、最後に七人の客は目いっぱい拍手をしてくれた。

 あれから、野垂れ死なず家賃も溜めず二年。  


Posted by 渋柿 at 18:15 | Comments(0)

2015年05月13日

鯰酔虎伝 8

「子供の頃テレビで見たよ。落語てえのに歌ってばかりだったねえ」

 てやんでえ、落語ってのは臍の曲がった野郎が、世の中斜に眺めて演るもんだ。古典落語にだって「片棒」に「野ざらし」、歌って踊る噺はあらあ。俺の一寸ばかし当世風の音曲噺も一頃は大受けして、テレビ局掛け持ちで大変だったんだぞ。師匠より売れてた時期だってあったんだ。面白い様に稼げて、所帯も持てた。ちいと酒でプロデューサーとかに絡んで、全部降ろされちまったけど。

「まだ生きてたのかい」

 まあ、売れるのも早かった分、落ちるのも早かった。挙句寄席で立ち上がって踊って、圓幽門下破門だとよ。

「あの京の輔と並ぶ、御前で落語まで演った圓幽の弟子が、ねえ・・落ちぶれたもんだ」

 師匠が上手過ぎたから、臍曲りの弟子は道逸れちまったんだよ。

 破天荒の京の輔、本格端正の圓幽。昭和三十・四十年代、名人の双璧、長楽亭京の輔と三道楽圓幽は落語の黄金時代を築き上げた。

 破門したのは圓幽で、客分に引き取ってくれたのが京の輔。成行き、昭和の二大名人両方師匠に持つ事になっちまった。当て付けかって随分騒がれた。引き取り手もなかったから、京の輔が太っ腹見せただけなのによ。

(無茶な奴にゃあ京の輔の方が向いてる、か)

 それはその通りだったけど・・古典至上、それが神様みてえに上手かった圓幽師匠の事、俺は破門されたって好きだったんだ。尖がって他人も手前も傷付けてたとこなんか、俺と似てたしよ。

 芸は確かに圓幽の方がずっと上だったけど、人気じゃ上野動物園のパンダにも負けちまった。同じ日に死んだのに、新聞の扱いパンダより小さかったのは、悔しかったなぁ。

「じゃ、まずは一席やって貰おうか」

「こちらで・・ですか」

「ああ、こんな家だけど六畳四畳半の続き座敷はあらあな。裏の連中呼んどくから、今夜八時、落語会やっとくれ」 

 師匠、引っ越し蕎麦代わりですよ、朝顔が脇から囁く。馬鹿にしやがって。噺家稼業、ちゃんとひと様のお足を頂ける俺の芸を、葉書か何かと間違えてやがる。  


Posted by 渋柿 at 12:27 | Comments(0)

2015年05月12日

鯰酔虎伝 7

「皆さん、ペット飼ってらっしゃいますか?」

 開口一番高座に上がった朝顔の声が、楽屋のスピーカーから流れてくる。

「ワンちゃんもニャンコちゃんも、可愛いですねえ。近頃犬猫OKのアパートも増えて、ペットと暮らしてる方も結構いらっしゃるんじゃないですか」

 さっき袖から覗いたが、平日の昼席、前座三人で客引きをしても、十人に満たない。豊島演芸場の入りは、相変わらず悪かった。

「あたしもペットていうか、師匠を一匹、うちで飼っておりまして」

 ずぶ、げほ。隣で一息入れていた二つ目が、茶に噎せた。

「この師匠、鯰ちゃんっていうんです。・・これが又、酒癖が悪くってねえ」

 師匠、朝顔またあんな事いってますよ・・二つ目が鯰に囁く。前座はきっちり教えられた通りに演るのが原則だが居候も二年、とっくに師弟の力関係は逆転している。

 いいんだよ、俺はほんとにあいつの居候だから・・鯰は苦笑した。

「店立て喰らって弟子んとこへ転がり込んだ事ぁ、こっちもまくらで喋ってる」

「ネタなんしょ?違うんですか」

「ネタでも洒落でもねえよ。正真正銘毎晩、枕並べて寝てらあ」

「ええっ」

 芸能界の他のジャンルなら、スキャンダルにも問題にもなっただろう。この世界だって、眉顰めてる奴は多い。でも協会は内弟子制度を認め、併せて女性にも門戸を開いている。どこでどんな風に内弟子取ろうと真打の勝手、文句をいわれる筋合いはねえ。

