2008年09月02日
楠久はKUSUKU
「楠久は城(クスク)なんですよ。(古代朝鮮)伽耶語の『KU―SUKU』は『大きな城』という意味ですし、沖縄では『城』を『ぐす』と読みます。楠久の地は、条里制の時代には測量起点の壱ノ寺や、長崎警護、明治維新の推進力となった鍋島水軍の活躍し事跡等、史跡の宝庫です」伊万里市山代町楠久。日本が各国と通商修好条約を締結し開国するずっと以前から、佐賀藩は伊万里湾岸を拠点に、伊万里焼・石炭・白蝋などをオランダインド会社へ輸出していたそうです。
「アヘン戦争の時も、石炭をイギリスに売っていました」とうかがってびっくりしました。 西に国見山脈を望み、瀬戸町と山代町をつなぐ伊万里湾大橋の上で青い空と海を見ながら、楠久本光寺ご住職、小島宗光さんのご説明を頂きました。本紙連載をまとめた「禅語入門」を上梓された和尚さんで、郷土史にも詳しく、以前から教えをうけています。
ご住職は現在、この伊万里湾史跡「鍋島水軍邨」と「壱の寺」を復興し、有益な顕彰を果す活動を始められています。
「アヘン戦争の時も、石炭をイギリスに売っていました」とうかがってびっくりしました。 西に国見山脈を望み、瀬戸町と山代町をつなぐ伊万里湾大橋の上で青い空と海を見ながら、楠久本光寺ご住職、小島宗光さんのご説明を頂きました。本紙連載をまとめた「禅語入門」を上梓された和尚さんで、郷土史にも詳しく、以前から教えをうけています。
ご住職は現在、この伊万里湾史跡「鍋島水軍邨」と「壱の寺」を復興し、有益な顕彰を果す活動を始められています。
Posted by 渋柿 at 17:04 | Comments(0)