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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2009年12月27日

「続伏見桃片伊万里」3

 この時代、感染症はまだどうしても潜らねばならぬ関門であった。
 しばしば命にかかわる病、いまから寒さに向う時期、罹らぬならそれに越した事はない。
「熱は風邪からじゃな。この年頃にはよう疱瘡と間違う。わきの下や膝裏のこの発赤(発疹)・・これがあったから間違うたのじゃろうがの、これもこの年頃によくあることで、湿疹というて、これができやすい子は喘息になりやすい。風邪も引きやすいのじゃが・・まあとりあえず心配は無用じゃ」
「おおきに、ありがとうさんで」
「風邪の薬は後ほど―草川町、ご存知かな?取りに来られるかの」
「お店の者が様子を見に来はることになったります。―頼みます」
「暖かくして寝かせておくことじゃな」
「そういたします」
 突然、隣室から赤子の泣声がした。
 母親ははっと立つ。
「下の子がおられたか」
「生まれて五つ月になります」
「まことに、疱瘡でなくて良かったの。うつったら大事になるところじゃ」
「ほんまにありがとさんどした」
 ここまではよかった。そのあと―圭吾が手をすすいだ盥を下げたあとである―母親は大振りの筒茶碗を捧げてきた。
 無論、茶と思った。
 だが、その芳香の質は、全く違っていた。
「これは」
「三十六峰どす」
「三十六峰?」
「東山三十六峰・・伏見の銘酒の名ぁどすがな。播磨屋のだんさんのお気に入りどす。どうぞ、やっとくれやす」
「酒ぇ」
 驚いた。
 堀圭吾二十五歳、医学に志してから十年近く、往診で酒を勧められるなど聞いた事もなかった。
 全く、困った。
 赤子が、さらに激しく泣いた。
「下のお子が、それ。行ってあげなされ。駕籠もまだ待っていようでな、では」
「あの、これを」
 母親は帯の間から、用意していたらしい奉書紙の包みを圭吾に手渡した。
 薬礼である。
 ずっしりとした手応えがあった。
(・・小判)
 それも一枚ではない。
 多すぎるといおうとして、柔らかく、が抗い難く遮られた。
「ほんまに、ありがとさんどした。あ、いえ、恥ずかしいことしたら、うちが播磨屋のだんさんにしかられますぅ。どうか」
「では、有難く頂戴する」
  


Posted by 渋柿 at 17:13 | Comments(0)