「馬鹿野郎、妙な気ぃ回すな」

 朝顔は酒莨色恋ご法度の前座の身だ。一応男帯の古いので、ちゃんと垣根は引いてる。

「押入れまでごちゃごちゃで・・仕方なかったんだよ!」

 風呂トイレもないっていうから予想はしていたが、高座の着物と女房子の位牌骨壺持って転がり込んだとこは、大分時代が付いていた。通りに面した大家の二階家の裏の木造平屋、部屋は六つで廊下も軋む・・そりゃもうアパートていうより、まんま裏長屋だ。

 私が入門した師匠です。一緒に暮らす事になりました、と朝顔は大家に引き合わせた。

「このお爺ちゃんと・・同棲?」

 そりゃ当然だろうが、大家は呆れ返った。

「同棲って・・私が師匠に入門して、内弟子になったんです。で、その師匠が今まで借りてた家、家主さんが取り壊してマンション建てる事になって、行くとこなくなっちゃって」

「ふうん・・お爺ちゃん、あんた名前は?」
「・・夕顔亭鯰」

「夕顔亭・・鯰・・ねえ」

 大家は暫く考えていた。

「あんた、ひょっとして、三道楽圓幽の弟子だった、三道楽幽鈴じゃねえかい」

「よくご存知で」
 
 四十年前の、名前だ。  


Posted by 渋柿 at 12:42 | Comments(0)

2015年05月11日

鯰酔虎伝 6

「えっ?」

「高座名を付けて下さい」

「あんた・・」

「内弟子だろうと内師匠だろうと・・上等です。大家さんとは話を付けますから、噺家として私に名前を付けて下さい師匠」

「朝顔!」

 もう、自棄のやん八だ。

「朝顔、ですか」

「夕顔亭鯰の弟子朝顔・・これでいいんだろ」

 くたばる前に二つ目まで育てりゃあ、奇特な奴が引き取ってくれるかもしれない。誰も弟子にしてくれないってんだから、こいつも内心、その辺が落とし所と踏んでるんだろう。

「ありがとうございます。これから大家さんと話します。師匠の準備ができたら、メモの連絡先へ・・ご一報、お願いします」

「判ったよ」

「協会の事務局にも連絡先の変更、届けといて下さい。私の携帯番号で・・いいですか」

「それっきゃないよ」

 四畳半は狭い。ええこうなりゃもう迷惑の最後っ屁だ、電話も何も一切合財、溜めた店賃代わりに家主に引き取ってもらおう。

「・・お参りさせて下さい」

「えっ」

「おかみさんですね」

 隅っこの、ちっちゃな置き仏壇を見ている。

(さつき・・)

 所帯持って、娘授かって・・お前達のお骨守ってきたこの家とも、これでお別れだな。  


Posted by 渋柿 at 17:04 | Comments(0)

