2015年06月03日

鯰酔虎伝 12

 一緒の暮らしも四年を過ぎた、冬の夕暮れ。

(今夜くらいは、なあ)

 朝顔は無事、二つ目昇進を果たした。本当なら内弟子卒業、師匠の雑用からも解放されている筈である。

 四畳半の上り口の飯事みたいな台所に立つ。出汁を取り、牛蒡はささがき、特売の鳥皮だって千切りにして入れた。グズグズのいりこも捨てるなんて勿体ない。酒の肴に取っておく。後は朝顔が帰ってきたら、捏ねて寝かせといた小麦粉放り込んで晩飯だ。

(・・鬼の居ぬ間のしめた、ってねえ)

 流しの下の焼酎を盗み飲みしようとしたが、何だよ、空っぽと来てる。

 朝顔が出かけたのは午前中だった。稽古ったって、もう時計は午後八時を回ってる。いい加減帰って来てもいい頃だ。

 ガタガタ、窓に北風が当たる。今夜は雪になるかもしれない。

 二つ目になれば、自分の師匠以外の真打にも直接噺の稽古を頼める。受ける受けないは教える側の自由、ただし無償である。稽古のあとその真打の前で演じて、よしといわれれば自分の持ちネタとして高座に掛けられる。噺は落語界共有の財産、真打達もこうやって先輩から噺を伝えられてきたのだ。

 この四年で、朝顔の持ちネタは百を越えた。

(煮詰まっちまうぜ)

 他に火の気はない。すぐに温かいのを食べさせたくて、何度もガスを付けては消した。

 雑司ケ谷に住む三道楽圓杖は圓幽門下の弟弟子だ。以前朝顔に入門志願されたこともあり、日頃から目をかけてくれている。こんな寒い季節、遅くまで引き留めるとも思えない。

 ごほんごほん、やけに咳込む音と共にドアが開き・・何だよ、焼酎って。五リットルのペットボトル抱えたまま、朝顔が倒れ込んだ。

「おい、大丈夫か」

「師匠、切れてたんで買ってきました」

 真っ青な顔して、何を太平楽いってやがる。

「どうしたんだ」

「大家さんのとこ、泊めて貰ってください」

 インフルエンザみたい、ごほっ・・また激しく咳き込む。

 手を当てると、火の様に熱い。

「兎に角、寝ろ」

 布団を敷いて朝顔を寝かせ、ちょっと待ってろと立ち上がった。

 隣のおりん婆さんは年金暮らしだがお針でも稼いでいて、朝顔も学生時代から和裁や洗い張りの手解きして貰っていた。お蔭で手入れに金をかけずに済んでいる。秋の夜長なんてお向かい斜向かいの爺さん誘ったりして部屋に上がり込み、二席も三席も聞いてく間柄だ。事情を話すと、葛根湯を分けてくれた。



Posted by 渋柿 at 17:12 | Comments(0)
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