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Posted by さがファンブログ事務局 at 

2013年12月31日

初夏の落葉4

 うちの人とやって下さい、女房のあかねはコップ酒を二つ差し出した。

「こいつもこれが好きでしたね」

 鯰が目を細めた。それで大騒動も起こしましたよ、師匠が苦笑いする。

「それをいっちゃあ、あたしなんか地面に穴掘って隠れにゃなりませんよ」

 酒癖の悪さで有名な年寄りは頭を搔いた。

(真打昇進の事か)

 十年前の真打昇進試験では、日の出の勢いの二つ目左京、合格間違いなしといわれていた。自分でもそう思っていた。そ
して前祝いと兄弟子達に、明け方まで飲まされた。いや、人の所為にしちゃあいけない。断るか、適当に付き合って、明日がありますんでと切り上げる事はできたのだ。

 結局試験に遅刻し、噺の出来は散々だった。全く問題外といわれていた二十一歳の桂家道丸が、兄弟子と二人まさかの合格。父も祖父も大看板だったから、力不足でも情実で合格させたんだろう、寄席雀は騒いだ。

「真打披露興行だけどな・・」
 散々の昇進試験から一月、ネタのお浚いの時、師匠がそう切り出した。

「道丸、ですか」
 左京兄さんの噺が一番好き、と甘えてくれた後輩だった。昇進試験での「金明竹」の天然ボケの小僧は、可愛らしくおかしかった。騒動の渦中一言の弁解もせず、陰口をじっと耐えてるのは・・知っている。

「道丸の昇進は、もう決まってる。まあ、大変だろうがな」

 京治師匠も、同じ修羅場を潜っている。

(二十一で真打。親の七光りだって散々くさされたってぇが、それをばねに精進して、三十路で大看板になったなあ大したもんだ)

 師匠は、この世界で神様みたいな、名人五代目長楽亭京の輔の息子だ。

「見た目より根性ありそうだ。肚据えてやってくだろうし、心配するこたあない」
 別に、心配はしていない。

「お前、新しい紋付買う金、あるかい?」
「へ?へえ、何とか」

「口上だからね、ちと上等なのを誂えとくれ」
「あたしが、口上・・ですか」

「席亭さん方が、是非にっていうんでな」
 酒のしくじりのペナルティ・・か?

「あたしも出なきゃあなりませんか」
「何いってんだ、手前の真打披露に手前が出なくてどうする」
「ええぇ!」

「席亭連がおかんむりでね。左京を落とすような試験に価値なんざない、ってさ」
「師匠・・てえことは」

「長楽亭左京昇進決定ん後でなきゃあ、桂家道丸達の真打披露の芝居は打てないって、えらい剣幕で・・師匠連も形無しよ」

披露をしなければ、真打とは認められない。

「で、真打昇進の追試が決まった。追試ったって形だけだけどな」
「し、師匠・・」

「一人昇進になるし、大丈夫かい。今度あ、樽空けて追試に来るんじゃないだろうな」
 折半のできない金が、かなりのしかかる。

(あかね、ごめんよ)

「ところで、本名で真打ってのも、何だなあ」
「お相撲じゃ、時々あるらしいですけどね」
 師匠は京治。親から貰った本名は左京。前座二つ目と本名を名乗らせたのは、この道を猛反対した親への、師匠の気遣いだろう。

「この際どうだい・・京の輔にしちゃあ」
正気か?この世界屈指の大名跡だ。

「おめえが六代目京の輔で、そのあと俺が七代目になりゃあちょうどいいと思うんだがな」
 師匠は、にやりと笑った。

「お前にならやるぜ京の輔・・三千万で」
「そんな金、あたし持ってる訳ないでしょう」
「そうかぁ、残念だな」
 
そして十年。名は死ぬまで変わらなかった。

(この一杯だけにしとくんだぞ)

 鯰師匠にこれ以上酒を出すなよ、しらふだからまとも一通り挨拶ができてるんだぞ、という声も・・もう女房には届かない。

  


Posted by 渋柿 at 20:18 | Comments(0)

2013年12月31日

初夏の落葉3

「柳小夢、この名前、憶えといて損はないで」

「はい、憶えておきます」
 
 何か、声が遠く聞こえる、陶然。注がれるままに飲んだ。
 小夢は、孤児だったという生い立ち、十五歳からの内弟子生活の話を語る。左京も、父と聞いた長楽亭京の輔の高座を、熱く語った。かなりの酒も口にした。

「あんたも噺家になりいな」
 突然、いわれた。

「初めてちゅうのに赤くもならんと、目え据えてからに。あんた、大酒飲みと・・噺家の素質がある」
 確かに生涯最初にしては、快適だった。

「わいも、水上左京ちゅう名前、憶えとくわ・・この歌声踏み躙った機動隊、いつか高座でしゃべりいや。客を爆笑させるマクラでな」

「爆笑させるマクラ・・笑い飛ばすんですね」

「ああ。あんたなら、できる。そんだけ落語が好きなもん、プロの噺家ん中にもそうはおらんで」
 噺家になるんやで、そいでわいといつか二人会するんや・・二十歳の小夢は、まるで十も年上の様に勘定書きを掴んだ。

(同い年の・・入門五年目の・・)
 プロの噺家。

(俺も噺家に)
 かなり酔っていたんだろう、そう思った。

 だが、落語好きの父も芸人になるとなれば話は別、何年経っても頑として許さなかった。

 こいつがあたしんとこに弟子にしてくれて頭下げた時にゃあ、もう二十五でしてねえ、京治師匠が呟いた。

「人より十年遅い。でも、こいつは噺家になるために生まれてきた様な野郎だった」

 父に押し切られ、卒業後一旦は就職もした。

(ちいと早い奴は、女房子がいる齢なんだぞ。折角堅気の仕事についたのに、いつまでもふらふらしてるんじゃない・・か)
 
 あれは二十五歳の誕生日。晩秋、日曜の昼席から夜までずっと旧館の豊島演芸場にいた。

 父にこれ以上心配はかけられない。人も羨む職も得たし、職場でも評価され始めている。夜席のトリが、長楽亭京治でさえなければ・・夢は街路のハナミズキみたいに、寒々しく散っていた筈だった。

(師匠の宮戸川、通し・・思わず弟子にして下さいっていっちまった)

 それから二十年、あっという間だ。

「鯰さんがそこまでいうんだ、そりゃ紛れもない、左京の芸なんでしょうよ。判りました、それで送ってやります」

 師匠がそういえばもう、どうしようもない。

 仲間は連休で地方に散っている。通夜は三日後、葬式はその明けの五月三日と決まった。
  


Posted by 渋柿 at 11:43 | Comments(0)