2015年05月08日

鯰酔虎伝 5

「兎に角、他を当たってくれ」

「・・昨日の首屋・・よかったです」

「代バネだけどな。昨日の寄席、来てたのか」

「師匠の古典、初めて聞きました」

「気まぐれだよ」
 
 「首屋」は短い噺で、代演にちょうどいい。

「古典の人情噺も圓幽譲り、きちんとおできになるんですね。安心しました」

 さらっといってくれるぜ、失礼千万な事を。

「ほんとによかったです。自分の首売り歩くまで追い詰められた虚無っていうか男の自暴自棄も、それ引き摺り戻す女房の情も」

 師匠から習った「首屋」にゃあ、女房との世話場はなかった。俺が付け足したんだ。

「お願いです、弟子にして下さい。あっこれ、忘れてました。私の略歴です」

 履歴書めいたメモまで突きつける。おお、凄ぇ大学出てるじゃねえか。

「弱ったね・・どうも」

 俺ぁ七十五だぜ。それに弟子どころか、手前一人喰うのもままならないんだ。

「年寄りの一人暮らしだ、内弟子でもいいってなら・・そりゃちいと考えるけどな」

 こういやぁ、いくら何でも諦める。

「え・・勿論です。炊事も洗濯も掃除も、任せてください」

 そう、来たか。

「ところで俺、今、店立て喰っててね」

「店立て?」

「この家ぁ古い贔屓の持ち家だったんだけどね、先月亡くなって・・跡継いだ息子さんが出ていってくれって。この家潰してマンション建てるんだとさ。まあ一年家賃を溜めたのも悪いんだけど、宿無しになっちまうんだ」

 追い立て喰ってるってのは、嘘じゃない。

 オンボロ借家。終の棲家って思ってたけど、そういう訳にもいかなかった。まあ天涯孤独だし、いざとなりゃあ野垂れ死によ。今ぁあんまり聞かねえけど、昭和の二十年代までは、噺家の野垂れ死になんて珍しくもなかった。

「・・あんた、どこに住んでる?」

「西荻窪の・・アパートです。四畳半一間、お風呂はなくて、トイレは共用・・」

「そこに置いて貰えねえかな」
 
 どこの世界に、弟子に居候する師匠がいる。
 
 女は、暫く黙っていた。呆れたんだろうか、唇を噛んで拳を握りしめている。

 名前を、と女は挑むような目を向けた。  


Posted by 渋柿 at 17:40 | Comments(0)

2015年04月30日

鯰酔虎伝 4

「三十六人たあ又、荒木又右衛門だね」

「はっきり女だから、といった師匠もありました。噺家に向いてないともいわれました。兎に角中堅・若手・大看板、軒並み頭下げては断られて・・三年です」

「あんた、仕事は?」
「ドラッグストアのレジ・・パートです」

「まともな就職は、してねえんだな」

 よくまあ田舎の親御さんに連れ戻されなかったなあというと、父はお前にゃあお前の人生があるんだし、人に迷惑だけ掛けなきゃ好きにしろといってくれてます、と答える。

「出来た親御さんだけど・・」

 出来過ぎてる。少し冷たいんじゃないか。ひっぱたいてでもしょうもない夢諦めさせるのが、本当の親心っていうもんだろ。

 随分東京で暮らしてるんだろうに、田舎のアクセントが抜けてない。江戸前の噺を演るにゃ相当な訓練が必要だろう。声のキーも高過ぎる。耳障りだし、男だって声が高いと登場人物の演じ分けに苦労する。

(それに、華もふらも・・なあ)

 高座で客を引き付ける魅力も、アピールする個性も、とてもある様には見えない。

「あんた、それだけ落語が好きなら・・」

「はい」

「いっそ噺家のかみさんになっちゃどうだい。心当たり、幾つもあるぜ」

 そりゃ苦労もするが、毎日毎晩、木戸銭払わねえで噺だきゃあ聞ける。酒浸りの俺だって、稽古だけは欠かさなかった。あいつも内職の手ぇ動かしながら、楽しそうに聞いてたっけ。米味噌手土産に入門志願に来る程だ、噺家の暮らしは充分承知してるだろうし、旨い朝飯の礼に仲人の真似事をしてもいい。

「なりたいのは女房じゃなくて、噺家です」
 
 土台選ぶ権利ってのがあるでしょう、どっちにも・・そう見据えられ、たじたじとなる。  


Posted by 渋柿 at 14:58 | Comments(0)