2008年08月25日
大里八幡
伊万里市二里町大里の鎮守・神之原神社(通称大里八幡)。参道を辿ればまず、ケヤキの大木が六本見事な樹形を見せ、境内には、クスノキ、アラカシなどが神社の景観を作っています。
中でも木口(きくち)池と呼ばれる水辺のウラジロガシは、樹齢二百年の大樹です。
大木群だけに何度も落雷があり「氏子の災厄を引き受けらす」と子どもの頃聞きました。
木口池に掛かる橋を渡ったところには、初代日本商工会議所会頭を務めた郷土出身の実業家、藤山雷太の銅像(長崎・平和祈念像の北村西望の作)が建っています。
雷太は旧暦文久三年八月一日(新暦九月十三日)八幡神社の秋祭りの日に生まれました。そのとき家(現大里公民館)のセンダンの木に落雷があり、「雷太」と命名されたといわれています。現在でも、「秋祭り」は九月中旬に行われており、何年に一度かは秋の嵐に遭遇するそうです。

また、師走の最初の卯の日には、「取り追う祭り」が行われます。南北朝時代、南朝の武将・菊池武重が負傷の身を忍ばせ、姓を武重と変えて、八幡神社の宮司となったという伝説があります。木口池の名はそれに由来するといわれ、一族の再起を図るため、武重が行った火中訓練が、この「取り追う祭り」の起源だといわれています。
松明のもと、若衆がこわ飯を取り合う勇壮な祭りは、現在まで受け継がれています。
八幡様の宮司は、昭和四十七年頃まで武重家の世襲でした。現在では神事の際には市内東山代町の青幡神社か、有田町の陶山神社から神職を招いているそうです。
Posted by 渋柿 at 17:13 | Comments(4)