2015年04月25日

鯰酔虎伝 1

「あんまりいい世間でも・・なかったなぁ」

 ちょっと待っておくんなさい、最期の見納めだ・・屋敷の門から娑婆を見る。

 何やっても甲斐性なし。金の無いのは首の無いのと同じってねえ。いっそ売っ払っちまおう。首代は七両二分、そう、間男堪忍と同じさ。刀の試し斬り?上等だ。すぱっと遣ってくんな、但し、お代は前金だ。

「お前さん」女房の声がする。

「お前さん、御飯だよ、お前さんってば」

 うるせい、商売の邪魔だ。

 味噌の香。お前さん、女房が頭を揺すった。

(うわっ)

 痛い。夢・・か。薄く、眼を開けた。くすんだ天井に壁の、ここは間違いなく俺の家、感心に・・ちゃんと帰ってはきてる。

 「大丈夫ですか、師匠」

 何だい他人行儀な、お前さんと呼べよ。

 「もう、十時過ぎましたよ」

 ここにまだ・・未練か。来週には出てかなくちゃならない。お前も夢に出張って味噌汁の一つ、作りたくなるのも無理ねえな。

「今日は寄席、ないんですか?」
 
 ねえよ、あるわけねえだろ。

「明日も?」
「ああ」

「明後日も?」
「九月の中席まで、空いてらあ」

 枕元をごそごそ、老眼鏡を探る。どうも女房のさつきじゃあねえ様だ。

「随分召し上がってたんで、お粥にしました」

 Gパンに薄緑のTシャッ、こいつぁ誰なんだ。万年床から起き上がったが・・判らない。

 卓袱台なんて気の利いた物はない。味噌汁に白粥の盆は、畳にじか置き。ゆんべの酒で荒れている筈の胃の腑が、きゅっと鳴いた。あんた誰?と訊くのは後回しにして箸を取る。

「こいつぁ、まるで茗荷の宿だねぇ」

 初夏のこの季節、宿屋の主が金目当てに物忘れさせようと茗荷責め。が、客が忘れたのは宿賃払いだった、というのがオチの噺だ。

「庭に生えてた茗荷とか、使いました」

 それでか・・味噌汁の実もお浸しも茗荷、それに三つ葉。懐かしい香りがする訳だ。

 汁を、一口啜る。

「こりゃ・・煮干しの出汁かい?」

 鰹節や昆布じゃない。勿論旨味調味料でも。

「いりこ、です。・・煮干しの事、うちの田舎じゃそう呼ぶんです。肥前松浦のいりこ」
 
 お粥、茗荷、煮干し・・アクセントが微妙に違うのは、そういう訳か。

「松浦てえと、平戸?あの本所七不思議の」

 怪談噺くらいしか、思い浮かばない。

「いえ、上屋敷落葉なしの椎の平戸新田は、長崎県。うちその割と近くなんですけど境越えてて・・肥前佐賀の伊万里です」



Posted by 渋柿 at 15:24 | Comments(0)
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